開始を告げる、後見の公演
言葉の悪魔陣営視点のお話となります。
男は疲労とストレスによって生まれたイライラをどうにか抑えながら、帰路を急いでいた。
上手くいかない商談、圧力をかけてくる上司、順調に成績を伸ばす同僚、その全てが気に入らなかった。
なんとか商談もまとまり、珍しくこんな時間に帰られたのだ。こんな日は酒盛りだと大量の酒を片手に歩いていると、いきなり声をかけられた。
「もし、よろしければ、私のお噺を聞いていただけませぬでしょうか?」
男が横目で見ると、どうやら占い師のようだ。
「いらんいらん。どうせ運がとんでもなく悪いって金払って煽られるんだろ? そんなのお断りだ」
「そんなまさか! そもそも私は占い師ではございませぬよ」
ただ手を横に振って立ち去ろうとした男だったが、その言葉を聞いて占い師の方を向いた。
そこで男の格好に気付く。
ぱっと見ただけでは夕暮れという時間も合わさって、頭から黒布をすっぽりと被った占い師に見えていたが、よく見ると彼の格好が歌舞伎等で裏方として活躍する黒子衣装だということに気が付いた。
「な、なんで黒子がこんな裏道にいるんだよ?」
男は一秒でも早く自宅へ帰るために、人通り少ない裏道を急いでいたのだ。
そのせいでただでさえこの場に不釣り合いな黒子の存在が不気味に思えてしまい、声が震えてしまった。
「ええ、ええ、そこには涙無しには語れぬわけがありまして」
そういって黒子は語りだした。
自分が新人の落語家だということ。しかし才能の無さゆえに人前で話す練習も兼ねて、黒子姿で噺をしてこいと言い渡されたこと。そして一定数の署名を集めねば家に帰れぬことを話した。
「そりゃ......あんたも苦労してんだな。なら一つくらいは聞いてやるし、署名もしてやるよ」
「やや! ありがとうございまする!」
黒子の話は男の疲れた頭でも筋が通っているように思えた。そして何より目の前の黒子は男と同じように抑圧される側の存在であることが分かり、共感を生んだのだ。
そんな黒子のために噺の一つ聞いてやってもバチは当たるまい。男はそう思い許可を出したのだが、やはり彼は疲労で判断力が鈍っていたのだろう。
先ほどの黒子の話が真実であれば、この黒子は人通りの多い商店街に陣取って練習をしなければおかしいはずだ。
仮に師匠からここで練習しろと言い渡されたのだとしたら、一定数の署名を集めて来いと言われるのもおかしい。
そして何より、落語では決して使われぬ拡声器がテーブルに置いてあるのがおかしい。全てがおかしい。
矛盾している部分はいくらでもあったのだ、しかし男はそのいずれにも気付くことはなく許可を出してしまった。
「それではお聞きください《だいまるやそうどう》!」
黒子が傍らの拡声器を口に持っていくのを見て、自分一人しか客はいないのにと疑問を覚えた男だったが、その違和感を感じるにはあまりにも遅すぎた。
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「「へい! 私めは、斬っても斬れぬ伏見(不死身)の兄にございます」いかがでしたでしょうか? おお! ずいぶんと楽しんでいただけたようで。それではお手を拝借」
黒子は噺が終わると共にどこからともなくサバイバルナイフを取り出した。それを男に握らせると、人通りが多い駅の方向を指差し
「愛想尽かしの裏切者は、あちらのほうへと逃げ出しました。さぁさぁ、追いかけ追いつき激情を、思うが儘にぶつけなさい」
言葉が終わると同時に、ふらふらと男は人ごみに向かって歩き出した。
そしてそれほど時間がかからぬうちに、人ごみは悲鳴と怒号に包まれた。
それを確認し満足そうにうなずくと、興味が失せたと言わんばかりに黒子は、自分の後ろを振り返る。
「わが主、ただいま戻りました」
「よく戻り......おや? その眉間の傷は?」
「ええ、とんでもない藪蛇を出してしまったもので」
そこにはいつの間にかオカメ面に十二単姿の怪人、言葉の悪魔の眷属、二言が姿を現していた。
二言は学校での顛末を、主と呼んだ黒子に伝える。
「なるほどその乱入者のニンゲンが、負傷のショックで悪魔殺しに変貌してしまったと」
「ええ、誠に申し訳なく......」
「仕方ありません。そこまでの展開を読み切れるのは知識の魔王、継承様くらいでしょう。過ぎたことを悔いても無意味です。気に入りませんが、一一の進めている交渉も並行して、計画を練り上げなければいけせんね」
「たった今戻りましたぞい主。おお! なんじゃ二言、その面の傷は? まさかあの娘っ子に一太刀浴びせられでもしたか?」
示し合わせたかのようなタイミングで、また一人奇妙な格好をした人型が姿を現した。
悲哀の表情を浮かべた翁面に安っぽく色あせた麻の服。声は面に合わせたかのような老人の声。
場所が場所であれば役になりきった見事な役者と喝采を浴びそうな一挙手一投足だったが、やはり場違いが過ぎた。
そして例に漏れることもなく、この老人も黒子を主と呼んだように、言葉の悪魔の眷属だった。
「よく戻りました一一。帰ってきて早々ですが、悪い話があります」
そう言って先ほど二言から聞かされた話を、翁面の老人一一に話した。
「なんという......あの娘っ子とその仲間共に捕捉されたことが、我ら最大の不幸と思っておりましたが。なるほど不幸とは重なるものらしい」
「全くです。しかも最近の捕捉の精度を考えるに、とっくの昔に螺旋型魔法陣についても割れているでしょう。ニンゲンごときの計画に乗せられるのは業腹ですが、背に腹は代えられません。あの生臭坊主に協力を求めましょう」
「致し方ありませぬな。魔力の残りカスとそれが染みついた土地だけで一番危険な楔の打ち込みを躱すことが出来るのならば、それに勝るものはありますまい。幸い、向こうとの交渉はこちらの返事次第という段階まで進んでありまするゆえ。主次第ですぐにでも取り掛かりまする」
「わかりました。それでは一一、先方に楔の準備をお願いしなさい。そしてもしもの時は_」
黒子の命令は何かの葛藤のためか、、語尾に至っては声に出したかもわからぬほどのものとなった。
「......心得ておりまする。我らはあなたの駒。王手をかけるためならば、喜んで相手方に取られましょうぞ!」
不穏な言葉をかけられた一一だったが、悲壮さをまるで感じさせないにこやかな声で命令を受諾した。
そんな彼を少しの間見つめていた黒子だったが、気を取り直したのか、続いて二言へと命令を言い渡した。
「二言、あなたは私と共にもう一つの楔の準備を」
「もちろんでございます」
「私は歴代の言葉の悪魔達のような、無様を晒すだけの存在にはなりません。例え鼠のように逃げ回るだけの腰抜けと呼ばれようと、ニンゲンに助力を求める能無しと呼ばれようと、最後には必ず勝利の栄光を手に入れて見せます。そして二つの世界に刻んでやるのです、言葉の悪魔、音踏みのカタナシの名を!」
人が知恵を絞り悪魔の悪行を止めようとするように、悪魔もあらゆる可能性を考慮して最善の選択をつかみ取ろうとしていた。
お互いの思惑と行動が何を生み出し、どちらが勝利を手にするのかは、この時点では誰にも分らない。
大丸屋騒動(上方落語の演目の一つ。他人の思いやり全てを悪い方に考えた男がついには狂い、妖刀片手に大暴れをしてしまう噺)
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