縮まった彼方との距離
「はぁ、はぁ、はぁ......」
翔は肩で息をしながらも何とか木刀を構え、全方位どこからの攻撃にも対応できるように目を光らせる。
彼の周辺には大量の砂が小山を築き、それだけで数多の箒の襲来を打ち払ったことがよく分かる。
「訓練を始めて三日目。ずいぶんと良い目をするようになったね、少年。けれど、それだけじゃ勝てない、それだけじゃ届かない。創造魔法は大飯喰らいの魔法大系。魔王の私と消耗合戦は、いささか分が悪いよ?」
砂で出来た箒に腰を下ろし、はるか上空から声をかけるのはダンタリア。
翔は不可視の魔法への対抗策を手に入れてから三日間訓練を続け、箒の猛攻だけなら防ぎ切る事が出来るようになっていた。
しかし、翔に出来たのは、相手の攻撃を防げるようになっただけ。上空にいる相手に攻撃することは未だに一度として成功できていなかった。
もちろんこの三日間、無策の戦いを繰り広げていたわけじゃない。
手から離れても木刀が消失しないよう、必死に魔力を込めて投擲する。ダンタリアから放たれた砂の箒を、打ち返す事で攻撃するなどの、クレバーな戦法にも挑戦してはいたのだ。
しかし、前者は簡単な横移動で躱された上に、無理な要望を魔法に込めた代償の魔力切れによってぶっ倒れる事なった。後者は始祖魔法による干渉によって彼女へ到達する前に砂は静止し、カウンターとばかりに油断していた翔の顔面に叩き込まれてしまった。
挑戦はしていた。けれどいずれの種も、大地から芽吹く事は無かったのだ。。
「そろそろ休憩を挟もうか」
翔の目に見えるほどの消耗に、ダンタリアは優し気な声をかける。けれども言葉に反して、周囲の砂が無数の箒をかたどり始めた。
翔はそれを見て、朦朧とした意識を取り戻さんと頬の裏側に歯を立てる。彼女の休憩宣言とは、その場で休息を許す甘い言葉では断じて無い。限界を迎えた身体にさらなる負荷をかけて、動くことすらままならないほどの攻撃を叩き込むという宣言なのだ。
実際これまでの三日間、終わりの無い波状攻撃によって、休憩に入った時の翔はもれなく砂風呂状態となってしまっていた。期限が定められた訓練だ。いつまでも繰り返していては、前に進めない。
「さぁ、今回はどれだけ訓練を続けられるかな?」
ダンタリアが手に持った杖を、指揮棒を振るかの如く優雅に振るう。同時に、砂の波状攻撃が翔へと押し寄せた。
「はっ、ふっ、はぁっ!はぁ......はっ!」
肺が酸素を求めて、大きく息を吸い込もうとする。
しかし、翔は身体の欲求にあえて逆らって短い呼吸を繰り返し、押し寄せる箒を弾き、躱し、打ち砕く。
人間の呼吸を構成する吸うと吐くといった動作の中で、吐く動作というのものは重量挙げのシャウト等のように力を込めることへ大きく貢献してくれる。
だが、吸う動作というのは全くの逆で、どれだけ身体に力を込めようとしても本来の力とは比べ物にならないほど力が抜けてしまう。
これまでそれなりの長い時間を武道の鍛錬に費やしてきた翔だったが、本当の意味で息が切れ、身体が何よりも呼吸することを最優先するのは初めてだった。そして、それすらままならず最終的に酸欠で意識を失い倒れる事もまた、初めての経験だった。
けれど、人は経験によって最適に辿り着く。翔は呼吸で生じる隙を取り除く呼吸法を、この三日間で編み出し、身体に浸透させる事に成功していたのだ。
この呼吸法により、休憩宣言後に抗える時間は格段に増加した。けれど、どれだけ攻撃を捌こうとも翔の行っているのは防御。実際の戦闘であれば、死ぬまでの時間を先延ばしにしているにすぎない。
(このままじゃ......駄目......だ。このままじゃ......また......砂で埋められる。ダンタリアまで......空へと届ける......足場......足場......!)
酸素不足で悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、貴重な酸素を頭へと回し、状況を打開するための策を考える。
そんな極限の集中状態だったためだろうか。ふと迫りくる箒の雨にいくつもの光る点が生まれ、翔とダンタリアを繋いだ光の道が出来上がったのだ。
(これしか......ない!)
翔は飛来する箒の一つへと飛び上がり、思い切り足で踏み付けるとさらに飛び上がった。
そして次に飛来した箒を利用してさらに上へと飛び上がり、一歩、また一歩と階段を軽快に駆け上がるが如く、空中のダンタリア目指して飛び上がっていく。
一歩踏みしめる毎に勝利へと近づく、一歩飛び上がる毎にダンタリアの待つ舞台へと到達出来る。
不意にもたらされた極限の集中は、身体に呼吸すら忘れさせ、思いついた目的を実行するための従順な奴隷として絶対の服従を強いていた。
歩数にするとあと三歩先、そこにダンタリアがいる。
遥か上空の彼女を見つめることしか出来なかった翔にとって、その距離はすでに目と鼻の先だ。
あと二歩、あと一歩。ようやく、届いた。
そう思った翔の視界が、突然ぐらりと斜めに傾いた。
集中によって何もかもがゆっくりと流れる時間の中、急いで原因を探る。目線を下に向けた時、原因は見つかった。
足場としていた箒が急速に形を失い、元の砂へと戻ろうとしていたのだ。
ダンタリアの魔法に取り払われた事で世界の理を思い出した砂達は、重力という絶対の存在に身を任せさらさらと地面に舞い戻っていく。
上空へと至るために、ダンタリアの魔法を逆手に取った弊害だった。
彼女はわざわざ翔と張り合う必要はないのだ。全ての箒を元の砂へ戻すだけで、翔は地面へと叩きつけられてしまうのだから。
そうしてしまえば安全に、そして確実に翔を倒すことが出来るのだから。
ゆっくりと降下を始めた翔の顔が、ダンタリアを見上げる。彼女の顔は、申し訳なさそうな苦笑いをしていた。
頭の回転が上がっていた事もあり、彼女の表情を翔は理解出来た。
自分が導き出した上空の敵への回答。彼女はこれを正解にするにはいかないのだろう。
相手の魔法を利用するという事は、相手に全ての主導権を委ねてしまうという事。相手が引き返せないドツボまで踏み込んでしまった時に、いかようにでも料理されてしまうという事。
だからダンタリアは翔が咄嗟に生み出したこの方法を、発想としては認めつつも成功としては認めない。失敗を噛みしめさせるためにあえて、ギリギリで魔法を解除し、翔を何もする事が出来ない上空に放りだしたのだ。
ダンタリアの言いたい事はよく分かった。
もしマルティナ相手にこれを実行すれば、地面に落ちるまでの間にこれでもかと槍を突き刺され、翔は醜悪な現代アートと化すだろう。上空という碌に移動すら出来ない場所にいる翔に、それを防ぐ手段は無いのだから。
翔も今回の策が失敗である事は認めるしかなかった。認めるしかなかったのだが、それはこの状況からあきらめるという事とは別の話だった。
(まだだ! ここまで......届いたんだ! 手を伸ばせば......届く距離なんだ! 距離を縮めるための......空中で動くための力を!)
幸か不幸か空中で放り出されたおかげで、翔の思考はすぐさま上空での移動法を考える思考へと切り替わった。
そして翔のような今まで魔法の存在を知らなかった一般人にとって、空中を自在に飛び回る方法と言われて一番初めに思いつくものが飛行機だ。
筒の中からエネルギーを放出して空を飛ぶというイメージ。極限の集中。それによって冴えた頭と、もはや何でもやってやるという壊れた心のブレーキ。
様々な要因が翔の中で混ざり合い、大逆転のための一つの方法が頭の中で生まれた。
(ここから動くには力が要る......そして今俺が差しだせる力は魔力だけだ......もちろんジェットエンジンなんて生み出そうとしたら、あっという間に魔力切れ......だから形は木刀のまま......木刀のままでエンジンを作る!)
翔は右手に握っていた木刀を放り投げ消失させると、慣れた手つきで新たな木刀を生み出した。
だが、生み出されたものは、見慣れた木刀とは訳が違っていた。
木刀の先端部分、そこが消失していたのだ。
もちろん、ただ短いだけの木刀を生み出したという訳では断じて無い。
木刀が完成する直前で、わざとストップをかけたのだ。
完成自体はしていないために、木刀の先端から魔力が漏れ出す。創造魔法で消費する魔力だ。尋常ではない勢いの魔力が先端から噴き出し、意味を持たない魔力の奔流は、そのままただの力となって地面へと噴出した。
落下を始めていた翔の身体が、空中で静止する。絶え間ない魔力によって徐々に身体は持ち上がり、それどころか急加速を始める。
突然空の世界に対応した翔に、ダンタリアはほんの一瞬だけ目を見開いた。その後に眩しいものを見たかのように、瞳は嬉しそうに細められた。
「うおぉぉぉぉ!」
この一撃に全てを賭けるとばかりに、翔は雄たけびを上げて木刀を振るう。
「土壇場で空を翔ける術を手に入れるとは思わなかったよ。君は本当に素晴らし逸材だ。だからその成功を胸に、今はゆっくりと休むといい」
翔の振るった横薙ぎの一撃。その攻撃はダンタリアに到達するかといった瞬間に、突然木刀の方から彼女を避けるかのように軌道がグニャリとカーブした。
下への魔力放出で空を飛んでいただけの翔も、木刀を振り回した事で体勢を維持出来なくなり、今度こそ地面へと落下していく。
疲労、酸欠、魔力切れ。様々な要因が重なり意識が朦朧としていた翔が最後に感じたのは、何か柔らかいものに身体全体が包まれる感覚だった。
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