裏方のお仕事
人魔大戦対策課。平時ではお飾りの閑職に過ぎない課だが、いざ人魔大戦が開戦した後であれば、課長である大熊には多くの仕事が巡ってくる。
例えば日魔連で情報を入手した不可解現象が、悪魔と関わりがあるかの調査。例えば日本に侵入した悪魔の討伐を巡る、段取りと各派閥からの人員派遣要請。例えば日魔連以外の魔法組織と協力体制を敷くための外交。数えだしたら切りがない。
今日もドイツの大戦勝者であるラウラ・ベルクヴァインと、彼女が討伐を目標に掲げている血の悪魔への対策会議を、夕食を摂るのも忘れて行っていた。
現在は緩衝役として、数少ない友人と認められている麗子にラウラの相手を任せている。彼女は相手を気に入っているかどうかで、180度態度が変わる人間なためだ。
ラウラは気に食わないことがあれば、大戦勝者の魔法を人間相手にも平気で振るう。
直近で彼女が魔法を振るったのは十数年前。迫害され、秘密裏に抹殺命令を出された少女を救い出すためだ。後の調査によって少女の抹殺命令は理不尽の極みである事が判明したが、実行者達が味わった理不尽はその数段上を行くだろう。
なんせ彼女を迫害することを決定した上層部、実行部隊、所属していた魔法組織はことごとく壊滅の憂き目に遭い、件の国の魔法使いの家系は五割方断絶してしまったのだから。
そんな彼女と協力して行う作戦だからこそ、現在計画されている日本とドイツ合同の血の悪魔討伐作戦は失敗するわけにはいかないのだ。
もしも血の悪魔の討伐を失敗した上で翔のみが生き残り、件の少女が死亡してしまったりしたら。友人である自分は叱責程度で済むだろうが、他人にすぎない翔には大戦勝者の怒りが全面的に振るわれることになる。
翔のため、魔法組織間のバランスを守るため、間違っても手を抜くわけにはいかない案件だった。
しかし、そんな神経を削る調整も、日の出から日の入りまで休まずに続けていたことでようやく終わりの兆しが見えていた。
そろそろ一休みを入れようとしていた大熊の耳に、突然ドン、ガラガラ、ガッシャンという様々な物が激しくぶつかり合う音が響いた。
「なんだなんだ!?」
急いで音の発生源へと向かう大熊。そんな彼が目にしたのは、ダンタリアが作り出した異空間に繋がるハッチから勢いよく射出されたらしい翔の姿だった。
「痛っだだっ......あっ、大熊さん、お疲れ様です」
小さな生傷が身体中に浮かんだ翔は、大熊の驚きをよそにのんきな挨拶をよこす。
「お疲れ様ですって翔......お前、さっきあの野郎との講義を終えて家に帰ったはずだろ? なんでまた、あの野郎の居城から出てきたんだ?」
「はっ、ははは......実は色々と、複雑な事情がありまして......」
困惑する大熊に、翔は先ほど行われた少女との戦闘、続くダンタリアの救援と、結果的に自身が決闘に挑む事などを話して聞かせた。
「はぁ~......。噂はラウラから聞いてはいたが、そんなドミノ倒しみたいに状況が悪化することがあるかよ! クッソ! あの野郎の呼び出しにこんな裏目があるなんて、あの時分かっていれば!」
話を聞いた大熊はバリバリと頭を掻きむしり、予想だにしなかった展開に後悔の声を上げた。
「すみません、俺があいつの発言に突っかかっていなければ......」
「それがベストな事は否定しねぇ。けどな、若い頃なんて自分の意見が絶対に正しくて、他人が嘘八百を述べる詐欺師に見えちまうもんだ。ましてや初対面の怪しい奴に言われちまえばなおさらだっての」
失敗を詫びる翔に、大熊は怒りもせず淡々と意見を述べた。
「けど魔法使いってのは、戦うって決めたんなら勝つのが最低条件だ。今回はあの野郎が面白半分に顔を突っこんでくれたからどうにかなったが、そうじゃなかったら本当に命を落としていたかもしれねぇんだ。こんなしょうもない争いで死んじまったら、死んでも死にきれねぇだろ?」
「はい......」
「だから、どんだけ頭に血が上っていようと喧嘩をするって決める前に、相手の力量をしっかりと見極めなくちゃいけねぇ。別に世話になった相手を侮辱されて戦いになった事は、責めたりしねぇよ」
「すみませんでした」
もう一度謝罪と共に下がった翔の頭を、大熊はわしゃわしゃと無造作に撫でた。物心つく前に別居してしまった父親も、もし今でも一緒に暮らしていればこんな風に自分を慰めてくれたのかもしれない。大熊の大雑把な優しさに翔の胸は温かくなる。
「まぁ、とりあえず現状を考えなきゃいけねーな」
「そうですね。忙しいのにすみません」
普段からしてデスクと一体化している大熊だ。さらに無駄な時間を割いてしまうことを翔は申し訳なく感じる。
「ガキが大人の心配してんじゃねぇよ。お前が思う以上に肉体的にも精神的にも修羅場はいくつも通ってんだ。この程度の仕事が一つ増えたところで屁でもねぇ」
大熊が口角を吊り上げ、申し訳なさそうにしている翔の頭を軽くたたいた。
「翔、ダンタリアから軽く聞いているとは思うが、お前が遭遇した少女は教会の悪魔祓いと呼ばれる機関所属のシスターだ」
「はい」
「名前はマルティナ。元々はイギリスの大戦勝者であるジェームズに、魔法や悪魔との戦闘を学ぶために預けられていたんだが、ある日彼女は暗黙の了解で見逃されている悪魔を知ってしまった」
「ダンタリアの事ですね」
「そうだ。悪魔は絶対悪と信じ、教会の教えの下で厳しい訓練をこなしていた。なのに肝心の教会は知識の魔王なんていう大物を、黙ってこの世にのさばらせていた。理由が何であろうと、我慢が出来なかったんだろうな」
「......」
「そうして勢いのまま単身ジェームズの下を飛び出し、知識の魔王を追って日本に辿り着いたってわけだ」
「そっか。あいつにも、マルティナにも、討伐に挑むだけの理由はあった。でも......」
翔はこの時初めてマルティナという名前と、彼女の生い立ちを知った。
確かに信じていた組織が裏では敵方と手を結んでいると知ったら、誰も信用出来なくなり、自分の信じた道を暴走してしまうというのも無理は無い。
「その、大熊さん。マルティナがダンタリアを討伐しようとしている理由は、本当にそれだけなんでしょうか? 相対した彼女からは、悪魔を絶対に討伐するという強い意志を感じました。けれど同時に、悪魔に対する強い憎しみも感じたんです」
翔はマルティナの言葉を聞いた時、その声色から強い信念だけでなく深い憎悪も感じたのだ。
裏で悪魔と手を組んでいた教会に、落胆するのはわかる。けれどそれなら絶対悪とする教育の矛盾によって、むしろ悪魔への憎悪は薄れるはず。それにもかかわらず、彼女は悪魔という種族そのものをどうしようもなく憎悪していた。その理由が翔にはわからなかったのだ。
「悪ぃな、流石にそこまでは俺も把握してねぇ。ラウラなら知っているかもしれねぇが、今のあいつとはちょっとした密約があってな。下手にあいつの力を借りると、今後に響いちまう」
「なら、俺が直接聞きに行くとか_」
翔が言い終わるよりも早く、大熊が大きく横に首を振った。
「絶対に止めとけ! 例えるなら、あいつはそこら中に起爆スイッチをバラ撒いた核爆弾だ! 友人と認めた相手以外には、何をトリガーに全力の魔法を叩き込まれるか分からねぇ! マルティナの過去はお前の命と吊り合うか? 吊り合わねぇだろ?」
「えっ、あの人ってそんな人なんですか......?」
翔の知るラウラは、太陽のような髪色をした、軍服姿の年下の少女といったものだけだ。大熊に知らされていなければ、セカンドコンタクトで翔の命運は尽きていたかもしれない。
「いや、線引きがしっかりしてる分、あいつはまだましだ。別件で興味関心を理由に魔法実験を繰り返すアホが......いや、あいつのことは今はいい。それよりも翔、これからの一週間は訓練の期間ってことでいいんだな?」
「えっ、あっ、はい。そうなると思います」
大熊が言いかけた話も気になるが、まずは目の前に立ちふさがった問題だと切り替える。
「よし、ならこっちの方でデタラメな理由を作って、学校の方は休みにしといてやる。だからダンタリアとの訓練に全力をかけろ」
「えっ!」
「どうせ保険はあるんだろうが、何かの間違いで本当にあの野郎が討伐されたりしたら、人魔大戦そのものがやべぇことになる。だからあの野郎の第一プランである一騎打ちで、しっかり勝利してもらいたいんだ」
「そりゃあ、ダンタリアとも約束しましたから全力を尽くすつもりです。けどお恥ずかしい話なんですが、実は進学が危ぶまれてまして...」
翔としても大熊の意見に異論はない。しかし、人魔大戦決着後も魔法世界で生きていくと決めたわけでは無い翔にとって、高校落第は人生の崖っぷちに立たされる大きな汚点だ。
ついでにちゃっかりと補習を終わらせた親友達に落第を知られようものなら、永遠に笑い話として語り継がれることになってしまう。それだけは断固として阻止したかった。
「あー、そういや猿飛がそんなこと言ってやがったか。分かった。こっちの方でなんとかしといてやる」
「えっ、本当ですか!」
大熊が成績の補填をしてくれるのかと思った翔が、期待に顔をほころばせる。
「あぁ、補習の方を延期してもらえるよう調整しといてやるよ」
だが、大熊から出された案は補習そのものの先延ばし案だった。
「えっ......あのー......補習そのものを消し飛ばしてくれたりとかは?」
「それはダメだ。そもそも成績が悪いのは自分の責任だろ? 自分の行いのツケは自分で払わねぇと駄目だろうが」
「うぐっ!」
反論しようのない正論を大熊から浴びせられ、翔は思わず一歩後ずさった。
「勉強程度で逃げ癖なんて付けるもんじゃねぇよ。苦労を買えとは言わんが、背負った苦労くらい綺麗に捌いてみせろ。俺に姫野の苦労を肩代わりしてみせるとでっけぇ啖呵を切った時みたいにな」
「あっ......」
そうだ。自分はあの日、姫野の保護者でもある大熊の前で、彼女の一助になると言ってみせたのだ。そんな奴が補習一つであたふたと逃げ回っていたらどう見られる。少なくとも、自分なら姫野を任せたいとは思わない。
発言の意味を理解し、目の色を変えた翔。そんな彼の変化を見て、大熊も満足そうに頷いた。
「それでいい。その調子で決闘の方も頼む。あの野郎もなんだかんだいって、人類陣営の大きな希望だ。あいつがさっさと討伐されちまうだけで、相手の悪魔の所属も、魔法も、強さも何もかもが憶測と実体験による推理しか出来なくなっちまうんだ」
「分かってます。人類のため、そして世話になった義理のため、あいつは討伐させません!」
「良し、その意気だ! とりあえず今日はもう遅いから帰って休め。明日は学校に向かわず、そのままあの野郎に会いに行きな」
「はい」
大熊は翔の気持ちのいい返事を聞くと、活を入れるかのようにパァンと翔の背中を叩いて彼を見送った。
「......ったく、今夜は眠れねぇな」
翔の姿が見えなくなったのを確認すると、大熊は携帯食料を水で流し込み数十秒程度で夕食を終えた。そのままボキボキと凝り固まった首や肩を適当にほぐすと、デスクに戻っていくのだった。
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