焦がれ求める英雄譚
「うおわあああぁぁぁ!?」
親友達が聞いたら数分は笑い転げるような情けない悲鳴を上げながら、翔は黒一色の空間を落下し続けていく。
永遠にも思えるような浮遊感、されどそれは唐突に終わりを告げた。
突如差し込んだ光によって、目に入ってきたのは見覚えのある場所。天井まで届く無数の本棚に、所々に設置されたソファやテーブルなどの読書スペース。
間違いない。ここは日魔連事務所の地下にあるはずの、ダンタリアが作り出した空間だった。
「いや、呑気に周りを観察してる場合じゃねぇ! このままのスピードで落ちたら......」
見知った場所に一度は安心を覚えた心も、逆に冷静さを取り戻したせいで新たな脅威を自覚してしまう。
翔が自覚した脅威。それは自身の着地に関してだった。
永遠では無くともそれなりの時間落下を続けた身体。勢いはこれでもかと付いている。人間が落ちて助かる高さなど知りもしないが、今の自分の勢いでは地面に落ちたトマトのようになるのは間違いなかった。
「ど、どうにか......着地の前にどうにかしねぇ、と?」
だが、翔の最悪の考えは杞憂に終わった。なぜなら咄嗟に仰ぎ見た落下点には、百をゆうに超える大量のクッションが設置されていたのだから。
抵抗など出来るはずもなく、翔はクッションの海に飛び込んだ。
「ごもっ!? __! __! ___! ぶはっ!? 殺す気か!」
四方八方から感じられる柔らかな反発。本来なら体重を預けた相手を優しく包んでくれそうな感触も、落下の衝撃で小山の底まで潜り込んだ翔にとっては呼吸を遮る凶器と化していた。
危うく落下死ではなく窒息死を起こしかけながらも、翔はなんとか小山から這い上がり、これでもかと抗議の声を上げた。
縄梯子の時といい、今回のクッションといい、明らかにイタズラ目的な部屋の主に向かって。
「ふふふっ、すまないすまない。どうやら落下地点の計算を間違えたらしい。面白いほどクッション同士の隙間をぬって、潜り込んでしまっていったね。悪かったよ」
「あんたが、いや、一緒に落ちたはずのお前がこれ見よがしにくつろいでる時点で、全部わざとだろうが!」
分かり切った反応でもなお楽しいといった様子で、ダンタリアはくすくすと笑っていた。
「ふふふっ、病み上がりが叫び声をあげるのは身体に優しくないよ? おまけに戦闘の後だ。心を落ち着かせるためにハーブティーを用意したから、冷める前にね」
「......半分はお前のせいだろうが。けど、まぁいいよ。こんだけやったんだから、さっきのこと話してもらうぞ」
翔はなおも恨み言を重ねたが、ダンタリアの言う事ももっともだったため、素直に言う事を聞いた。スーッと鼻を抜けるさわやかな香りが、怒りで曇った頭を鮮明にしていく。言うだけの効能は確かにあるようだ。
「美味いな」
「本場イギリスの友人から仕入れた高級品だからね。不味いなんて言われた日には、彼に泣きつかなければいけないところだったよ」
「おまっ!」
見ず知らずの魔法使いに悪印象を持たれるのは最悪だ。慌てて立ち上がる翔を見て、またもダンタリアは笑みをこぼす。
「ふふっ、君は熊に似ているのに、彼より沸点が低くて楽しいね。それで、さっきの件についてだったかな?」
「人で遊んでんじゃ! ......ってそうだ! そんな事よりも詳細だ詳細! 話してくれるんだろ?」
「そうだね。君にも関わる件だ。始めるとしよう」
そう言うとダンタリアは先ほどまでのいたずらっ子のような雰囲気を仕舞いこみ、魔法の講義を付けてくれた時のような、どこか威厳が溢れる雰囲気を作る。
「まず事の発端から話そうか。君を襲った少女、あれはイギリスの大戦勝者に預けられていた教会育ちの悪魔殺しだ」
「教会育ちなのに悪魔殺し? そもそも教会って悪魔の存在自体を許さない組織のはずだろ。そんな人間がいくら強くなるためとはいえ、悪魔と取引するもんなのか?」
思い出すのは金の刺繍を施した真っ白な修道服に、フードからこぼれる金髪の三つ編みと背中から生えた真っ白な翼。教会所属と言われてみれば、確かにその色合いは神に仕える聖職者の装いそのものと言えた。
しかし、そうなると疑問が生まれる。悪魔をあそこまで毛嫌いする彼女がどうして、悪魔の力に手を伸ばしたのかだ。
「人は心情と立場によって、容易く非合理的な選択をするものさ。まぁ、そちらはそこまで気にすることではないよ。問題は悪魔の存在を許せない彼女が、私の居場所を把握していたことなんだよ。少年、君は完全なとばっちりを喰らってしまったというわけだ」
ダンタリアは申し訳なさそうな顔で苦笑した。
「......じゃあ、あの時あいつを追っ払ってくれたのは、後ろめたさもあったからなのか?」
「それもあるね。けれど一番の理由はあの場で話した通り、君の物語を完結させるのはもったいないというのが一番の理由だよ。だから契約魔法、魂魄の契約書を使ったんだ」
「移動する前にも言ってたやつだよな?」
「そう、それだ。あの契約魔法の効果はシンプル。お互いに名前を知っていることを条件に、双方の同意によって契約を取り決める。この魔法で成立した条件は、契約が履行されるまでどんな魔法よりも優先される。そんな魔法さ」
分かりやすく魔法を説明してくれた部分には不満は無い。だが、少し時を置いた上でも翔にはどうしても納得がいかないことがあった。
「よく分かったよ。けどそれならなんで、あそこまで不利を背負うような契約なんか結んだんだよ。お前の魔法技術がすげーもんだってことは大熊さんから聞いた。それに、実際あいつの攻撃を防いで圧倒してたじゃないか。なのにどうして!」
あの時のダンタリアは、少女を圧倒していた。
それは彼女の余裕を感じさせる態度や、逆に余裕を失った少女の態度を見ても間違いないはず。そのまま戦いを続けていれば、ダンタリアの勝利は揺るがなかったはず。
だというのに、戦闘の途中でダンタリアは停戦を提案。再戦の約束として、自分の命を賭け金に乗せて少女に契約を迫ったのだ。
それは魔法の内容を知らなかった翔の目から見ても、とても不可解なものに見えた。実際に契約を迫られた少女からしてみれば、翔以上に不気味なものに見えていただろう。
「ふふっ、それは簡単なことさ少年。君は自分の弱さを理解し、そして強さを求めていた。私との講義の時も強くなりたいと言っていただろう? いくら言葉で説明しても、経験してみなければ見えてこないものもある。ならこの機会に経験を積ませるべきだと思ったのさ」
ダンタリアが語る理由は、翔としても一応の理解は示せる内容だった。
「......俺には絶対的に経験が足りてない。魔法の訓練や戦いを経験出来るんなら、願ったり叶ったりでもある。けどな、だからってお前が命までかけるのは意味が分かんねぇよ!」
しかし、それでも経験の対価が知り合いの命では暴利が過ぎる。翔は他人の命を犠牲にしてまで、魔法使いとの戦いを経験したいとは思わなかった。
「ふふっ、確かにそう思うのも無理はない。けれどこの契約は、私の私情も多分に含まれていたからね」
「私情? 他にも理由があったのか?」
まさかの言葉に翔は困惑する。
あの契約内容はどうあっても、私情の一言で済ませられるような内容では無かった筈だ。もしかすると翔が気付かなかっただけで、あの短いやり取りの間にダンタリアが命を懸けるべき事情が生まれたのかもしれない。
翔の経験以外にも理由があるなら話は別だ。これまでの喧嘩腰から居住まいを正し、彼はダンタリアの言葉に耳を傾けようとする。
一呼吸ほどの沈黙。そして、ダンタリアが口を開いた。
「......殺すものと守るもの、本来手を組んで巨悪と戦うべき二人。しかし心情の違いによって戦うことをよぎなくされ、一方は手も足も出ずに叩きのめされてしまった。一度は土を付けられた、けれど闘志の炎は消えちゃいない。守った者の助力を得て、少年は再起の雄たけびを上げる。実にドラマティックで、ヒロイック、魅力的な物語じゃないか!」
「......は?」
「今の現世には騎士物語や魔獣の討伐物語、国同士の戦争譚、本物の戦いを描いた物語がめっきり無くなってしまった。もちろん魔界なら日常茶飯事の光景なんだが、あいにく魔界の戦いは一方的な蹂躙がほとんどなんだ。そんなものは物語というよりも記録用紙や誰かの日記の切れ端を眺めるような物さ。全くつまらない!」
「......はぁっ??」
「大熊から頼まれた仕事の報酬に、前回の人魔大戦後の新書は中々堪能させてもらったよ。けれどね、心を熱くするような物語は、どうしても数も内容も物足りなく感じてしまったんだ。そんな時に君達の諍いが目に入ってきた。普段私は物語の根幹に関わることはないんだが、私の助力で花開く少年の物語も、それはそれで読んでみたいと思ったんだ!」
「......つまり? ボコボコにされた俺が立ち上がって? お前の手伝いを貰って強くなり? その力でもって戦いに勝利する姿が見たかったってことか?」
「その通り。正解だよ」
ダンタリアはにっこりと微笑んだ。
両者の間から一時会話が消える。
そこから翔は意を決したように、息を大きく吸い込んだ
「ふざけんなあぁぁ! はぁ!? じゃあお前は! 一度あいつに負けた俺が! 立ち上がって戦う方が展開的においしいと思ったから! わざわざ命までかけて決闘の舞台をセッティングしたってことか!?」
「理解が早くて助かるよ」
「助かるよ、じゃねーんだよ! どう考えたって、賭け金に理由が釣り合ってねーじゃねーか!」
ダンタリアが不要なリスクを背負ってまで決闘の舞台を準備した理由、それが自分が望む展開を現実で見たかったからだと説明された翔はがっくりとうなだれた。
物語の展開が気に入らないから、都合のいい展開を妄想する。それ自体は翔もつまらない漫画を読んだ時などに行ったことがある。しかし、それを本当に数多くの不確定要素が存在する現実で行うというのは、いくら悪魔といえども常軌を逸しているとしか言えなかった。
「ふふふっ、何を言ってるんだか。私は古の時代より貪欲に知識を追い求め、同じように知識を求める者達に継承してきた知識の悪魔。その魔王だよ? 自分の命一つを天秤にかけるだけで極上の物語が手に入るなら、そうするに決まってるじゃないか」
ダンタリアが無い胸をこれでもかと張って自慢げに答えた。しかし、当然のようにその考えは翔が受け入れられるものではなく、自慢げな態度も異常者を見るような冷めた目付きでの対応となってしまった。
「......どうしてお前ら悪魔ってのは、どいつもこいつも自分の欲望に、悪い意味で忠実なんだよ」
「......満たされるたびに上を求め、求める故に力を得た。それが私達、悪魔だからね。それに常識人ぶって軽蔑の眼差しで非難しているようだけど、私の見立てでは少年、君の心もニンゲンよりは私達に近いんじゃないかな?」
「無理やりそっち側に引き込むんじゃねぇよ! 異常者の相手は間に合ってる!」
翔は間違っても異常者のくくりに放り込まれぬよう、あらん限りに否定をした。しかし、そんな翔の態度を見て、ダンタリアはまたも笑みを強くする。
「そうかい? ならなぜ君は、あらためて私の口からあの少女との再戦が語られた時に、拳を握りしめていたんだい?」
「はっ?」
ダンタリアの突然の指摘に、翔は思わず自分の手に目を落とした。すると、彼女の指摘通り、翔の手は固く握られている。
一体いつの間に握りしめていたのか。全く無意識の内に行われていた自分の行動に、翔は驚きで目を見開いた。
「こっ、これは!」
「みなまで言わなくても分かっているさ。あの時、あの場で君は一番の弱者だった。敵には一方的に蹂躙され、味方はいとも簡単にそれに対処する。悔しかっただろう、己の無力さに歯噛みしただろう。けれど君はそこで終わらなかった。君の心は挫折などものともせず、強者を引きずり落とせる機会に歓喜した。そこまでの闘志、中々ニンゲンが持てるものじゃない」
「俺は......」
無意識に握られていた拳をゆっくりとほどき、自らの手の平を見つめた。
確かにあの場所で自分は歯噛みした。文字通り手も足も出ずに一方的に攻撃を喰らった時は悔しかった。そして、絶体絶命の瞬間にダンタリアが現れ、敵を圧倒する姿を見た。
翔はその時の光景を想起する。そして、あの時の自分の心の内をゆっくりと思い起こした。そう、命を拾った瞬間に翔の胸を微かによぎったもの。それは助けに来てくれたダンタリアへの感謝の気持ちではなく、自分の戦いを横からかっさらわれた怒りだった。
(俺は、あの時最後まで自分の力で戦いたかったんだ......)
ダンタリアに指摘されたことで翔はそのことを理解した。信念と信念のぶつかり合い。そこには善も悪もないただ純粋な力のぶつけ合いだけが存在していた。
一方が勝ち残り、その信念の正しさを改めて心に刻み込む神聖な戦いが。そんな戦いに水を差されたのだ。お上品な上っ面でダンタリアに感謝しようと、翔の心の奥では勝負を汚された怒りがふつふつと湧き上がっていた。
だからこそ再戦の機会をダンタリアに譲られた時に、どれだけ取り繕おうと決着を付けられる喜びを隠す事が出来なかったのだ。
確かにそんな隠しきれない闘争心の持ち主は、現代の社会では少数派、いや、異常者と言えるのかもしれない。ダンタリアが言いたい事も分かる。けれどそれを受け入れるかは別の話である。
「それで、君の心はどうだったんだい?」
「まさか。俺は世話になったお前の命がかかってるから、無駄に力が入ってだけだ。お前ら悪魔のぶっとんだ考えと一緒にすんな」
「おや? それは済まない。私の勘違いだったようだね」
これっぽっちも自分の考えが間違っていると思っていない表情で、ダンタリアが謝罪する。翔の方も、そんなダンタリアの態度に特に物言うつもりはない。なにせ、彼女は間違っていないのだから。
翔は自分の中に潜む過剰な闘争心を受け入れた。
しかし、自分はその考えを好き放題に実行しようとする悪魔と違い人間なのだ。ならば人間社会で生きる人間として、戦いに臨むにはご立派な建前が必要だ。
翔のそんな考えまで読み切っていたのか、今回に限ってはご立派な建前も準備されている。ここまでお膳立てされているのだ。立ち上がらない方が不自然だろう。
「けど、再戦は望むところだ。余裕ぶっこいてたあいつを今度こそぶっ飛ばしてやる!」
悪魔の全てを否定する彼女の考えを、悪魔に世話になった翔はどうしても受け入れることが出来ない。だからこそ、再戦が必要なのだ。今度こそ自分の正しさを証明するために。
「悪魔を否定する彼女に、悪魔の助力を持って立ち向かう。実に興味深い物語じゃないか! 君の物語が最高の結末を迎えられるよう、この知識の魔王。最大のバックアップを約束しよう」
一切の建前無く己の欲望を語る魔王は、これからの物語を楽しみに微笑むのだった。
面白いと思っていただけましたら、ブックマークと評価をいただけると嬉しいです。