正義との邂逅
「はぁ......」
日魔連事務所から帰路についていた翔は、手にした情報の大きさ故に、ため息を吐くのを抑えられなかった。
「カタナシは言葉の国の中では、無数にいる悪魔の一匹に過ぎなかったことは分かってる。けど、代表が魔王に変わるだけでそんな無茶苦茶な相手になるなんて、どうやって予想しろってんだよ」
そう、翔は今回の講義で知識を得たことで、人魔大戦における人類陣営がどれほど難しい戦いを強いられているかが改めて実感できていたのだ。
大熊から聞かされたダンタリアの力は想像を超えていた。もちろん彼自身が口に出したように、ダンタリアの立場は中立。これまでの実績を考えるのなら、争う可能性は限りなく低い。
しかし、人類と敵対を望まない魔王など、おそらく彼女限りであろう。
序列71位。国力としてはブービーに位置する知識の国の魔王ですら、これほど規格外の相手なのだ。果たして他の国の魔王と敵対した際に、自分は戦力として数えられるのか。誰かの大切な物が壊されていく様を、指を咥えて眺めることしか出来ないのではないか。そんな不安に襲われていたのだ。
もちろん人類にとっては決戦という意味合いしか持たないこの大戦も、悪魔から見れば政治や外交的な要素を秘めている。
魔王が代表に選出されない弱小国家や、魔王がいなければ内部から崩壊しかねない不安定な国も中には存在するだろう。
そういった国はカタナシのような一国民を選出するしかなくなるだろうが、そのカタナシ相手ですら、人類側は大惨事一歩手前まで追い詰められたのだ。
「もっと強くならなきゃいけない」
翔は右手を軽く握り、手の内に木刀を出現させた。
彼の唯一の魔法、けれども人類が悪魔に抗うことが出来る希望の力だ。
「せめて、もう一つくらいは使えるようにならねぇとな」
今日得た知識によって翔は痛感した。
今の自分は弱い。
それもその弱さとは、乏しい実戦経験や、魔法に対する警戒力や想像力の欠如が原因ではない。
もっと純粋で単純な話。
今後も悪魔と相対していくには、木刀を生み出す魔法ごときでは何もかもが足りていないのだ。
例えるなら剣道の試合に爪楊枝で挑むようなもの、そもそも今の翔は、戦いの舞台に立つ準備すら整っていない。
一握りの天才であれば、そんなハンデの中でも勝利を掴むのかもしれない。しかし、多くの場合は何も出来ずにただただ蹂躙されるのみ。
「そりゃあ、未熟だって言われるよな」
ダンタリアが最後に言っていた、君は未熟だという言葉。
中立的な視点から見れば、実際にその通りなのだろう。だが、彼女はこうも言っていたではないか。
(「けれど、未熟ということは成長の余地が残されているということさ。君がいつか種子から芽を伸ばし、大きな大木に成長してくれることを期待しているよ」)
お世辞かもしれない。けれど悪魔の王たる魔王の口から発せられた期待の言葉であることは確かなのだ。
「なら俺に出来ることはただ一つだ。地道に繰り返し、例え一日の前進がカタツムリみたいなスピードだとしても、馬鹿みたいに前に進む」
毎日馬鹿の一つ覚えで木刀を振り回していたおかげで、二言との戦いでは木刀を生み出すことが出来た。
毎日馬鹿な親友と立ち会っていたおかげで、剣の魔王、ハプスベルタを剣術で圧倒し、撃退することが出来た。
使える魔法が少なくて困る。なら馬鹿みたいに模索して、解決してみせるのが自分じゃないかと翔は心に語りかけた。
「とりあえず手を離したら自動で消滅しちまう魔法を消すところから始めないとな」
二言との戦いの頃ならともかく、今ではデメリットにしかなっていない木刀を自然消滅させる効果。これをどうにか消し去る所から始めようと、翔が魔力を練り上げた時だった。
ぞくりと翔の背筋に経験したことが無いレベルの悪寒が走った。
例えるのであれば大悟との立ち合いで木刀を弾き飛ばされ、懐に潜り込まれた瞬間のような。自分が一方的に狩られる草食動物に変わったかのような。
「っ!?」
その恐ろしい想像を払いのけるかのように、翔は大きく横に跳んだ。
その瞬間、ガキン、ガガッと、連続して何かがアスファルトにぶつかる音が響く。
「一体何が...... なっ!? なんで!」
状況を把握するために翔は立ち上がろうとした。
しかし、翔の意思に反するかのように、力を込めた左足は役目を果たしてくれず、翔はもう一度倒れ込んでしまう。
違和感を感じた左足を見ると、そこには今まさに何かが突き刺さった上で貫通したかのような傷が生まれ、どくどくと血液があふれ出してくるのが見て取れた。
「クッソ......いつの間に......!」
こんな大きな傷が出来ていれば、いくら鈍感な者でも衝撃や痛みで気が付くはずだ。
ましてや翔はまがりなりにも武道の道に携わっている人間。人一倍身体の感覚は鋭敏だと自覚している。
それが足に力を入れて立ち上がる瞬間まで、身体の異常に気が付くことが出来なかったのだ。
まさしく異常な事態と言えた。そしてこんな現実では考えられない事態が引き起こされる原因に翔は心当たりがあった。
「魔法......まさか、ハプスベルタか!?」
そう、こんな状態を引き起こすのは魔法しか考えられなかった。
そして目を向ければ、アスファルトをコロコロと転がっていくのは一本の槍。
数多の武器をその身に収める剣の魔王が魔力を充填させ、自分との戦いのために舞い戻ったのかと翔は考えたのだ。
「なによ。こいつ悪魔殺しじゃない! はぁ~......とんでもないハズレを掴まされたわ......」
しかし翔の予想に反して、彼の頭上から響いてきた高い少女のものと思われる声は、記憶していた剣の魔王の少しだけ低く、ハキハキとした女性の声とはかけ離れていた。
少なくともハプスベルタの再来ではないらしい。
だが、すでにそんなことは些細な問題だった。なんせ下手人と思われる少女は、翔の遥か頭上で月光に神々しく照らされた真っ白な翼を生やし、滞空していたからだった。
(なんで魔法使いってのはどいつもこいつも平気で空を飛びやがるんだ! あんな場所に居座られちゃ、何の魔法も届かねぇ!)
カタナシとの戦いで、そして先ほどの講義で自覚した未熟さが、今まさに翔へと襲い掛かっていた。
翔の魔法は木刀を生み出す創造魔法。それも、手から離れた瞬間に自然消滅してしまう欠陥付きの魔法だ。
そんな魔法で遥か頭上を滞空する相手を迎撃するのは不可能だ。ならば勝てない戦を始めることこそ愚の骨頂。
(戦いにならないようにこの場を治めるしかない。さっきあの野郎が言ってたことが本当なら、あいつは俺目当てで攻撃をしてきたわけじゃない。不意打ち喰らわされたあげく、勝手に落胆されたのは腹立つが、それとこれとは話が別だ!)
少女がポツリと漏らした言葉に、翔は問題解決のヒントがあると判断する。
幸い、相手は動けない自分を見て油断しているようだ。翔はそのままショックを受けた演技を継続する。
「せっかくあいつの魔力と同じ波長を微かに感じたから、使い魔でも生み出したのかと思って追いかけてみたってのに。これじゃあまた最初からよ! あー、本当に時間を無駄にしたわ!」
少女はフードを目深にかぶり、右手には先ほど飛ばしてきた槍と同一の物を一本、背中にももう一本背負っている。
態度も自分の失敗に憤るばかりで、翔など眼中に無いかのようだ。しかし、それは態度だけの話。
その目は翔から一度も逸らされておらず、背中を見せて逃げ出そうものなら、背中に向けて槍が投げられるのは間違いなかった。
だからこそこの場を切り抜けるのには言葉が必要だった。翔は少女を無闇に刺激しないよう細心の注意を払って、彼女と話を始めた。
「よくわからないけど運が悪かったな。自分の行動を反省してるなら、ついでに人違いで襲われた俺に対する謝罪の言葉も欲しいんだけど?」
「別にそのくらいの傷なら、魔道具ですぐに塞がるじゃない。それに並みの魔法使いなら、あの程度の魔法平気で躱すわよ。むしろ当たったから使い魔かと期待したってのに!」
始まりの強気な態度で察してはいたが、少女の方は悪びれる気持ちは一切ないようだ。逆に当たる方が悪いとでも言うように遠回しに翔を罵倒してきている。
「だとしても間違って人を傷つけたら謝るのが常識だろ。それに俺の身体にはそいつの痕跡が残ってたんだろ? ならさっさと謝って一緒に探すのを手伝ってって頼み込んだ方が楽なんじゃないのか?」
「......悪かったわよ」
「なに?」
「悪かったって言ってるでしょ! だからあんたも悪魔殺しなら、さっさとあいつを探すのを手伝いなさい!」
強気な姿勢は崩さず、反省の色はこれっぽっちも見えないが、形だけでも少女は翔への謝罪の言葉を口にした。
どうやら少女にとって目当ての相手を見つけ出すことは、それほど重要事項であるらしい。翔が貴重な情報源としての価値を示したことで、少女もうかつに翔に危害を加えることを控えようとしているのだろう。
この時点で翔の目論見は成功した。
しかし、対処しなければいけない問題はもう一つある。それは少女の目当ての相手が大熊や姫野であった場合だ。
人違いであった翔を問答無用で攻撃したように、少女が目当ての相手を発見したと同時に攻撃に移る可能性は十分ある。
だからこそ、この爆弾を擬人化したような少女の目当てが翔の知り合いだった場合は、うかつに起爆させないように最新の注意を払って対応しなければいけないということだ。
「あいつって言われても分かんねぇだろ。誰を探してるんだよ?」
「悪魔殺しが探す相手なんて一つしかないでしょ。悪魔よ悪魔。私の目的は71位、知識の魔王、継承のダンタリアを見つけ出すことよ!」
少女が口に出した名前、それは数時間前まで翔に対して魔法の知識を教えてくれていたある意味恩師と呼ぶべき存在の名前だった。
「なんだ、あんたもダンタリアに何かを教えてもらいに来たのか?」
ダンタリアが情報を対価に人類側の全ての組織と緩やかな同盟を結んでいることは大熊から聞いていた。
だからこそ翔は少女の言葉から、彼女が一番初めに自分に危害を加えた理由も、ダンタリアに渡すべき対価を用意できず、何かしらの情報を手に入れるためにダンタリアを痛めつけるなどして、強硬的に彼女から情報を奪い取ろうとしているものだと考えていた。
しかし、翔はすぐに自分の考えが間違っていたことを理解する。それは翔の言葉を聞いた直後から少女から殺気が発せられるようになったからだ。
「教えてもらう? そんなわけないじゃない! 私の目的は知識の魔王、継承のダンタリアを討伐することよ!」
そして立ち昇った殺気が本物であることを証明するように、少女は己の目的、ダンタリアの討伐を高らかに宣言して見せたのだった。
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