遮り侵そうと芽吹く命 その十五
「皆、大丈夫だよね......?」
戦線から遠く離れ、それでも大役を担う悪魔殺しの姿があった。その正体はニナ。突入作戦を最後に、とある行いを成功させるべくベリトの探知範囲から抜け出していたのだ。
「望んでなくても、一番安全な場所に立っちゃったんだ。皆の分までボクは頑張らないと!」
そんな明るい決意とは裏腹に、ニナがおもむろに行ったのはリストカット。それも、一般的な自傷行為に収まる範囲ではなく、命にかかわるレベルの大きな傷を生み出すリストカットだ。
大抵の人間が行った行為であれば、正気の有無に関わらず拘束される行為。されどニナに限定すれば、これは彼女の戦いを始めるための合図であった。
「余計な機能は付けない。出来るだけ多く、そして出来るだけ大きく」
手首から流れ落ちていく血が地面に染み込む事無く、むせ返るような血の沼を作り出していく。さらに血の沼は段々と粘度を増していき、縦と横へゆっくりと広がっていく。
ニナが作り出そうとしているのは、かつて血の魔王 血脈のカバタが作り出した結界の模造品。機能も強度も大幅に劣っているが、大事なのは敵を逃がさない力。その面だけに限定すれば、ニナの結晶化はカバタの魔法を凌駕する。
「はぁ、はぁ......」
されど、人体に流れる血の総量だけでは、とてもじゃないが町を覆えるほどの結界は作れない。仮に数メートルの塀に限定したとて、出来上がるのは横を抜けられる壁が精々であろう。
だが、そんな事はニナも承知の上。最初から自身の血液だけで乗り切ろうとは考えていない。
「まずは予備の血液」
便利な収納機能を備え付けた外套から、ニナが取り出したのは厳重に封が施されたガラス瓶。半分ほどまで取り出した後、彼女は瓶から手を離す。
重力に従って、ゆっくりと落下していくガラス瓶。真下に存在していたのは、地面から突き出した鋭利な岩。想像を裏切らず、ガラス瓶は粉々に砕け散る。
そんな奇妙な行動の末に、割れた瓶の中から飛び出したのは赤い液体。論ずるまでも無く、その正体はニナの血液。
ニナはその戦闘の大半を、自身の血液に依存している。加えて血液に関する魔法を有していながら、彼女にはこれといった造血に関する魔法の才は無かった。
それ故に、ニナは採血によって血液を貯蔵しなければ武器の貯蓄が出来なかった。貯蔵分の血液は彼女の虎の子。それを使用するという事は、不退転の覚悟の証であった。
そのままニナは十数個のガラス瓶を砕き、中の血液を沼へと合流させた。それでも新たに生まれた壁の長さは、数メートル程。とてもじゃないが、町を覆う用途には使えない。
「次に転換分」
だが、これだけではニナの準備は終わらなかった。先ほどのガラス瓶よりもいくらか新しい瓶が、次々と外套から出現したのだ。
予備の血液はあくまでも、自身の造血能力に頼っていた頃の名残。ニナがこの作戦を実行に移そうと思った理由は、自らが転換分と呼んだ血液の余剰が存在したからである。
ダンタリアの思い付きによって開催された模擬戦。大戦勝者と悪魔殺し間で行われたそれは、戦闘経験のみならず多くを悪魔殺し側に与えてくれた。
他者の血液をニナに輸血する技術。これが可能であると判明した事で、彼女の可能性は大きく広がる事となった。
これまでのニナは、他者から輸血が受けられない身体だった。他人の血液には、当然ながら他人の魔力が流れている。そして、体内で循環を始めてしまった時点で、それはニナの血液とも言えてしまう。
すると、どうなるのか。咄嗟に魔力を放出してしまうと、他者の魔力も活性化させてしまう。そして、他者の魔力に反応して、体内で結晶化反応が起こってしまうのだ。
血栓などとは比べ物にならない物質が、体内に生成されるのだ。どの部分で発生しようと、末端の部位は切断確実。臓器や脳で発生すれば、即死もあり得る。そんなリスクを抱えたままでは、輸血による造血は誰だって認める訳が無い。
しかし、ダンタリアは不可能を可能にして見せた。翔の魔力をそっくりそのままニナへと変換し、魔力回復と輸血を同時に行ってみせたのだ。
可能であると証明されれば、人は躊躇なく研究する事が出来る。すでに答えが示されているとあれば、その速度は加速する。
研究職の家族によって、ニナにもたらされたのは輸血魔道具。血中の魔力を別の媒体に移す事で、輸血のリスクを解消する。単純ながら効果的な魔道具により、彼女は自らの武器をこれまで以上に貯蓄出来るようになったのだ。
魔道具が届けられてからの日数は、数えるほどしか経過していない。しかし、そこは真面目で仲間思いなニナだ。自身の魔力消費が伴う事は百も承知で、休息の前に限界まで輸血を繰り返していたのである。
こうして生み出されたガラス瓶の数は、自身の造血能力に頼っていた頃の数百倍。もはや衝撃で砕けつつある岩を脇目に、壁は猛スピードで広がっていく。
この質と規模であれば、分け身程度ならば逃しはしないだろう。だが、相手はしぶとさに長けた魔王。迫る壁程度なら、すぐさま攻撃能力が無い事を察して、飛行能力に優れた分け身を生み出しまくるに違いない。
「そして、余ったボクの魔力」
けれども繰り返しになるが、ニナは真面目で仲間思い。加えて師匠であり育ての親でもあるラウラから、強烈な家族愛を長年に渡って教育されてきた。
ニナにとって、家族とは守り合う存在。全てを委ね、信頼出来る他者。今この時も、そんな家族に等しい仲間が戦っているのだ。安全圏で結界を張るだけの役目で、彼女が満足する筈が無い。
「ぐっ......くぅぅぅ......!」
視界が赤く染まっていく、喉の奥から鉄の匂いがこみ上げて来る。典型的な魔力欠乏の初期症状を実感しながらも、ニナは魔力の放出を止めない。自身を苛め抜く事に躊躇が無い。
「お願い......皆の力になって......」
どさりと倒れ込み、視界いっぱいに広がった壁を見つめる。出来る事は限界までやった。後は吉報を待つだけである。
ニナの思いは翼を生やし、四方八方へと飛び去って行く。堅き鱗に鞭のような尻尾、彼女の腕ほどもある爪と牙。その威容はまさに、ドラゴンそのものであった。
次回更新は12/3の予定です。




