常軌を逸した契約
(......契約? 応じるったって、印鑑もサインペンも持ってないよ?)
いくら意識が朦朧としていようとも、凛花だって人並みの危機感は持っている。例え窮地から脱する方法が契約しかないとしても、内容も方法も分からず仕舞いでは頷くに頷けなかった。
(だぁ~! いつの時代の契約話をしてんのよ! 悪魔との契約なんて、イエスかノーかを答えるだけ! 生き延びたいんでしょ!? こんな仕打ちをしでかした綾取様に一泡吹かせたいんでしょ!? だったら何も考えずに、悪魔殺しの契約に応じると答えなさい!)
不思議な声が話す内容は、まるで見当が付かない契約話。加えて本人の性格と何かしらのタイムリミットで焦っているせいか、質問に対する答えも中途半端で曖昧なものとなってしまっている。
弱った凛花でも分かる。これは自身の人生における重要なターニングポイントになると。そして契約によってもたらされる結果によっては、ここで死ぬよりも恐ろしい運命が待ち受けている事を。
(......一つだけ聞かせて)
(もぉおおおお!どれだけ時間が残されているか分からないってのにぃいい! だったら早くしなさい! ほら、ほら早く! アンタに死なれたら、ここ数百年アンタの血筋に目を付けてた努力が水の泡になるかもしれないの!)
(......あなたは私の大切な人達にとって敵? それとも味方?)
(今は味方よ、味方! 人魔大戦が終わるまでの間は、どんだけ敵になりたくても味方のままよ! アンタが大戦に生き残って私が森羅の国における三層のどこかで王にならない限り、私はアンタの大切なニンゲンを傷付けたりはしないし出来ないの!)
(......そっか。じゃあ、いいのかな?)
(いいってのは、契約に応じてもいいって事ね!? アンタの魂に私を取り込んでもいいって事ね!?)
言質を取ったとばかりに、声は何度も再確認を行ってくる。
だいたいこういう場合の契約は、了承一つで実行の段階に移るものではないのかと凛花は思う。だが、その甘っちょろさはどこか心地が良かった。自分勝手でありながらもどうにか契約を成功させようと努力する様は、聞いていて嫌では無かった。
(......うん、契約に応じる)
(よっしゃぁあああ! これで少なくとも浅層の無能共に頭を悩まされる日々も、深層の化け物達に怯える日々も終わり! 脈無しだって早々にあきらめた奴らはざまぁみろ! 才能目覚ましいアンタらが投げ捨てた契約相手は、こうして開花がそっくりそのままいただいたわ!)
(......なんか、めっちゃテンション高いね)
こういった契約の場は、総じて厳かな雰囲気が醸し出されるものではないのだろうか。
頭に響く女性の声は、まるで給料日にどんな贅沢を楽しむか夢想する独身OLのようなもの。厳かな雰囲気など、これっぽっちも感じられはしない。
(むしろテンション低くてどうすんのよ! アンタはこれから悪魔殺しになって、綾取様と戦うのよ! テンションも判断力もあっぱらぱーのままじゃ、そのまま共倒れで終わりじゃない!)
(......えっ? 私が戦うの?)
今さらながら、女性の説明不足が裏目に出た。
凛花は契約が生み出すデメリットばかりを考えており、契約によって何を成すべきなのかをまるで理解していなかったのだ。
(当たり前じゃない! 私が持ち出せるのは自分の魂と技術だけ! どう使うかはアンタにかかってるんだから!)
(......ゴメン、ちょっと無理目かもしんない)
凛花は自分が戦う姿など、まるで想像が付かなかった。
体力バカの幼馴染二人と違って、凛花は武道に対する理解もましてや魔法に対する理解もまるでゼロだ。そんな自分が契約一つであのモンスターパニックへ割って入っていく。そんなのは無理だ。どれだけ魔法へのあこがれがあろうと、それが無謀である事は瞬時に理解出来た。
(ちょちょちょっと!? 今さらノーなんて通らないわよ!? もう契約は進んじゃってるし、契約時の魔力放出は嫌でも綾取様の目に入る! どんだけ才能が無いにしても、戦ってくんなきゃ揃ってお陀仏なんだっての!)
(......そんなこと言われても、アレを私がどうにかできるの?)
思い返すのはハリウッド映画さながらの追いかけっこ。目に映る全てが凛花へ牙を剝き、手を変え品を変えて凛花を追いかけ続けたのだ。
あの時でさえ、相手の能力が常軌を逸してるのは理解出来たのだ。そんな存在に、ちっぽけな付け焼刃で太刀打ち出来るのか。興味が無いとは言え、幼馴染達のド突き合いを長年眺めてきた彼女である。答えはノーであった。断じてノーであった。
(えっ、あれっ、もしかして私、とんでもないタイミングで契約しちゃった......?)
凛花の感情に同調するかのように、女性の声が震え始めた。声だけでも逸る気持ちと焦る気持ちが前面に押し出ていた彼女だ。どうにかしてチャンスを逃すまいと思うばかり、凛花へ声が届いた瞬間に契約を持ち掛けてしまったのだろう。
せめて契約の詳細を聞き取る時間があれば別だったのだろうが、そんなものは後の祭り。ましてやこちとら生き埋め状態。長々と説明されようものなら、途中でポックリ逝っていた可能性が高い。
(......どうしよっか?)
(こっちが聞きたいぃいい! 出来れば数十秒以内に答えを出して欲しいぃいいい!)
どうにもポンコツ振りが拭えない彼女であるが、どうにかしないといけないのは凛花も一緒である。
自分が戦うのはナシ。かといって戦う意思を見せなくても、綾取なるモンスターパニックの親玉はこちらへ襲い掛かってくる。加えて息を潜めて隠れようとしても、契約の何かしらが邪魔をして綾取に感付かれる。一見すると八方塞がりであった。
(......ねぇ、えっと)
(......開花。開花のベロランナ)
(......ベロランナって、本来は戦える的な?)
それはちょっとした質問。彼女の言葉の端々に、好戦的な要素が見え隠れしていた故の興味。
(当ったり前! ニンゲンのアンタには分からないでしょうけど、森羅の国の中層で自由を許されてる私はエリートなの! ......けど、その、もちろん上はいるわよ。好んで浅層に残る奴らは戦いに特化してる奴らが多いし、深層の奴らはもれなく全員が化け物だし)
(......ふむ)
話をまとめるのなら、中の下くらいの実力という所だろうか。あいにく魔法世界の事情に詳しくない凛花では、それくらいしか読み取れない。けれど、何かと抑圧されている印象を受けるベロランナが胸を張るくらいなのだ。その力は凛花と比べるまでもなく強大なのは理解出来た。
(ってか! そろそろ契約が完了して魔力が放出されるわよ!? どうするの! 何か答えはあるの!?)
急かすようにベロランナが凛花へ問いかける。その声に混じる焦りは、契約の履行によって生じる一蓮托生故か。死の間際の凛花が生を諦めなかったように、彼女もまたあらゆる可能性にしがみ付こうとしていた。
そこには良くも悪くも、悪魔に見られがちな人間への蔑みの感情は見られない。むしろ、そんな性格であったからこそ、本当のギリギリで凛花と波長が合ったとも言えるか。
(......ベロランナ、私の代わりに戦ってくんない?)
それは契約を知らぬ故に吐けた言葉。契約で遂行される悪魔の役割を知らぬからこその言葉。
(はぁっ!? 何を言って_!?)
(......ベロランナは私の身体に何か細工を施してるんでしょ? で、きっとそれに掛かり切りになるんでしょ? だったらさぁ、その役割の何割かを私が受け持てば、ベロランナが戦えるんじゃない?)
少女は無邪気に提案する。それがどれほど契約から外れた内容かも知らぬまま。彼女に秘められた可能性ならばと気付かされる事を知らぬまま。
次回更新は9/30の予定です。