知識の魔王の魔法講義 変化魔法編
「次に説明するのは変化魔法。この魔法は読んで字のごとく、状態を変化させる魔法だ。その変化の中にも内向きと外向きの二種類があるんだけど、これは実際に体験してもらうのが一番かな」
ダンタリアは変化魔法の簡単な説明を終えると、おもむろに肘をテーブルに立て、手を翔へと差し出した。
「どういうことだよ?」
「簡単なことさ、今から腕相撲をやろう」
そう言ってダンタリアは中指をクイックイッと動かし、翔を挑発する。
見え見えの挑発だ。けれど、出会い頭にいいように手玉に取られてしまったこともあり、一泡吹かせたいと考えていた翔はあえて勝負に乗ることにした。
「いいぜ。あんたのことだからきっと裏があるんだろう。けれどやるからには全力で挑ませてもらうぜ」
「ふふっ、その意気だよ。間違っても私の姿に油断して、全力が出せなかったなんてことが無いようにね」
舌戦が済んだ二人は向かい合わせで手を組み、腕相撲の体勢を取った。
「合図は?」
「ご自由に」
「なら......行くぜ!」
そう言って翔は言われた通り、一切の手加減なく腕に全力を込めた。
そしてすぐに違和感に気が付いた。武道をたしなんでいる高校男児の腕が、細く小さい女児の腕をピクリとも動かすことが出来ないのだ。
「ぐっ、やっぱりかよ......このっ! ......これがっ! 変化魔法だってのかっ......!」
顔を真っ赤に染めながら、翔はダンタリアに問いかける。
「その通り。身体に魔力を纏わせることで疑似的に筋力量を増やし、身体機能を飛躍的に上昇させる肉体強化という魔法だよ」
ダンタリアは薄く笑いながら、翔の質問に答えた。
そして、その回答が合図だったとでも言うように、ゆっくり、ゆっくりと翔の腕は敗北の象徴たるテーブルへと近づいていく。
翔も何とか逆転しようと腕に限界以上の力を籠めるが、やはり形成を覆すには純粋な筋力だけでは物足りなかった。
そうして幾分もしないうちに彼の腕はテーブルに優しく押し付けられた。言い訳のしようがない完璧な敗北だった。
「こんな感じだね。内向きの変化魔法は、自らの肉体を変化させる。その強さは私の細腕でも君に押し勝てるほどだ。どうだい? 中々の魔法と言えるだろう?」
「ハァ、ハァ...... そうだな、完敗だよ」
全力を出したことで多少息を切らしつつも、翔は素直に敗北を認める。
その裏で、彼の頭には今のダンタリアのような女性の細腕で、自分の身体より大きな極大剣を軽々と振り回していた魔王の姿が思い出されていた。
「何か心当たりでもあったかい?」
翔の反応に気が付いたのだろう。ダンタリアが問いかける。
「あぁ。今のあんたのように、ほっそい腕で人間を簡単にミンチにするとんでもない凶器を振り回す奴の姿を思い出してな」
「......あぁ。君が戦った凡百のことだね。確かに彼女も使っていたはずだ。肉体強化は彼女のように変化魔法をメインにしない悪魔にも、単純な殴り合いの強さで重宝される魔法さ。覚えておいて損は無いよ」
「そうだよな。いくらでも武器を仕込めるポケットの魔法と、あの身体能力の組み合わせは凶悪だった」
大量の武器を仕舞いこむ能力、間合い管理の一切を無駄にする攻撃の瞬間まで振るう武器を選べる能力、距離を無視して手元に武器を引き戻せることによる継戦能力。
例えどれか一つのみの魔法だったとしても、悪魔の王がメインにするにふさわしい凶悪な魔法だったと翔は思っている。
しかし、感慨深く息を吐いた翔を、ダンタリアは不思議そうな顔で見つめていた。まるで翔の発言が的外れであるとでも言うように。
「うん? 確かに彼女の使う零落と呼ばれた悪魔の根源魔法、敗者は軍門には強力な契約魔法だ。けれど彼女の根源は召か......おっと。ふふっ、そもそもそんな言葉が出る理由は、見たことがないからかな?」
そして翔の発言を訂正するようにダンタリアの口からもたらされた情報は、まさしく爆弾発言だった。
「ちょ、ちょっ待て! あの野郎、あんだけ強力な魔法の他にまだ隠し玉を持ってんのか!?」
ダンタリアの発言が信じられず、翔は叫び声に近い大声を上げる。
「そりゃそうさ。敗者は軍門にも確かに並の悪魔の魔法と考えれば、切り札と呼べるものだ。けれど魔王の切り札としてはいささか能力不足だね」
「マジかよ......」
ダンタリアの態度からして、冗談の類ではないのだろう。
つまり彼女との再戦は、彼女が魔力不足で出現させることが出来なかった様々な武器を、要所によって切り換える戦法だけでは決して収まらないということだ。
そしてこの事実によって、来るべき時に備えて猿飛に協力してもらった、対ハプスベルタ戦を想定した立ち合いもどこまでが有効かが分からなくなってしまった。
心にのしかかった重しが、彼の肩にも偽りの重しとして重量を伝えてくる。剣の魔王、凡百のハプスベルタに宿敵と認定されるその言葉の重みをあらためて思い知った。
(やってやる!)
けれど、のしかかった重しは、彼の闘志をもみ消すには足りなかったらしい。
翔は魔法を知ってからというもの、常に自分の無力さを思い知ってきた。
カタナシの眷属にはいともたやすく吹き飛ばされ、姫野の自己犠牲によって対面した本人にはまんまと逃げおおせられ、最後に勝利したハプスベルタとの戦いも、彼女は本気とはいえ全力ではなく、勝ちを譲ってもらったようなものだった。
悪魔殺しとなってからの今までの戦い。その全てが敗北のようなものなのだ。
そんな敗北の歴史があったからこそ、この事実を知っても彼は前を向くことが出来た。闘志を燃やすことが出来た。次こそは完全な勝利を掴むと拳を握りしめることが出来たのだ。
何しろ翔は、どんな悪魔が相手だろうと勝利をあきらめない、真正の負けず嫌いなのだから。
「何か決意したような顔だね? 悪魔の力を思い知って、高飛びの準備でも始めたかい?」
「そうだな。越えなきゃいけない壁が思ったより高いことを知れたんだ。今まで以上に高跳びの準備をしなきゃいけないと思ってな」
「ふふっ、それはそれは。ニンゲン側にとってはこれ以上ないほど頼もしい発言だろうね。私みたいな弱小国家の魔王は、間違っても敵対しないようにしなければ」
ダンタリアがわざとらしく震えて見せる。
「うるせぇ茶化すな。さっさと変化魔法の説明を再開しろよ」
ダンタリアの態度が癇に障ったのか、翔は変化魔法の説明に戻るように彼女を促した。
「それもそうだね。説明に戻ろうか。先ほど君に説明したのは、自身に変化魔法をかける内向きの変化魔法だ。今度は外向きの変化魔法を実演するよ」
話が逸れたことに瞼をつぶることで形だけでも謝罪の姿勢を取った彼女は、またも袖から一本の杖を取り出した。そうして取り出した杖で、先ほどまで使用していたティーカップをコンと叩く。
すると変化はたちまち訪れた。
杖の先端がぶつかった場所から、ティーカップがみるみると金色に変わっていったのだ。
水に一滴の食紅を落としたかのような緩やかな色の浸食は、やがてティーカップ全体に広がり、しまいティーカップを金一色へと変化させた。
「これが外向きの変化魔法......ティーカップの色を変えたのか?」
今までの魔法と同様初めて見る光景に、翔は感想に近い質問を投げかける。
「まさか。そんな生易しいものじゃないよ」
翔の言葉にそう答えたダンタリアは、ティーカップを口元にもっていくと、おもむろにその縁へ歯を立てた。
するとティーカップには彼女の歯型と思われる小さな傷が生まれていたのだ。突然の行動による結果に、あまり褒められたものでない学力の翔も、とある雑学を思い出した。
「まさか金色じゃなくて、金そのものになってるのか!?」
そう。金というものは柔らかく、形が変化しやすい。
オリンピックで優勝した選手がメダルに噛みつくのはそのためだと、理科教師が話していたことを思い出したのだ。
そして陶器を金へと変える魔法は、まさしく変化という言葉にふさわしい。
「その通り。驚いてくれたのは嬉しいけれど、やっぱり最近の魔法使いには受けが悪いね。大昔の魔法使い相手ならミダス王の呪いか! って君以上に大げさに驚いて、その呪いの強さに気付いてくれたものだけど」
「ミダス王? よく分かんねぇけど、どうしてミダス王を知ってると呪いの強さがわかるんだ?」
「ふふっ、彼は優秀な魔法使いでありながら、強欲な王としても知られていてね。ある日、富の悪魔という資産を司る悪魔を呼び出し、契約を持ち掛けた。触れた物全てを黄金にしてくれとね。悪魔は願いを叶え、今使った変化魔法、曇り無き黄金郷をミダス王に教えた」
ダンタリアは一旦言葉を切り、新たなティーカップを眷属に用意してもらっていた。
「魔法を覚えた彼は、さっそく庭の小石と小枝を掴んで魔法を発動した。すると当然、小枝と小石は金へと変化した。調子を良くした彼はそのまま宮殿のありとあらゆる物を黄金に変化させ、彼本人ですら目が眩むほどの、まさしく黄金郷を創り出した」
「すげぇな。働く必要が無くなっちまう」
「ふふっ、けれど食事の時間になって、彼はこの魔法の真の効果に気が付いた」
「真の効果?」
「そう。触れたもの全てが金に変わってしまうんだ。当然食材も例外ではない。食べ物はもちろん、飲み物ですら黄金の液体に変化すると知った時、彼は自らの願いを呪い、絶望し、怒り狂った。そして暴れに暴れ、ようやく落ち着いた時、彼は自分を止めようとした実の娘すら黄金に変えてしまったことに気付いた」
ダンタリアの言葉に翔は思わず息を飲んだ。
彼女の話が確かなら、外向きの変化魔法は生き物すら変化させてしまうと彼女は言っているのだ。そしてミダス王が狂ったことからも、この変化は不可逆な物であり変化したものが元に戻せないのは容易に想像がつく。
「曇り無き黄金郷の力を、ミダス王は見誤ったんだ。そしてそれに気付いた時には、多くの物を失いすぎていた。全てに絶望した彼は、川に身を投げた」
「......自分の望みを優先した結果だろうが。最後まで責任を取れよ」
「全くだね。......そうそう、これは余談なのだけど、そうして命を捨てた彼の死後も、彼の身体に残った魔力で魔法は発動を続けていてね。川底の砂は全て砂金に変わり、町を大いに潤したそうだよ」
「......最悪だ。聞きたくなかった」
「これは失敬」
反省など微塵も感じられない様子で、ダンタリアは先ほどの杖を持ち出しパチンと指を弾く。
すると杖は空中に浮かび上がり、勢い良く燃え始めた。
魔法を付与した杖を燃やしてしまおうというのだろう。当たり前だ。うっかり誰かが触ってしまおうものなら、そのうっかり者の全身は金へと変わってしまう。
その身体に意識が残るは知らないが、身体が金に変わってしまった人間は死んでいるのと変わらない。むしろ半ば意識が残っているとしたら、その絶望はミダス王なんかの比では無いだろう。
そしてそんな危険な魔法を容易く操るダンタリアを、翔は初めて恐ろしく思った。
持ち手側から燃え上がった杖は、その炎を先端へと伸ばそうとしている。
これで終わる。そう思った翔だったが、その最後の瞬間に、翔はもう一度だけ不快な気持ちを味わうことになった。
到達した炎が見知った赤色ではなく、美しい金色の炎に変化していたからだ。
杖が燃え尽ききるまでの数瞬に満たないその光景は、何も知らない者が見れば幻想的で美しい思い出として心に残るだろう。だが、全てを聞かされた翔には、その炎が腐ったヘドロよりもさらにおぞましい見るに堪えない光景として心に刻みこまれた。
「これで危険物の処理は完了だね。今見せたように曇り無き黄金郷は危険な魔法だ。使う時は間違っても、自分の手の平なんかを対象にしないようにね」
「あの話と今の光景を見せられて、それでも使いたいと思う人間は狂ってるだろ...... 今日だけで金色が心底嫌いになった」
翔は嫌悪感を隠すことなくダンタリアに伝えた。
「外向きの変化魔法は理解出来たかい?」
「あぁ。よ~く勉強になったよ。にしても、始祖魔法の説明の時に一つの魔法が最強なら五大魔法大系なんかにはならないってあんたは言ってたよな? けど、こんな簡単に決着を付けちまう魔法があれば、他の魔法大系なんていらないんじゃないか?」
変化魔法を含めて、ここまでダンタリアから教えてもらった魔法大系は四つ。
変化魔法以外の三つも確かに強力な魔法大系だと思ったが、今見せてもらった変化魔法に比べると、いささか見劣りしてしまうように感じたのだ。
「少年の言う通り変化魔法は確かに強力な魔法だ。けれど他の魔法大系と同じように致命的な弱点があるんだよ」
「致命的な弱点?」
「変化魔法というのはね。効果が強力である反面、その強力な効果が発揮できる範囲が恐ろしく狭いんだ。並みの人間の魔法使いなら、私と君の距離ですら外向きの変化魔法を発動できないほどにね」
「この距離を?」
翔が頭に疑問符を浮かべるのも当然だ。
なぜなら彼とダンタリアの距離はテーブルを挟んだ分しか離れておらず、少し身体を伸ばせば腕相撲が出来るほどである。
その程度の距離でしか効力を発揮しない魔法だとしたら、確かにいくらでも付け入る隙はあるだろう。
「そう。この距離ですら外向きの変化魔法の効果範囲外なんだ。だからこそ変化魔法使いは自分の身体に内向きの変化魔法をかけて機動力と近距離戦闘能力を確保し、外向きの変化魔法を用いて相手に止めを刺すといった戦い方を好む。少年、君のような近距離の戦いを好む魔法使いは注意することだよ」
翔はそう言われて、先ほどのダンタリアとの腕相撲を思い出した。
たった一つの魔法の効果だけで、運動能力にあれほどの差が出来るのだ。その力で距離を詰められたらひとたまりもない
「分かった。注意する」
「よろしい。それでは肝心の創造魔法は説明していなけれど、一度まとめに入らせてもらうよ」
ダンタリアがポンッと自らの小さな手を叩いた。
面白いと思っていただけましたら、ブックマークと評価をいただけると嬉しいです。