害意吹き散らす神風
「志並津彦神様、御力をお貸しください」
重装甲宝石人間達が、翔へ飛び移ろうとした瞬間。背中に乗っていた姫野が、神への祈りを口にした。
姫野の有する魔法は、彼方の牢獄へ居を移した神から魔法を借り受ける力。状況を把握した上で適した神を選択する必要があるが、汎用性は他の悪魔殺しの誰よりも優れている。
「おわっ!?」
効果はすぐに現れた。翔に狙いを定めて宙を舞った宝石人間達が、あらぬ方向へ吹き飛ばされていったのである。
「なに......?」
事態はそれだけに留まらない。全方位から攻め寄せていた分け身達はきりもみ回転で落下していき、狙いを定めて発射された弾丸も翔達には届かない。まるで、凛花の相手をしていた時のような堅牢さ。突破口を見出すべく、ベリトは次なる一手を打つ。
「放て」
そもそも翔を強襲した宝石人間達は、トドメの浸食役として投下された駒だ。いくらでも補充が効くとはいっても、無為に消費して良いものでもない。
小粒な攻撃が届かぬのなら、より強い攻撃で突破するだけだ。ベリトは先ほどと同様の土地そのものと呼ぶべき土砂の投下を、今度は複数回に増やしてきたのである。
「神崎さん! さっきの魔法は!?」
投擲が迫る中、翔は背中の姫野へと問いかけた。もしも彼女の防御が土地へも有効なら、余った翔の魔力を攻撃に転じる事が可能だからである。
返事を待ったのは数瞬。しかし、いつもなら即座に返ってくる感情に乏しい声が、今回ばかりはいつまで待っても返ってこない。だが、その代わりとでも言うべきか、姫野によって翔の肩が叩かれた。
「神崎さん......?」
咄嗟に振り返った翔が目にしたのは、口に人差し指を当てて首を横に振る姫野。まさか彼女が無意味なジェスチャーのために、翔の時間を消費させる訳が無い。真意はすぐさま理解出来た。
「口がきけないんだな! 分かった、土砂は俺の方で避ける!」
擬翼の噴出口に魔力を充填し、翔は己の力で土地の投下を回避する。その際に、確認とばかりに再び宝石人間達が投じられたが、どれもが不可視の衝撃によって接触を禁じられた。
姫野の魔法は神の力を己に降ろす。しかし、あちらだって意志ある存在。ただで魔法をくれてやる馬鹿など存在しない。彼女が魔法を借り受けるためには、契約に沿った代償を支払う必要があるのだ。
「助かったのは事実だけど、コミュニケーションが取れないのは厳しいな!」
知識の乏しい翔には、神の名から能力を連想する事も、そこから代償を想像する事も難しい。そのため、ざっくりと声が出せなくなる代償だと割り切り、今後の戦いでは会話が出来なくなると考えた。
知識は足りずとも、多くの戦いを経験したおかげか。この想像は当たらずとも遠からずであった。
此度、姫野が力を借り受けた志並津彦神の代償は、彼女の吐き出す呼気。音を乗せるべき空気を奪い取られた事によって、会話を行えなくなったのである。
戦いにおいて味方との連携は重要だ。そのコミュニケーションツールの一つを投げ捨ててまで、借り受ける必要がある魔法なのか。その答えは是。なぜならベリトという魔王を相手取る場合において、志並津彦神の魔法はニナの血液と同等の力を有しているからだ。
志並津彦神は最上位の風神。古くは元寇時代に当時の巫女を生贄に呼び出され、外敵を打ち払う神風を巻き起こした神である。当然、姫野に授けられた力も風を操る力。しかし、神の操る風は、無秩序に吹きすさび広域を荒らす力では断じてない。
「......望んだ対象にのみ、衝撃を生み出す魔法か?」
数を増やした攻撃と襲撃ながら、その全てが見事に空振りで終わる。
だが、魔王はただでは転ばない。魔法への造詣が深いベリトは、一端ながらも姫野の神風を看破したのだ。
そう、志並津彦神の魔法は、望んだ対象に望んだ風を送り込む魔法なのである。
外敵の矢や爆発物を押し戻し、拠点である船を海へ飲み込んだように。あるいは攻め入る兵士の背中を押し、狙い定めた矢に必殺の一撃を乗せたように。
志並津彦神の風は望んだ通りに吹く。自らの母国を神の国であると知らしめるが如く、実に都合良く吹きすさぶまさに神風なのだ。
「えっ? あぁ! そうか!」
再び肩を叩かれて振り返った翔が、納得したとばかりに頷いた。彼が目にしたのは、尖塔の一つに指を差す姫野の姿。わざわざ振り返るリスクを負わせてまで、尖塔に注意を向けさせた理由は一つ。
「いい加減、チクチク鬱陶しいんだよおぉぉ!」
翔が半ば突進形態へと変形し、尖塔の一本へと突撃する。
遠くからは遠距離攻撃、近付けば宝石人間に飛び移られるリスク。四方八方からの攻撃を受けながらも、これまでは拠点である尖塔に攻撃を加える事が出来なかった。
しかし、姫野が志並津彦神の魔法を発動した事で、事態は一変する。
相手の攻撃は一切通らず、大規模な攻撃は擬翼の機動力で躱してしまう。攻撃こそが最大の防御になっていた尖塔だ。攻撃能力を失えば、そこに残るのは無防備な土塊。
いくら菌糸の力で強度と接着力を増していると言っても、所詮は地面から掘り起こした土。翔の突進が塔を貫通すると、崩壊箇所から自重に耐えられず倒れていく。
そして、崩壊の衝撃によって数えきれない菌糸が空中を舞い踊るが、いずれも姫野の神風によって二人には届かない。あらゆる浸食をシャットアウトする風の壁。これこそが会話を捨ててまで、姫野が選択した魔法の強みだったのだ。
「よしっ! これなら!」
一方が崩壊すれば、四方八方を封じた包囲は無意味となる。翔の視線の先にあるのは、凛花が封じられている大穴。これ以上の抵抗が無いなら、再び大穴を突き崩すだけだ。
「矮小な駒では力不足。意志に乏しい土塊では速度不足。ならば、両者を混ぜ合わせた存在ならばどうだ?」
けれども、ベリトが憎き悪魔殺しの勝手を許す筈が無い。彼は目的を曲げる柔軟性こそ持ち合わせていないが、国家間同盟の一翼を担う強大な魔王だ。
ただの分け身や宝石人間では力不足。かといって土地の投擲をするだけでは翔の擬翼に追い付けない。ならば土地という質量の塊へ、分け身達を埋め込んでやればよい。それを可能にするだけの魔力と技量が、ベリトにはあるのだから。
「なんだ、ありゃ......」
まるで土から這い出してくるかのように、その存在は姿を見せた。
身体を守るのは巨大できらびやかな鎧と盾の寄せ集め。鋏には左右非対称の宝剣と儀礼剣が。尻尾の先には先端を向けたブリリアンカットのダイアモンドが。全長10メートルに届きそうな巨大なサソリが、翔達に鋏と尻尾を向けていたのである。
「くっ!」
尻尾が無造作に振り下ろされ、間髪入れずに両の鋏が翔達を真っ二つにせんとする。
分け身達という高性能な自身の分身を取り入れたためだろうか。その動きには意志があり、翔の動きを読む知恵がある。おまけに翔達の方が虫に見えるような大質量だ。これでは姫野の神風を使っても、攻撃を逸らすのは難しい。
「いつまでも遊んでる時間はねぇってのに!」
尖塔を攻略するまででも、翔達は数分の時間を消費した。その上で、このサソリを倒すにはどれほどの時間がかかるのか。
数分か、あるいは数十分か。土中に含まれる空気がどれほど残されているか分からない。急がなくてはここまでの努力は全て水の泡となってしまう。
「神崎さん、有効な魔法に切り替えるのは_」
自分一人では対処が出来ないと判断し、翔は姫野に魔法を切り替えるよう頼み込もうとする。だが、そんな翔の対応を待っていたかのように、再び尖塔が生え始めた。
「あの化け物サソリが全てじゃねぇってか!」
いまだ倒れずにいる尖塔と、あらためて生まれた尖塔。両者の目的は変わらない。間髪入れずに分け身達と宝石人間達を送り込み、姫野の魔法を神風で固定しようとしているのだ。
翔の方はサソリに掛かり切り、姫野の方は尖塔への対応に精いっぱい。足りない。あまりにも手が足りない。もう少しで手が届く距離に凛花がいるというのに、その距離が果てしなく遠いのだ。
「どうすれば......! どうすれば......!」
焦る翔達へ、再び尻尾が振り下ろされた時だった。
「化け物退治は英雄譚に必要不可欠な詩だけど、ハッピーエンドも英雄譚を彩るエッセンスだ。古来、化け物退治には埒外の力が多く用いられてきた。此度の戦いに私の力は必要かな?」
二メートルはあろうかというダイアモンドを、同じく自身の身長よりも大きな剣で受け止める影があった。
その影は翼も無いのに宙へ浮き、身を包むのは軽装の騎士鎧だけ。けれど、身に秘められた圧力は強大。その存在感だけでも、人智を超えたナニカである事は明らかだった。
「ハプスベルタ!」
正体に気が付いた翔が、敵ながらも頼もしい味方である魔王の名を呼んだ。
「頭数でこちらに挑んできたんだ。もちろん、一つくらいの頭が増えるのは許容してくれるだろ?」
尻尾を膂力のみで弾き飛ばし、魔王は不敵に笑みをこぼすのだった。
次回更新は9/2の予定です。