根源は土地すら飲み込んで
悪魔と名乗る事を許された存在には、それぞれ自身の根源を抽出した切り札と呼ぶべき魔法を有している。
自身を支配者と信じて疑わぬ血族の始祖には、敗者を思うが儘に操る赤き枝が。大義に邁進する白銀の暗殺者には、気配からは辿り着かせない究極の音送りが。そして、始まりから貪欲に知識を蓄え続けた継承者には、存在を忘れ去られた悪魔の根源すら再現する古書が。
どれもが悪魔本体を語る上では、決して外す事の出来ない力。その上で、無闇にスポットライトに曝せば、討伐の足音が近付いてくる諸刃の剣。
悪魔を悪魔たらしめながらも、同時に急所そのものと呼ぶに等しい魔法なのだ。
翻って、名誉の魔王、綾取のベリトが有する根源魔法について語ろうと思う。
ベリトの根源と言えば、現世に祖を持つ亜人種族という点だろう。繁殖力と再生力に優れ、魔力に高い適合性を見せた菌糸が集合する事で生まれた種族。すでに現世からは姿を消して久しいものの、そのスライムという呼び名だけは、幻想生物の典型として残されてきた。
始まりで最も優れていたスライム。二度目の繁栄を永きに渡って待ちわびる魔王。加えて、人類という仇の族滅を願う復讐者。ここまで語れば、おのずとベリトの根源は見えてこよう。そう、彼の根源魔法は、スライムの特性をどこまでもシンプルに伸ばした集大成である。
菌糸の根は深い。一度でも張り巡らされれば、その根は目に見えぬ深部まで侵食する。そして根本的には別種であるが、生態が似通った植物は、成長の末にコンクリートの岩盤すら砕いて見せる。
「溶連庭園」
すでに根を伸ばし切ったこの町は、ベリトにとって手足も同然。地面が大口を開き、建造物は望まれた姿に改変を遂げ、水場は飛沫を上げて菌糸を遠方へと拡散する。
支配域の全てを物理的に操作する契約魔法。溶連庭園とは土地そのものすらベリトと一体化させる根源魔法だったのである。
「ほわあぁぁぁっ!?」
それまで認識上は上手くゾンビの攻勢を躱していた凛花だったが、逃げ道すら封じられては驚愕の声を上げるしかない。
ベリトにとって、凛花の存在はずっと目の上のタンコブであった。本体からはまるで魔力は感じられず、一当てしただけでも魔法知識が皆無なのは明白。だというのに、信じられないほど強固な結界が身を守っている。
結界から発せられる魔力の色は、疑いようも無くダンタリアのもの。あのニンゲン狂いの事だ。思惑は何にしろ、ベリトの行動を阻害する目的で用意した準備であるのは間違い無い。
「頭に根を張り巡らせ、思惑を看破してやろうと思ったが......もういい」
度重なる攻勢によって、ベリトは凛花を守る結界の特性を理解していた。
魔力に由来する攻撃は完全にシャットアウトし、それ以外は素通しするシンプルなもの。土地そのものを魔力で染め上げるベリトとは相性が悪かったが、所詮は一枚の結界に過ぎない。
ニンゲンは脆い。刃物の一刺しで致命傷を負い、頭を揺らされれば意識を手放し、寒暖のいずれもが振り切れば命にかかわる。しかし、此度ベリトが選んだ死は別の形。
「おっ、落ちるうぅぅぅっ!」
大きくしなった建造物のごった煮が、凛花を結界ごと大穴へと押し込もうとする。建造物による打撃も落下による衝撃も、結界のおかげで凛花に致命傷を与えはしないだろう。
だが、結界が弾き出すのは魔力由来の衝撃だけ。範囲も凛花の周囲数メートルだけ。凛花の身体スペックは、そこらの女子高生と何も変わらない。
「お前を私の手で殺すのは諦めた。深い深い地の底で、静かに朽ち果て役目を終えろ」
大穴へと落下していく凛花を、後追いしていく影がある。
それは建造物。それは掘り返された土砂の余り。菌糸によって自在性と強靭性を高めた巨大な壁が、凛花の上に覆いかぶさろうと迫りつつあった。
族滅を願うほど憎き相手だからこそ、ベリトはニンゲンを良く知っている。大気の組成が少し狂うだけで、致命傷を負う事を知っている。
ベリトが狙ったのは凛花を空気が届かない地の底へと追いやる事。そう、凛花の窒息死が狙いだったのである。
「あっ......」
さしもの凛花と言えど、上下から迫る絶望の状況には気が付いた。このままでは、自身は巨大な質量に挟まれてぺしゃんこになる。けれども、分かっていながらそれを回避する手段は無い。そんじょそこらの一般人では、空中で出来る事など何もない。
0.5倍速をかけた動画の様に、周囲の景色が嫌にスローモーションで流れていく。これが走馬灯であろうか。これから大して深くも長くもない、生の記憶が流れ出すのであろうか。
「それは......ちょっとだけ嫌かも」
自分勝手の結末が、別れの挨拶すら出来ずに化石の仲間入り。いくら周囲にかけ続けた迷惑の負債が大きかったにしても、こんな終わりは嫌だった。せめて世話になった幼馴染に、そして一方的に敵視してしまった少女達に謝りたかった。
「でも、もう......」
どれだけ引き延ばされた時間といえども、時計が止まる事は無い。凛花の視界は土色に染まりつつあり、その上に大きな蓋が被さろうとしている。
大きな後悔を抱えたまま自分は死ぬのか。凛花が諦めの境地で、目をゆっくりと閉じようとした時だった。
「凛花あぁぁぁ!」
「翔......?」
声のする方へ顔を向ければ、そこにあったのは背中にゴテゴテとした翼を生やして飛翔する翔の姿。背中に乗っているのは姫野だろうか。怪しく発行する緑色の紐をこちらへ伸ばし、どうにか凛花を救い出そうとしているのが分かった。
「あはっ......」
なんだ。町に辿り着いてからはフィクションの世界に迷い込んだのかと思っていたが、凛花が知らなかっただけでフィクションは身近に存在していたのだ。
きっと、この物語の主役は翔と姫野。幼馴染の死を乗り越えて、ゾンビパニックの元凶に引導を渡すといった筋書きなのだろう。
猛進する翔の手は届かない。長く伸ばされた姫野の紐も届かない。
けど、それでもいいと思った。退屈だった自分の世界は、この数時間だけであまりにも光り輝いていたのだから。
「ちゃ~んと、悪徳製薬会社に引導を渡してよね」
心に溜まっていたモヤモヤが、吹き荒れた突風によって跡形もなく消え去っていく。これ以上ない満面の笑みを零しながら、凛花の視界は暗闇で埋め尽くされた。
伸ばされた手は届かなかった。されど、地に消えた少女は魔法の一片を知ったに過ぎない。
少年は諦めていなかった。少女も諦めていなかった。一人のクラスメイトを救おうと立ち上がった者達の中で、諦めた者はいまだ誰一人としていなかった。
次回更新は8/25の予定です。




