忘れてはいけない帰り道
「おいおい! 名誉の悪魔は変容と不変、相対する特性が強みだろうに! 変容は私を仲間入りさせるには程遠く、不変はお伽話の空想であったかのように手応えが無い! これで同格を名乗ろうって言うんだから、教会は冗談が上手いと揶揄されるんだよ!」
ハプスベルタの握るどこか既視感を感じさせる特大剣が、一振りの度に複数の分け身達を切り裂いていく。一刀が致命傷に繋がらなかった個体も中にはいるが、その再生を悠長に眺めてくれている彼女ではない。一撃の合間に核を踏み潰し、力無く浮かぶ分け身を籠手で粉砕していく。
まさしく剣の魔王と呼ぶにふさわしい白兵能力。だが、こんなものはハプスベルタを語る上では二の次でしかない。真に彼女を知る者から見れば、遊びの延長線上でしかないのだ。
「どうだい少年。命を切り裂く手応えは掴めそうかい?」
ハプスベルタは振り返る事なく、後ろへ語り掛ける。その場にいたのは、彼女が遊びから戦いへとシフトしない理由。将来を期待する人間の姿だ。
「んな一朝一夕で理解出来たら、剣豪なんて言葉は生まれませんよ! というか、こいつらを命にカウントするのもどうなんすか! 核はおろか、頭や身体も碌に存在しないじゃないすか!」
いまだ身震いを続ける個体に対して、ナイフを振り下ろすのは大悟。
使い慣れぬ得物であるにも関わらず、その切っ先は宝石へ深々と突き刺さる。しかし、生物であれば絶命が免れぬ一撃も、悪魔が相手では分が悪い。ナイフが突き刺さっている事など気にも留めず、その分け身は素早い再生で戦線へ復帰しようと試みる。すなわち、ただの人間である大悟の命を吸収せんと。
「それはごもっとも。だがしかし、君はこの夜を持って感覚を会得しなければいけない。私がニンゲンと歩みを共にする時間は、今夜限りで終いだろうからね」
だが、分け身の目的は達成されなかった。目にも止まらぬ速さで飛来した片口型の戦槌が、分け身の身体へ鋭利な爪を突き刺したからである。
大悟の攻撃には何の痛痒も感じて無かった分け身が、その戦槌の一撃を貰うと嘘のように沈黙した。そして自身の終わりを表現するかのように、茶色に変色しながらカラカラに萎びていく。
悪魔の生態にまるで知識が無い大悟でも分かる。自分はハプスベルタに助けられたのだと。
「......スンマセン。助かりました」
「いいとも。新兵はいつだって、偉大な背中から戦う術を学び取っていくのだから。けれど、いつまで私が割って入れるかは分からない。見ろ。川べりを掘り起こすだけで見つかるような小粒に変わり、名誉と名乗るにふさわしい姿が現れだした」
ハプスベルタの言葉で遠方を見つめると、そこには増援と思しき装飾品達の姿があった。
ネックレスやブレスレットなど種類に統一性は無いが、学の無い大悟からしてもどこか先ほどより品のようなものを感じる。この悪魔が芸術的価値によって強さを増すのであれば、足元に転がる残骸よりも遥かに強大な相手と思える。
「まさか、このペースで町に着くまで戦い続けるつもりですか?」
「ふむ。相手次第だろうが、その可能性もあるだろうね」
「マジかよ......」
碌な準備も出来ずに町へ駆り出された大悟だが、それでも最低限の準備は行っていた。その内の一つが町の大きさと、話に聞く悪の親玉が作り出したナワバリの範囲について。
ほぼ予想通りの場所で会敵となったハプスベルタと大悟であったが、そこは町の中心部から十キロは離れている雑木林に囲まれた県道である。
第一陣を倒し切るのに使った時間が数分。そこから第二陣が到着するまでに数十秒。会敵前に大悟が呼吸を整えるまでの時間こそあったが、裏を返せば彼らが進んだ距離は敵を押し込んだ際の十数歩だけ。
そしてハプスベルタの方も、戦うペースが変わらない可能性すら示唆してきた。これでは仮に大悟が才能を認められたとしても、中心部に付く頃にはとっくに夜は開けている。全ての敵を討伐する勢いでも無ければ、凛花の救出などとても間に合わない。
「心が揺れてるね」
「......そりゃあ、仕方ないでしょ」
大悟は翔の強さを知らない。知っているのはひた隠しにする才能が、恐るべき速度で成長を続けているという事くらいである。同じ様に、姫野の強さを知らない。マルティナの強さも知らない。ニナの強さだって見当も付かない。
ハプスベルタの言う通り大悟は焦っている。初めて戦った悪魔は、斥候ですら自分の力ではトドメすら難しい相手であったのだから。
いくら魂に悪魔を宿していようとも、ベースとなる肉体は人間とさほど変わらない。そんな者達が、この不気味な装飾品相手に立ち回れるのか。あまつさえ圧倒し、取り残された人間達を救出出来るのかと疑ってしまっているのだ。
「大丈夫だよ。少なくとも、綾取もまだ本気じゃない。交戦と逃走を天秤にかけている状態だ。そんな中途半端なメンタルじゃ、翔を殺めるのは不可能さ」
「そう、なんでしょうか」
「......あまり翔を舐めない方がいい。彼は一度切りとはいえ、この私を上回った相手だ」
チラリと向けられた目線に込められていたのは不快。大悟が翔の実力を疑った事に対する不審の表明みたいなものなのだろう。
確かにハプスベルタは、戦士としての翔を賞賛していた。次に戦う機会を楽しみにしていた。歯牙にもかからない相手であれば、これほど持ち上げる理由など無い筈だ。ならば、彼には悪魔と戦えるだけのポテンシャルが秘められているのだろう。
「悪い方にばかり考えすぎました」
大悟は隙を見てハプスベルタに謝罪を行う。そもそも彼女が完全に機嫌を損ねてしまえば、大悟に待っているのは死だ。相手が明確な敵か味方だった敵かの違いはあるが、無残な殺され方をするのは間違いない。
「戦場は病む。そこには有利も不利も関係ない。徐々に精神の均衡が乱れ、正常から遠ざかっていく。既知となった魔の力と、一端しか知らぬ友の力。疑ってしまうのも分からなくはないが、出来るのは信じる事だけじゃないかい?」
そこまで言い終わると、ハプスベルタは正面と向き直る。そうして先ほどとは異なる身の丈の数倍はあろうかという槍を用いて、いまだ遠方の分け身達を貫いていく。
ここまで戦いを目にしてきて分かった。ハプスベルタの魔法は、状況に応じた武器を出し入れする能力なのだろうと。そして相手の魔法が、宝石に扮した化け物を量産する魔法なのだろうと。
(......言い返す言葉もねぇ。付け焼刃で戦場に連れ出してもらった俺と違って、翔はきっと戦い続けてきたんだ。それなのに俺は、心の中であいつを下げた。凛花の命を救おうって思ってんのは一緒の筈なのに)
これまでの鍛錬と違う。異形が相手とはいえ、ハッキリとした命のやり取り。その行いは知らず知らずの内に、大悟の精神を戦場の空気へ馴染ませていたのだろう。
常に戦いの傍にいるならそれでもいい。だが、大悟には日常がある。変わらぬ歩みを続けたい仲間達がいる。もしも戦場の空気に慣れ親しんでしまったら、きっと彼らと共には歩めなくなる。
(だからこそ、変わる場所と変わらない場所の区切りを付けなきゃいけねぇ。ずっと戦いの空気を隠し続けられたあいつみたいに、日常への帰り道を残しておかなきゃいけねぇ)
大悟は自身の弱気を恥じながら、刺し貫かれて転がってきた瀕死の分け身へ目を向ける。
どれだけ心を強靭に保っても、成果が出せなくては大悟に後は無い。折れず、折れぬ。その言葉の真意を、戦場の中で見つけ出さなくてはいけない。
「少なくとも急所が中心とは限らない事は分かったんだ。だったら今度は、勘を信じて一発を決めてみるか」
とっかかりが全く無い分野なのだ。何をするにしても、まずは数をこなさなければ検証も出来ない。翔達が凛花を救ってくれると信じつつ、自分も命を守る事に邁進する。
「検証って面を考えれば、無間地獄も悪くはないのかもな」
どんどんと積み重なっていく残骸を踏み越えながら、大悟はハプスベルタの後ろ姿を追いかけるのであった。
次回更新は8/5の予定です。




