千振りの剣に連れ合い一人
「さぁて、心地よい風が吹き出している。少年、準備は出来ているかい?」
何の変哲も無い、それどころか整備不足の錆が目立つ直剣を肩に担ぎながら、ハプスベルタは傍らの人影に声をかける。
「まだ何とも」
少年と呼ばれた影は、その声に曖昧な答えを返した。
声音から感じられるのは少しの恐怖と少しの高揚、そして際立った焦燥であろうか。隣に立つハプスベルタを相手取るには、明らかに覚悟が足りていない感情配分。何なら戦士にあらずと、彼女の振るう白刃の露に消えていたかもしれない感情配分だった。
「不相応な自信を抱いていないだけ優秀さ。新兵の命が散るのは、大多数が初陣なのだから」
だが、ハプスベルタに殺意は無かった。それどころか魔王に対する敬意が欠ける態度を取られながらも、彼女は面白そうに表情を眺めるだけだった。
かつてハプスベルタが少年と呼んでいた悪魔殺しは、すでに彼女の中で名前を呼ぶにふさわしい敵となっている。ならば、この場でハプスベルタの隣に立つのは誰なのか。
「はい。あなたに向けられた殺意。あれだけで、俺は格の違いを実感しました。仮に頼まれたとしても、無謀な突撃を行うつもりはありません」
月に覆いかぶさっていた雲が取り払われ、月光の薄明かりが大地を照らす。翔よりもがっしりとした身体付きでありながら、身のこなしに重みは感じられない。徒手空拳なら彼より一歩先んじた存在。岩国大悟の姿がそこにはあった。
「忠実なのは良い事だけど、それだと面白味に欠けるなぁ。今夜の君はゲストであり、パフォーマーでもあるんだ。私の国民を貸し与えただけの戦果を見せてくれないと、ちょっとした制裁に走ってしまうかもしれない」
大悟とハプスベルタは、密会によってそれぞれの事情を知っていた。だが、それだけでは彼らが共にいる理由にはならないだろう。
「凛花を助けた後なら、お好きなように」
けれども、ハプスベルタは大悟を連れ出すだけの理由を手にしていた。聞かされれば、全てを投げ出して彼女に従う理由を有していた。それこそが、凛花の失踪事件。そこから続く、隣町の惨状説明であったのだ。
「おっ、今のは騎士道精神溢れる良い答えだ。評価点に加えておこうじゃないか」
いまだに大悟が事情を知らぬ一般人であると考えていた悪魔殺し達は、夜の闇に乗じて旅館を抜け出していた。しかし、彼らも焦っていたのだろう。ハプスベルタの後入り宣言を、さも当然のように受け入れてしまったのだ。
目を光らせる鬼がいなければ、悪魔は甘美な言葉で人をそそのかす。ダンタリアが凛花をそそのかした時と同じ様に、ハプスベルタは大悟を戦場へ誘い込んでいたのである。
「点数制なんすか......まぁ、どうこう言える立場じゃないすけど」
感情と変わらぬ焦りようで、ハプスベルタに付いてきたのだろう。大悟の服装は寝巻用らしい上下ジャージに量産品の運動靴。持ち物と言えば、一本のアイスピックに似た形状のナイフだけ。
だが、魔法使いでもない人間が、悪魔と対面する前提で出来る準備など皆無に等しい。そういう意味でなら、大悟の準備はまさに万全とも言えた。なぜなら、手に固く握られたナイフこそが、彼の持ち得る最大の対悪魔装備であるのだから。
「まさか。切り伏せた首級で評価しようにも、今の君は討伐云々を語れる実力では無い。ならば囮として稼いだ時間で評価しようにも、ニンゲン如きでは標的になった時点でお終いだ。加点出来るものが無いのに、どうして点数制なんて導入出来るのか」
大悟が手にするナイフは、ハプスベルタが特に評価する凡百の一本。その名も白磁の蓋。一撃必殺に極限まで重きを置いた、まさにジャイアントキリング用の武器と言えた。
もしも大悟の腕が持ち主に比肩するのなら、魔法使いではない彼にも分け身達を切り裂くチャンスが生まれるだろう。けれども、ハプスベルタは今まさに、魔王との戦いでは評価しないと言い切っている。
「なら、どうやって戦果を得ろって言うんです?」
大悟の問いは最もであった。
ハプスベルタを満足させなければ、待っているのは何らかの制裁。物騒な表現の中ではマイルドな部類と言えるが、与えられる本人からしてみれば罰に変わりは無い。
そして行動を共にしているとはいえ、ハプスベルタと大悟は別に親しくも無い。悪魔である彼女がどこまで邪悪な存在であるかは分からないし、その制裁がどこまで自分を痛めつけるのかも分からない。
だからこそ大悟は、始めに戦果の意味を明らかにしようとしていたのだ。
「......折れぬ事、そして折らぬ事。それを達成出来たのなら、君の歩む先へ足場を投じてあげようとも」
だが、ハプスベルタはあえて抽象的な答えを告げた。いや、ニンゲン如きに対する配慮としては、彼女の行動は望外とも言えた。けれども、その優しさは大悟には伝わらない。伝えるつもりもない。
「......分かったような、分からないような」
首を傾げる大悟を見つめ、ハプスベルタは満足げに頷く。
「きっかけだけでも掴めたのなら上出来さ。同じ事を翔に伝えてみろ。第一声から不平不満の大合唱が始まるさ」
「あ~......あいつはどっか、遠慮がねぇ所があるから」
「全くだよ。初対面の時は痛めつけてやったというのに、たった一本の技ありで呼び方に文句を付けてきた。ははっ、あそこまで図々しい戦士は、海原や草原の蛮族まで遡らなければ存在しないよ」
「......ヴァイキングや匈奴って奴っすか? 時代を逆行しすぎだろ」
「詳しいな。まぁ、そこまでの命知らずが生まれるほどに、現世の魔法が廃れているとも_」
共通の話題である翔についての話に花を咲かせていた両者であったが、不意にハプスベルタの言葉が止まった。
「ハプスベルタさん?」
訝し気に名前を呼んだ大悟だったが、彼は薄暗闇であるにも関わらずハプスベルタの表情が分かった。戦いを愛する彼女から、これまでとは比べ物にならない殺気が溢れ出ていたから。
「ハハッ! いくら腹の内がお祭り騒ぎとはいえ、私の接近をこれ以上に許せる筈も無しか! いいとも。先の戦いで打ち捨てられた断片共の様に、此度も念入りに根絶やしにしてやろうとも!」
「何の話を、って、うおっ!?」
ハプスベルタとは異なる殺気に引かれる形で、大悟も反射的に武器を構える。魔力感知を有しない彼からすれば、突然目の前に現れた存在。それは、色取り取りの美しさを魅せる宝石達であった。
「さて、言った事は覚えているな? 折れぬ事、そして折らぬ事。ファーストステップだ」
「い、いきなり!? っ、このっ、やってやる!」
予期せぬ祭囃子と予期した祭り騒ぎが響くとある町。そこに乗じた新たな音色は、知りつつもどこかおかしな音だった。救いの手が一本で打ち止めとは限らない。思いの強さだけなら、遅れた一本も負けてはいなかった。
次回更新は7/24の予定です。