広がる菌糸の一片にて
ベリトが動き出した。
それは端的に言えば、宝石に擬態していた彼の分け身が動き出すという事である。宝飾店にて、中古販売店にて、個人間の取引にて。分布を広げた分け身達は、周りの生物に向けて一斉に牙を剝く。
そうした惨劇の一ページは、とある組織の研究所でも刻まれんとしていた。日本の魔法使い達を束ねる組織、日魔連。その中でも今回の調査を依頼されていた、隠形派の縄張りで。
「ぐっ、このっ......! 魔法使い以下の研究職に何しやがる! 所長! 対悪魔級封印結界は!?」
「あるわけないだろう! そもそも、そんな馬鹿みたいに魔力を食う魔道具、いったい誰の魔力を使って起動するつもりだ!?」
二人の男が言い争いをしながら、手当たり次第に魔道具を使用する。標的らしき物体は、緑色の宝石が輝く耳飾り。いくら男達が魔法に不慣れだとしても、相手は手の平サイズの物品。曰く付きの魔道具や低級の使い魔程度の正体なら、ここまで慌てる必要は無い。
しかし、簡易的な結界の中で暴れ回る物品の正体は悪魔。それも、72しか存在しない魔界の国家を統べる王。その魔王が魂を裂いて作り出した魔王そのものなのだ。
どれだけ割り振られた魔力が極小であろうと、アイデンティティの塊たる魔王の魔力は桁が違う。その証拠に男達が次々と起動する魔道具を、魔王は耳飾りのフック部分を振り回して切り裂いていく。
一つの魔道具が壁として機能するのは数十秒ほど。これでは救援はおろか、目を離した瞬間に二人は終わりである。
「あぁもう! そうでしたそうでした! 自分らは二人揃って隠形派のミソッカス! 他の派閥なら除名なり間引きなりされる落ちこぼれですもんね!」
自棄っぱちな雰囲気をこれでもかと見せながら、部下の男が己の無力を嘆く。だが、どちらかと言えば、男の嘆きは的外れだ。なぜなら、嗜虐心を感じさせる動きで魔道具を破壊していく宝石の正体は魔王。男達はおろか、隠形派の構成員をまとめた上で、どうにか足止め出来るかどうかの相手である。
仮に男が優れた魔法使いであり、豊富な魔道具を取り揃えていたとしよう。その結果として起こるのは、せいぜい寿命が数分伸びる程度。魔王と相対する時点で、悪魔殺しレベルの魔力を備えているのは最低条件。その上で相性の良い魔法を有してなくば、戦いの土俵には上がれないのである。
「最期だからって随分と好き勝手言ったな? この場を乗り切れたら覚えておけ!」
「もちろん魂に刻んでやりますとも! 土下座でも裸踊りでも何でもござれ!」
そうこうする内に、研究所内の魔道具が底を尽きた。後は起動している迎撃用魔道具と結界魔道具の成果次第であったが、これまでと同様にフックの一振りで易々と切り裂かれてしまう。
「ハッ、ハハッ......反則でしょ......」
口から出るのは乾いた笑いのみ。男は弱者である事を理解していた。悪魔との戦いはもちろんの事、使い魔程度さえ手に余るという自覚があった。
けれど、実際に目にした瞬間の絶望感たるや。こちらの焦りを楽しむかのように、わざわざ一つずつ魔道具を破壊していく宝石。それらが機能を停止していく事で、着実に近付いていく自身の死期。
少しでも絶望を紛らわそうとして出た笑いに、何の咎があるというのか。
「......これが現代の魔法使いによる限界か? 惰弱、あまりにも惰弱だ」
「ばっ、しゃべって!?」
「いつ正体に気付くかと愉しんでいたが、お前達ときたら薄皮の如き壁を破られて大騒ぎするばかり。位の違う相手とは会話が成り立たんというが、なるほどその通りらしい」
「......チッ、やっぱりそのものだったか。正体を口に出さなかったせいで、ここまで生きていられたと喜ぶべきか。それとも、これから迎える最期を悲しむべきか」
上司の男は悔し気に唇を噛んだ。彼は可能性の一つとして、宝石が悪魔そのものであるという結論を思い浮かべていたのである。
けれど、結局は頭のゴミ箱に打ち捨ててしまった。妄想が過ぎると可能性を切り捨ててしまった。もしもあの時の危惧に従って、隠形派から応援を呼べていれば。少なくとも、この場で骸となる人間は自分達では無かった筈である。
「これで最後だ」
残った結界もこれまでと変わらず一撃で無効化され、後に残るのは二人だけ。隠形派に身を置いた時点で、死は覚悟していた。さらに自分達の現役時代に人魔大戦が始まり、想像を超えた惨たらしい死の可能性すら頭に思い描いていた。
けれど、どれだけ死を想像しようと、実際に目の当たりにすれば身体は震えた。覚悟なんて風に舞う塵のように吹き飛び、ちっぽけ宝石相手に命乞いの選択すら過った。
「さて、どうする?」
宝石が何かを期待して二人へ質問をした。
「......死ぬ前に駅前のスイーツバイキングに行っとくべきだったぁ!」
「......だったら、俺も焼肉食べ放題にでも行くべきだった」
だが、腐っても二人は魔法使い。悪魔との取引による末路を。そして、悪魔に対する命乞いの無意味さを良く理解していた。
「どうせ所長は量食べられないでしょ?」
「好き放題頼むのがいいんだろうが。ああいった場所だと、損得勘定は二の次だろ」
「それもそうっすね~。あっ、遺言は以上っす」
どうせ死ぬのなら、せめて魔王の思い通りにはさせない。そんなちっぽけな矜持によって、二人は格の違う相手を最大限に煽ったのだ。
「なら死ね」
二人に向けて、魔道具を容易く切り裂いたフックが迫る。
「あら、私に危害を加える意味を分かっているのかしら?」
だが、終わりは訪れなかった。いつの間にか二人の前には、スーツに身を包んだビジネスウーマン染みた女性が割って入っていたから。
「あ、あなたは......もしや......!」
「細かい話は後にして。事は一刻の猶予も争うから」
女性は男の言葉を遮ると、どこからか万年筆を取り出した。
そのままキャップを外して宙にゼロを描くと、それらは弾帯のように女性へと纏わり付き始める。
「......なるほどな。契約によって多くを縛られる身であろうと、正当防衛は全てにおいて優先される。私を挑発する事で、此度の戦いへの参加権を得る次第か」
「別にそうでもないわ。あっちには継承様や凡百様に加えて、悪魔殺しが四人も控えてる。私がここに赴いたのは、あくまで日魔連の構成員に犠牲者を出さないため。そのまま尻尾を巻いて逃げ出すのなら、見逃してあげる」
冷静に女性の出現理由を突き止める魔王と、全てを的外れと断じて挑発を続ける女性。
「......」
「......」
二体の間に一瞬の沈黙が生まれ、次の瞬間には全てが終わっていた。
「これ見よがしに魔道具を破壊していたようだけど、あなたが破壊したのは生成された結界だけ。魔道具本体が無事なら、結界の再生成は難しくないわ。もっとも、携帯型の安物なせいで、一度の起動で魔力は空っぽになっていたけれど」
女性の喉元へと突き出されたフックであったが、その動きは途上で停止していた。なぜなら、宝石が破壊した魔道具にはいくつものゼロが吸い込まれて息を吹き返し、何十倍もの出力となって宝石を捕らえていたのだから。
「この程度の分け身では、これが限界か」
「それが分かっていても、教会所属故に止まれない。人類とそれに与する悪魔は全て、抹殺の対象なのだから」
「ほざくな。ニンゲンに頼まねば、碌な根源すら手に出来なかった欠陥品が」
「えぇ。だから私はここにいる。それを後悔した事も、不幸に思った事も無いわ。いつまでも過去から抜け出せないあなた達と違ってね」
「いつか魔界に舞い戻ったその時、お前には死すら生ぬるい地獄を経験させてやる」
「まぁ怖い。それなら手を出そうとも思わないくらい、現世で徹底的に痛めつけてやらないとね」
女性の万年筆にいくつかのゼロが吸い込まれ、ゆっくりと投じられた万年筆は宝石へ深々と突き刺さる。そのまま末期の言葉すらなく、宝石は植物のように枯れ果てるのだった。
次回更新は6/26の予定です。




