無力を打破せんとする者へ
「さてと、だ」
翔が去った事を確認したハプスベルタは、小さく伸びをする。彼によって、情報は悪魔殺し達へ共有されるだろう。その折に、マルティナ辺りには失態を詰め寄られる可能性はあるかもしれない。だが、彼女とてハプスベルタから戦術を学んでいる身。言葉は出ても手までは出さないだろう。
それよりも、問題はダンタリアへの報告だ。きっと自分と綾取が小競り合いを始めた時点で、ダンタリアは事態を把握していたに違いない。だというのに、彼女は介入する事も事後報告へ呼び出すこともしなかった。
「小さなトラブルの一つと笑って許してくれているのか、それとも予想外過ぎて対処に追われているのか。継承殿を怒らせれば、国家の存亡すら考えられる。私としては、前者である事を祈るしかないんだけれど」
ハプスベルタとて綾取が逃げ出さぬように力の配分は考えていたし、逆に綾取が自信を手に入れるよう余計なダメージすら喰らって見せた。いくら永きを生きているとはいえ、元がスライムだ。思考は単純な所が目立つし、礼儀を失して罰せられた話も聞いた事がある。
自分に皺寄せが来る分には構わない。だが、国家に波及するような皺寄せは最悪だ。そんな未来を防がんがため、彼女は多方面に媚びを売る必要があったのだ。
「翔は行ったよ。出ておいで」
「......どうも」
「聞きたい事は分かってるよ。翔や私についてだろう?」
「はい」
警戒心を隠そうともせず、それでもハプスベルタの前に姿を現した者。その正体は、翔の親友の一人である大悟であった。彼は日中の翔が見せた身のこなしに不審を抱き、そこからずっと翔の尾行をしていたらしい。
気配に敏感な翔だが、同じ武道経験者の大悟が相手では分が悪い。加えて、彼は翔の事を深く知っている。無警戒から始まった尾行は、実に簡単だったに違いない。
そうして追跡を続けた後、翔とハプスベルタの密会に立ち会う事となった。翔の方はハプスベルタに注意が向いており、ハプスベルタも戦いの消耗で警戒心が薄れていた。
半自動で発動する魔力感知が大悟を捉えたのは、すでに魔王との戦いを粗方語り終えた後。どうやって言い繕ったとしても、ボロボロな私服や傷付いた軽装騎士鎧、平然と会話を続ける翔などツッコミ所がありすぎた。
そのためハプスベルタは、あえて翔に大悟の存在を伏せたのだ。これから始まるであろう追及を、自分の所で消化させるために。大悟が落ち着いた後で、翔への貸しの一つとするために。
「覚悟はあるかい?」
「......あります。 あいつが何かを隠しているのは知っていました。だけどいつまで経っても話してくれないまま、色んな違和感だけがどんどん膨らんでしまってたんです! もうこれ以上隠されたままじゃ、俺は前みたいに付き合えなくなってしまうかもしれないんです!」
そこには溜めこんでいた多くを噴出させる少年の姿があった。親友の思わぬ負傷に始まり、突然の対長物戦闘の立ち合い、留学の決定や延長、予期しない留学生、そしてあり得ない成長速度。翔が隠しきれていると思っていた数々は、実際の所、大悟の理解によって押し留められていただけだったのだ。
「自ら未知の世界に踏み込まんとする、その意気や良し! ならば語ってあげるとしよう。人類と悪魔の永き大戦の歴史を」
ハプスベルタは戦士こそを愛し、未知を解明せんとする開拓者こそを愛する。その物差しで測ってみれば、目の前の大悟は戦士であり開拓者。まさに彼女のお目当てとする優れた人材であった。
ならば憂慮する必要は無い。ハプスベルタの口が開かれ、いつぞや大熊が翔へ語った歴史が大悟へと告げられていく。
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「世界の裏側を知れてどんな気分だい?」
「......信じ切れないって気持ちと、納得の気持ちがせめぎ合ってます」
翔が初めて裏の歴史を聞かされた時と異なり、大悟は極めて静かにハプスベルタの言葉を聞き入れていた。
困惑の色は確かにある。けれどもやはり、説明の難しい事象が連続していたためだろう。驚きに叫び出すよりも先に、一つ一つの不可思議を自分の中で噛み砕く事を優先しているようだ。
「鍔迫り合いは大好きだよ。まぁ、ここで拒絶が押し切れないんだ。後はゆっくりと納得が押し勝つだろうさ」
「はい。えっと、それで、ハプスベルタさんは、魔王、なんですよね?」
「そうとも。我欲がために現世を塗り替えんとする邪悪な魔王さ」
「っ!」
その問いかけを大悟が行ったと同時に、ハプスベルタは殺気を浴びせた。
別に何てことは無い、いつでもお前を殺せるという宣言のための殺気である。だが、圧倒的強者のオーラはそれだけで弱き者の心を挫き、か弱き者の心を壊す。
ハプスベルタが殺気を浴びせた理由は確認だ。裏の歴史を聞かされ、自身の正体を聞かされてなお、踏み込む勇気があるかどうか。そんなあまりにも慈悲深き殺気を受け、それでも大悟は食いしばった。
「......思えば、この旅行にラッツォーニさんやデュモンさんが飛び入り参加するのもおかしかったんだ。無理にでも参加したのは、倒すべき悪魔が近いから。いつも通り影から悪魔退治を行わないのは、俺達をいつでも守れるから。そうですよね?」
「......なるほどどうして。物事を組み立てる能力は上々のようだ」
こう見えてハプスベルタは空気が読める魔王だ。歴史や自身の正体を語る事まではしていても、近隣の魔王やダンタリアの正体に関してまでは語っていない。
「翔の身のこなしだけで気付きました。これは、ただの人間が割って入れる話じゃないって」
だというのに、大悟は小さなヒントのみで魔王の存在に辿り着いた。自身が悪魔殺しのお荷物となっている事を自覚したのだ。
ハプスベルタは目を細める。目の前にいたのが、自身の弱さを噛みしめる弱兵であったから。それでもなお、前に進まんとする戦士であったから。
「ならばただのニンゲンはどうする?」
「こうします」
「ほうっ!」
驚きに目を見開くハプスベルタ。大悟が取ったのは土下座だった。
「人間じゃ参加出来ない戦い。そして人間以上にもなれない俺に出来るのは、これしかありません。お願いします! どうか俺に、力を付ける方法を教えてください!」
それは、魔王という存在を深く知らないからこそ出来た無鉄砲。そして、どこまでも自分の欲望を押し通そうとする青さが故に出来た行い。
でなければ、人類と敵対している魔王に教えを乞うバカがどこにいる。それが許されるのは、自分から歩み寄ろうとする知識の魔王が精々だ。間違ってもハプスベルタに頭を下げたりはしない。弱きを認める行いを、ハプスベルタが許しはしない。
「頭をお上げ」
無力さからくる欲望や非力を知った恐怖であれば、ハプスベルタは例え翔の親友だろうと容赦はしなかっただろう。しかし、少年の瞳は真っすぐであった。力を求める事にどこまでも真摯であった。
そんな純粋な気持ちを前にして、力の象徴たる剣の魔王が断罪など出来る筈が無い。
「まずは災禍を生き残り、戦士である事を示せ」
「これは......?」
ハプスベルタは一本のナイフを呼び出すと、そのまま大悟へと手渡した。
手渡されたナイフは一見するとアイスピックのようだ。けれど、その先端には花弁のようにいくつかの小さな返しが付いており、引き抜こうものなら肉体はズタズタに引き裂かれるだろう。反対に氷へ突き刺そうものなら、どんな剛力でも抜くのに苦労するのは間違いない。
「白磁の蓋。とある暗部組織のエージェントに用いられたナイフだ。私の下で振るわれる日を待つ剣達の中でも、最も昇華に近い凡百の一本さ」
「はぁ......」
説明を受けている大悟はピンと来ていない様子だったが、この光景を翔が見たら驚愕していたであろう。なんせ全ての剣を悪魔に生まれ変えんとするハプスベルタが、最も悪魔に近い一振りを人間なんぞに預けたのだから。
「そのナイフの持ち主は暗殺の名手でね。大通りですれ違うターゲットを、たったの一突きで亡き者へと変え続けた」
「えっ......なんでそんな曰く付きの品を......?」
「曰くが付いてるから良いんじゃないか! そうして暗殺者が暗殺されるまでの間、ナイフは栄華を歩み続けた。たったの一刺しで相手を仕留める呪われたナイフだと。この剣には、その曰くが少しだけ宿っている」
「まさか......一刺しで人を、いや、悪魔を......?」
「少しだけ、と言っただろう? その剣が本領を発揮するのは、急所を的確に突いた場合だけ」
「えっ? 普通、急所を突いたら誰だってイチコロじゃ_」
「本当かい? 急所を突いた如きで、本当に魔王を仕留めきれるのかい?」
「あっ......」
そこまで言われて、大悟はこのナイフの真価に気付く。人間相手ではただのナイフにしかならない剣を預けられた意味。それは、もうすぐそこまで悪魔による災禍が近付いている宣言であった。
「少年が真に戦士であるのなら、ニンゲンなどよりも一層優れた命すら一突きで刈り取れる筈さ」
そこまで言うと、ハプスベルタは旅館の中へ堂々と入っていく。残された大悟は、ただきらめく刃先を眺める事しか出来なかった。
次回更新は5/13の予定です。




