旅路の朝
「まさか送迎バスまで用意されてるなんてな。ここまで来ると、意地でも旅行に行こうとした凛花の方が正しかったような気がしてくるぞ」
有名な温泉宿の名前がプリントされたマイクロバスを見て、大悟が感心したかのような声を上げる。
「バカ、お前まで良識がぶっ飛んだ枠に入ってんじゃねーよ。ただでさえ、神崎さんや麗子さんに迷惑をかけてるんだ。移動中は説教をバスガイド扱いで垂れ流してやんねぇと、凛花の奴が反省しねぇだろ」
けれど、そんな大悟にツッコミを入れたのは翔。表の理由と裏の理由で、この旅行の決行は熾烈を極めたのだ。ここで凛花に釘を刺しておかないと、日魔連が便利使いされるようになるのは目に見えていた。
温泉宿への集合場所は、商店街の入り口。時刻は早朝のためか、人通りは滅多に無い。集合時間には余裕があるため、翔と大悟を除いて人影はない。だが、もう数分もすれば、旅行メンバーは集まりだす筈だ。
「反省って言うなら、ぜひとも翔には反省してもらいたい所だけどな?」
「......なんでだよ」
「今回の旅行メンバーを見りゃ分かるだろ。どう考えても、女の戦いを繰り広げるつもり満々じゃないか」
「俺に言うな!」
翔の視点から見れば、親密な関係のメンバーのみを誘ったかに見える旅行。しかし、大悟の視点から見れば、マルティナやニナの参加は明らかに不自然だ。
大悟や凛花にとって、マルティナとニナは新たなクラスメンバーに過ぎない。多少、翔と友好こそあるようだが、間違っても凛花が旅行に誘うほどの関係は作り上げていないのだ。
ならば、凛花はどうして旅行に誘ったのか。その答えはもちろん、うやむやとなった翔との関係を問い質すためである。
裏の世界を知らない凛花にとって、姫野と翔は恋仲に見えている。すでに保護者との面識もあり、それぞれの仕事にも理解がある。おまけに幸か不幸か、翔は身軽な身だ。卒業後、仮に全国各地を飛び回る事になったとしても、彼ならば親友の自分達が少々寂しい思いをするだけでいい。恋路を見守る友人枠として、凛花は翔と姫野の仲を応援していたのである。
しかし、そんな関係を大きな事件が襲った。
マルティナとニナの登場である。
留学中に親交を築いたにしては妙に近しく、同じ学校に通っていた訳でも無いのに随分と翔に詳しい。泥棒猫という単語が頭を過るのは当然であり、翔の感情はどうあれ、凛花は姫野の味方に立つつもりであった。
凛花は参加のお誘いを二人に出し、副音声でこんな質問をした。プライベートな旅行にまで、付いて来る覚悟があるのかと。
そして、二人は乗った。ならば、夜間に繰り広げられる争いは一人の男を取り合うキャットファイト。完全に蚊帳の外でそんな争いを見物させられる大悟としては、たまったものでは無かったのだ。
「だって、家族ぐるみの温泉旅行に名乗りを上げるんだぞ。どう考えても修羅場は確定だろーが」
大悟から見れば、マルティナとニナは両親への挨拶を終えた後に現れた女達。しかも、女側の育ての両親が参加する温泉旅行に参加表明するヤバイ奴である。
何事もなく終わる事など不可能であり、一夜明けた後には女性陣が生傷まみれになっていたとしても驚きは無かった。
「だから! 俺と神崎さんは当然として! マルティナやニナとも、そういう関係じゃねぇーっての!」
翔側からしてみれば、この温泉旅行は人魔大戦への狼煙。移動だけでも潜伏悪魔を刺激しかねない諸刃の剣だ。
そんな戦闘一歩手前の行動であるために、マルティナやニナを連れて行くのは当然の帰結。仮に凛花の提案が無くとも、何らかの理由を付けて二人も温泉宿付近へ移動していただろう。
渡りに船と参加を表明した温泉旅行。しかし、魔法世界を知らない一般人からすれば、まさに修羅場。双方の認識、そして翔の下手な誤魔化しが事態に尾を引いていた。
「はぁ~......まぁ、問い詰める時間はいくらでもある。それよりも、だ。確か、そっちの仕事経由で外国人のお客さんが二人も同乗するんだろ? 確か、知り合いなんだろ?」
「えっ? えっ、え~と、まぁ、面識はあるんだが、その......」
これ以上話しても無駄だと思ったのだろう。大悟が気を利かせて、会話を切り替えてくれた。
しかし、不幸な事に切り替えた先も、また急所である。
(あの馬鹿魔王共! 一般人になんて説明しろってんだ!)
大悟が外国人と表現した二人の客。その正体は二体の魔王、ダンタリアとハプスベルタなのだから。
「なんだ、その反応? 会った事があるんなら、どんな人かくらい分かるだろ?」
「い、いや、言おうと思えば、言えるんだが......」
言える事なら言ってしまいたい。同乗する存在が魔王であり、一時的な協定を結んでいるに過ぎない人類の天敵なのだと。普段から翔を手玉に取る幼女と、隙あらば戦闘を仕掛けてくるバトルジャンキー女なのだと。
だが、そんな事が言える筈もなく。日魔連から手渡されたのは、嘘で塗り固められた説明書。ここ数日でどうにか暗記を終えてこそいたが、ツッコミどころしかない資料であった。
「どうして言い淀んでるんだよ。いいから説明してくれ。コミュニケーションを求められて、何も知らないなんて失礼にも程があるだろ」
「ぐっ、こんな時に限って正論を......分かった、分かったよ! 説明する! まず、ハプスベルタさんだけど、あの人は北欧の歴史ある巫女の末裔だ」
資料その一で紹介されたのは、ハプスベルタのカバーストーリー。
彼女は様々な民族の血を引く巫女の末裔であり、多くの家が同時に衰退した事で、複数の爵位を同時に継承した御貴族様であるらしい。
多くの名を持つと言う事は、多くの責任を抱えるのと同義。しかし、彼女は求められた儀式的な役割の全てを、完璧にこなしてみせた。そのおかげで日本の宗教界隈ともパイプが繋がり、知り合うキッカケを得たようだ。
「ほ~。で、ダンタリア、ちゃん? だったかの方は?」
「ダンタリアちゃんは、イスラエル出身の天才少女だ」
資料その二で紹介されたのは、ダンタリアのカバーストーリー。
イスラエル出身の天才少女であり、すでに有名大学の飛び級卒業まで達成済み。特にオカルトと歴史の研究に熱心に取り組んでおり、大人顔負けの論文をいくつも執筆しているようだ。
知り合うキッカケはダンタリアちゃんの論文作成に、日本の宗教界隈の知識が求められた事があったから。完成した論文には、日本の重鎮すら舌を巻いたのだとか。
「......へ~。つまり、どっちも女性って事だな?」
「ん? あぁ、そうだけど......?」
あまりにもあんまりな資料に、どんなツッコミが来るかと身構えていた翔。しかし、指摘は飛んで来る事はなく、どちらかと言えば大悟がトーンダウンしているように見える。
「_凛花に事前報告か」
「あっ? 何だって?」
「何でもねぇよ。説明ありがとな」
「んん? あぁ......」
思わぬ反応によって、肩透かしを喰らったような形となった翔。そんな気持ちのブレからか、大悟の言葉は聞き逃してしまった。けれども、彼の方は気にしている様子がない。
(なんだ? あんなトンチキな説明だったのに、納得したってのか?)
違和感を拭いきれない翔だが、下手に指摘して藪蛇になる方が怖かった。双方の立ち位置と思惑によって、会話は無事に終わる事となる。
「噂をすれば。あれって、神崎さん達だろ? おーい!」
そうこうする内に、日魔連組が到着するらしい。
大悟は遠くに見える人影へ、手を振り始める。
「......まぁ、いいか」
翔の方も気を取り直して、手を振りだす。せめてあちらへの到着までは、平穏の日常を過ごそうとして。
次回更新は2/18の予定です。