現と魔を隔てる結界
「_というわけだよ」
「なにが、というわけよ! そんな所に一般人を、ましてやアマハラの幼馴染を連れていけるわけ無いじゃない!」
広大で静謐な図書館内に、マルティナの激昂が部屋に木霊する。いくら音が拡散する環境であるといっても、至近距離から叫び声を浴びせられたらたまったものではない。
傍らに立つ三人の悪魔殺しは思わず耳を塞いだ。けれど、ダンタリアとその隣に立つ麗子。二体の悪魔は、その怒りを一心に受け止める姿勢を取っていた。
「落ち着いて、マルティナちゃん」
「これでどうして落ち着けるって言うんです! 目と鼻の先に悪魔がいるんですよ! 温泉街に移動した段階で、魔法の影響下に入っているかもしれないんですよ! リスクが大きすぎます! いくらそいつから契約の打診があったのだとしたって、命には代えられません!」
凛花の提案した温泉旅行。それは翔を除いた全員へ伝わり、一応は了承を得られていた。渋々といった体であったのはマルティナ。彼女にとっての悪魔討伐は、果たすべき義務であり悲願でもある。
下手な旅行で日常が狂えば、有事の際の行動にも影響する。そのため最初に至っては断りすら入れていたマルティナ。しかし、麗子の同行や日魔連事務所の在り方を説明すると、口をへの字に曲げながらも同意を示してくれた。後は移動日程を含めた、詳細を詰める段階まで迫っていたのだ。
しかし、旅行計画を打ち明けてから二日後の夕方。悪魔殺し達は揃って、麗子から呼び出される事となる。集合場所はダンタリアの結界内。事前説明は、悪魔の尻尾を掴んだというもの。
悪魔討伐によって、旅行は流れるかもしれない。そんな覚悟のままに辿り着いたダンタリアの結界内。されど、その場の麗子が伝えた内容は、翔の予想とは若干異なっていた。
「分かるでしょう、マルティナちゃん。継承様の索敵技術は、現世の誰よりも優れている。ここを逃せば、被害はもっと拡大するかもしれない。私が二人に付いておくから、間違っても傷一つ付けさせないわ」
「っ、だとしてもです!」
麗子が語ったのは、悪魔の潜伏場所が旅行先の程近くにある町の可能性が高い事。そして旅行計画はそのままに、並行して悪魔殺しが調査と討伐を行うという内容であった。
その話の直後、感情を爆発させたのはマルティナだった。悪魔祓いであるマルティナにとって、一番に優先すべきは人命。結果的に一番効率が良いから悪魔討伐を優先しているだけで、彼女の心には守護の意思が根付いている。
そんなマルティナであるからこそ、麗子の提案は飲み込めたものでは無かった。四人の悪魔殺しが付いているとはいえ、相手が悪魔なら絶対はありえない。
広範囲の始祖魔法によって、周囲一帯が更地と化すかもしれない。気付かずに踏み抜いた条件によって、契約魔法が発動するかもしれない。召喚魔法で生み出された使い魔によって、あの砂漠の都市の光景が再来するかもしれない。内向きの変化魔法によって、四人がかりの防御すら突破されるかもしれない。
そんなハイリスクノーリターンの場所へ、幼馴染を送り込む事が出来るのか。いいや、出来る訳が無い。マルティナに同調する形で、翔も麗子の提案に拒否を示す。
そうなれば翔と親密なニナも拒否側へ回り、これといって強い意見を持たない姫野は多数側に流される。多勢に無勢。麗子の提案は一蹴される筈であった。
けれど、ここで思わぬ横槍が入った。
ダンタリアである。
「そんなに強情にならなくてもいいじゃないか。さっきから麗子が言っているように、現地には私も凡百殿も同行する。悪魔殺し四人に魔王が二体。そこに大戦勝者と相棒まで加わるんだから、過剰戦力すら通り越しているよ」
「あんたは黙ってなさい! 技術や知識の面を除いて、私はあんたを毛ほども信用してないの! これ以上に疑われたくなかったら、その口に糸でも縫い合わせておく事ね!」
たった今の応酬からも分かるように、ダンタリアは悪魔討伐に助力の名乗りを上げた。索敵と目にした魔法解説のみに限られるが、翔達の味方に立つと宣言したのだ。
曰く、血の魔王討伐から、騎士団の野望阻止。そこから訓練を挟んで、休む暇もなく悪魔討伐。そんな忙しない義務の日々を送る翔達を、憐れに思ったらしい。
助力の目的は一般人達の安全を保証し、旅行と討伐の両方を成功に導くため。言葉にすれば胡散臭い事この上ないが、ダンタリアの助力が凄まじいのは訓練で証明されている。
ダンタリアの持ち得る知識は、言葉だけで相手を完封するだけの可能性を秘めている。加えて、彼女が面と向かって悪魔討伐に協力を示したのは、これが初めてだ。
何が理由かは分からないが、利用出来るからには利用しておきたい。こういったダンタリアの気紛れを、最大限に活用したい。そうした理由もあって、麗子は旅行と討伐の並行作業を希望しているらしい。
「......麗子さん。俺としても、旅行の中止は悲しいよ。最近かまってやれなかった上で、この行いだ。そろそろあいつらも愛想を尽かすかもしれないしさ。けど、それでも、命には変えられないよ」
「翔君......」
ダンタリアの助力を考えてもなお、翔も旅行の強行には賛成出来なかった。いつだって悪魔達は、翔の予想を上回ってきたのだから。
仮に魔法の効果範囲が判明したとしても、翔は首を縦には振らなかっただろう。これは気持ちの問題だ。誰だって危険物の隣で安眠出来る訳が無い。
「ほら、あっちとこっちを繋ぐパイプ役がこう言ってるのよ。いい加減、説得をあきらめたらどう?」
翔の言葉に乗っかる形で、マルティナが畳みかける。いくらダンタリアの助力があったとしても、無理なものは無理。その形で話がまとまろうとしていた。
「......ふぅ。仕方ないか」
けれど、盤面は再びひっくり返される。ダンタリアがマルティナの周りに展開した結界によって。
「っ! 何よこれ!?」
咄嗟に槍を展開し、結界に斬りかかるマルティナ。しかし、ガチンという硬質な音が響き、弾かれてしまう。
「マルティナ!?」
翔も同調するように外側から木刀を振るうが、やはり結界には傷一つ付かない。
「何のつもりですか......?」
流石の麗子も、この流れは予期していなかったのだろう。ダンタリアへ疑念を向けるが、やはり本人は気にした様子はまるでない。そのまま腰かけていた椅子から立ち上がり、おもむろにマルティナの方へと近付く。
「おいっ、ダンタリア! いったい何のつも_」
首謀者であるダンタリアに対し、翔は木刀を片手に迫る。しかし、その途中でダンタリアの姿はブレだし、気が付けば翔の目の前に移動していた。
「防御力の実演はこれで十分だね」
「おわっ!?」
そのまま驚く翔の袖を掴み、マルティナの方へと腕を振るう。すると、どんな原理か。翔の身体はふわりと浮き上がり、マルティナに向かって投げ飛ばされたのだ。
「うわあぁぁあ!?」
目の前には展開された結界。球に近い多面体だ。いくら硬質な素材だろうと、ぶつかった所で打撲程度のケガで済むだろう。それに翔は投げられた段階で、受け身の準備が出来ていた。壁に向けて、肩からぶつかる姿勢が取れていたのだ。
「えっ?」
「はっ?」
しかし、ここでまたしても盤面はひっくり返る。受け身を取ろうとしていた翔の身体。それがそっくりそのまま、結界をすり抜けたのである。
壁が存在しないのであれば、目の前にいるのはマルティナだけ。まさか受け身の体勢でぶつかるわけにもいかず、翔は小さくしていた身体を逆に限界まで広げた。
「きゃあぁっ!」
「わあぁぁあ!」
マルティナも展開が予想出来ていたのだろう。そのまま翔を受け入れると、ぎこちないハグの格好で二人はゴロゴロと床を転がった。
そうして何度目かの横回転で勢いが死んだ事を確認すると、どちらからと言う事もなく両者は身体を剥がした。そのまま同時に、ダンタリアを睨みつける。いったいどんな了見で、こんな暴挙に走ったのだと。
「ふふふっ、お怒りはごもっとも。だけど、私に怒りをぶつける前に、まずは結界の説明をさせてもらえるかい?」
苦笑するダンタリアの言葉によって、翔とマルティナの意識が結界へと引き戻される。そうして確認してみれば、結界は健在していた。それどころか、展開された結界の境目に翔は座り込んでいる。先ほどの硬度を考えれば、あり得ない光景であった。
「その結界の名前は、魔女狩りの庵。魔女狩りに挑む異端審問官達が、防御とニンゲンである証明に用いた契約魔法だ」
「......今の光景だけで想像は付くわ。放出された魔力だけを弾き、それ以外は全てを受け入れる魔法ね」
「ご名答。無理を言う詫びさ。旅行中は常時、その結界を展開する事を約束しようじゃないか」
二人の会話によって、この茶番の正体が判明した。ダンタリアの発動した魔法。それは、一般人達を悪魔の脅威から守るためのデモンストレーションであり、いつまでも賛成しない二人に対する嫌がらせであったのだ。
「......いや、でも、こんな分かりやすいデザインの球体に閉じ込められたら、パニックになるだろ」
こんなものが展開されるのであれば、なるほど二人は下手に旅行しないよりも安全になる。しかし、マルティナの周りに展開された結界は、茎の長い特殊な形状の花が意匠としていくつも張り付けられている結界だ。
こんなものを展開すれば、魔法知識の無い二人はパニックを起こして旅行どころでは無くなるだろう。
けれど翔の苦言に対し、ダンタリアは出来の悪い教え子を見るかのような表情を作る。
「少年、君は忘れたのかい? この悪魔祓いの魔法に対抗するため、私は砂のホウキを無色透明に変化させて見せたじゃないか」
「あっ......」
言われて思い出す。確かにダンタリアはマルティナとの再戦前の訓練で、こういった時のための魔法を使用していたと。
色胞擬態と呼ばれる変化魔法。効果はシンプルで、周囲の環境に合わせて対象の色を変更するというもの。当時は物体の色を変化させる程度の低級魔法と思っていたが、今回においては適材という他にない。
「色胞擬態で変わるのは色だけ。魔法の効果を打ち消す事も、実体を消失させる事もない。つまり、結界の効力が低下する要素は存在しない」
「おまけに一般人からすれば、触れられないせいで気付ける可能性は限りなくゼロ。唯一気付く可能性があるのは、悪魔による襲撃が起こったタイミングだけ」
「だけど、ダンタリアの結界のおかげで、あらゆる魔法を弾き出す結界が機能するってことかよ......」
「さて、少年と悪魔祓い。ここまで譲歩しても、私の厚意を無碍にするのかな?」
ダンタリアが笑いかける。傍らを見れば心底憎らしいといった表情で、マルティナがダンタリアを睨みつけている。けれど反論はない。そして彼女が思いつかないのだから、翔程度に反論が用意できる筈もない。
「だああぁ! 分かったよ! 許可してやるよ、その強行作戦!」
反対派の二人が折れた以上、残った者達が流されるのに時間はかからなかった。
次回更新は2/10の予定です。