数千年凝縮され続けた憎悪
「さて翔。虐げられた弱者が力を手にした時、真っ先に行うのは何か知っているかな?」
「......下克上」
「半分正解にしておこうか」
「じゃあ百点満点は何なんだよ」
大戦争によって、人心は荒れ果てている。そして目の前には、自分達を見下していた存在の使い走り。ろくでもない結果には予想が付いていた。しかし、そんなろくでもない種族の一員として、翔は聞いておかなければならないと覚悟を決めていた。
「粛清。それも私達が無能に行うような、抵抗も織り込み済みな粛清などでは断じてない。魔力枯渇に喘ぎ、存在の維持すら困難となった相手に下す粛清だ。きっと見るも無残な光景が地平線の向こうまで広がっていた事だろう」
「......だろうな」
翔も高校生だ。日本史や世界史を通じて、人類が敗者へ下してきた行いの数々を知っている。ましてやこの粛清は、別種族に対する行い。人同士ですら、敵対者相手ならば多くの残虐行為が許されたのだ。苛烈さは疑いようも無く、想像は吐き気を催した瞬間にシャットアウトした。
「歴史を作るのは勝者の特権だ。加えて、勝者は得てして汚点を嫌う。己を完璧な存在に見せたがる。目の前には、自分達が使い走りよりも遥かに下の位階にあった事を知る存在」
「汚点を塗り潰すために、片っ端から情報を焼き払ったってのか!」
「そう。それが亜人達に関する情報が、現世に残されていない理由の一つ」
「クソっ!」
翔の中に激しい怒りが生まれる。自分の生きる時代は、満たされている時代だ。大戦争が幕を閉じ、大きすぎる爪痕すらゆっくりと修復しつつある時代だ。
翔に神魔の時代を知る術は無い。当時の人間達が抱いていた絶望を理解する術は無い。ここで動いていなければ、人類が現世のトップではいられなかったかもしれない。
だが、それらをひっくるめても、粛清はやりすぎだ。もしかすれば、手を取り合えた未来もあったのかもしれないのだ。けれども、その可能性は永遠に潰えてしまった。
「そしてもう一つの理由が、亜人達自らが情報を焼き払ったからだ」
「自分達で? どうして?」
「神と悪魔の支配が消失したからといって、支配圏がまるまるニンゲンに渡ると思うかい? 当時のニンゲンが支配出来た土地なんて、せいぜいが現世の百分の一程度。残った九十九の土地には、誰の支配も及んでいない」
「そうか! 追手を呼び込まないため!」
魔力枯渇に喘ぐ状態でニンゲンに見つかれば、必ず壮絶な末路を迎える事となる。けれど、そんな人類の支配する土地は小さい。ならばあらゆる情報から自分達の存在を抹消してしまえば、偶発的な遭遇以外に人類の魔の手は及ばなくなる。
神魔の支配圏外に位置する土地の住人だった彼らだ。人類との遭遇も神魔の都合によるもの。元々彼らの生活には、人類は必要ない。人類が汚点を焼却するのに合わせて、自分達の手で痕跡を消し去ったのだ。
「こうして人類と袂を分かった亜人達だが、所詮は時間稼ぎ。魔力の絶対量の減少には抗いようも無く、私達に近い種族ほど、何もしないまま力尽きていった」
「どうにも出来なかったのか?」
「いいや。ある種族は魔力への依存度を落とすため、生命活動の依存度を肉の器へと徐々に移していった。ある種族は自身を苛む肉体をあえて捨て去り、完全な魔力生命体へと存在を置換した」
「多少魔法に詳しくなった俺ですら、原理もサッパリな魔法なんだ。きっとすげぇ魔法なんだろうな。すげぇ魔法なんだろうけど......」
現代における彼らの存在は、おとぎ話という一言に落ち着いてしまう。踏破していない土地の方が少なくなった時代においてもなお、存在がおとぎ話で片付けられてしまう。それは、彼らの生存戦略が功を成さなかったと言っているに等しい。
「うん。肉の器に依存した種族の多くは、獣性を抑えきれずに畜生の分際に成り下がった。魔力生命体となった種族の多くは、現世から神秘が失われるにつれて、ひっそりと自我を霧散させていった。あるいは血の系譜こそ残されているかもしれないが、それは彼らの望んだ形からは程遠い」
「......そうか」
「活躍を耳にしたのは、前大戦が始まるギリギリまでだね。その時点で魔力を残した気高き獣は討ち取られ、神秘と生きる精霊共はそこらの魔力と一体化してしまった。今後も先祖返りの獣や小さな妖精程度なら生まれてくるかもしれない。だけど、それが何になる」
何にもならない。
そんな奇跡的な確率で種の在り方を思い出した所で、一人では血を繋げない。一人では次に繋がらない。もたらされるのは、自分のみが力を手にしてしまった孤独。一暴れで歴史に名を刻もうとしたって、ここまで弱体化が進めば、歴史書にインクを一滴垂らすかのような戦果が手に入るかどうか。
そんなものでは種族の繁栄とは言えない。生存戦略の成功とは言えない。きっかけが神魔の都合に振り回された事なのもあって、翔は本当にいたたまれなくなった。
きっと徐々に失われる自我と希薄化する存在の中で、人類に憎悪を抱き続けていったのだろう。その結果として、教会という同盟が生まれたのだろう。
ここまでの事情があれば、人類の絶滅を望むのも仕方ない。受け入れるかどうかは全く別の話。けれども、遊び半分や自己中心的な理由でないだけでも、この国家間同盟に対してある意味では理解が生まれていた。
だがしかし、いくら理解出来たとしても、翔には守りたいものがたくさんある。後に残るのは正義と正義のぶつかり合い。翔は説明してくれたハプスベルタに対して、感謝の言葉を告げようとしていた。
「あれ?」
立ち上がった瞬間、言い知れない違和感に襲われる。
そもそも亜人達は、人知れず滅びの一途を迎えた筈。自我も存在も失って、憎悪を向ける先すら分からなくなっていった筈。ならば、今もなお人類の滅亡を望む国家間同盟とは何だ。そこに所属する悪魔達は、何を理由に人類を憎悪している。
「どうかしたかい?」
「......なぁ、ハプスベルタ。教会に所属する悪魔は、どうして人間を憎悪しているんだ?」
「んん? だからそれを説明したんじゃないか。始まりの時代から現代までに辿った、亜人達の悲運を_」
「それは分かってる! 亜人達は揃いも揃って、滅びの道を進んじまったんだろ! 人間にこれでもかって恨みを抱いて、死んでいったんだろ! じゃあ教会が人間に憎悪を向ける理由はなんだ! 人間の絶滅を望む理由は何だってんだ!」
まさか複数の国家が、滅びた種族のために人類の滅亡を願う事はあるまい。究極の自己主義である悪魔が、他者の憎悪を受け継ぐなんて事はもっとあり得ない。
「あぁ。そこを聞きたかった訳か。これも継承殿との話術の差かな。相互理解っていうのは、思った以上に難しい」
「どういう、ことだよ?」
「翔。私は言った筈だよ。一部の亜人は悪魔の傘下に組み込まれたと。そして人も、物も、現象すらも悪魔に成りえるんだ。亜人だけが悪魔に成れないなんて、道理が通らないだろう?」
「何を、言って......」
「極僅かな亜人達は、魔界の創造と同時に移動を果たしたんだ。そして蚊帳の外にいたがために、同族が蹂躙される様を指を噛み千切りながらも見つめるしかなかったんだ。そうして積み上げられた憎悪は根源を鍛え上げ、長い年月は彼らを一国の王に仕立て上げた」
この説明が始まってからと言うもの。ハプスベルタはにこやかな表情を崩さなかった。これだけ凄惨な物語にも関わらず、穏やかな表情で語り部に徹していた。
元々感情豊かなハプスベルタだ。何らかの気紛れなのだと翔も思っていた。しかし、それら全ては勘違いであったのだ。
ハプスベルタの根源は弱者との融和であり、彼女の本質は敗北者の受け皿だ。彼女が軽い口調を崩さなかったのは、敗者達を見つめる優しさであり、再起を望む勇猛さへの激励であり、凄惨な歴史への憐憫であり、成し得なかった者達を抱えるが故の同情であったのだ。
「国家間同盟 亜種教会に所属する王達は、ニンゲンによって愛する一族を虐げられた被害者とその末裔なのさ。ほら、彼らの大義も理解出来るだろう?」
ぐらりと視界が揺れたような感覚に襲われる。そう錯覚するほどに、聞かされた問題は根深く、救いが無かった。
次回更新は12/24の予定です。