黒染めの通り雨
数週間前に激闘が繰り広げた諸刃山。まさに戦いの舞台となったその山の中腹を、軍服と魔女服に身を包んだ少女達が、周囲を見渡しながら歩いていた。
彼女達は時折言葉を交わしながら、何か確信があるかのように立ち止まって調査を行っている。
だが、それもそのはずだ。何せ彼女達は見た目とは裏腹にどちらも魔法のエキスパート、大熊の依頼で諸刃山を訪れた調査員なのだから。
「こっちが縊り姫と言葉の悪魔の戦闘痕。そして剣の魔王と、ディー、あなたがご執心の少年の戦闘痕ね」
軍服の少女大戦勝者ラウラ・ベルクヴァインが、何かを思い切り突き刺した跡のある黒焦げの大木に手をやりながら、傍らの少女に話しかける。
「そのようだね。螺旋型魔法陣の方は、過去の文献と比べても特に目立った所は無い。ただしそれとは別に、土地にプラスの魔力が僅かだけど染み付いている。縊り姫と呼ばれるだけはあるね。戦場すら神の好みに作り替えてしまうのは驚きだ」
ラウラの呼び声に応えたのは、彼女よりさらに年下に見える魔女服に身を包んだ少女だ。
しかし幼い見た目とは裏腹に、その正体はあらゆる知識を貪欲に集め続け、悪魔根絶を掲げる教会とすら同盟を結ぶ特異な悪魔。知識の魔王、継承のダンタリア。
「どういうこと?」
「縊り姫の魔法は模倣魔法。神の奇跡をニンゲン仕様に置き換えた魔法だ。もちろん魔力は縊り姫の物を使用するから、普通ならプラスの魔力が染みつく要素はない。けれど神との相性の良さゆえだろうね。その繋がりを通して彼女の魂から漏れ出した神の魔力が、土地に染みついてしまってるんだ」
ダンタリアの話を興味深げに聞いていたラウラだったが、内容を理解するにつれて目が細められてゆき、遂には剣呑な雰囲気を出すようになった。
「へぇ......あんまり面白くない事態じゃない。大熊の話だと、調査後は神の信徒共に明け渡される予定でしょう? そのままにする気?」
「まさか。しっかりと清掃してからお渡しするよ。間違っても神がこの地を足掛かりに脱獄を図らないようにね。それにラウラ、ニンゲンにとって神は悪魔に対抗する切り札だよ? あんまり表立って乏しめる発言は止めた方がいい」
ダンタリアは肩を竦めて後処理を宣言し、同時にラウラの発言を苦笑しながら諫める。
「友人側に付くのは当然でしょ? それに私に何かしようってんなら、それを考えた奴、同意した奴、実行した奴全員滅ぼしておくから大丈夫よ」
「ふふっ。君の場合は、本当にそれを実行するから質が悪い。まぁ、こちらの収穫はこのくらいかな? そして向こうは......おや?」
自信ありげに物騒な発言をしたラウラに、またしてもダンタリアは苦笑する。そして今度は剣の魔王と翔が戦った場所に歩を進め、その途中で何かに気付いたかのように足を止めた。
「何かあったの?」
「いや、随分と命の匂いが強いと思ってね」
「命の匂い?」
ダンタリアの発言を受けてラウラはすんすんと周囲の匂いを嗅いでみるが、鼻に入ってくるのは青臭い緑の香りや、湿気を含んだ地面の泥臭さだけだ。
確かにそれらを命の匂いと例えることも出来なくは無いだろうが、とても知識の魔王の興味を惹く内容だとは思えなかった。
「こっちの話だよ、気にしないでいい」
「またもったいぶって! そんなこと言われたら気になるじゃない」
「まだ確信が無いから、申し訳ないけどお預けだよ」
「もぉー......分かったわよ。後で教えなさいよ?」
「もちろんだよ。約束する」
「そう。ならもやもやするのが気に食わないから、さっさと仕事を片付けましょ」
ダンタリアの意見を尊重するラウラだったが、心のわだかまりが残るのは気にくわないらしい。大熊に任された仕事を片付けることによって、気を晴らそうというのだろう。
「ふふ。私のせいもであるから今回はそうしようか」
「それじゃあ、ちゃっちゃとやっちゃいましょ。雨でいいかしら?」
「ああ、それで構わないよ。プラスの魔素を集めてくれ。その後は私の仕事だ」
「分かったわ」
二人の少女は打ち合わせを終えると、それぞれが自らの魔法を放つための準備を始める。
ラウラの手元にはどこにでもありそうなビニール傘が、ダンタリアの両手には彼女の半身ほどもありそうな豪華な装丁の本が出現する。
「悪天候、雨模様!」
ラウラの宣言と同時に、いつの間にか空にはもくもくと灰色の雲が現れた。
雲は諸刃山を中心に広がっていき、ぽつぽつと雨を降らせ始める。それと同時にラウラの髪が徐々に青みを増していき、ざぁざぁと雨が強まった頃には鮮やかな水色に変化していた。
「量は大したことないわね。これなら一分もかからないわ。ディー、準備はいいかしら?」
「もちろん。いつでもいいよ」
ダンタリアの方は両手で抱えていた本が彼女の胸元近くで浮き上がり、各ページからから微かな光が漏れ出し始めた。
「頭に降らすわよ!」
ラウラがそう言うとダンタリアの頭上には球状に凝縮された魔力の塊が出現し、ゆっくりと彼女に向かって落下し始める。
魔力を圧し固めただけの物に過ぎないが、原料となっているのは悪魔と対をなすプラスの魔力だ。無防備な状態でぶつけられては、さすがの魔王も痛いだけでは済まないだろう。
しかしそんな塊を見ても彼女は慌てた様子は見せず、自然体のまま照準をあわせるかのように右手をゆっくりと向ける。
「17ページ、塗炭、呑み込む絶望色」
彼女の言葉に反応するかのように、本が独りでにパラパラと捲れ、とあるページでその動きを止める。
すると、いつの間にやら彼女の右手には、筆先に真っ黒の塗料が付いた大きな絵筆が現れていた。
その絵筆を魔力の塊に向けて小さく横に一閃する。それによって飛び散った真っ黒な塗料は、絵筆から飛び散る量としてはありえない物量となって塊に向かっていく。
そして辿り着いた瞬間に塊をすっぽりと包み込むと、ずるずる、ぎゅるぎゅると不快な音を立てながら収縮させていく。
塊が半分ほどの大きさになった頃だろうか。
収縮は唐突に終わり、無理やり収縮させた反動かのように弾け飛ぶと周囲にどす黒い塗料をまき散らせた。
地面や周囲の植物に触れた塗料は、染み込むかのように姿を消す。まるでそこには何も存在しなかったかのように。
そうしてその光景を生み出した本人であるダンタリアは、結果に満足したかのように大きく頷いた。
「珍しい。ただの魔法じゃなくて、本を開くのね?」
ダンタリアの行動を見守っていたラウラは、ひと段落付いたのだろうと判断して話しかける。
「ニンゲン達に同族の尻拭いを依頼されたならともかく、神共の案件だからね。プラスの魔力は全て反転させておいた。これでどんな間違いが起こっても、ここを脱獄の足掛かりにすることは出来ないさ」
「そう。ならこれで仕事はお終いね」
ダンタリアの終了宣言を受けて、ラウラもビニール傘を手元から消す。
いつの間にか雨も徐々に弱まり始め、それに合わせるように彼女の髪色も元の色に戻っていく。
「余分に私の魔力を染みつけてしまったが、話を聞く限りだと渡す相手は敵対者だろう? なら少しくらいいじってしまっても変わらないさ。それで望んだ土地が手に入らずとも、せいぜい嫌いが大嫌いになるだけさ」
「それもそうね。それで大熊に殺意を向けるようなら、根絶やしにするだけよ。じゃあ仕事の報告に行きましょうか」
物騒なことを話しながらもラウラは一仕事終えたと背伸びをし、スマホで電話を掛けようとする。
「あぁ。それならついでだ。仕事の報酬として、彼を一目見に行くとしようか」
ダンタリアの一言にラウラはピクリと反応し、耳に当てようとしていたスマホを止める。
「あら、大熊のところに向かうつもり? それなら私も向かおうかしら。私の方の報酬は、時期が来ないと意味が無いもの」
「いいんじゃないかい? 私の用事が済むまでに、血の悪魔の案件を擦り合わせるておくことも大切だ」
そんな会話を続けながら、彼女達は何事もなかったかのように諸刃山を後にするのだった。
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二人の少女が諸刃山で仕事を終えた頃。
真っ白な修道服に身を包んだ一人の少女が、日本の大地に降り立っていた。少女は小さなキャリーケースを片手で転がしながら、もう片方の手で近隣の地図を開く。
ここまでであれば、海外から布教活動に来たシスターの一人と思われる程度で済んでいただろう。
しかしそんな少女の背中には一本の槍が抜き身のまま背負われており、目についた人間が片っ端から通報してもおかしくはない状態だった。
だというのに道行く人々はそんな少女を気にも留めず、自らの目的地へと歩みを進めていく。まるで少女がそこにいることに気付いてすらいないように。
「さっき発動した複数の魔法。一つは同行している大戦勝者、もう一つは過去に観測された継承の魔力と一致していた。角度から考えて......この町を中心にしたもののはず。何をしているのかは知らないけど、どうせろくでもないことに決まってる。急がないと」
少女は地図から顔を上げ、空港の出口に向かって一段と早く歩み始めるのだった。
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