デトロイト狂乱 その七
(いい加減、この区域の獲物は枯れてきたか。まぁいい。私の役目はこの距離から着実に被害を増やす事。それだけで空の末席に加われるのであれば、こんなに楽な仕事も無い)
遥か高空から下界を見下ろし、力無きニンゲンを釣り上げて貪る。まさに悪魔の所業と呼ぶべき行いを続ける雲海だが、それに反して思考は冷静さを保っていた。
雲海の根源魔法である白き大海は、空に浮かぶ雲を集め、自身を浮かべる水槽とする。
集めた雲は彼の領土であり、武器でもある。量が増えれば雲海の行動範囲は大きく広がり、今回のように積乱雲を中心に集めれば、下界を大量の雨で押し流す事も可能。
さらに当然の事だが、雲海は地上から数キロ離れた高空にいる。地上から迎撃しようものなら距離による威力の減衰は免れず、かといって魔法使いが当たり前のように空を飛んでいたのは遥か昔。
つまり、デトロイトの保有戦力では、雲海に為す術が無かったのだ。だから存在を常に認識しながらも、彼らは住民の避難という消極的な対応しか取れなかった。その間も雲海は着実に被害を重ねていた。我が世の春を謳歌していたのだ。
(改竄の働きを確認する術は無い。成形は本体の能力に不安が残る。やはり、私が率先して暴れねばお歴々のお眼鏡に叶わぬ事もあり得るか。......移動を開始しよう)
二者の働きに不安が残る事もあり、雲海は率先して行動を起こしていた。
スラムから釣果が無くなれば一般住宅街へ、それも無くなれば高級住宅街へ。最後にこちらへ抗おうとする魔法使い達へ。雲海の初動に解答を持ち得なかったからこそ、高空のクジラは魔法使い達を放置する。
現世における悪魔の成長は、どれほど多くの魂にマイナスを刻み込めるかどうかだ。無力なニンゲン一人を殺そうと、抗う魔法使いを殺そうと稼げる釣果は変わらない。だからこそ雲海は弱きを蹂躙する。効率良く成長し、確実に国家へ所属するために。
さらに立場を同じくする二者とは異なる点として、雲海は自身の根源魔法すら妄信してはいなかった。
雲海はクジラという、知性に優れた生き物の姿を取る悪魔だ。そして、悪魔は様々な要素に引っ張られる事が多い。当然ながらその思考能力は他の国外代表とは一線を画しており、代表に選ばれた時点で一つの保険をかけるほどだった。
それこそが、悲恋と呼ばれた悪魔の根源魔法。人魚の袖引きの一部を有する事であったのだ。
彼はこの魔法を手に入れるために、自身の肉体を捻じ曲げ、チョウチンアンコウの一部を宿した。代表に選出してくれた狂飆に対して、感情の国との交渉依頼という、とんでもない前借りを行った。
肉体が歪めば、根源も歪む可能性があった。国主たる狂飆の機嫌を損ねれば、即刻粛清の可能性もあった。だが、雲海はそれら全ての賭けに勝利した。
その結果手にした魔法だが、悲恋本体がこの魔法を用いれば、犠牲者は夢現のまま使い魔との心中を望み、最後の最後まで己の浅はかさを気付く事は無いだろう。
けれど扱うのは雲海だ。悲恋に比べれば、魔法の運用は稚拙。何なら力の弱い使い魔を適当に暴れさせているのと、大差が無いとも言える。本当にこれほどのリスクを背負ってまで、手にする必要があったのかと思うほどに。
しかし、あえてもう一度言おう。雲海は全ての賭けに勝ったのだ。
この魔法のおかげで、雲海は自身の根源魔法のコストをニンゲンの捕食によって賄う事が出来る。使い魔が討伐された所で、元々が非力な使い魔だ。作成に必要な魔力など、ニンゲン一体の捕食による魔力回復の十分の一程度。
加えて行いそのものが、人類に対する明確な攻撃となっている。
魔力の消耗を抑えたまま、効率良く人類を狩る。雲海は人魔大戦がリソース勝負の消耗戦である事を、顕現前から理解していた。己の魔法一本で挑めば、対応の果てに討伐される事を理解していた。
(ムッ!)
だから雲海は対応出来た。自身に高速で迫る金属塊を。水槽の中で一回転。勢い付いた尾ビレによって、金属塊を叩き落とす。
(......帯びる魔力は少量。魔法というよりは、現世のルールに重きを置いた攻撃か。だが、それ故に魔力の消耗が無い。趣味と実益を兼ねた遊びはお終いにしよう)
水槽内は雲海の結界に等しい。即座に魔力の性質を把握すると、地上に散らばっていた人魚達を引き揚げる。そのまま次から次へと舞い戻る人魚達を己の口へと放り込み、残った魔力の全てを糧とする。
(弱者をいかに効率良く屠るかも評価の一つではあろうが、悪魔が悪魔足り得るに相応しきはやはり強さであろう。この戦いを以て、空の国所属を確実なものとしてやる)
デトロイト一帯に薄く広がり豪雨を引き起こして雲が、収束の果てに一つの巨大な雲へと変質を果たした。もはや雲海が住まうのは身じろぎすら難儀する金魚鉢めいた水槽では無く、海獣達が自在に泳ぎ回る巨大な展示水槽であった。
「ごおおぉぉぉおおう!」
雲海の叫びがデトロイト中に木霊する。それは戦勝を願う祈願であり、全ての戦いが始まった事を指す号砲のようでもあった。
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「おうおう。敵さんは随分と張り切ってるねぇ」
遥か向こうの敵を見つめ、壮年の男が小さな感想を吐いた。
その男の姿は、魔法使いとしても軍人としても歪だった。全身を覆うのは、義体といった形の金属ユニット。量肩には何らかの射出装置が搭載され、背中とふくらはぎには推進機のような物が取り付けられている。
サイボーグかアンドロイドと呼ぶべき様相であったが、それもこれも男の魔法を十全に取り扱うためには必要不可欠な技術であったのだ。
戦後のアメリカは技術大国として世界を牽引してきた。そして魔法という理外の力についても、彼らはゼロを一へと伸ばすだけでなく、百を一へとシフトさせる方法を考え続けていたのだ。
目の前の男は、まさに技術と魔法が合わさったアメリカという国の結晶。それが今まさに、日の目を浴びようとしてた。
「さしずめ俺がエイハブで、あいつがモビーディックといった所かね? いやいや、それじゃあ末路は海の底か。せいぜい足を失わねぇうちに、さっさと水揚げといきやしょうかね」
バチバチと金属ユニットがスパークを放出する。そこから始まったのは金属の収集。針金、壊れた電化製品、車の残骸。ありとあらゆる金属が男へと集まっていき、さらに収集の過程で金属以外が足元へと脱落していく。
そうしてさらに大きな白熱が金属塊を包み込み、気が付けば射出装置に一つの弾丸が乗せられていた。
「さぁて、お前の手札はガラクタ共で全部かい? だとすれば悪天候とはいえ、大漁の錦を飾れるかね?」
次回更新は9/16の予定です。