侵略の一手 その五
「ヒィッ......ヒィィィッ......! 何なのだ、これはいったい何なのだあぁぁ!」
神職従事者の証である狩衣を身に纏う男が、無我夢中で走っていた。彼の名前は風祝。日本の魔法使い達を束ねる組織である日魔連、その中でも神への祈りによって魔法の研鑽を行う神祈派の長である男だ。
常ならば小走りさえ稀。立場からすれば急ぐ姿すら他派閥が浸け込む隙となりかねない筈。なのに風祝は必死の形相で走り回っている。烏帽子を放り捨て、袖を捲り上げて少しでも速度を出そうと躍起になっている。
これはいったいどういう事なのか。
その答えは簡単だった。
「うわあぁぁぁ!?」
風祝のすぐ傍で、綿毛が巨大な爆発を起こした。背後で地面が割れ、見るもおぞましい蟲達が湧きだした。上空で耳を塞ぎたくなるような高音が鳴り響いた。前方からあらゆる粗大ゴミが転がってきた。
これだけではない。さらに後方からはピンク色の大波が迫り、高空では東洋と西洋の龍がぶつかり、爆発した綿毛は全周囲に針状の種を飛ばし、遥か向こうで動くゴミの寄せ集めらしき使い魔と積み上がった本で出来た砦が戦っている。
さらに向こうで、さらに後方で、さらに上空で。戦いが終わる。戦いが続く。戦いが始まる。そう、現在の風祝は何の前触れも無く、どこかしらの戦場に放り込まれてしまっていたのだ。
「助けてえぇ! 誰か助けてくれえぇぇ!」
助けを呼ぼうにも、付近に人の姿は無い。あるのは魔法と、魔法による産物と、魔法の主である異形達の姿だけだ。
唯一幸運と言うべきは、彼らが風祝に目もくれていない所だけか。だとしても、アリが人間の無造作な一歩で命を散らす様に、この場で一番の弱者である風祝に運命を変える術は無い。
茹で上がった大蟹が、鋏から熱湯を放射する。相対する六の目のみのサイコロが、高速回転で熱湯をまき散らす。
バケツ一杯分の水滴が、風祝の頭に降りかかった。
「ぎゃああぁぁぁ!? あつい! 熱いいぃぃ!」
突然の痛みに悶え苦しむ風祝。当然の事ながら、そんな彼に目を向ける者はいない。全員が全員、目の前の敵を屠る事にしか興味が無い様だ。
さらに風祝を追い詰めるかのように、天から肉塊が降り注ぐ。
その正体は戦いに破れた東洋龍の成れの果て。風の刃を身に纏う西洋龍によって、これでもかと切り刻まれた結果であった。
「ごえっ!? こはっ......」
悶え苦しんでいたせいで、自らの危機に気が付かなかったのだろう。ひと際大きな肉塊が風祝の背中に直撃し、あまりの衝撃に呼吸が止まる。
なぜこんな目にあっている。どうしてこんな目に遭わなければいけない。風祝の頭には、理不尽への怒りが生まれるばかり。だが、この場では何の救いにもならず、そもそも彼の思いなど存在しないのと同じ。
「ぶぼっ......」
最終的に風祝を屠ったのは、全速力で逃げる原因となったピンク色の大波であった。水より何十倍も粘性が強いのだろう。絡め取られた風祝は、身動きも呼吸も儘ならずに波の底へと飲み込まれていく。
最後までどうしてこうなったのだと叫び続けながら。
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「はっ!?」
そこで風祝は目を覚ました。
見慣れた部屋に見慣れた寝具。全てが見慣れた自分の自室。きっと眠っていて悪夢を見たのだろう。とびきり最悪な悪夢だった。職業柄、何かのお告げとも考えられる。
どちらにしろ、夢に過ぎないのだ。悪い夢だったと二度寝をしても良い。眠気が吹き飛んでしまったのなら、世話係に何かを申しつけても良い。何をするのも許される。それくらいの権力が風祝にはあるのだから。
「あっ、あぁっ......! どうしてだ! どうしてまた悪夢を見る! どうして眠る度に......どうして必ず......!」
だが、意識を取り戻した風祝が行ったのは、さらなる恐怖で身を縮こませる事だった。つい数週間前から、彼の夢は悪夢一色で彩られてしまったのだ。
「なぜ何もかもが効力をもたんのだ! あれほど大金を積み、無茶をさせて魔道具製作に当たらせたというのに!」
風祝は日本でも随一の権力を有している。特に彼の派閥は希う派閥。攻め立てる魔法こそ他派閥に劣るが、守り繋ぐ魔法は一歩先を行っている。そんな彼が魔道具を製作させれば、どんな魔法相手であっても最低限の効力は見せる筈。
けれども、一向に効力が無い。眠りの度に悪夢へ落ち、様々な苦痛を経て覚醒する。どうやっても逃れられない。どうあっても消耗していく。
まともな眠りにありつけていない風祝は、体重は危篤の老人レベルまで落ち、体機能にも様々な負担がかかっている。心など、もうすでに限界寸前だ。
「どうすれば......どうすれば......」
それでも解決をあきらめぬのは、一派閥を率いる長としての矜持か。けれど、落ち窪んだ目に光は無い。おおよそ愉快で無い結末が迫っている事は、疑い様も無かった。
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「ふわぁ。まだ起きられるんだぁ。一つとして奇跡を授かれなかったニンゲンにしては、頑張ってるぅ~」
三日月状のベッドに身を預け、デフォルメされたヒツジのクッションを抱く女が一体。
見つめる先にあるのは、くすんだ色のガラス玉達。その一つを手に取って、愛おしそうに撫でまわす。
「じわじわぁと消耗させようかと思ったけれどぉ、もう少し分かりやすいのが良いみたぁい。ここ数日は国外の小競り合い歴史に混ぜ込んでみたけどぉ、次は獣の国の粛清で攻めてみようかなぁ」
くすんだガラス玉を脇にどけ、彼女が探すのは黒い夢。あまりの凄惨さに意識を手放した後も思い出し、拾い上げる事となった最悪の歴史。
魔道具に防御を委ねようとしているようだが、その程度の認識では三歩は遠い。悪魔殺しにかけあって二歩、顕現しているいずれかの悪魔へかけあって、ようやく後一歩。
本当に逃れたいと思うなら、同じ事柄を司る神を引っ張ってきてやっとだ。それでも逃れられるかは五分五分、いや、彼女の実力を思えばさらに低い。
「混同ちゃんはもうすぐだけどぉ、電界ちゃんが来るのは半年先くらいだよねぇ。それまでに最低限の舞台を整えて置くとしてぇ。ふわぁ。ニンゲンの管理は大変だぁ大変だぁ」
くすんだガラス球に黒い煙を投げ入れ、仕事は終わったとばかりに倒れ込む女。随分と雑な仕事に見えるが、彼女はこれでいいのだ。これが許されるのだ。
なぜなら彼女は夢の魔王。創造魔法の深奥に辿り着いたバケモノなのだから。八位の同盟新世界に属する、世界を有する魔王なのだから。
「私の国民は勤勉だからぁ、み~んな顕現を望んでいるんだよねぇ。めんどっちぃけど、それを叶えてあげなきゃ魔王の名前が廃っちゃうもんねぇ」
もうすぐ風祝は睡眠不足に抗えず、昼夜問わず意識を失う事となるだろう。そうなれば彼の安息はどこにもなくなる。苦痛に満ちた時間のみが一生を彩るようになる。
奇跡すら授かれなかったニンゲンと言えど、現世の基準で考えれば優秀な魔法使いだ。その身体は多くの使い道がある。その資産は多くの武器へと変わる。その配下は大切な依り代に代替出来る。
「ありり? そういえばバレてもいいんだっけ? ギリギリまでバレない方がいいんだっけ? しまったなぁ、重要な話題でうたたねしてたぁ」
少しばかりの逡巡。だが、すぐさまめんどくさそうに首を振り、魔王は思考を放り捨てた。
「なんかあっても~、国民達に任せちゃえばいっかぁ~。顕現を望むからにはぁ、それくらいのお仕事は押しつけなきゃねぇ」
風祝の周りには、すでに魔王の魔力が充満し始めている。それに伴って、寝所がゆっくりと姿形を変えていく。
これこそが創造魔法の極致。世界同士の接続。略奪の魔王が生み出した地獄門には一歩劣るが、これこそまさに、悪魔単体ではなく国家そのものの顕現現象だった。
次回更新は8/11の予定です。




