古今の行く末は盤上の中で その十八
「な、なにが......はぁ!? 嘘だろ......チビが、負けた......?」
突然の衝撃で頭を揺さぶられた大熊は、相手取っていたマルティナの視線に釣られて空を見上げた。
そこにあったのは、何の変哲も無い青空であった。空の支配者たるラウラの干渉など、どこにもない。どこまでも普通な空だったのだ。
制限時間が迫る場面、今さら無差別広範囲攻撃の晴模様に切り替えるメリットは無い。そもそも魔力消費量を制限されている彼女では、望むほどの大破壊は不可能の筈。
組みあがっていくロジックによって、大熊は悟ってしまった。あのラウラが、前大戦の悪魔殺し達の希望であったラウラが敗北したのだと。
「......皺寄せ。マジなんだな......」
それでも信じ切れる訳も無く、所在無さげに周囲を見渡す。そうして見つける。己に襲い掛かった衝撃の正体に。
大柄な大熊の親指と比較しても遜色無いサイズ。そんな手投げ弾と言われても頷いてしまいそうな赤黒い弾丸が、近くの地面を抉っていた事に。
おそらく大熊の頭部から跳弾し、地面にめり込んだのだろう。こんなサイズの銃撃を貰えば、いくらガチガチに固めた自分であれど意識を持ってかれて当然だ。
けれども、重要なのはそこでは無い。本当に重要なのは、誰の仕業であるかだ。
翔は脱落、マルティナは目の前、姫野に訓練を施した覚えは無い。ならば下手人の正体はおのずと割れる。ラウラ相手に大量の使い魔をけしかけていた、ニナであると。
ラウラと戦っていたニナであると。
「......おい、おいおいおいおい! そんな事まで可能だってのか!? 弾数も何もあったもんじゃねーだろ!」
さらに大熊の驚愕は終わらない。大熊を直撃して地面にめり込んだ弾丸が、ドロドロと半液状に変わって自立行動を始めている。
向かう先は彼が衝撃を感じた方向。間違い無い。この弾丸型使い魔は、自らの足で射手たるニナの下へ戻ろうとしてるのだ。
「いや、そもそもだ。ニナの嬢ちゃんが持ち込んだ目録に、あのサイズの弾丸を放てる武器は無かった。つまりは......だぁー! あっちも使い魔、こっちも使い魔! あの野郎、とんでもねぇ入れ知恵をしやがったな!」
いくら悪魔討伐のためとはいえ、日本はれっきとした法治国家であり、銃規制の厳しい社会だ。裏口で持ち込む事こそ許されても、防人派への目録提出は義務付けられている。
ニナの性格からして、コッソリと余分な武器を持ち込む度胸はあるまい。そうなれば、先ほどの射撃に必要な銃が無くなってしまう。
だが、そんなのは些細な問題だ。無いのなら作る。ニナにはそれが許されているのだから。あらゆる性質に変化が可能な、使い魔という無限リソースがあるのだから。
「行けッ!」
「チィッ! 戦場慣れしてる悪魔祓いが、こんなチャンスを見逃す筈ねぇよな! おわっ!? こんの、しがない人間にゃ全方向を見渡せる目なんざねぇってのに!」
勢いを取り戻したマルティナが、ここぞとばかりに攻め立ててくる。さらに、今までの無謀な突撃が嘘であったかのように、使い魔達の動きが洗練されてきている。ニナの目が届いたためだろう。
前からは無数の血塗られた槍、横から銃撃、残った方向を使い魔達が睨みを利かせる。いくら大熊が内向きの変化魔法使い顔負けの耐久を有していると言えど、その全てに耐久力を無視した魔法が付与されているとあらば無視など出来ない。
「だけど、マルティナちゃんさえ脱落させれりゃ、って、はぁ!?」
それどころか、形勢は完全に護衛者側に傾いていた。
攻撃に転じたマルティナを狙って、大熊が投擲した高密度の枝や石ころ。それが、光沢の眩しい赤黒の球体群が間に入った事で、全て弾き飛ばされてしまったのだ。
普通の使い魔程度なら、貫通してなおもマルティナに致命傷を与える投擲。しかし、弾いて逸らす事に重きを置いた使い魔の出現によって、彼女の所まで届かない。力押ししか能の無い大熊では、球体の中心を撃ち抜くといった曲芸など不可能だ。
これまで運用されていなかった事も考えて、きっとこの使い魔はニナの指示があってこそ活躍する個体なのだろう。
「......詰み。いや、まだだ」
口先だけの焦りでは漏れなかった冷や汗が一筋、大熊の頬を伝って地面に落ちる。確率が反転した。勝ちのビジョンよりも先に、負けのビジョンが脳裏を過った。
的確なカウンター戦術に、攻めと守りの均衡を崩さないリソース管理。あのダンタリアに準備時間を与えたのだ。こうなる事は薄々分かってはいた。
悪魔殺し達だけでは、ここまでの再現はまだまだ難しかろう。それでもこの経験は、若き芽の成長に大きく貢献してくれるであろう。最初からどこかのタイミングで敗北すると決めていたのだ。それが思ったよりも早く、訪れようとしているだけ。
「だが、少なくとも、俺が倒れる事はねぇ!」
けれども、大熊は律儀な男だ。そして、不器用な男だ。
せっかく敵として立つのだから、せっかく本気を出すのだから。
そんな大熊の心が訴えかけている。抑え込まれてこそいるが、護衛者側の攻撃に彼を一撃で打倒しうるものは無いと。加えて自身の勝利条件であるダンタリアは、目と鼻の先まで迫りつつあると。
まだ勝てる。まだ勝利は譲らない。踏み出す一歩に全霊を注げば、制限時間よりも早く魔王の下へと辿り着ける。
弱く、何度も敗北した。何度となく、拾えた命を取り零した。次こそは、今度こそはと願い続け、気付けば不屈の心へと成長していた。もはや本当の勝率などどうでも良い。自分が勝てると信じていれば踏み出せる。
「どうしたどうしたぁ! この程度の抑え込みじゃあ、俺を止めるには足りてねぇぞ!」
致命的な一撃のみに対処し、その他の小さな攻撃は無視を決め込む。浸食は甘んじて受け取り、溜まった時点で身を削る。ここまでくれば意地の張り合いだ。またも大熊が大きな一歩を踏み出した時だった。
「ぐっ......!」
狙いすました射撃が、大熊の頭部を狙って放たれる。連動して牽制を続けていた使い魔達が、一斉に大熊へと取りすがる。
「邪魔だぁ!」
鬱陶しいとばかりに、大振りの動きでそれらを吹き飛ばす大熊。マルティナの連撃こそ止んでいないが、周囲の使い魔と射撃に耐えた事で生まれた絶好の隙。
「良し。これで少しは_」
これまでの鬱憤を発散するかのように、大きな進撃を行おうとする大熊。そんな折に気付く。使い魔達はまとめて吹き飛ばした筈なのに、自身の背後に気配が残っている事に。
「武速須佐之男命様、御力をお貸しください!」
その声に急いで振り返ってみれば、口元を真っ赤に染めた姫野によって、雷迸る刃先が自身に突き込まれようとしている。
「いつの間_! ごわああぁぁぁ!?」
「う゛あっ......」
大熊は咄嗟の裏拳で迎撃するも、痛みに強い姫野だ。無数の骨を砕き、内臓に致命傷を与えた感覚は覚えつつも、相打ちで神の雷撃が彼を貫いた。
「あがっ、がはっ......!」
姫野の気配が消失していく。けれど、そんなことはどうでもいい。そんなことを考えている場合じゃない。
視界と思考が白く染まり、全身を望まぬ痙攣が襲う。
どれだけ肉体の強度が変化しようと、大熊の魔法が始祖魔法である事に変わりはない。肉体の機能は常人と何ら変わらない。魔力を総動員で雷撃の後遺症をどこかへ押し付けようとするも、スパークした視界と思考では対処があまりに遅すぎた。
それは数秒に過ぎない停止であった。けれども、無敵の肉体に生じた、数秒間の完全な隙であった。
「カンザキの努力は無駄にしないわ!」
躍り出たのは、これまでずっと大熊から距離を取り続けていたマルティナ。しかし、いくら大熊が動きを止めていようとも、その肉体強度自体に陰りは無い。マルティナの有する魔法では、彼に致命打を与えるのは不可能な筈。
「はあぁぁぁ!」
手の届く距離まで大熊に近付いたマルティナ。その手に握られしは使い慣れた槍では無い。
ナイフだ。何の魔法的な作用も持たない、便利使い用の小型ナイフ。それ一本のみを携えて、マルティナは狙い続けた場所へと突き入れる。
「これで、私達の、勝ちよ......!」
本来なら刺さりようも無い小さなナイフ。だが、そもそもマルティナの目的は大熊を脱落させる事では無い。彼女の目的は自身の魔力を大熊へと流し込む事。そしてそれを果たすのには、小振りなナイフこそが優れていただけの事。
「ばっ、がはっ、はぁ、はぁはぁ......。マルティナちゃん。いったい、何をやったんだ......?」
ようやく感電に対処したのだろう大熊が、息も絶え絶えにマルティナへと問いかけた。
「護衛者の役割を果たしただけです」
「護衛者の?」
油断なく再び距離を取ったマルティナが答える。しかし、ダンタリア等とは違って、大熊は察しの悪い方だ。それだけでは理解出来ず、詳しい説明を彼女へと求めた。
その顔には、すでに敵意は無い。護衛者側の考えは別として、大熊自身は敗北を認めているのだろう。
「それでしたら、私達の立てた作戦から話したいと思います。そもそも私達は、ラウラさんの脱落は狙っていましたが大熊さんの脱落は狙っていませんでした」
「まぁ、自分で言うのも変だが、俺を倒すのは骨が折れるだろうからな」
同意するようにマルティナが頷く。頑丈で肉体性能が高く、おまけに肉体そのものの侵食にも強い。そのためダンタリアは第一声に、大熊は脱落では無く足止めで終わらせると宣言したのだ。翔を潰れ役に置いたのも、まさにその作戦故。
「はい。ですが、アマハラだけの足止めではいつかは突破されてしまう。本人も数分を稼ぐのがせいぜいと言っていました」
「有言実行されちまってるのかよ。まったく、肩身が狭ぇ。で?」
「本当は大熊さんが到達する前に、麗子さんとラウラさんを脱落させているつもりでした。ただ、ここは時間が多少上下しただけと思ってください。聞きたいのは、どうやって止めるつもりだったのかでしょうから」
「あぁ、頼む」
彼女らの連携によって敗北を認めた大熊だったが、その気になればもう少しだけ悪あがきは続けられるのだ。その数分によって、ダンタリアが見つけられる可能性はゼロでは無い。そして、視界にさえ入れてしまえば、無力な彼女を脱落させる方法など無数にあるのだから。
「まず結論から言いますと、すでに大熊さんはダンタリアを見つけられません」
「はっ? そりゃあ、どういう_」
「イアソーの腕。ご存知ですよね?」
「なっ......いや、でも、それの条件は......」
「はい。私の手で傷を付け、魔力を流し込む事です」
「だよな......いや、だからこそ......」
イアソーの腕。その名前はダイダロスの翼と並んで、マルティナが有する奇跡の名だ。
効果は認識阻害。自身の手で傷を付けた相手に魔力を流し込み、任意の対象への認識能力を完全に消滅させる。元々は麻酔の無い時代に編み出された医療用の奇跡であったが、悪魔祓いとしてはもっぱら認識阻害の部分のみを悪用している。
効果を発揮すれば凶悪な奇跡、しかし、その効力を主軸として作戦に組み込むのは無謀が過ぎると大熊は思う。なぜなら彼女も言う通り、この奇跡の発動には相手の負傷が絶対に必要であるからだ。
動きも力も耐久力も全てが上の相手に対して、一度の攻撃を通す。言葉にすれば分の悪くない賭けにも聞こえるが、賭けの時点で安定とは程遠い。確証が無い作戦をダンタリアが実行する筈が無い。だからこそ裏を返せば、この作戦には確証があったのだという事になる。
「そうです。確証はありました。それが、ニナの魔法です」
「......なるほどな。ニナちゃんの血液が溜まってくりゃあ、どこかのタイミングで俺は身を削る事になる」
大熊が忌々し気に、無くなった自身の小指を睨みつける。
浸食の魔法を肉体の先端に凝縮させる事で、大熊はニナ相手でも持久戦を行えたのだ。けれどもそれは、麗子の対処法とは異なり必ず身を削る必要がある。そうなればマルティナの攻撃は別として、傷口という脆弱な部分が生まれてしまう。
「けど、傷口って言ったって、大したサイズにならねぇ筈だ。それに、俺は比喩抜きで身体全体の耐久を高めていた。そんな上手く事が運ぶ筈が......だからか。だから姫野の雷か!」
ニナの浸食で自傷を狙う。そこまでは安定するだろう。しかし、結局はマルティナが自爆覚悟で自分に近付く必要がある筈。そこまで考えていた大熊は気付く。自分がされた事、そして自身の身に起こった事に。
「そうです。カンザキからは事前に、気配を完全に絶つ魔法があると聞かされていました。それを用いる事で大熊さんに近付き、感電させる」
「そうなりゃマルティナちゃんも、安全に近付ける。後は感電で弛緩した肉体に、小さく傷を付けるだけ。やられたな......」
大熊は姫野の事を誰よりも知っている。彼女が出来ると言った事を、どんな状態になろうとも成し遂げる人間である事を知っている。
無謀と思われた作戦。それが裏話を聞かされる事で、しっかりと戦術レベルまで練り上げられている事に気付かされた。ラウラが落ちた時点で、大熊が隙を晒す事は確定していたのだ。
「最後になりますが_」
「もういい。イアソーの腕の対象が、ダンタリアだって話だろ?」
いつだか翔の体験談を、聞かされた覚えがある。この奇跡を貰ってしまうと、対象へ繋がるあらゆる情報すら認識出来なくなってしまうと。
翔は自身の負傷を対象にされて、傷の痛みも、出血の感覚も、失血死の危機すらも何もかもを認識出来なくなったという。ならばダンタリアを対象にされた自分は、気配や魔力はもちろん、知識を除いたあらゆる情報を遮断されたと言っていい。
そんな状態で街一つ分のフィールドから、ダンタリアを見つけ出して脱落させる。
無理だ。広範囲魔法に優れたラウラならまだしも、自分の始祖魔法ではたかが知れている。
「マルティナちゃん」
「はい」
「おめでとさん。お前達の勝ちだ」
そう言って祝福する大熊は、普段の優しげな彼へと戻っていた。
次回更新は7/30の予定です。