古今の行く末は盤上の中で その十六
「潮時、いえ、終わっていないんだから潮目と言うべきね。もっとも、この状況で負けを認めないほど、厚顔では無いけれど」
周りの喧騒には目もくれず、ラウラは小さくため息を吐いた。
進行スピードを落としてからはや数分。どちらかといえば惰性で続けていた侵攻だったが、一向に終わらぬ訓練によって、いよいよリスクを背負うべき時が来たのだと痛感する。
ここまで来て姿を現さないのだから、麗子と翔の脱落は確実だろう。同時に、自分が姫野と推定ニナを相手取っているのだから、大熊が相手取っているのはマルティナ一人の筈。なのに訓練が終わらない。状況証拠からして、大熊は彼女一人に足止めされているとしか考えられない。
「いつもなら罵ってやる所だけど、相手がディーだもの。しょうがないわね」
ラウラは自分も足止めされている事を棚に上げながら、今も戦闘を続けているだろう大熊を思う。
そもそもとして、麗子が脱落している事自体が想定外なのだ。悪魔殺しという未熟者達を率いて、計画を遂行しきったダンタリアの手腕。
いや、ここまでくれば言い訳だろう。
準備と作戦こそ完璧であれば、自分達さえ相手取れるという悪魔殺し達の成長。本来それを望み、ラウラは憎まれ役を買って出た筈。ならばこの状況は、喜ばしい結果。手放しで勝算を送るべき結果である筈だ。
「師としてはね。けれど、大戦勝者としては受け入れられる筈が無い。この程度で勝ちを譲ったら、私達の歴史はどうなるの」
魂が勝利を望んでいた。親友への対抗心が、敗北を受け入れる事を拒否していた。だけど今思うのは、この程度で終わってしまっていいのかという疑問。たったの三度で勝利を譲ってしまったら、喜びよりも先に侮りが来るのではという疑問。
ラウラは大戦勝者だ。過去の人魔大戦を生き抜いた勝者だ。だが、それは自分一人の戦いではなく、多くの仲間との戦いだった。自分を生かすため、あるいは国のため家族のために散っていた仲間との、勝利の歴史だった。
ラウラは考える。自分の敗北で仲間の名誉が汚されたら。
だから彼女は曲げない。
自分の主張が曲がる事は、仲間達の思いすら曲げてしまう気がするから。
同時にラウラは考える。ここで与える勝利は、真にふさわしい勝利であるかと。
いや、まだだ。最高の指揮官を得られる戦場がいくつある。見知った相手と邂逅する機会がいくつある。
無かった。
そんなものは百の戦場において、片手で数えるに足りるほどしか無かった。
だからずっと苦しかった。怨嗟と哀悼がない交ぜとなって、自分は百一番目の悪魔と呼称されるまで暴れ回った。たった一人で生き残ってしまっていたら、止まる事すら無かっただろう。
「だから、まだよ。まだ負けれない。潔いなんて反吐が出る。真の戦いに政治は無い。ルールも無い。ただ負けた側が全てを失うだけ。名誉すらも都合良く歪められるだけ!」
気付けば随分と遠くまで来た。仲間達の名前は、僅かな書類と生き残りの伝聞で伝えられるのみとなった。いつしか自分は家族を作り、あの日守りたかった人達の代用品を用意していた。もちろん、その感情は始めだけだ。今では愛の比重が、圧倒的に勝っている。
だが、そんな事はどうでもいい。結局は勝てるかどうかなのだ。この程度の勝利でぬか喜びし、慢心の末に沈まぬかどうかなのだ。その危惧があるからこそ、ラウラは過剰に振舞う。敵を徹底して叩き潰す。もう誰も自分の前から、いなくなってほしくはないから。
「大熊に任せ切りも悪いものね。いくわ」
ずいと踏み出した一歩は、これまでの摺り足数歩分を凌駕する大股だった。さらに一歩、また一歩。スピードは早歩きへと変わり、走りへと変わろうとしている。
当然それに反応して、使い魔の動きが活発化する。彼らの望みはラウラを押し留める事。数分の遅滞を考えれば、一度の吹き飛ばしで決着は付くのだから。
「動きが急に変わった時も思ったけど。ニナ、あなた見えているわね? すぐに対抗出来るのは利点だけど、見知った相手には逆効果になる事も覚えなさい!」
これまでラウラは使い魔の波状攻撃を、全て固着化で受け止める事で対応していた。だが、時間差で突進を仕掛けようとしてた五体の使い魔。お互いがぶつからぬよう生まれた隙間を使って、彼女は回避を行ったのだ。
あまりに強力な魔法へと目が行きがちだが、彼女は中学生程度の年齢で人魔大戦を勝ち残った魔法使いだ。始まった時期を考えれば、小学生時代から戦いを続けていたとしても不思議ではない。
必要が無かったから見せなかっただけで、ラウラの身のこなしは翔やマルティナなどの近接戦闘組に勝るとも劣らない様に見える。
「ニナが焦ったからって、あなたが同調していたらわけないじゃない! 暗殺者は暗殺者らしく、相手が隙を見せるまで徹底的に待ち続けなさい!」
小走りで動き出したのだ。姫野からすれば圧倒的な隙、勝負を決めるべき場面であると錯覚する。しかし、同時刻で行われている大熊とマルティナの戦いでもそうであった様に、この姫野の動きはラウラによって誘導されたものだ。
自分で動くのではなく、動かざるを得ない状況を作り出されてしまった物だ。
勘違いの代償は大きかった。ラウラの首元を狙って出現した腕。反撃とばかりに、その腕へとリグが向けられる。
「っ」
姫野の腕をリグが貫通する。ラウラはそのまま下手人を引っ張り出そうと力を込めるが、気付けばその腕は消失していた。腕を貫いたはずのリグには、血痕の一つも残ってはいない。
「そういう魔法ね。だいたい分かったわ。それとニナ! いくら焦っても役割を放棄してはダメ! あなたの役割は何! 私に対する徹底的な妨害でしょう!」
姫野の出血に動揺したのか。使い魔がラウラへと殺到した。しかし、それは今までの規律立てられた突進では無く、各々が同時に突進を行うというもの。
そんな事をすればラウラへ到達する前に、自分達同士がぶつかり合ってしまう。そんな状況を見て、ラウラは叱責の一言。自分の義娘が、言われなくても分かる人間である事は十分承知の上。それでも言葉にしたのは、失敗をはっきりと印象付けるため。
これは訓練だ。だから失敗が許される。だが、今のが実戦だったら。自分との接近戦を行うのが、姫野では無く想い人の翔だったら。失敗の代償が腕一本では無く命だったら。
だからラウラは叱責する。家族の悲しい顔など、進んで見たい筈が無いのだから。
「......直せと言われて、すぐに直せる所は悪くないわ。妨害の方も、さっきとは別のパターンに変えている」
失敗を受け入れて、すぐに修正出来るのは良い才能だ。しかし、ラウラが見切ったのはニナの用兵法では無く、使い魔の動き。一点の役割に特化しがちな使い魔は、どうしても動きに拡張性が無い。
何百回と動きを間近で見せられていれば、ラウラで無くとも学べてしまう。
「でも......いえ、ここからは練度の問題ね。やっぱり訓練が終わり次第、ディーに造血方法を教えてもらって_」
けれどもこれは反復練習がモノを言う分野だ。ここで文句を付けたって、これ以上は高望みになる。そう思ったラウラは、さらにスピードを上げようとした。そんな彼女の首を狙って、先ほどとは別の腕が首元の魔道具を狙う。
「だから! その程度の狙いは、予想するのは簡単で_」
同じようなタイミングに同じような狙い。いっそ怒るのもバカバカしいと、説明口調で行動を咎めに行く。白い柔肌に突き刺さるリグ。
「まだです」
「......」
これまでは片腕と木槌、ラウラにトドメを刺せる部位のみが出現していた。だからラウラは無意識の内に、万策は尽きたと考えていた。
けれど、腕はそのままで、姫野の頭から首までが出現した。見知った表情に乏しい顔。その口が大きく開かれ、ラウラの首元へと吸い込まれていく。
「形振り構わないのは嫌いじゃないわ」
ガキリと鈍い音を立てて、魔道具へと噛みつく姫野。いくら壊れたらラウラが脱落と言ったって、何の強化もしていない自身の口で破壊しようとする馬鹿がどこにいる。
「ぎっ、ぎぎっ」
それに、ある程度の調整こそされていようが、決意か逃避かはチョーカー型の魔道具だ。外気へ剥き出しになるのが通常で、不意の小さな衝撃に耐える程度の耐久性は秘めている。
おまけに、形状のモチーフは茨。そんなものを口に含めば、口内がズタズタに切り裂かれるのは当然だ。実際ラウラからは見えていないが、姫野は口元は真っ赤に染まり、鮮血が後から後から零れだしている。内部など、見るも無残な様相だろう。
「ここから、どうするつもり!」
腕に突き刺さったままのリグを引き抜く時間も惜しいと、ラウラは自らの拳で姫野の頬を殴りつけた。
「......ぎぐっ!」
「へぇ」
だが、離れない。
衝撃で口内の鮮血をラウラの軍服にぶちまけこそすれ、その口が開かれる事は無い。
「......やるじゃない」
いったいどれだけの根性があれば、こんな事が可能なのであろうか。もちろん痛みは軽減されている。命の危険だって無い。けれども、自分が悪魔殺しだった頃、ここまでの努力は可能だったであろうかとふと考えてしまう。
彼女の闘志は捨てたものでは無いと、勝利に貪欲な姿勢は評価されるべきだと。自分が悪魔殺し達に望んだ思いそのものでは無いかと、ラウラは考えてしまったのだ。
「だけど」
この訓練において。寄り添うのが大熊で、突き放すのがラウラだ。根性は認めよう。とっさの判断も認めよう。それでも不意を突けなかった時点で、ラウラの勝ちは決まりなのだ。
姫野が必死に食らいつく魔道具。それを風景として固着させてしまえば、その時点でラウラの勝利なのだ。なぜか生まれた後ろ髪を惹かれる気持ち。その思いに蓋をして、固着を発動せんとした。
「いっ!?」
タァーンという音と共に、ラウラの頭部を襲ったのは予想外の衝撃。どのような変化を受け付けない状態と言えど、高速で視界がブレるほどの衝撃は彼女の集中を逸らすには十分であった。
必死に食らいつく姫野にとって、願ってもみなかった時間であった。
「うぅぅぅっ......!」
パキン。その音を残して、姫野の頭がラウラから離れていく。彼女の口元に残るのは、大量の血液といまだに噛みしめられた何らかの破片。
それを損傷として見るのなら、モチーフとしていた茨の先端が欠けただけ。
魔道具の全体を十割とするのなら、九割九分九厘が無事の中で、残った一厘を失っただけ。
だけど、破壊であるのは揺るぎようも無い事実で。呼応するように、ラウラの身体が薄れ始めたのが決定的で。
「......まぁ、ルールがルールだものね」
言葉こそ負け惜しみだったが、ラウラが姫野へ向ける瞳に険は無かった。前日あれだけ激怒した相手への視線としては、驚くほどに優しい目だった。
それ以上何をいう事も無く、そこからふいと視線を移す。
それは最後の最後で見落とした攻撃の残滓。ニナがもたらしたコンマ数秒の時間。
大型使い魔の突進であれば、すぐに分かった。視界外からの鳥型の妨害でも、反応は出来た筈だった。出来なかったのは、それが銃撃であったから。だが、銃弾なら即座に風景化が可能な筈。固着が発動しなかったのは、それが銃弾でありながら使い魔でもあったから。
銃撃に使われた使い魔なのだから、当然ながらその形状は弾丸の形をしていた。だが、問題はそこでは無い。そもそも血液が硬質化した程度では、ラウラへの衝撃はあそこまで激しくない。
「焦りすぎよ。ニナ」
地面に転がるその使い魔には、鎧が付いていた。皮と、肉と、骨で構成された、立派な鎧が備え付けられていた。何て事は無い。ニナが自分の身を削ってまで、姫野の助力に動いただけの話。
用いられた弾丸の正体が、とっさに切り落とされた彼女の小指だったという事だけだ。
「思いは足りていない。努力も足りていない。だけど、根性だけは認めてあげるわ」
義娘の分身たる使い魔を拾い上げ、優しい手付きで撫でる。
ハンデもあった。痛みは無きに等しかった。命の危険は皆無だった。
そこまでぬるま湯のような環境だったのだ。そんな環境でありつつも、ここまでの覚悟を示したのだ。それを評価しないのは、逆に仲間達への侮辱だ。いつも不機嫌ばかりなラウラだが、この時ばかりは笑みが浮かんでいた。
「せめてお互い様だと言える様に、今から大熊の敗北を願っておかなきゃね」
最後に子供らしい陰湿な言葉を吐きながら、人類最強の姿はかき消えるのだった。
次回更新は7/22の予定です。