古今の行く末は盤上の中で その十二
「一見すると無秩序。でも、攻めの鋭さの違いから、どちらに目が付いているのか丸分かりよ。そして、マイナス思考なあなたのこと。立ち位置はディー側だと予想が付くわ」
風に揺れるカーテンが如きオーロラ。次々と新たな色を映し出すソレを写し取ったかのように、軍服の少女の髪と瞳は様々な色で瞬いていく。
歩みと言うにはいささか早い。けれども走りと呼べるほどのスピードは無い移動で、ラウラは目星を付けた方向へと突き進む。彼女の歩みを遮ろうとする使い魔達など、まるで存在しないとでも言うかのように。
「それにしても、急ごしらえにしては上手い運用が出来てるじゃない。ハナからダメージは切り捨てて、時間稼ぎと魔力消費に全霊を捧げてる。さすが私の義娘ね」
顔に取りつこうとする鳥類はリグの一振りで吹き飛ばし、足に食い下がる獣達は鬱陶しくなった段階でまとめて蹴り飛ばす。唯一質量を持った使い魔達の突進だけがネックだが、彼女の身に付ける衣服だって風景の一部にする事は可能だ。
衣服を固着し、それによって身体を無理矢理固定させる。本来なら大質量と固着した衣服との板挟みでラウラなどミンチにされてしまうが、今の彼女に物理的衝撃は一切通用しない。
発動に過程というタイムラグが生じやすい契約魔法や、大多数が不可逆の変質を伴う変化魔法では成しえない防御法。風景という概念を操る始祖魔法だからこそ、魔法の効果範囲全てを固着化させながら、自身の衣服の状態のみを自在に操れるのだ。
「血液量という制約を取っ払った方法。どうせディーの事だから、素直に教えてはくれないでしょうね。それとも、案外大ざっぱな所もあるから、ニナは方法を目にしているかしら。どっちにしても、リリアンに相談してみてかしらね」
ダンタリアの言もある通り、この魔法の本質は防御。悪意が徒党を組んで家族に襲い掛かった時のための、広範囲無力化魔法である。そのため移動能力など備え付けられてはおらず、やる事と言えば反射的な始祖魔法の発動だけなラウラは若干手持無沙汰となっていた。
生まれた時間で考えるのは、予想だにしなかった義娘の急成長。目にした光景と容易に想像が付く親友の介入から思いつくのは、例え悪魔殺し達だけで思いついていたとしても、実現は不可能であったのだろうという事だ。
ならば保護者であり師匠でもあるラウラがやるべき事は、それをニンゲンの力のみで実現出来るように取り計らってやる事。そうすれば後ろに向きがちなニナの心も、伏し目がちであろうが前は向けると信じて。
「けれど、その結果が馬の骨に塩を送る事に繋がるのが、釈然としないわね。朴念仁までは行っていないけど、もう少しニナを慮ってあげても良いじゃない。あの子もあの子で、心に決めたんなら突き進むだけだってのに。どこが取り入れても澱まない血筋なんて、とっくに暗闘は始まってるのよ」
そして、その上で思う。あの突撃バカに助力する形になるのが、心底気に食わないと。
突如降って湧いた、由来不明の極上の血。現代までで数を減らし続けた魔法使いの家々にとって、取り込みたくない筈が無い。
自身のホームたるヨーロッパでは、長年の教育もあって強い声は上がっていない。けれども、それ以外の熱狂ぶりは凄まじい。契約魔法や変化魔法の大家たるアフリカや南アメリカはもちろん、新興の北アメリカだって友人が押さえつけない分、多数の声が上がっている。
何よりも、母国たる日本などは大熊の憔悴ぶりを見れば明らかだ。どこから発生した才能か分からない以上、遺伝するかは怪しいものだ。それでも万に一つ、億に一つ受け継がれようものなら、手に入れた家は千年の栄華を手に入れたといっても過言では無い。
だから大熊は極力、翔と他の魔法使いとの繋がりを持たせない。信用出来る大戦勝者の息がかかった魔法使いか、何よりも役割を重視する大家との交流しか認めない。
そこには自由に生きてほしいという老婆心もあろうが、手綱を握りやすい場所で幸せを掴んでくれという小さな思惑もあるのだろう。だから今こそがチャンスなのだ。認めるのは癪だが、今こそが仲を深める絶好の機会なのだ。手指の触れ合い程度でどぎまぎしている場合では無いのだ。
まぁそんな事を思った所で、全てを決めるのはニナだ。過干渉の結果、数日前のショックを再び味わうのは御免である。
「あら?」
そんな身も蓋も無い愚痴を零すラウラだったが、ふと、身に振りかかる使い魔の圧力が強くなってきていると感じた。
「ディーに近い? いえ、そもそもエリアに取り込んだ時点で、私の魔力切れしか勝ち目は無いはず。なら、ニナがエリア内に巻き込まれそうになった? ありえない。いくら戦いに集中していたって、見落とすような子じゃない。そもそも外部の目だってあるでしょうから」
ラウラは感情的にこそなりやすいが、直感で動く事は案外少ない。そんな自分が違和感を抱くほどの圧力。その時点でそれは気のせいでは無く、まぎれも無い事実に違いない。
ならば、どうしてこんな何も無い場所で圧力を強めたのだという話になる。現在位置は下山を済ませたばかりの平地。ニナの立ち位置から計算して、ダンタリアの潜伏場所は隣山かオフィス街の二択には絞れていた。
だが、そこまでだ。夜の中に取り込めたのは隣山だけ。ここで焦って圧力を強めれば、自身の潜伏場所が山の中であると自白しているようなもの。
いくらニナという召喚魔法に不慣れな使い手を挟んでいたとしても、ダンタリアの采配がここまで乱れるものなのか。
「そんなはずがない! それなら一度目の偽装の時点で、何かしらのボロが出ているはずよ!」
ラウラは即座に否定する。自身を騙し切った工作は、悪魔殺し達の手とは思えぬほどに鮮やかだったから。いくら親の贔屓目を勘定に入れたって、あの中でニナだけが致命的に劣っているとは思えない。
だとするのなら、この圧力は仕組まれた物。何かしらの思惑があって、意図的に強めたもので間違いない。
「けど、ディーだって今の私の硬さは承知の筈。これは何のために、いえ、何のための圧力_」
ラウラは優れた魔法使いだ。例え思考が乱れようと、その魔力制御には一寸の狂いも生じない。必要最低限の始祖魔法で、インパクトの瞬間のみを防御する。そして衝撃の吸収が終われば、変わらぬ足取りで歩を進める。
数が増えようと、一撃の重みが増そうと、それは変わらない。ただ流れ作業の如く、自身の衣服の固着と解除を繰り返す。
その時も同じ作業の繰り返しの筈だった。衝撃の吸収を見計らい、衣服の解除を行った時だった。
「えっ、 ちょっとリ_っ!?」
いつもはラウラに全権を預けているはずのリグが、突如として握られた腕を中心として彼女を強く引っ張ったのだ。
困惑するラウラ。だが、その感情は瞬時に驚愕へと変わった。
先ほどまでラウラが立っていた場所に、木槌を持った片腕が浮かんでいたから。
「今、のは......?」
目を見開いている内に腕は消失し、後には何も残っていない。気配はもちろん、魔力さえも。腕の出現した位置。自身の立ち位置。そして、それまでの護衛者側の行動。ラウラの中で全てが繋がった。
「そういう事.......。ディー、やってくれるじゃない......!」
これまでの使い魔達による襲撃は、自身の防御魔法の間隔を確かめるためのものだった。急激に圧力を増したのは、衣服の固着と解除のタイミングをリズムを付けて伝えるためのものだった。
そして、護衛者側の真の狙いは、時間稼ぎなどでは断じて無い。ラウラの首元に嵌め込まれた魔道具、決意か逃避か破壊する事。
ルールによるラウラの脱落を狙ったものだったのだ。
「......認めるわ。今の一撃は理外の外だった。完全に油断していたわ。だけど、もう油断はしない! 一撃で私を仕留められなかった事、せいぜい後悔させてあげる!」
相手の魔法は、推定完璧な潜伏魔法。ラウラの知識に無い魔法である事から、使い手は姫野に違いない。
目の前まで近付かれていたにも関わらず、ラウラは気が付けなかった。悪魔であるリグすら、攻撃の瞬間まで気が付かなかった。だからこそラウラは断じる。相手はまだあきらめていないと。
気配も魔力も感じない。だからこそ、一切の油断が許されない。
突如始まった早打ち勝負に、ラウラは口角を歪めるのだった。
次回更新は7/6の予定です。