古今の行く末は盤上の中で その八
「訓練の一つとしてこなしてはいたけれど、違和感がすごいわね。常日頃から才能の無さを嘆いていても、やっぱり源も立派なセンスの塊って事ね」
麗子は自身の仮初たる肉体に向けて、いくつものゼロを張り付ける。運動能力を引き上げる筋肉量、その運動能力による身体の崩壊を防ぐ骨密度、そしてそれらに追いつくための反射神経。
「マルティナちゃんから聞いていたせいかしら。幸か不幸か飛び道具持ちの使い魔がいないのは助かるわね。おかげで目の前の敵に集中出来るもの」
圧倒的な肉体性能を得た麗子が、使い魔の大軍に真正面から突っ込んでいく。
ある使い魔は力の限り蹴り飛ばし、ある使い魔は攻撃の勢いを利用して投げ飛ばす。これだけの大群が相手では、数匹の討伐など時間の浪費にしかなり得ない。麗子が目指す先は、あくまで術者であるニナ本人。彼女の打倒こそが、この戦局を塗り替える重要なキーなのだ。
麗子の意図を察したのだろう。それまでは消耗目的で単発式にしか攻勢に出なかった使い魔達が、麗子を押し潰さんと集団で襲い掛かってくる。地上にいる使い魔達など、お互いの身体がぶつかり合うのもお構いなしの勢いだ。
いくら肉体を強化しようとも、麗子の身体は一つだけ。それも成人女性程度の、ごくありふれた肉体一つだけ。集団に押し潰されれば一貫の終わりであるし、下手に複数体を討伐すれば、それだけニナの血液が広範にまき散らされる事となる。
あまりにも脅威な軍勢、あまりにも理不尽な魔法。血液量というくびきから外れたニナは、ここまで圧倒的な力を振るえるのか。このままでは麗子が倒れるのも時間の問題か。
「これでも手が足りないの? 全く猫の手でも、いえ、猫の頭でもいいから貸して欲しい気分よ」
いや、彼女もまた、己の魔法を十全に活かす事で理不尽に抗っていた。
使い魔の間を潜り抜ける麗子を、追随するかのように追いかける薄桃色の軌跡がある。その正体は増やされた麗子の両腕。元々と合わせてニ十本はあろうかという腕が、ある時は使い魔を物理的に押し留め、またある時は魔力量を奪い取り、足りなかった手数として彼女をサポートしていたのだ。
麗子の契約魔法は、あるゆる数字にゼロを付け足す。その結果、存在を変質させる。先ほど彼女は、自身の腕に向けて契約魔法を発動した。もちろん腕という部位そのものの数にゼロを付け足しなどすれば、両腕がニ十本に増えてしまう。
そのため彼女は自身の腕がこなしている役割に対して、契約魔法を放ったのだ。そうして現れたのが、自動的に使い魔を押し留め、使い魔に止めを刺す十八本もの腕。
手動の操作こそ受け付けない不便さはあるが、その手数は一気に十倍。ある程度離れた位置から迎撃をしてくれる利点もあり、麗子は使い魔の襲撃を抑え込む事に成功していた。
「けれど、私が手数を増やしたように、こうなったら手数を増やすのは当然よねぇ......」
ボスッという音と共に、いつの間にか乾燥した地面に何かが落ちてくる。それは前日の戦いで目にした覚えのある、ニナお手製の粉塵血液が詰まった煙幕だ。
使い魔達だけでは麗子を止められないと判断したニナが、放ったものだろう。いくら煙幕と言えど、至近距離からの爆発は物理的破壊力も侮れない。麗子は即座に火薬の内容量を指定して魔法を発動。煙幕はポスンというあまりにも情けない音を立てて、不発同然の結果に終わる。
けれど、ニナの追撃は止まらない。今度はタァーンという甲高い音。煙幕が打ち消された事が分かったのだろう。狙撃銃を使った銃撃へと、切り替えたのだ。
「流石に連発式の銃弾を用意するには、時間が足りなかったのかしら。不意打ちならまだしも、方向まで分かってる狙撃は通用しないわよ?」
視力、聴力などの感覚器。さらに反応能力などの神経伝達。それらを強化したおかげで、高速で飛来する弾丸も、今の麗子にはスローモーションと変わらない。
ペン先を器用に使い、明後日の方向へと弾き飛ばす。
仮に連発式の銃撃であれば、少しは進行に支障が出ただろう。しかし、資源的にか、あるいは技術的な問題か。有効射程範囲に入ったというのに、無数の弾丸が飛来する気配は無い。
それでも一縷の望みをかけてか。ニナは狙撃を止めようとしない。
一発、また一発と麗子に向けて致命的な一撃を放つ。そして、彼女はそのいずれにおいても、冷静な判断で弾丸をいなして飛ばしていく。
気付けば麗子とニナの距離は、十歩程の距離まで縮まっていた。
「手札は切り尽くしたかしら? 時間稼ぎとしては、もう少し努力が必要だったわね」
「......」
前線の使い魔達は一通り置き去りにし、ニナを守るのは数匹の使い魔だけ。その使い魔達も、ゲル感がさらに強い、形状を維持出来なかったスライム型のような存在だ。
今の自分の状態であれば、数匹の使い魔などいなすのは容易。そもそも遊撃を得意とするニナだ。ここまで近付かれれば万事休すである事は、本人にも分かっているはず。
だというのに、彼女の目からはあきらめといった感情は感じられない。それどころか、今にも噛みつかんとする剥き出しの闘気すら感じられる。
それはここ数日見てきたニナの振る舞いとしては、あまりに大きすぎる違和感だった。だが、迫る制限時間と後方に置き去りにした使い魔達。それらが合わさり、早々の決着を麗子に判断させた。
「......まぁいいわ。これでお終いよ」
使い魔が壁となる以上、トドメを刺すには直接ゼロを書き込むしかない。周囲の動きに細心の注意を払いながら、麗子はニナとの決着を付けようとした。
「かかったわね」
「えっ?」
トドメを刺される寸前にしては、あまりにも場違いな言葉。ここ数日で聞き慣れた声色でありながらも、目の前の少女とはかけ離れた自信に満ち溢れた声色。
一瞬で悟る。
自分は何か、とんでもない勘違いをしていた事に。
トドメなぞ捨て置き、今すぐこの場から距離を取らなければと警鐘が鳴り響く。
「もう遅いわよ!」
一歩後ずさった時点で気が付いた。いつの間にか自分がゲル状使い魔によって、包囲されている事に。ここまで手が組んだ策を練り上げたのだ。もはや自分は死地に立たされたのだと思い知る。
「ならっ!」
せめて推定ニナを相打ちに持ち込まんと、麗子が無数のゼロを放つ。
「再奮起!」
「......なるほどねぇ」
聞き慣れたそのワードと共に推定ニナの姿はかき消え、全てのゼロが空を切った。
分かっていた。一拍も置かずに自分の周囲に使い魔が出現した時から。いや、発せられた声がマルティナのものだった時から。
「本命はラウラかと思っていたけれど、まさか私の方だったなんてね」
翔とニナを一人ずつ時間稼ぎに出し、残った二人でラウラの相手をする。狙いは時間切れによる判定勝ち。そう信じて疑わなかった。
「あらかじめ姿を晒す事で、ニナちゃんがいる事を印象付ける。そして田園地帯でしゃがんでしまえば、視界は通らなくなる。形振り構わず物量戦に移ったのだと思っていたけど、あの時点で入れ替わっていたのね......」
実に巧妙な作戦だった。ニナの姿をわざと晒し、おまけに使い魔を突撃させる事で彼女がいると印象付ける。続けて麗子の突撃に合わせて煙幕や狙撃を用いる事で、疑惑の芽を摘んでいく。
この時点で麗子は気付くべきだった。これまでの規律立った使い魔達の行動に、乱れが生じている事を。狙撃や煙幕の使用は、何もニナの専売特許では無い事を。
むしろ、教会の特記戦力として訓練を続けてきた彼女の方が、よっぽど銃器には精通している筈だ。いつの間にかニナと入れ替わっていた、マルティナの方が。
「あー......失敗したわねぇ。ニナちゃんの使い魔は、姿も能力も自由自在。偽られる可能性なんて、真っ先に考慮すべきじゃない」
最初は本物のニナが、麗子の相手をしていたのだろう。けれども、戦いの途中で姿を偽ったマルティナと交代した。それを行った理由はただ一つ。
超反応とそれに準ずる肉体を有した麗子を、逃がさず包囲するため。後からマルティナの模倣魔法で使い魔を増やす事で、包囲の可能性すら抱かせないため。
「魔力や動きに反応して、劇的に成長する菌類型の使い魔ってとこかしら? 魔力を取り除こうとしても、超群体型であるせいで一匹の切り捨てで済んでしまう。物理も同じ理由で、全く意味が無い。あぁもう! 継承様ったら、本気で完封しにきてるじゃない!」
麗子を包囲する使い魔は、おそらく菌類の特徴を多分に含んだ使い魔なのだろう。何もしなければ動きは無いが、魔力や麗子の動きに反応して、爆速で菌糸を伸ばしてくる。
当然、掴まれれば物理的な拘束はもちろん、ニナの血液による浸食も始まる。おまけに菌という群体生物であるため、あらゆる魔法を一匹に押し付けて切り捨ててしまう。そして、ニナの使い魔が環境の変化に強いのは把握済みだ。
まるで、もがけばもがくほど絡まる蜘蛛の巣の様。これでは動けない。いくら肉体を強化しようとも、それ以上に使い魔を増殖させてしまえば、いつかは押し負けるタイミングが来てしまう。
「ニナちゃんの血の魔法は無差別。本来なら、姿を偽るために被るなんて以ての外。だけど、マルティナちゃんなら......」
彼女の有する魔法の一つである再奮起。自分の状態を巻き戻すあの魔法であれば、気兼ね無く浸食のリスクを背負う事が出来る。どこまで巻き戻したのかは知らないが、浸食の魔法はとっくの昔に消え去っているはずだ。
「......ちょっと待って。ニナちゃんはどこかに移動。マルティナちゃんはどこかへと巻き戻る。あっ! まさか!」
麗子は気が付いた。この作戦は麗子を封じ込めるだけが全てでは無い。その先の合流まで考慮した、二段構えの作戦なのだと。
きっとマルティナは、最初の会敵時点ではラウラ側に陣取っていたに違いない。そして何かの合図を受け、ニナとの入れ替わりを実行した。そうして役目を終えた後、彼女は自分の状態を巻き戻す。
ラウラと対峙するに相応しい場所へ。
大戦勝者達それぞれに一名ずつ派遣したはずの護衛者側の人員が、いつの間にかラウラへ三名も派遣されてしまっている。
「これじゃあ、誰だって知識の国には逆らわない筈よね......」
何と鮮やかな用兵術だろうか。何と無駄の無い作戦だろうか。噂でしか知らなかったダンタリアという魔王の手際。それを麗子は、身を持って思い知らされる事となった。
「お、おい、麗子! こりゃあ一体どうなってる!?」
目線を小さく横へと向ければ、いつの間にか大熊の姿があった。魔力こそそれなりに消費しているようだが、肉体に大きな損傷は見られない。無難な勝利といった所か。
だが、それですら、ダンタリアの手の平の上なのではと思えてしまう。
「源、ごめんなさい。負けちゃったわ」
いずれにせよ、物事は成るようにしか成らないのだ。
大熊の勝利がイレギュラーである事を祈りつつ、麗子は手短に状況を伝えるのだった。
次回更新は6/20の予定です。