古今の行く末は盤上の中で その一
「ったく、大して時間はかけないとのたまっておきながら、二時間近くも待たせやがって。これなら仮眠の一つでもしておくべきだった」
「嘘おっしゃい。どうせ訓練が気になって、横になっても眠れなかったでしょ」
「うるせぇ。心持ちの問題なんだよ!」
気安い言葉を交えつつも、足早に田園地帯を進むのは大熊と麗子。
予定よりも少々遅れてスタートした本日の訓練。三度目となる初期配置は、あまり良いスタート位置とは言えない場所だった。
「遮蔽物無し、高台無し、おまけに少し道を外れれば、これでもかと足を取られる泥地が続く。本当に私達のスタートは、ランダムに決められているんでしょうね?」
「あの野郎は腹黒だが、こっすい子悪党じゃねぇ。単純に俺達のどちらかが、外れクジを掴んだだけだろ」
「達とは失礼じゃない?」
「んだよ」
「引きが悪いのは間違いなくあなたの方でしょ」
「んなこたぁ!」
「教会との決戦中、エンに乱入されたエジプトの三つ巴戦」
「な......」
「旅団の勢力だと決め打って、表の大戦に乱入してしまったイギリス沖海戦。適応様の潜伏場所を見事に外したアフリカ枯死事件。陽動と決め打った魔力が本隊だった、騎士団占領下都市解放戦。これでも自分の運がヒト並みだと思うわけ?」
「ど、どうして、その話を......」
「そりゃあ源と同じ程度には、ラウラと仲良くさせて貰っていますもの。特に二人で大喧嘩をした日なんて、頼んでも無いのにたくさんの昔話を聞かせて貰っているわよ」
「あんにゃろぉ!」
麗子が知らない悪魔殺し時代の大熊の話。半分勢いのままに駆け抜けたせいで、とんでもない大失敗を繰り返していた時代の話。地中深くに埋めていたはずの話が、知らぬ間にラウラの口によって掘り起こされていた。
その事実に大熊は憤りを隠せなかったが、ネタバレをした当の麗子は涼しい顔だった。
「ラウラなんて転んでもタダでは起きない典型じゃない。まさか、正論で行動を握りつぶしておいて、反撃されないとでも思っていたの?」
「クソッ! あいつも頭は単純だから、暴力に訴えてくるものとばかり......そもそも、俺があのバカチビを止めてなきゃ、どれだけの被害が現世にもたらされていたと思って......!」
「あっちも心では分かっているからこそ、過去話の暴露程度で済ませてくれているんでしょ」
「だが!」
「はいはい。愚痴は後で聞かせて貰うわ。いくら駒が未熟と言っても、指し手が継承様に変わったのよ。口を遊ばせておく時間も、もうお終い」
「チッ、そうだな」
見通しの良い田園地帯は、当然ながら遠目で行先の環境を観察する事が容易だ。
大熊達が目指す先は、二戦目でも利用した住宅街。高台はともかく遮蔽物が無ければ、自分達は簡単に機能不全を起こす事が分かっているのだから。
「実際問題、どうやって仕掛けてくるかしら?」
「翔をこっちに割いてくるのは確定だろ。何なら、多少の無理は承知で翔だけを俺達にぶつける可能性だってある」
肉体強化や物質の破壊を得意とする、密度を操る大熊の始祖魔法。あらゆる数字的概念から、ゼロを付け足しゼロを消し飛ばす事が可能な麗子の契約魔法。
大戦を勝ち抜いたコンビに相応しい魔法と言える性能だが、実際の所、翔一人に完封される可能性も秘めている。
彼の結界魔法である擬井制圧 曼殊沙華は、麗子の魔法を全て無効化してしまう力を秘めている。彼の膨大な魔力と常日頃から鍛えられしフィジカルは、大熊でさえ手を焼く壁役となっている。
つまり翔が脱落を前提に大熊達に仕掛けてくれば、二人は確実に足止めを食ってしまう状況にあるのだ。
昨日までなら素直に足止めを貰っても良かった。魔力切れで翔が脱落した後に、ゆっくりとダンタリアの捜索を始めれば良かったのだから。だが、今日からそうは行かなくなった。なにせ大熊達に残された時間は、たったの三十分なのだから。
「足止めに全力を出されれば、時間切れでの敗北が見える時間。認めたくねぇが、あの野郎のルール制定は絶妙だ」
朝方まで行われたルール改訂によって、一度の訓練における制限時間は三十分に変更された。時間切れは護衛者側の勝利。襲撃者側は、より迅速な行動を求められるようになった。
そんな状況で、翔に全霊の足止めを食らえばどうなるか。昨日のぶつかり合いを思い出すに、稼がれる時間は数分では利くまい。十分、いや、結界起動後に全力で逃げ回られれば十数分。たった一人で大熊達の時間をそれだけ奪われる事となってしまう。
そうなればプランも何もない。索敵で運良くダンタリアを見つけ出しでもしない限り、自分達がこの訓練に舞い戻る事は困難となる。いるのにいない存在。戦争における逃亡兵、あるいは指揮官を失った散兵のようなものだ。
「源」
「あ~......! 認めてやるよ! クジ運が悪いのは、俺の方だ!」
スッと細められた麗子の目線の先。地上から十メートルほど離れた空中から、こちらに猛スピードで向かってくる者がいた。
大熊の言霊が原因か。その存在は高密度の魔力をこれでもかと放出しながら、大熊達を、いや、正確には麗子目指して突き進んでくる。間違いない。翔の擬翼を用いた突進だ。
「麗子、下がってろ!」
「えぇ!」
いかな大戦勝者と相棒の悪魔と言えど、高魔力で自爆上等の突進をもろに喰らっては無傷でいられない。あんな速度で突っ込まれては、麗子による空間への加算はもちろん、スピードへの除算だって間に合わない。
「こちとら踏み切りすら難儀する、あぜ道だってのによぉ!」
ここで麗子を落とされるような事があれば、大熊だけでダンタリアの悪辣な指しに対抗しなければいけなくなる。それが不可能である事は、大熊本人が良く分かっていた。
そのため大熊はすぐさま、足場を残して周囲から密度を吸収。自らの筋力や肉体の強度へと変換すると、そのまま飛び上がって真正面から翔と激突する。
響いたのはまるで大型車同士がぶつかり合うような、大規模な破砕音。だというのに両者に大きな損害は無く、翔は空中で反転して再度の突進。大熊は一度着地すると、もう一度翔を止めにかかる。
まさに魔力量にモノを言わせた、ゼロ距離の肉弾戦だった。
「結界を起動させる素振りが無い......? 源との戦いでうっかり作戦がすっぽ抜けた? それとも継承様の作戦の内?」
泥沼に足を浸ける事を意に介さず、麗子は一番サポートがしやすい立ち位置へと移動すると自身の魔法を起動する。
突進と同時に超大規模な結界を起動されるものと考えていた麗子だったが、なぜか翔は結界を起動する事無く大熊とぶつかり合っている。
不注意か、あるいは作戦か。どちらにしろ翔さえ落としてしまえば、こちら側の動きやすさは格段に上がる。大熊との連携に、今更言葉などいらない。このまま致命的な加算を翔へとぶつけ、勝負を決めようとした時だった。
「......あらっ、今度はあなたがこっち側に来るのね」
遠方から響いたのは、一発の発砲音。弾丸が狙う先は、無防備であった麗子の背中。しかし、彼女はすぐさま反応すると、振り向き様のペン先で弾丸を撃ち落す。
護衛者側で銃を用いる者など一人しかいない。発砲音がした方向を、視力を加算する事で凝視する。すると予想通りニナが、うつ伏せで狙撃銃を構えながらこちらを狙っているのが見えた。
周りには鳥類や犬を模した使い魔が数十体。それらが一斉にこちらへ向かってくる。仮にあれら全てに集られなどすれば、除算も間に合わずに肉体全てを結晶化される恐れもある。
「ふふっ、今度は別の形で物量戦と言う訳ね。いいわ。付き合ってあげる」
翔対大熊、ニナ対麗子。昨日とは少しばかり様相が変わった戦いが、のどかな風景の中、開幕した。
次回更新は5/23の予定です。