ひた隠したいロマンスの動悸
「フゥーッ......! フゥーッ......!」
荒く、そしてどこか湿り気の入り混じった吐息をニナが吐き出す。
「おい、ニナ......?」
傍らにいた翔は、明らかに様子がおかしい彼女へと声をかけた。心配するような、あるいは困惑するような。
「ふわうっ!?」
そんな翔の声に、今まさに彼が近くにいる事を気付いた様子でビクリとニナが正面を向く。そんなはずは無いのに。むしろこの状態は不本意ながら、二人の同意あっての状態だというのに。
「お、おい大丈_」
「大丈夫だから! むしろ! 調子だけなら今までの人生で最高だから! だから、だから翔。お願いだから、何も言わずに虚空を見つめててぇ......!」
心配する翔の声を無理やり遮り、ニナは自身の顔を腕で覆い隠す。彼に顔を見られたくなかったから。そして、彼の顔を見てはいられなかったから。
ダンタリアが作戦指揮を取ると宣言してから数分後。翔とニナの両腕は、カテーテルによって繋がれていた。
両者は共に結界内のベッドに寝かされ、翔の腕は虚空からの輸血とニナへの輸血が、ニナの腕は翔からの輸血と貯蔵タンクへの輸血がそれぞれ行われていた。
「フッ......! フッ......!」
いつぞやの吸血行為を再現するかのように、ニナの顔は真っ赤に上気し、追随するように瞳と髪が真紅へと染まっている。息の乱れも酷く、玉のような汗が後から後から湧きだしてくる。傍から見れば先ほどの翔の様に、心配する言葉をかけるのが当然であろう。
だがこれまた先ほどニナが言った、調子が良いという言葉も嘘では無かった。彼女の源流は血の魔王。他人の血を体内に取り込む行為は、魔力回復や肉体回復効率が格段に高い。例えそれが吸血行為とは程遠い輸血と言えど、魔力バカの翔の血を取り込めば絶好調になるのも当然だ。
ならばなぜニナは、体調を崩したように見えるのか。
答えは簡単だ。血の魔王の血族と言っても極限まで薄まり、日常生活では吸血の必要さえ無い身体。そして、少なからず想いを寄せている翔から、あらゆる恋愛要素を数段すっ飛ばして、直接輸血を受けるという行為。
ニナは翔から輸血を受けているという現状に羞恥心をかき乱され、体調に現れるほどのパニックを起こしていたのだ。
(あぁ、あう......! こうしている間にも翔の血がボクの身体に入って......魔道具で適合させられた血液がボクの血液になって......! うわあぁぁぁぁ! 恥ずかしすぎるよおぉぉ!)
まさかとんでもない考えを医療行為の延長に抱いているとは言えず、一人身悶えるニナ。そしてそんな彼女を心配し、チラチラと目をやってしまう翔。
そんな小さな気遣いすらも嬉しく、また同様にこっ恥ずかしく。もはや本来の目的すら忘れて、カテーテルを引き抜き図書館の隅にでも縮こまってしまいたくなる。
(どうして......どうしてこんな事にぃ......!)
ニナが顔から火を噴き出す事になった原因は、数分前のダンタリアの指令だった。
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「血族。私の記憶が確かであれば、君は吸血行為によって魔力回復だけでなく体内の血液量を回復する事が可能な筈だね?」
「へっ......? はっ、はい......」
作戦指揮に立ったダンタリアの第一声は、ニナに対してのものだった。
「そうか。なら話は早い。じゃあ今から......魔力量だけなら少年だね。二人の間で血のやり取りを行ってくれるかい?」
「なっ......?」
「はぁ?」
そして指令を聞かされたニナの頭は、一瞬で真っ白になった。
通常であれば、なぜ、どうして等の疑問が真っ先に口から出よう場面。しかれど、思い出すのは血の魔王との決戦前に行った、義母たるラウラにすら知られたくはない秘密の行い。
あの必要に迫られた中でさえ最後まで逡巡した行為を、今ここで。皆の見る前で。無理だ。絶対に無理だ。そんなことをすれば恥ずかしさはもちろん、今向けられている人を見る目も置き換わってしまう可能性がある。
人は自分と違う存在を排除したがる。他人の血を糧とし、瞳を奪い取った血の色そっくりに変える存在など最優先排除対象だろう。そんな拒絶の目を、友人となったマルティナや姫野はもちろん、あくまで緊急時として受け入れてくれたのだろう翔から向けられたくは無かった。
ダンタリアとしては、ニナの持ち得る血液のストック量を引き延ばしたいに違いない。だからと言って、肉体的にも精神的にも吸血行為は無理だ。あれを必要に迫られるまで行わない事こそが、人間である証なのだ。
頭の中で数々の言葉が目まぐるしく入れ替わり、命じられた行いの重さにふらりと身体が揺れる。
「えっ......」
だが、そんな自身の身体を支える者がいた。
「おい、ダンタリア。それはいくら何でも唐突過ぎるし、デリカシーがなさすぎんぞ」
翔だった。
ニナが吸血行為に忌避感を覚えている事を思い出し、真っ先に動いてくれたのだ。
「ふむ。迅速な戦力増強としては一番なのだけど」
「それで戦力アップしたニナがメンタルを崩したら、プラスどころか大マイナスだろ。悪魔のお前に人間のデリカシーを覚えろとは言わねぇよ。だけど、察するのは得意だろ?」
「ふふっ、そこまで言われちゃ察するしかないか。血族、君も吸血行為はお断りかい?」
真っすぐこちらを見つめてくるダンタリアの目は、師匠であるラウラとはまた違った力強さを感じる。思わず首を横に振り、大丈夫だと彼女の提案に乗っかってしまいそうな。
けれど、そんな力に乗せられる前に、ニナを支えていた翔の腕から力が伝わってくる。そのまま顔へと目を向ければ、これまた力強く真っすぐな目が自信を見つめていた。
前者二人の押し通すものとは違う、尊重するような目。その瞳の力に支えられ、ニナは自分に素直になれた。
「い、嫌です。ボクは、あいつが、自分のために喜んで他者を傷付けた血の魔王が、大嫌いです。確かにボクの血には、あいつの魔力が流れているかもしれない。あいつの名残が色濃く残っているかもしれない。でも、だからこそ、あいつと同じにはなりたくないんです」
「......ふむ。なるほど」
言えた。師匠であるラウラと同等、もしくはそれを凌駕する力を備えた存在相手にニナはハッキリと拒絶出来た。
頷いていれば、戦いも楽になった。取れる選択肢も格段に増えた。だけどやっぱり、吸血は自分の中では忌避すべき行い。やらずに済むならそれが一番良い。
それに、今の自分の隣には翔がいる。肉体的にも精神的にも支えてくれる存在がいる。彼さえいれば、強いプレッシャー程度撥ね退ける事が出来た。
「吸血を行わない事こそが、血族がニンゲンである事の証明であるという事だね」
「はい」
ニナの顔をじっと見つめつつも、どこか納得した風に頷くダンタリア。無理強いの意思は無いのだろう。これでこの話は終わり。取れる選択肢の中から、一番勝率の高い戦法を改めて見定める事が始まるとばかり思っていた。
「ならば、ニンゲン的な行いであれば、私の思いも汲んでくれると言う訳だ」
「え?」
何だか雲行きが怪しい。
「少年と血族をカテーテルで繋ぎ、輸血で血液の補充を行うとしようか。ニンゲン世界における立派な医療行為。これなら文句は無いだろう?」
「えっ? えっ?」
「ニ、ニナ、早く否定しねぇと!」
一人で勝手に話を進めるダンタリア。困惑したせいでアクションが遅れたニナ。流れに不穏なものを感じ取ったのだろう、そんな彼女に再起動を促す翔。
だが、ダンタリアの扱いに慣れていないニナでは、そこから行動を移すには遅すぎた。
「いやぁ~。納得して貰えて良かった。それなら善は急げだね」
「ふぁい!?」
「おわっ!?」
突然、背後の床から簡素なベッドが飛び出し、革製のベルトがニナと翔を雁字搦めに拘束した。そのまま両腕に痛み無く針が突き刺さり、自身と虚空、そして翔とを繋いでいく。
透明なカテーテルを伝う真っ赤な血液は、嫌でも想い人の一部が自身に流れ込んでくるのを自覚させられてしまう。
「ちょ! ちょっと待って! ボクは許可を出しては_!」
「おい! ダンタリア! いくら何でも強引すぎる_!」
頬が強い熱を帯び出す事を感じながら、ニナは必死になって抗議の声を上げた。同時に翔もニナの心を気遣ってか、ダンタリアに怒鳴り込む。
「その割には、納得しているように見えるけどね? 少年もちょっとばかしのブレイクタイムと思って、今日の訓練における想定をまとめておいておくれ」
だが、明らかに表情と本心が一致していない言葉では、ダンタリアの心は動かない。それどころか見透かした様な彼女の語り口は、ニナの頬にさらなる熱量を叩き込んだ。
「っ~~!?」
「それじゃあ残りの二人にもテコ入れをしなくてはいけないからね。しばしの二人きり、楽しんでくれると嬉しいよ」
パチンとダンタリアが指を鳴らすと、ニナと翔を残して人影は消え失せてしまった。
「おい! ダンタリア! おいっ!」
隣ではいまだに諦めきれていない翔が、変わらず抗議の声を上げているのが分かる。
けれども、そんな行いは最早どうでも良かった。今のニナが抑えるべきは、自身の奥底から溢れてくる熱量と、むくむくと湧き上がる邪な感情なのだから。
(どうして......どうしてこんな事に......!)
後悔とも喜色とも取れない言葉が、ニナの心で繰り返される。
強いて原因を上げるとすれば、魔王が観客である内に及第点を取れなかった、自分達の未熟さであるだろう。
次回更新は5/11の予定です。