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人魔大戦 近所の悪魔殺し(デビルスレイヤー)【六章連載中】  作者: 村本 凪
第五章 集う新世代

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空白の埋め合わせ

「うっ......」


 飾り気の無い簡素なベッドの上で、姫野の身体がビクリと跳ねる。現在の彼女は仰向けに寝かされ、両手両足は動かぬよう部分的に麗子の乗算魔法がかけられていた。


 魔法をかけた張本人である麗子は、姫野の胸へ万年筆を刺し込み、小さく小刻みに動かしている。


「ゴメンね。痛かったでしょ?」


「いえ、痛い、わけでは。どちらかというと、寒い?」


 いくらペンと言えど、その先端は人間の柔肌など簡単に貫く凶器だ。ましてやペン先は、姫野の胸に突き刺さっている真っ最中。いくら姫野が痛みに慣れているとしても、うめき声一つで納まる程の苦痛とはとても言えない。


「どっちにしてもよ。はぁ~......。継承様も、どうして私にリハビリを任せるのかしらねぇ......。こういう細かい作業は苦手だってのに」


「そう、なんですか?」


 麗子の愚痴に疑問を投げかける姫野。見る人が見ればサスペンスシーンそのものと呼べる惨状だというのに、二人の会話には緊張感がまるでない。


「なに? 普段の事務作業姿から、好き好んで細かい作業をやっているんだと思った?」


「はい」


 その答えは、この行いが姫野に対する医療行為であるから。そして、ペン先が向けられているのが姫野の肉体ではなく、魂に対してだからだ。


「まさか。本当は五行以上あるA4用紙なんて見たくも無いわ。だけど、私以上に源が苦手としているのは見れば分かるでしょう? だからよ。大切な人のためなら、何だって力になりたいものよ」


「はぁ......うっく」


「あぁもう! ゴメンね、またやらかしたわ」


 二度目の護衛訓練にて、姫野の魂は許容量を遥かに超えた恐怖を味わう事となった。それは放っておけば間違いなくトラウマとなり、無垢な彼女にとって致命的な歪みを生みかねなかった。


 そのため、姫野の魂はダンタリアによって応急処置を行われたのだ。


 過剰な恐怖心は魂ごと切除。削り取った部分には、代用品の魔力を埋め込む。そうする事によって魂へトラウマが刻まれる前に、体験を許容可能な恐怖との遭遇に書き換えようとしたのだ。


 処置はおおむね成功した。意識を取り戻した姫野は、恐怖に鳥肌を立てる事もガチガチと歯を鳴らす事も無かったのだから。しかし、受け取った恐怖があまりにも過剰だったためだろう。彼女は恐怖の記憶と共に、訓練の記憶すらも忘却してしまったのだ。


「いえ、悪いのは全てを忘れた私です。麗子さんには感謝してもしきれません」


「何言ってるのよ。悪いのは我を忘れて大魔法をぶっ放したラウラに決まっているじゃない。そして次に悪いのは、途中で治療をすっぽかした継承様よ」


 過剰な恐怖心は必要無いが、恐怖全てを削り取ってしまえば成長も無い。始まったのは代替魔力で埋め合わせた魂に、削り取った姫野本来の魔力を戻す作業。いうなれば巻き戻し作業だ。


 てっきり最後までダンタリアが行うと思われていた作業は、山場の代替魔力の埋め合わせが終わった途端、麗子に丸投げされることとなった。今頃ダンタリアは、大戦勝者(テレファスレイヤー)二人を手玉に取って遊んでいる頃だろう。


 麗子自身の発言の通り、彼女はこういった細かい作業を苦手としている。それは彼女が契約した相手が大熊だった事と、概念にゼロを張り付けるという一見繊細に見えて豪快過ぎる根源魔法からして間違いあるまい。


 元凶たるダンタリアに文句の一つでも言いたい状況だが、序列を考えればダンタリアは麗子の遥か上。下位国家と言えど国のトップであるダンタリアと、中位国家所属見込みの麗子では天と地ほども差があるのだ。


 大熊を経由してだが、麗子もダンタリアとは長い付き合いだ。彼女の性格的にも、文句程度なら笑って許してくれるかもしれない。しかし、本人が許しても立場はそれを許さない。知識の国、あるいは未来の所属先にバレでもしたら大熊共々粛清は間違い無しだ。


 そんな危ない橋、叩いた上でも渡りたくは無い。だからこそ麗子は唯々諾々と、時折零す愚痴程度で姫野の治療を引き受けたのだ。


「どう、姫野? あの時の感覚は戻ってきてる?」


「はい。記憶の大半は戻ってきたと思います」


「そう。ならこれ以上は止めておきましょう。後は継承様が整えてくれるだろうから」


 姫野の様子を見ながら、彼女に戻した魂は削り取った全体の二割ほど。目標であった経験が取り戻せた時点で、麗子の作業はお終いだ。むしろ、これ以上の作業を求められたら麗子は迷わず(さじ)を投げる。


 さも簡単そうに姫野の魂を削り取ったダンタリアであるが、いくら悪魔と言えども他者の魂の扱いは至難の業であるからだ。だからこそ悪魔殺しの契約があり、だからこそ悪魔は人間と一体化する。


 生まれて数十年程度のひよっ子である麗子にとって、この先は必敗の奈落の底であった。


「ありがとう、ございました。その、これ以上はお手数になるので、加重を解いてもらえると......」


「バカ言わないの。何度も言ったけど、私は細かい作業は苦手なのよ。これで後から魂に異常が発生してあなたが狂ってしまったら、源や翔君に何て言えばいいのよ。今夜は傍にいるわ。ラウラのように家族と言い切る事は出来なくても、これでもあなたの事は気にかけているのよ?」


「......すみません」


「だ、か、ら、バカを言わないの! 例え寝ず番になったとしても、訓練に支障なんて出さないわよ。そもそも源のやらかしの後始末で、朝日を拝むのなんて慣れたものよ。いいから指示に従いなさい」


 多くの魔力を手に入れたラウラが悪魔に近付いた様に、現世で多くの時間を過ごした麗子の肉体は人間にかなり近い。ただの食事が魔力回復に繋がり、睡眠不足がパフォーマンスの低下に繋がる。


 徹夜が訓練の支障にならないなんて大嘘だ。それでも彼女が世話を焼くのは、何よりも大切な大熊が守りたいと思っている命である事。そして単純に長い時間を過ごした事による愛着故。


「ですが、麗子さんの時間を奪ってしまうのは、申し訳なくて」


 そんな麗子の気遣いを理解しつつ、それでも小さく目を伏せる姫野。


 麗子はならば仕方ないとばかりに、手を叩く。


「本当に難儀な性格よね。じゃあ今の時間は()()()()()()()の時間にでもしましょうか」


「がぁるず、とぉく?」


「そう。今からここは、楽しかった事を共有したり、悩みを打ち明けたりする場所よ。人魔大戦が始まってから、ゆっくり話し合う時間なんて無かったでしょう? 何を聞いてもいいし、何に文句を言ってもいい。私達は仲の良い女の子同士。それ以上でもそれ以下でも無い」


「えっと、その......」


 いきなりそんなことを言われて、姫野は困惑しているのだろう。長年共に過ごした麗子や大熊でしか分からないだろうが、瞳が小刻みに揺れているのが分かる。明らかに目が泳いでいた。


「何でもいいのよ。何でも。最近気になった事や、最近の悩み事。軽い気持ちで打ち明けてみなさい」


「......それじゃあ、私は天原君と、対等、だと、思いますか?」


 それは意外な質問だった。少なくとも、この地に事務所を構える前の姫野では、間違いなく上がる事はないジャンルの話題だった。


「......そうねぇ。姫野はどうしてそれが気になったの? もう少し詳しく教えてもらえる?」


「はい。私がお勤めや鍛錬で日々を消費する間に、天原君はとても大きな存在となっていました。実績を見れば、私と天原君を対等だと語る方はいないと思います。だけど、私は、天原君と対等でありたい、のだと、思って、いて」


「なるほどねぇ。姫野は翔君に対等だって言って貰えて、嬉しかったんだ?」


「はい」


「そんで、対等じゃなくなる事に怯えてるんだ?」


「......はい」


「対等じゃなくなっても、翔君は姫野に優しいままだと思うわよ?」


「はい。私もそう思います」


「それでも対等でいたいって事ね?」


「はい」


 麗子を真っすぐ見つめる瞳には、感情の揺らぎはほとんど感じられない。けれど、()()()()だ。僅かに生じる変化は彼女の感情を大きく表現しており、彼女が他の人々と変わらない人間である事を確かに表している。


 今の姫野の感情を表現するなら、危機感だろうか。手に入れたはずの物が、手元から滑り落ちていく感覚。身近にあって当たり前の物が、ある日どこかへと消えてしまう感覚。


 言うなれば恐怖の亜種。治療によって増幅された感情が、ガールズトークというきっかけによって花開いたのか。正解が何であれ、麗子は姫野の変化を嬉しく思う。同時に、真摯に向き合ってやらねばとちょっとだけ気を引き締める。


「姫野にとって、対等はどんなもの?」


「背中を任せられる存在。背中を任せるに足る存在だと、天原君は言っていました」


「そこは姫野の言葉で聞きたかったのだけど......まぁいいわ。要するに、戦場だ日常だってのは抜きにして、パートナーのような存在って事よね?」


「パートナー......? そうなのでしょうか?」


「だって背中を任せられる相手なんでしょう? 身も心もよっぽどの信頼を置いていければ、背中なんて任せられないわよ?」


「......そうなのかも、しれません」


 若干誘導尋問気味な気がするが、麗子は姫野の心の成長を考えて、あえて無垢な彼女を己の狙ったゴールへと誘導した。それこそが、姫野が人間として生きる一助になると信じて。


「だとしたら、姫野が考えている対等は間違いよ」


「間違い?」


「だってパートナーってのは、お互いの不足を補い合ってこそだもの」


「不足を、補う?」


「さっき私が言ったでしょう。源の苦手な細かい作業を、代わりに私が片付けていると」


「はい」


「考え方はそれと一緒よ。姫野にとって翔君は偉大な存在。悪魔を何体も討伐した、格上の悪魔殺しになりつつある。自分はそれに追いつきたい。だけど実力が伴わない。だったらいいじゃない。翔君は格上のままでいさせれば」


「えっ?」


「格下だからパートナーとして釣り合わないなんて事は無い。勝利の一撃は翔君が。そこに至るまでの道はあなたが切り拓けばいい。主役を引き立てる脇役も悪くは無いわ。それも一つの対等の形よ」


「......難しい、です。それに、主役や脇役に関しても、よく分かりません。対等なら、両方が主役じゃないんですか?」


 姫野はまだまだ、言葉を言葉のままで捉えるのが精いっぱいだ。対等とは釣り合っている事、明確な上下が存在していては釣り合っているとは到底言えない。


 なのに麗子はそのままで良いと言う。良く分からない。だけど、麗子が間違っているとも思えない。


「違うのよねぇ。まぁ、ここは追々と言った所かしらね。それに今思えば、幼い頃に連れて行ってあげたっきり、劇場なんてご無沙汰だったわね。これじゃあ例えとしても落第か」


「そう、なんですか?」


「覚えてない? 私はもちろん源だって、子育ては経験した事が無かったもの。幼い子供、それも感情表現を制限され続けた子にふさわしい教育は何なのか。あーでもないこーでもないと、頭を捻ったんだから」


「......ちょっとだけ、思い出せる気がします」


 おぼろげな記憶として思い出されたのは、今よりずっと小さかった自分の両手を、二つの手が引いてくれていた時の事。何を見たか、どこに行ったかはまるで分からずとも、どうしてか胸に温もりが生まれてくる。


「ちょっと、ちょっとか~......。親の心子知らずとはこの事ね。あぁ、深い意味は無いわよ。参考になったってだけ。むしろ、いつかに備えた勉強って面では、姫野には感謝しているのよ?」


「ご予定が?」


 婚姻やその後は、神事に深く結びついている。そのため耳年増に近いが、姫野は知識が豊富であった。


 そして、いくら姫野と言えども、麗子のお相手が一人しかいない事は分かっている。


「まだ先よ。あの人は、あなた達を守る事で手一杯だもの。でも、それでいいのよ。下手に在り方を歪ませて、いざハネムーンって時に似ても似つかない悪魔に愛を囁きたくは無いわ」


「それも、よく、分かりません」


 神事に関しては詳しい姫野だが、悪魔に関しては表層を(さら)った程度の知識しか有していない。それでも大抵の魔法使いよりは悪魔に対する知識は有していたが、麗子の言いたい部分にまで知識が辿り着いていなかった。


「ふふっ、それでこそ姫野らしいわ。あなたの嫁ぎ先が、天上の負け犬達でも、いまだ見ず知らずの方々でも、見知った誰かさんでも私は祝福してあげる。だからあなたは祝福に見合う、幸せな逢瀬を遂げなさい。それが保護者以上家族未満の女の願いよ」


「......はい」


 麗子の言葉は、やはり姫野には難しい。だけど、彼女にだって分かる事はある。それは、麗子が本当に自分の事を思って発言してくれているという事だ。


 分からないと言うのは簡単だった。けれども、それを言うべきでは無いという分別は持ち合わせていた。


 姫野の首肯を見て、麗子は空いている手で彼女の頭を優しく撫でる。その仕草には、家族未満と言う割に優しい慈しみが溢れていた。


「ちなみに翔君を狙うなら、今から唾を付け始めときなさいよ。マルティナちゃんはともかく、ニナちゃんは間違いなく隣を狙っているからね」


「唾......付ける......?」


 日本の風習は幼少期より数多く学んできた。けれど、姫野の頭には一定以上の信頼関係を結んだ相手に唾を付ける風習など存在しなかった。異国か、あるいは魔界の風習か。首を捻る姫野を見て、麗子は大きくため息を吐いた。


「第二次性徴はまだまだ先かしらね......」

次回更新は4/29の予定です。

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