ダンタリア式魂魄治療
「う、ん......? ここ、は......?」
「ようやく目覚めたかい縊り姫。いや、今の君の様子だと、眠り姫と呼ぶべきかな?」
「......継承様」
意識を取り戻した姫野の目へ真っ先に入ってきたのは、知識の魔王、継承のダンタリアの姿だった。その表情は無表情に近い作り笑顔であり、感情を読み解くのは難しい。
そんなダンタリアを抜きにしても、現状の把握に努めようと姫野は仰向けの状態から身体を起こす。そこで彼女は、ダンタリア自身を眠り姫と呼んだ理由に気が付いた。
「少々、魂を弄らせてもらったよ。でなきゃお目覚めと共に、君の魂への負荷は許容量を越えていただろう」
「えっと、ありがとうございます?」
姫野が身体を起こした寝台。その床面には左右対称の美しい紋様が、淡い紫色の光を放ちながら刻まれていた。効能は分からない。けれど、魔法陣である事は間違いない。そして、中央に寝かされていた自分が、効果の対象である事は確実だ。
ここが日魔連の地下にあるダンタリアの結界内だとすれば、保護者である大熊の目も比較的近い場所にあるはず。だとすれば、魂を弄ったと称する物騒なダンタリアの発言は、必要な治療であった言い換える事が可能だ。
長い眠りのせいか、眠りに至った原因のせいか。どちらにせよ、姫野は自分が眠りについていた理由をハッキリと思い出す事が出来ていない。そのため、状況証拠のみでダンタリアに感謝の言葉を伝えるしかなかったのだ。
そんな姫野の感謝を、ダンタリアは苦笑いで受け止める。
「理由の分からない感謝なんていらない。それは現状把握の完結と変わらないのだから。未知への探求心を失った感情なんて、知識の悪魔に対する貢物としては最低レベルの唾棄されるべき品だ」
「......すみません」
「いいさ。今回は運営側たるこちらの不手際でもあった。先ほどの非礼と今回の治療、それでラウラのやりすぎと相殺させて貰うとするよ」
「ラウラさんの、やりすぎ......?」
「おや、記憶まで削るつもりは無かったんだが。もしかして、二度目の訓練の内容まで欠落してしまったかい?」
「......はい。終盤が特に」
一度目にこれ以上無いほどの負けを喫し、そこから対策を練って二度目へ挑んだ事は覚えている。序盤は思い通りに事が進み、その後ラウラによって覆されてしまった事も覚えている。
だが、姫野の記憶はそこまでだった。ラウラの逆転を中盤とするのなら、自身が敗北したのであろう終盤の記憶がポッカリと欠落してしまっている。
思い出そうとしても、頭に浮かぶのは水気を大いに含んだ重量物が這いずる音くらい。それが何だったのか。それが何を成したのかがいずれも思い出せなくなっていたのだ。
「困ったね。全く、いい加減ラウラにも慎みを覚えて貰いたいものだよ。そんな所まで帰化先の空に似ずとも良いというのにね」
「えっと、何の事をおっしゃっているのか......」
「分からなくて当然さ。そもそも、これは君に関わる事柄じゃない。愚痴みたいなものだよ」
「はぁ......」
「刻まれた恐怖心をこそぎ落すだけで十分かと思いきや、密接に結びついた記憶にまで影響してしまうとは予想外だった。これじゃあ、リハビリがてらに少しずつ恐怖心を埋め戻したって、理解不能な恐怖が魂を苛むだけになってしまう」
「それが今の私の状態だと?」
「その通り。縊り姫、君は他の三人に比べても、遥かに物を知らない幼子だ。恐怖の意味を知らないから、死線に飛び込む事が出来る。痛みの意味を知らないから、自身の負傷に無関心でいられる。だけどまっさらで幼い心は、あらゆる外的要因で染まる可能性を持ち合わせている」
「......私は、染まってしまったんですね。おそらく、計り知れない暴力に見舞われる事で」
「正解だ。理解も追い付かず、抵抗も無意味な圧倒的暴力。それは君の心の中に芽生えつつあった、恐怖という感情を過剰に刺激してしまった。臆病さはどんな生態ピラミッドの頂点でも持ち合わせている感情だ。けれども、それは上に登るほどに小さく、包み隠せるほどになっていく」
「過剰な恐怖心は必要以上の怯えを生む。足が竦み、震えを始め、咄嗟の行動に躊躇を呼んでしまう」
「あの魔法は今の君には早かった。そこで君の教育方針を保護者と相談し、魂の削り出しに同意して貰う事にしたんだ。もちろん、削った分は埋め戻しているよ。下手に魂の形を変えると、保護者以上に負け犬共が騒ぎ出すからね」
本当は訓練場から図書館内に戻った時点では、姫野の意識は保たれていたのだ。しかし、過剰な恐怖が魂と心を蝕みつつある事に気が付いたダンタリアは、姫野を無理矢理眠らせた。
そこからは大熊と治療プランの契約を開始。魂を弄る事に最後まで渋っていた彼だったが、悪魔としての契約を持ち出す事によってどうにか頷かせる事に成功したのだった。
「詳細は省くよ。君はラウラを怒らせた。古の愚者達と同じように。いつも君達に見せているラウラの顔は、彼女の一側面に過ぎない。本気で怒った彼女は無表情になる。そして抑えていた魔力と魔法を一気に爆発させるんだ」
ラウラには二つの顔がある。一つは普段から若輩たる悪魔殺し達にも見せている、傍若無人で生粋の区別主義であり、平気で暴力に訴える常に不機嫌な顔。そしてもう一つが、逸話に語られる殺戮を繰り返した百一番目の悪魔と称される顔だ。
悪魔殺しは悪魔を討伐するほどに、自身の魔力量を増大させていく。稀に相性の良い魔力を吸収した際には、魔力の色を変質させ、新たな可能性を見出す事さえある。
ラウラが前回討伐した悪魔の数は、単独で八体、大熊達と合流してからはなんと七十五体。つまり分散はされつつも、八割以上の悪魔の魔力をラウラは吸収している計算になるのだ。
そんな魔力量の怪物が、本気の魔法と魔力をぶつける。そんなことをされてしまえば、少しでも魔力感知に優れている者は戦意を喪失し、直にぶつけられた者はショック死してもおかしく無いほどなのだ。
「......そうだったんですね。他の皆は?」
「悪魔祓いは直に目にしてしまったようだが、性格が性格だ。明日には何でもない風に整えてくるだろうさ。血族もショックは大きかったようだけど、元々ラウラとは家族。飲み込む事は可能だろう」
「天原君は?」
「......少年かい。彼は、なんとね......なーんにも気が付いていなかったよ」
「えっ?」
「普通私がテコ入れしてあげれば、出力は落ちるだろうけどきっかけ程度は掴める筈なんだ。なのに、少年ときたらこれっぽっちも魔力感知が身に付かない。あるのは野生動物のような、危機察知能力だけさ」
「それじゃあ」
「そう。あの騒動の中で少年だけは、事の重大さにいまだ気付いていない事になる。他人が右往左往する中で、それくらい強力な魔法が使われたんだな~って思っている程度じゃないかい? 全く、時には鈍感さというのも、身を助ける要因になるらしい」
「そう、なんですね。_天原君は、すごいね」
ダンタリアが姫野の治療に動き、大熊が本気の怒りを露わにしていた訓練後。当の魔力をぶつけられる側の一人であった翔は、あまりの鈍さに最後まで事態を把握出来ていなかったのだ。
せいぜいが強力な魔法を目にしたせいで、仲間達がショックを受けていると思い込んでいる程度。もちろんそれも要因の一つだが、彼女達がショックを受けた最大の原因はあくまでも魔力量だ。
今頃はニナと共にラウラの魔法へ対策を練っている所だろうが、対策を考えている時点で的外れが過ぎる。彼女達はいずれも、戦意を喪失しかけていたのだから。姫野に至っては、戦闘そのものに関われなくなる可能性すらあったのだから。
「これで大まかな現状把握は出来ただろう。悪いが、雑談はここまでだ。記憶を失っている君には、喪失の原因と削り取った恐怖を再び受け入れるためのリハビリを施さなきゃいけない」
「そうなんですか?」
「当たり前だろう。縊り姫、君の存在というのは、君が思う以上に細い糸の上で成り立っていると認識するべきだ。同時に、君の不調は様々な分野に悪影響を振り撒く。少年達はもちろん、負け犬達にもね」
「それは、すみません」
「二度も言わせないでおくれ。理由の分からない謝罪はいらない。君が行うべきは謝罪などでは無く、恐怖に打ち勝つことなのだから」
「はい」
説明的な口調ではあるが、今のダンタリアからは姫野へのプレッシャーというものはほとんど感じられなかった。その理由が姫野には分からない。そもそも考えてみればダンタリアが翔を何かと気に掛ける理由も、彼を経由して自分達に手を焼いてくれる理由も分からない。
けれども、姫野には受け入れるしかなかった。何しろダンタリアの提案は、どこまでも合理的でどこまでも正しく聞こえていたのだから。
次回更新は4/17の予定です。