荒天による余波
「うおぉぉぉっ!」
持てる限りの魔力を込め、眼前の巨壁に向かって突撃する。その間違っても対策とは言えない行動が、翔の選んだ答えだった。
擬翼一擲 鳳仙花を発動する事で、翔の身体は殺人的な加速をする。そして、そんな翔に迫る巨壁。インパクトまでの瞬間はコンマ数秒にも満たなかった。
「ぐっ! ぐぅぅぅっ!」
ギャリギャリギャリと不快な音を響かせながら、翔と巨壁が激突する。
岩盤と人の激突だ。本来ならば質量のままにすり潰され、翔の姿など形も残らないはず。それを自らの生み出した擬翼から発せられる青色の火花の奔流のみで耐えられているのは、ひとえにつぎ込んだ魔力の多さゆえ。
翔の魔法は大熊のものとは異なり、密度を操り強度を高める事など出来ない。出来る事など、せいぜい生み出した木刀の強度を魔力で補強するくらいだ。
魔力をただの力として用いるなど魔法としては下の下、非効率の極みと言える行いだ。しかし、裏を返せばどれだけ非効率と言えども、魔力量さえ伴えば一定の力を発揮する証左ともいえる。
人類の最高到達点とも言える大戦勝者に、魔法としては最底辺の魔力付与で挑みかかる。その無謀から拮抗状態を実現させて見せた規格外の魔力量は、圧倒的格上に二の矢をつがえさせるに十分な光景だった。
「相変わらずぶっ飛んだ魔力量だなぁ! 廃材の寄せ集め程度じゃ、突破は出来無さそうだ!」
「大熊さ_のうぇ!?」
響き渡るのは破砕音。続くは大熊の叫び声。突然前方の圧力が消えたように思ったのも束の間、翔の突撃は真下の地面へと思わぬ舵を切らされた。
擬翼一擲 鳳仙花はまさに奥義と呼ぶに相応しい力を秘めた魔法であるが、強力な力の代償にいくつかの弱点がある。
一つは膨大な魔力消費がある事。一つは高速で突進する技であるため、急旋回などの小回りは効かない事。そして、前方を擬翼で防御する関係上、視界が極めて不良になる事。
大熊の行った行動はシンプルだ。
強化された肉体で、巨壁と翔の激突場所まで大きく跳躍。そのまま巨壁の密度を奪い去って自らの蹴りで粉砕、勢い良く飛び出してきた翔に、踵落としを食らわせたのだ。
速度と突破力こそ素晴らしい擬翼一擲 鳳仙花だが、横からの一撃に対する耐性は皆無。衝撃によって無理矢理方向転換を強いられた翔は、そのまま地面に突撃させられる事となったのだ。
「おわあぁぁ!? がっ!? ごはっ! ごふっ......」
地面に小さなクレーターを作り出し、殺しきれなかった勢いのまま地面に何度も叩きつけられる。
「おいおい。あんな勢いで地面と熱い抱擁を交わしたってのに、もう立ち上がるのかよ。いくら痛覚を軽減されているからって、頑丈にもほどがあんだろ......」
擬翼を失う事によって取り戻した明瞭な視界は、目の前で困ったように頭を掻く大熊の姿を射の一番に映し出した。
翔がすぐさま立ち上がれたのは、巨壁突破のためにこれでもかと魔力を擬翼に込めていたため。当然大熊もそんな事は分かっている。だからこそ彼は翔の落下地点の地面に密度を集め、巨壁以上の堅い壁を作り出していたのだ。
だというのに、翔はよろよろと緩慢な動きだが五体満足で立ち上がった。彼をミンチにするはずだった地面は、逆に彼からの衝撃でクレーターが発生している。
「ごほっ、げほっげほっ。知らないんですか、大熊さん。子供は風の子、元気の子なんですよ」
「おまっ......そりゃあ精神的な健全性とか、免疫なんかの内的な強さを語る言葉だろうが」
「ごほっ......あんまりしっかりと考察しないでくださいよ。魔力をたくさん込めたから、何とかなった。ただそれだけです」
「なんだそりゃあ......ったく、将来が有望過ぎて思わず震えちまったよ」
「まさか。大戦勝者が俺程度に震えるはずがないでしょ」
力無い笑顔でへらへらと笑う翔。立ち上がりこそしたが、いまだに彼はフラフラと覚束ない足取りのままだ。そのため気が付いていないのだろう。大熊の手が小刻みに震えている事に。彼の魂が、翔を脅威であると認識している事に。
(相手が遊び半分だったとはいえ、武闘派筆頭の剣の魔王との戦い。木っ端とはいえ、一戦交えた後の国外代表との戦い。特攻持ちの協力者ありきとはいえ、本気だった血の魔王との戦い。組織でぶつかれたとはいえ、戦術で遥か上を行く零氷の悪魔との戦い。これが、四度も悪魔を退けてみせた悪魔殺し......)
人づてや本人談を交えた、天原翔の戦い。その壮絶な戦いの軌跡を、大熊は想起する。
果たして自分が同じ立場で、同じように生き残れたのだろうかと。果たして自分が同じ志で、多くの心を救えただろうかと。
(無理だ)
すぐさま否定する。自分は英雄なんかじゃない。ただ人よりちょっとばかりリーダーシップがあって、ただ人よりちょっぴりだけ誠実だったにすぎないのだからと。
自分が悪魔殺しだった時代は、激動の時代だった。人が無我夢中で人を殺し、同じ国の国民と言えど、思想が違うというだけで凶刃の露と消える時代であった。
それでも悪魔殺し達だけは団結していた。国に捨てられ、多くの人々を見捨てた重圧に苦しめられながらも、悪魔殺し同士だけは同じ志で戦う事が出来ていた。
だからこそ大熊は生き残れた。多くの死別に胸を締め付けられながらも、三人の仲間を生き残らせる事が出来たのだ。
現代は魔法使いの価値が、大熊の時代以上に高騰している時代だ。彼らの多くは母国と共謀し、古き血筋の多くは政府の中枢に潜り込む事すら可能となった時代だ。
そんな貴重な特記戦力だからこそ、悪魔殺しは秘匿される。どんな国に生まれ、どんな魔法を有しているかの全てが秘匿されてしまう。だが、それではダメだ。自分達が一致団結して、ようやく勝ち取れた勝利なのだ。そんな状態では、時を置かずして敗北が確定してしまう。
そんな危機感を持っていた大熊にとって、今回のダンタリアの要請は渡りに船であった。同世代の悪魔殺しに、仲間意識を持たせる。背中を任せるだけの信頼を構築させる。
実現のためには憎まれ役を買って出る必要があったが、自分を見る子供達の目が変わる程度、大熊にとっては些細な問題だった。全ては未来ある魔法使い達を、大きく羽ばたかせるために。
(そう思っていたんだが、なぁ......)
あらためて目の前の翔と向き合ってみて思う。この子は本当に、何の変哲も無い悪魔殺しなのかと。
悪魔と契約を交わした点には、思う所は無い。創造魔法を手にした部分も、引っかかるが飲み込める。けれど、この魔力量だけは納得が出来ない。一般人出身にしては、あまりに多すぎる。どこかの魔王が翔の生皮を剥がして正体を偽っていると言われた方が、まだ納得が出来るほどだ。
(......そのおかげで生き残れている。いや、そのおかげで多くを生かしていると言った方が正しいか......? ダメだ! あのボケ魔王が関わっているせいで、余計に理解が追い付かねぇ!)
本来、若い悪魔殺しの多くは初戦で命を落とす事が多い。
それは経験不足もさることながら、人間達の様々な思惑や悪意に曝され、身動きが取れなくなる事が多いためだ。姫野も、マルティナも、ニナも。三人が三人とも、ともすれば命を落としていた方が正しいとさえ思える人材だったのだ。
けれども少女達は生き残った。そして一人の少年と絆を深め、人間同士の協力が希薄だった現代において一定の関係を構築するに至っている。
褒められるような頭脳を有していない大熊でも分かる。キーとなっているのは天原翔。そして知識の魔王、継承のダンタリア。一人と一体が人魔大戦を歪めているのだと。
(何だ。どうしてあの野郎はあそこまで丸くなった? どうして翔と姫野達には、ここまでの御膳立てをしやがる? あいつが支援してやがるんだ。死なれちゃ困るのは間違いねぇ。いや、逆か? 死んでほしい場面があるのか? そこまで肥え太らせる事が目的で_)
思考の迷路に嵌り、突拍子の無い考えが脳裏を過る。そんなくだらない答えを頭から追い出し、戦いに集中しようとした時だった。
「ッ!? これは......! あんの、バカチビがぁっ!」
翔の時とは比べるべくも無い、全身を総毛立たせる圧倒的なプレッシャー。理解出来ないほどの魔力量を目にしながらも、驚く程度で大熊が踏み止まれていた理由。
翔を越える本物の魔力のバケモノが、遠方で莫大な魔力を解放した感覚だった。
「お、大熊さん......?」
目線を前へと向ければ、翔が困惑した様子で大熊を見つめている。
魔力量が大きすぎるせいもあるのだろうか。この少年は殺気に関しては人一倍敏感だが、魔力感知に関しては絶望的にセンスが無い。今も大熊の全身から噴き出した怒気を頼りに、声をかけたに違いない。
「翔! 戦いはお預けだ! 今すぐ、擬井制圧 曼殊沙華を展開しろ!」
「へっ?」
「急げ! そんで、麗子! そっちもいつまでも、じゃれあってんじゃねぇ! 天気は!?」
「はっ、はい!」
「はいはい。晴れのち雨、その後に曇りって所かしら? 天気雨、いえ、このタイミングだと驟雨が正解かしら?」
大熊の怒声が響き渡った事で、付近で戦闘を行っていた麗子とマルティナも臨戦態勢を解いた。二人の反応はまさに対極。呆れを含みながらも平静を保っている麗子と、顔色を真っ青にしているマルティナ。普段とかけ離れた彼女の様子に、翔も思わず心配する声をかけた。
「お、おいマルティナ......?」
「ありえない。こんな範囲に、こんな規模の魔力......」
「マルティナ。しっかりしろ、マルティナ!」
翔の結界が展開され、外部との魔力的な繋がりの一切が遮断される。それが契機となったのだろう。茫然自失気味だったマルティナの顔に、理性の色が戻ってくる。
「ア、アマハラ......」
「マルティナ! 正気に戻ったんだな! いったい何があったんだよ! 麗子さんとの戦いは、そんなに厳しい戦いだったのか?」
「ハッ、ハァッ!? あんた、あれが見えてないの!? あんなふざけた魔力の奔流、いくら魔力感知が無くたって何かしら引っかかるものがあるはずでしょう!?」
「魔力? もしかして、ラウラさんが何かの魔法を発動したのか?」
「ッ! 発動したも何も! その余波が今まさに、こっちまで押し寄せて_」
「えっ? はっ!?」
マルティナの言葉は最後まで続かなかった。
何せ彼女の姿はおろか、平静だった麗子や大熊の姿すらかき消え、いつの間にか翔の周囲は見覚えのある本棚の森へと変わっていたのだから。
「お疲れ様。しのぎを削り合っていたというのに、済まなかったね」
声に呼ばれて振り返ってみれば、そこにはダンタリアと顔に幾分かの陰が差したニナの姿があった。
「ダンタリア......ってことは、まさか!」
「そのまさかだよ。今回ばかりは、原因の説明は行おう。だからまずは、残りの招集を頼めるかい?」
翔を見つめるダンタリアは、珍しく困ったような苦笑いを浮かべていた。
次回更新は3/28の予定です。