怪異の源泉
「これまたお早い到着だ。よくこの場が分かったね?」
「......血の魔王の討伐から、匂いには敏感になってまして。継承さんには、ボクの使い魔の匂いが染み付いていますから」
「なるほど。根源が近い故に、取り込んだ魔力によって魂が寄った訳だ。君の心情としては不本意な変化だろうけど、もう血の魔王を討伐する機会なんてまず無い。これ以上近付く事も無いだろうから、ちょっとした拾い物だとでも思っておけばいいさ」
「......はい。ありがとうございます」
雨が振り止んだ曇天の中、ダンタリアとニナは山中に程近いビルの中で合流を果たしていた。
二人に目立った外傷は無い。強いて言えば降り出した雨によって、両者共に濡れているくらいか。しかしこの雨が無ければ、両者の合流は間に合わなかった。それどころか、ダンタリアの討伐によって敗北が決定していた可能性すらあった。
それを考えれば通り雨にやられた程度、何の障害にも満たないだろう。
「継承さん。その、お聞き辛いですけど、着替えの準備とかって......」
ラウラの雨模様は、雨粒を起点に転移現象を引き起こす。それを知っていたニナはすぐさま対策用の外套を身に纏ったが、ダンタリアはいつもと変わらない魔女染みた服装の隅々を濡らしてしまっている。
「もちろん無いよ」
「......ですよね。けどこのままだと、お師匠様の雨模様の標的になってしまいます。せめて可能な限り雨は拭いた方が......」
そう言いながら、ニナは外套を近くの椅子にかける。着替えの準備などあるはずも無く、ダンタリアに貸し出せるのはジャケットくらい。それではとても着替えとは言えない。
「大丈夫だよ。雨は降り止んだ」
「ですけど......」
ダンタリアと合流して間もないニナだ。この突然の雨が姫野によって引き起こされたものであるというのは、状況証拠でしか分かっていない。
もちろんどのような魔法であるかは知らず、どのようなタイミングで降り止む魔法かも知らない。そのためこの降り止んだ雨が、姫野が意図的に止めた雨か、彼女の敗北によって降り止んだ雨なのかが分からないのだ。
なおも雨が降り続くのであれば、濡れたままでいる事はナンセンスだ。いつラウラの魔法が雨模様に切り替わり、強制転移が起動するか分からないのだから。
だというのに、ダンタリアは大丈夫だと宣言する。まるで雨模様はこれ以降、使われないかのような言い草だ。仮に姫野の脱落の有無を抜きにしても、リグが解放されれば雨模様は選択肢に入るはずだというのに。
そんなニナの感情を表情から読み取ったんだろう。ダンタリアが薄く息を吐いた。
「気になるかい?」
「......はい」
「なら、一応聞いておこうか。血族、ラウラの魔法についてはどこまで知っているかな?」
「えっ? えっと、天候で使用出来る魔法が変わる事、四つの魔法大系に派生する事、一つの天候に付き一つの魔法しか操れない事、でしょうか?」
「ふむ。もう一つ聞いておこう。血族、ラウラが使える魔法は何種類かな?」
「......基本は四種類だと聞いています」
「基本は?」
「はい。一定の条件を満たす事で使用出来る魔法が存在するって、聞いた事があるんです。だけど、使用には莫大な魔力を消費する上に条件も面倒だから、普段は使用しないとも聞いています」
「......なるほど。まぁ、そこまで聞いているのなら、私が伝えた所で小言を貰うくらいかな? 血族、現世には様々な天候があるね? 晴、曇、雨、雪。それぞれが個性的で、替えが利かない天候だ。だけど天候というのは、それが全てかい?」
「どういうことですか?」
「そのままの意味さ。晴一つを取っても、雲がかかった晴がある。雨が降り出す晴がある。雹が降り出す晴がある。さて、ラウラの魔法は天候に合わせて使用出来る魔法が変化する。きっちりと天候を確定してくれるリグがいなくなった今、彼女の使用出来る魔法は何だと言えるかな?」
「は......? え......?」
その言葉はあまりにも予想外だった。ニナは幼少期からずっとラウラの下で、生活を共にしてきた。彼女の魔法を目にする機会はいくらでもあったし、心身が成長した後は挑むべき大きな壁としてそれらは立ちはだかってきた。
けれど思い返せば、ニナは中途半端な天候というものをほとんど知らない。記憶にあるのはラウラと出会う前。ピクニックの予定が天気雨で潰れてしまい、号泣した頃まで遡ってしまう。
言われてみればおかしかった。だけど言われるまで気が付かなかった。晴も曇も雨も雪も、どの天候も当たり前のように訪れ、気が付けば当たり前のように移り変わっていったのだから。
ニナは中途半端な天候というものをほとんど経験していない。おぼろげな時期まで記憶を遡らなければ、経験した覚えが無い。それら全てラウラが意図的に起こしていたものだったのだとしたら、彼女の相棒リグが制御していたものだとしたら。
「今の天候を現すのなら、雨のち曇り。いや、大した雨では無かったのだから、曇一時雨が妥当かな? さて、血族。この天候に対応する、ラウラの魔法を知っているかい?」
ダンタリアが微笑んだその時だった。
「わっ!? 何!? 何が起こって!?」
ガラスが割れる破砕音。続けて何か液体を詰め込んだ容器を転がしたかのような、チャプチャプという奇妙な音。すぐさま確認のためにニナが飛び出し、ダンタリアがゆったりと続く。
「なんだ、こいつら......! こんなの、見た事も無い......!」
それを例えるなら、ナメクジ状のスライムと言うのが一番妥当だろうか。そんな不定形一歩手前の大小様々なナメクジ達が、地面へ粘液の後を残しながらニナ達に迫りつつあった。
「くっ!」
両手に銃を構え、使い魔達を撃ち抜いていくニナ。幸いにして進軍速度は遅いため、単発銃でも問題なく撃ち抜いていける。
そして、ニナの弾丸は使い魔には特攻だ。まるで泡を吹くかのように内部から半粘性の液体を吹き出しながら、弾丸を起点として使い魔達は結晶化していく。
「よし! これなら!」
「残念だけど、そのスピードじゃ間に合わないよ」
「えっ!? なっ!」
迫る使い魔達を片っ端から討伐していくニナだが、ダンタリアの言葉によって気が付いた。どれだけ討伐しようとも、後から後から使い魔達が個体数を増やしている事に。
「そんな!? なんで!」
見れば新たに生まれる使い魔は、どれも侵入時に使い魔達が這った後や、絶命時に吐き出す水たまりから出現している。だが、魔力を起点とした現象であるなら、それらもニナの血液で連鎖的に潰せるはずなのだ。なのに使い魔の出現は止まらない。数が減っていかない。
「簡単な話さ。この魔法は、周囲の雨を起点として使い魔を生み出す召喚魔法だ。水たまり自体はあくまでも起点。魔力が通っているのは使い魔のみだ。おまけに_」
「継承さん? あぁっ!」
突然止まった説明に振り返ってみれば、ダンタリアの身体には同じ使い魔が湧きだしていた。雨を起点に使い魔が生まれる。その言葉が確かであれば、雨に濡れた衣服などももちろん起点の一つとなる。
ダンタリアの瞳に浮かぶのは諦観。ニナはここに至ってようやく気付く。彼女が濡れた服をそのままにした理由、大丈夫だと言った理由。それは戦況がもうどうしようもないくらい、ラウラに傾いてしまっていたからだと。
大量の使い魔に集られたダンタリアから、鈍い音が響き渡る。
その音と共にニナの視界は暗転し、見慣れた図書館が視界を埋め尽くす。
「これ、は......そうか。また、ダメだった......」
先ほどの光景などまるで気にした様子の無いダンタリアが、視界の奥でニナを手招きしているのが見える。
けれどもニナは、ぺたりと座り込んで動けなくなった。自分の師匠、人類最強の魔法使いというものが、どこまで高い壁なのかを実感してしまったがゆえに。
次回更新は3/24の予定です。