世界がゼロで増えていく
「ハアァッ!」
「覚悟してはいたけど、相性差が酷いわね。まったく源ったら、勝利を最優先するなら翔君の相手は私でしょうに......」
無数の黒色楕円と不可視の衝撃が飛び交う戦場。マルティナと麗子の戦いは、拮抗していた。
(麗子さんが見せているのは、カンザキを倒したゼロの飛び道具だけ。力試しって所かしら? まぁ実際、コレにすら対応出来ないなら、私に麗子さんの相手は務まらないものね)
マルティナ側は一度投擲した槍の衝撃を模倣。さらに模倣された衝撃を再度模倣する事によって、絶え間ない波状攻撃を行っている。
そして、そんな攻撃に対応する麗子の側も、攻撃に終わりは見えない。弾帯のように周りへ展開された楕円を連射するそばから、右手の万年筆が楕円を補充していく。
その右手の動きはあまりに速く、攻撃を模倣するだけのマルティナの魔法にすら追い付いている。魔法による補助か、はたまた反復による技術の賜物か。いずれにせよ、魔法の出力を上げるか別の戦法に移らない限り、麗子の牙城を崩すのは難しそうだ。
(それにしても、私が模倣しているのは衝撃だけだってのに、どうして麗子さんの魔法で迎撃が可能なのかしら? 何を足せば数字を加える魔法で槍の投擲を無効化出来るの?)
戦いのさながら、マルティナは一つの疑問に対する答えを導き出そうとしていた。
対面する麗子の契約魔法は、あらゆる数字的概念にゼロを加える契約魔法。本来飛び道具で戦おうものなら、片っ端から重量を加えられて彼女まで届く事を無いだろう。
しかし、マルティナの飛び道具に重量は存在しない。一番初めこそ彼女が背中の槍を模倣して実際に投擲する必要があるが、その後に模倣するのは麗子を狙った投擲の衝撃のみだ。
重量など存在せず、威力やスピードを上げようものなら逆効果。なのに彼女は自身の魔法一発で模倣の衝撃を相殺している。何かしらの数字を加えているのは間違いない。
「不思議かしら?」
そんなマルティナの考えが、麗子にも伝わったのだろう。腕の動きだけは絶やすことなく、マルティナに微笑んで見せる。
「......えぇ」
「ふふっ、こうまで魔法が飛び交うと、瞳を使った魔力感知には厳しいものね」
麗子の言う通りだ。
マルティナの魔力感知は、自身の視界を通して魔力の動きを漠然と捉えるもの。こんな場所で発動などすれば、飛び交う魔力で逆に視界が阻害されてしまう。
そのため、戦闘開始直後から魔力感知は切ってあった。最初から横入りは警戒していない。された時点で、いや、護衛側の誰かが倒れた時点で敗北は間違いないからだ。
「上を見て感知を発動してみなさい。そうすれば、聡明なあなたなら分かると思うわよ」
「上......?」
いつもの悪魔との戦いならば、敵に塩を送られたとマルティナは憤慨しただろう。しかし、この戦いはあくまでも訓練。しかも相手は圧倒的格上だ。元々胸を借りるつもりで挑んでいたマルティナは、素直に上を向いて魔力感知を発動させる。
「これ、は......」
そうして気が付いた。自身の模倣した衝撃が、どれもあさっての方向へ向かって飛んで行ってしまっている事に。
麗子の魔法は、飛び道具状態では加算する事は出来ても減算は出来ない。すなわち重さを加えられたわけでも、スピードを加えられたわけでも無く、衝撃達はあさっての方向へ飛んで行ってしまっている。
実体の無い力に加えられる数字など、たかが知れている。誉め言葉と共に讃えられたマルティナの頭脳は、瞬時に答えを導き出した。
「そうか! 角度!」
「正解」
模倣された衝撃には、実体が無い。しかし、どこかへ飛来する以上、その力には必ず角度が存在する。麗子はそんな角度に対してゼロを加えたのだ。
複数の衝撃がぶつかり合う渋滞を起こさないよう、模倣した衝撃は広く展開して射出される。それぞれの麗子へ向かう角度が別である以上、角度を加算されれば滅茶苦茶な方向へ飛ぶのは当然だ。
仮に180度真っすぐに飛来する衝撃があったとしても、一つゼロが加われば1800度。五回転しなければ辿り着かなくなってしまう。
回転がそれまで飛んでいた距離を反映して五回転するものでも、その場でくるくると五回転するものでも、一時的な停滞を招いているのは間違いない。
そうなれば後ろから飛来する衝撃とぶつかり合い、勝手に相殺消滅してしまう事は確実だ。麗子はこの方法で、実体の無い空中戦を互角で押し留めていたのだ。
「これじゃあ......」
「そうね。その戦い方じゃ、絶対に私へ届かない。どう? 押し付けられるプレゼントって、ここまで鬱陶しいのよ」
マルティナが真実へと辿り着き表情を歪める一方で、麗子の顔は余裕そうだ。決着が付かなければ、ここから始まるのは消耗戦。そして、マルティナが相手取る麗子は悪魔。どちらの魔力が先に尽きるかは目に見えている。
いっそ大熊ではなく彼女が大戦勝者であれば、絶えず動かしている右手にも負担がかかり、非常に地味だが疲労困憊という勝ちの目も存在するだろう。けれど仮初の肉体である時点で、それも望み薄だ。
「なら!」
「あら」
背中に蝋で出来た翼を生やし、マルティナは空へ浮かんだ。
そのまま槍を横へ一閃。さらに衝撃を模倣する事で、斬撃のカーテンを作り出す。
(飛び道具での決着は出来ない。なら、近付いて勝負を決めるだけ!)
このまま膠着状態が続いても、マルティナの敗北が決定付けられるだけ。ならばその未来が確定しない内に、別の戦法へ移る。そうしてマルティナが考え出したのが、衝撃を展開させながら自分ごと麗子へ突っ込む強襲攻撃だった。
想像するのは翔の奥義、擬翼一擲 鳳仙花。飛来するゼロの加算は展開した衝撃で防ぎ切り、麗子本体へはマルティナ自身が攻撃を仕掛ける。
彼女の魔法は、あくまでも遠距離戦を主体としたもの。近距離には万年筆本体による魔法のリスクもあるが、少なくとも事態を悪化させるほどの脅威は無い。
例えこの行為が敗北に繋がったとしても、麗子から次なるアクションを引き出す事は出来る。投擲の衝撃もろとも、麗子へ突っ込もうとした時だった。
「マルティナちゃん。地上の気圧って、知ってるかしら?」
麗子がゼロの一つを、何もない空中へと射出したのは。
空中へ溶けるように消えていく、黒色楕円。突然の不可思議な行動を警戒し、マルティナは突撃を中止した。
「私達が立っている地上はゼロ気圧。そこから空中に行くほど気圧は下がって、深海に進めば気圧は上がる。何を言ってるんだと思っているかしら? それとも聡明なあなたなら、ゼロ気圧なら何も問題ないと思っているかしら?」
マルティナの考えは後者だった。
麗子の話し振りからするに、彼女は気圧に対して加算を行ったのだろう。だが、麗子の魔法はゼロを付け足す魔法。それがどんな数字でプラスマイナスのどちらであろうと、ゼロだけはダメなのだ。
ゼロにゼロを加えて桁が変わったとしても、その数字が持つ意味は変わらずゼロだ。麗子の魔法は、唯一ゼロに対しては変化を起こせない。無に対しては文字通り無力の魔法なのだ。
そのため、マルティナは改めて突撃を再開しようとした。しかし、念のため発動していた魔力感知がマルティナの瞳を通して脳へ警鐘を鳴らす。自分が突撃を行おうとした空間に、麗子の魔力が満ちていると。何らかの魔法がきちんと発動していると。
「世の中には、言い換えられる数字が複数存在するわ。ヤードやポンドなどの文化的な数字はもちろん、ヘクトパスカルのような科学的な表現も。地上はゼロ気圧、だけど約1013ヘクトパスカルでもある。この意味、分かるわよね?」
「っ!」
麗子の警告、それをマルティナは正確に受け取った。
彼女の魔法はゼロを加算する。1013ヘクトパスカルに加算などすれば、10130ヘクトパスカル。日本の緯度で換算すれば、水深1000メートルでかかる圧力と変わらない。
麗子の魔力が漂う空間には、水深1000メートルと変わらない世界が広がっている。そんな場所へ生身で突っ込みなどすれば、全方位からの圧力によって押し潰されてしまう事になる。
突っ込む事など出来ない。麗子に近付く事が出来ない。
「理解してくれて助かったわ。それじゃあ、もう少しだけ不毛な戦いを続けましょうか」
全てを与える大戦勝者の相棒は、珍しく嗜虐的な視線でマルティナを見つめるのだった。
次回更新は3/4の予定です。




