楕円の正体
「では、私の推測を話したいと思います」
誰に言われるまでも無く、姫野は率先して話し始めた。
感情表現の乏しさと常識の欠如によって勘違いしがちだが、姫野は案外空気の読める方だ。言われれば直すし、似たような局面では正しい選択を考える。その上で、姫野は自身による話し出しが必要だと判断したのだろう。
「やる気があるのは良い事だ。ぜひ、君の考えを聞かせてくれ」
ダンタリアも彼女の選択に文句は無いらしい。むしろ、余計な一手間が減って喜んでいるかもしれない。いずれにせよ、ダンタリアが求めているのは姫野が麗子の魔法を見抜く事。仮に外してしまったとしても、僅差、あるいは愉快な推測である事が必要なはず。
姫野がダンタリアを満足させる事が出来るのか。いまだに口の拘束を解かれないままの翔には、心の中で応援をするほかない。
「まず大前提として、麗子さんとの戦闘について説明を挟みたいと思います」
その言葉に続けて姫野が話したのは、麗子が使用した奇妙な魔法。
右手の万年筆によって空中に描かれた無数の楕円。それが弾帯の如く麗子の周りを旋回し、彼女はその一つ一つを飛び道具として利用した。
速度は魔法を用いずとも躱せる程度。しかしとにかく数が多く、補充も容易。麗子に消耗の様子も無い事から、姫野は何かしらの契約魔法だと判断。
準備が完了する前に決着を付けようとした姫野だったが、必中の一矢は麗子の魔法によって無力化。最終的には自滅のような形で終わってしまったと。
「分かりやすい説明をありがとう。けど、これだけで本当に魔法を掴めたわけ? ハッキリ言うけど、麗子さんは実力の一割も出していいないと思うわよ」
真っ先に意見を出したのは、予想通りマルティナだった。
その指摘に棘は無く、言っている事は至極真っ当。むしろ下手な推測でダンタリアの機嫌を損ねる前に、さっさと謝っておけと言っている。
いくら実体験していないとはいえ、それだけの情報で魔法を見抜くのは難しいと思っているのだろう。
「ボクもマルティナに賛成だよ。それだけの情報だと仮に触りは掴めていても、必ず奥がある」
ニナはマルティナに賛同するようだ。
実戦経験に乏しいとはいえ、彼女も多くの魔法使いを知っている。そんな彼らと比べてみても、姫野の情報には確信が無さすぎると思ったのだろう。
(神崎さん、厳しいんじゃないか......?)
声こそ出せないが、翔も同意見だ。数多くの悪魔と戦ってきた彼からしてみれば、麗子の動きはあまりにも露骨に見えた。
まるで見せるべき部分のみをわざと見せ、勘違いを誘っているかのような動き。推測を外した所で、ダンタリアから皮肉の一つを貰う程度だろう。しかし、大トリを任せられた状態での失敗は、彼女が気にしないとしても翔の据わりが悪くなる。
どうせなら、ヒントの一つでもねだってから挑戦した方がいいのでは。傍目から見ればラウラと同等レベルでダンタリアと気安い関係である翔は、軽い気持ちで姫野の推測を見守っていた。
だが、翔は気が付いていない。ダンタリアの表情から、三人の合格を祝った際の笑みが消えている事に。いや、実際に笑みは消えていない。見る者が見ればすぐに作り笑顔であると分かる、張り付けたような笑みなだけだ。
この意味を姫野だけは理解していた。だから彼女はマルティナ達の制止に首を振った。偽りの死に際で得た、唯一無二の情報があったのだから。
「大丈夫。まだ皆には話していない、一番重要な情報があるもの」
「重要な情報?」
「えぇ。麗子さんが、私に止めを刺した魔法よ」
姫野は当時を思い出しながら語る。自身に吸い込まれていく麗子の弾丸。そして訪れたのは、グシャリという圧壊音。彼女の飛び道具を説明するのなら、黒色の楕円という表現は不十分だ。
「零。麗子さんは数字の零を実体化させて、飛ばしてきていたの。あの人の魔法は、あらゆる数字に零を書き足す魔法なのよ」
「......」
「ど、どういうこと!?」
思案顔のマルティナに先んじて、ニナが説明を求めだした。彼女に促される形で、姫野は補足を始める。
「別の魔法の影響か、それとも麗子さんの悪魔としての特性か。もしかしたら、あの万年筆に備わった能力かもしれない。いずれにせよ、おそらく麗子さんにはこの世のあらゆるデータが数字として見えている。あの人の魔法は、その数字に零を書き足す事が出来るの」
「......なるほどね。カンザキの意見を正しい物として考えましょう。そうなるとあなた自身の身体が潰れた理由も、必中の一矢が推力を失った理由も一応の納得が出来る。天若日子の矢、確か天上から投げ返された物のはずよね?」
「えぇ。飛翔物すら必中させる一矢だけど、逸話自体は射手である天若日子様が返り討ちにあって終わる話よ。元々が天から地へと落とされる事で終わる一矢。加重によって地に落ちるのは、ある意味逸話通りなの」
仕える神こそ違えど、姫野とマルティナは共に神職の悪魔殺しだ。
彼女達は知っている。逸話を用いた魔法の強みと弱みを。
強みはもちろん、姫野の矢のように外付けの力が付与される場合だ。
ある程度の弓術は収めている姫野だが、どれだけ努力した所で必中の一矢は放てない。彼女が力を借りた天若日子の魔力が乗るからこそ、矢には必中と飛翔物に対する特攻が付与されるのだ。
そして弱みとは、その魔法の弱点や欠点として発現する場合が多い。
マルティナのダイダロスの翼が良い例だ。彼女の翼は蝋で組み上げられた偽りの翼。生物の翼としての能力は皆無であり、破損すれば飛翔能力も喪失するという魔道具に近い性質を持っている。
太陽の熱で融解し、愚かな息子を溺死させた翼。さすがに砂漠の熱気程度ではものともしなかったが、ラウラの晴模様でも喰らえば一溜りも無いだろう。
「強みを活かすために使用した魔法が、逆に相手の魔法で弱みを突かれてしまった。結果として相手の魔法を見抜く成果に繋がったけど、褒められる内容では無いわね」
「えぇ。私の魔法は、特に扱いが難しい物だから。この失敗は心に刻むつもりよ」
八百万の神から魔法を借り受ける以上、カタログスペック以外の好悪は数え切れぬほど存在する。姫野としても、こんな失敗は一度で十分だった。
「えっと、それで、結局推測は当たったの?」
所在無さげな表情で、ニナが二人へと問いかける。
いくら仲が悪くないと言っても、専門用語で会話をする場所に割って入るのは勇気がいる。それでも話しかけたのは、同じように二人の会話を見つめていたダンタリアの顔に薄っすらと笑みが浮かんでいたから。
これが正しい意味での笑みなら良い。姫野の推測が、彼女のお眼鏡に叶った事を意味しているのだから。しかし、怒りという意味の笑みならマズい。推測が大外れな挙句、そのトンチンカンな推測を下に二人で議論を始めてしまっているのだから。
「気を使わなくていいよ、血族。私の笑みは、満足と期待以上を目にした事であるのだから」
「す、すみません!」
だが幸運な事に、姫野の推測は今度こそ的を射ていたらしい。
「では、全員合格という事ですか?」
「いいや、最後に質問だ」
「なんでしょう?」
「君が言った事だよ、縊り姫。麗子の魔法が加重の魔法であるのなら、大熊達の登場はどう説明するんだい?」
「あっ......」
ニナが茫然と声を漏らす。
ダンタリアの言う通りだ。大熊と麗子は二人の前へ登場する際、まるで大跳躍でも行ったかのような登場を果たしたのだ。大熊の魔法が密度を操る魔法で、麗子の魔法は零を加える魔法。
これではどうやっても、あのような登場は行えない。
「これはあくまで推測の推測になります」
けれども姫野に慌てた様子は無かった。
彼女は律儀な性格だ。約束とは絶対であり、言い付けとは必ず守る事である。
そんな姫野が後から説明を果たすと言っておきながら、準備を怠るはずが無い。話すタイミングを計っていたのだろう。その証拠に、今の姫野は真っすぐダンタリアを見つめている。
「よろしい。話してくれるかい?」
「はい。そもそも零を空中に作るだけなら、万年筆は必要ありません。であるとしたら、あの万年筆単体にも何かしらの魔法の発動トリガーが含まれているのではと思いました」
「ほうほう。それでどうやって空中散歩を可能にするんだい?」
「万年筆を含めて、ペンには多くの使い道があります。書く事はもちろん、元々あった物に付け足して意味を変える事も、元々あった物を塗り潰す事も」
「......結論を聞こうか」
「付け足す際は零を飛び道具として利用出来ますが、麗子さんの魔法は数字を塗り潰す事で減算する事も可能な魔法なのだと思います。その魔法を用いて体重を減らしてしまえば、大跳躍も可能です」
「素晴らしい。合格だよ、縊り姫」
ダンタリアは笑っていた。まるで奇貨を拾い上げた幼子のように。
次回更新は2/13の予定です。




