またねのバイバイ
瞼を閉じているにもかかわらず、光を感じる。
朝になったことで日光が自分の顔を照らしたのだろうか。寝起きのモヤのかかった頭でそんなことを考えながら翔は目を覚ました。
「う、ん?」
目を開く。すると自分が入院患者のようなガウンを着せられ、身に覚えのない柔らかく真っ白なベッドに横たわっていることが分かった。
それを目にした途端、翔の脳裏には悪魔との激闘とそれに伴う極限の疲労によって、気を失ったことが思い起こされた。
「そうだ! 俺はあの時、ぶっ倒れて...... 戦いはどうなったんだ!? 神崎さんは!?」
「戦いは悪魔を一体討伐、一体を撃退したことで私達の完勝よ。姫野も無事。むしろあなたの方が重症なのよねぇ......」
「麗子さん!」
声のした方向へと振り向くと、麗子が困ったような顔をしながらリンゴを剝いていた。
「少なくとも、このリンゴを無駄にしなかっただけでも良かったかしら。翔君のお友達、あなたが山から落ちて大けがをしたと聞いて、飛んできたそうよ。大切になさいね?」
「えっ......? どういうことで、っ痛づ!?」
麗子の言葉が正しければ、人魔大戦から遠ざけようとしていた親友二人が翔の負傷を知ってしまったことになる。
その真意を問いただそうと身体を動かそうとした時、翔の身体に激痛が走った。その様子を見て麗子はため息を吐く。
「全く、無茶しないの。翔君は丸一日気を失っていたのよ。傷の方も魔道具で回復させたかったのだけど、肝心の翔君の魔力は空っぽ。この魔道具、優秀なんだけど負傷者の魔力でしか起動できないのが玉に瑕なのよねぇ」
「丸一日...... それで誤魔化すために、山から落ちたってことにしたんですね。でも二人はいきなり山に行った俺を、不審に思ったりしなかったんですか?」
いくら学業の方が悲惨でも、勘は働く二人だ。
山に行ったことと大怪我を負ったことだけを話したら、今まさに物理的にも痛い腹を探られまくるに違いない。それをどうやって納得させたのか、翔は疑問に思った。
「えぇ。そう思われて当然だから、姫野が家業の関係で当分学校に通えなくなることを伝えて、最後にお世話になった翔君と星を見に行ったことにしたの。そこで山登り中に足を滑らせてってことで。気絶してたとはいえ、こんな嘘をでっちあげてしまってごめんなさいね」
「えっ、えっ? 嘘は構いませんよ。でも姫野が学校に来なくなるってのは、どういうことなんですか?」
「借り受けた力の関係ね。武速須佐之男命の力を使う対価は、一定の期間、彼の元で世話役の仲間入りをすることなの。そのせいで当分姫野は神様の座に縛られることになるわ」
「そんな!? もし、神様が一定の期間という約束を破って、神崎さんを閉じ込めたりしたらどうするんですか! それにそんな場所に神崎さんが行ったら、きっと我慢出来なくなって、襲う神様も出てきますよ!」
腹ペコの猛獣の檻に、大好物の生肉を放り投げるようなものだ。
いくら力を借りるためとはいえ、そんなことをしたらせっかく命がけで悪魔を倒して、魔力を強化したのが台無しになる。
「大丈夫よ。私も神の事は信用してないけど、契約だけは信用してる。神にも悪魔にも契約というものは絶対。どれだけ他の神が姫野に手を出そうとしても、武速須佐之男命との契約を履行している間は、そいつ自身が姫野を守ってくれるわ。そうしなければ契約を履行させることすらできない神として、信用を落とすことになる」
「でも......」
それでも大多数の神が徒党を組んで姫野に襲い掛かったら、さしもの最上位神といえど防ぎきれないのではないか。
同時に、悪魔達が最大の敵を排除した後に悪魔同士で争いだしたように、神の側にも争いが存在するのではないかと翔には思い当たったのだ。
「絶対は無いって言いたいんでしょ? けれど翔君の今考えていることは、悪いけどたられば論よ。姫野の魂がどちら側にあるかの違いでしかない。同じように、こっちの世界にいたとしても、我慢しきれなくなった神達が姫野に襲い掛かる可能性もあるのよ」
「あっ......」
「だからね。翔君が出来ることは、姫野を信じて送り出すことよ。もうすぐ出発の時間、あなたの魔力もすっかり回復したし、ここは日魔連の提携病院だから魔道具を使っても問題は無いわ。偽装も兼ねて最低限の負傷は残さないとだけど、身動きは出来る。それで、どうする?」
「行かせてください!」
翔は麗子が切ってくれたリンゴを勢いよく口に放り込み、力強い言葉を返した。
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「せっかく仲良くなったのに...... 戻ってきたら、今度は私とも一緒に遊びに行こうね」
「肝心な時に受け身を取りそこなった、武道家の面汚しは俺の方でしごいておく」
凛花が寂しげに姫野に別れの言葉を告げ、大悟がせっかくの逢瀬を情けない結果で終わらせた親友に苦言を呈する。
「せっかく仲良くしてくれたのにごめんなさい。ぜひ、一緒に行きましょう。それに私のわがままで天原君にケガをさせてしまってごめんなさい」
凛花と大悟の二人は、家業の関係で突然休学しなければいけなくなった姫野の見送りに、新幹線のホームを訪れていた。
きっかけは昨日突然学校を休み、大怪我で搬送されたという翔を心配して、病院に押し掛けた時だ。
最近の治安の悪さから、遂に翔も傷害事件の被害者になってしまったかと肝を潰した二人。だが、なぜか病院にいた姫野から事情を聞くと、そのあんまりな内容に思わず呆れてしまった。
本人は否定していたが、せっかく姫野という美少女と理想的な関係に発展していたのだ。
そのアドバンテージを一撃で破壊するような失態に、我らが親友にはラブコメを崩壊させる疫病神でも憑いているのかもしれないと本気で心配したほどだった。
そして命には別状は無いが、意識は戻らなかったことで別れの際にも立ち会えなかった翔を、口では馬鹿にしながらも後で慰めてやろうと二人は考えていた。
「いやいや、このあたりの山の中は私達の遊び場みたいなもんだったんだよ。それをたとえ夜だからって落ちる馬鹿が悪いから!」
「そうだそうだ。帰ってきたらあいつは、野山走り込みの山伏の刑だ。十分反省させるつもりだから、もし良ければ、もう一度だけあいつと星を見に行ってくれないか?」
「えぇ。今回は騒がしくなってしまったけど、全てが終わったその時は、みんなも誘って星を見に行きたいわ」
そう言って姫野は、微かに憂いを帯びるような微笑みを浮かべた。
ただ未来を期待するのではなく、自分の生きる道が苦難に満ちていることを理解した上での発言。その達観した表情は、彼女を年齢以上に見せ、大悟はもちろん同性の凛花ですら見とれさせた。
同時に、姫野にこんな表情をさせた親友には、やっぱり少しは制裁を加えるべきかもしれないと思っていた。
ジリリリリリと、けたたましい警笛がホームに新幹線が到着したことを知らせる。
「こちら、新幹線ツバクラメは10分の停止の後、上り線へと切り替わり発車いたします。下り路線と間違わぬようご注意を_」
「到着したみたいね。それじゃあ二人共、最後に見送りに来てくれてありがとう。また会いましょうね」
「うん! 絶対、絶対にまた会おうね! 待ってるから!」
「あぁ。神崎さんがいるとにぎやかになるからな。また会おう」
「はぁ......はぁ......ちょっと待ったああぁぁぁ!」
最後の挨拶を交わし、新幹線に姫野が乗り込もうとする。しかし、それに待ったをかける声が響いた。
「なぁんだ。案外軽傷じゃん」
「ほんとお前は...... 間が良いのか悪いのか分からんな」
「天原君......どうして......?」
親友二人の皮肉はとりあえず無視し、翔は姫野の目の前に立った。
「大切な友人の旅立ちの日に立ち会わないとか、とんだバカ野郎だろ? だから病院抜け出して突っ走ってきた」
「でも......全速力で走ったりしたら傷が開いて......」
「もう開いてズキズキしてる。だから気にするだけ無駄だよ」
「私との関係は終わりなのにどうして? それに私の話を聞いた人は、みんな私を可哀そうと思っても距離を取った。なのにどうして私のためにそこまでしてくれるの?」
純粋な疑問。
姫野は翔と対等な関係を築こうと言われた時も、その関係は翔の愛する町を悪魔の侵略から守るまでの間だと思っていた。
だからそれが終わった後も、わざわざ自分の別れに立ち会ってくれた翔のことが、理解出来なかったのだ。
「俺の意見は最初っから変わってない。ただ神崎さんの力になりたかったんだ。ずっと大変な思いをしながら生きている神崎さんを、少しでも助けられたらって思ったんだよ。 ......でもまぁ、一番は神崎さんが笑ってくれたら俺が嬉しいから。俺って人間は自己中なんだ」
「あっ......けど......私に手を貸しすぎたら......」
翔の真っすぐな善意に珍しく姫野が狼狽した。
魔法に無関係の二人がいるから口にこそ出さないが、最後の言葉は本当の意味で天罰が下るとでも言いたかったのだろう。
翔はそんな姫野の片手を無言で取り、諸刃山での決戦の前にそうしたように指切りの形を作った。
「あの時の約束じゃ、確かいつまでとか時期を指定していなかったよな。だからもう一度だ。約束しよう神崎さん。俺と神崎さんは対等だ。どちらかが止めたいと思うまでずっと」
「あっ...... うん」
そのか細い小指同士を繋いだだけの口約束は、魔法による縛りが一切無いにも関わらず、強く、強く姫野の胸に響いた。
彼女の感情を強く震わせた。
首肯を声に出しただけのそっけない返事。だというのにそのたった二文字には、存在を認められたこと、傍にいてもよいこと、生きていていいことを許された喜びがあふれだしていた。
普段から感情表現が乏しい彼女が浮かべたその笑顔は、他人から見ればぎこちない笑顔に見える。
だが、姫野を知る人間達から見たそれは、大輪を咲かせたと言ってもまだ足りず、真夏の太陽と言っても遜色ない美しい笑顔だった。
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「行っちまったか......」
出発から十数秒もしないうちに影も形も見えなくなった新幹線を思い、翔はぽつりと言葉をこぼした。
短い時間ながらも姫野と過ごした二日間は濃密なものだった。そして、一度は勝利したが、姫野の戦いは始まったばかりなのだ。
そんな姫野を勇気づけるためにと、最後に指切りをして約束を更新したのは正解だったらしい。あの笑顔なら大抵の困難なら乗り越えられる、そう翔は確信が持てた。
そう、そちらの問題はうまく解決したのだ。
「行っちまったか、じゃないよこのお馬鹿! 最後の姫野ちゃんの笑顔is何!? 翔のドジで好感度0になっちゃったかと思ったら、バリバリプラスじゃん! えっ、マジで指切りで攻略したの!?」
「おいおい、翔からそんな気障なセリフが出てくるとはな。まさか武道家とは表の顔、裏ではレディキラーだったとは......」
残念ながら、ことの一部始終を目撃していた親友二人がこんなおいしい状況を見逃すはずもなく、これでもかと翔をいじり倒しに来ていた。
「うるせぇ! ただ、これから大変な仕事に向かう大切な友達を元気付けただけだ! 好感度なんて存在しねぇよ! あと大悟! お前は傷が塞がった後に顔を重点的に殴る。覚悟しておけ!」
「はぁ~? あんな満面の微笑みを独占しておいて友達ぃ? 冗談も休み休み言いなよ。私達がお別れの挨拶をした時の笑顔は、さすがに作り笑いってわけじゃなかったけど、口角が上がったかどうかってレベルの笑顔だったんだよ!? 自分がどれだけ素晴らしい状況にいるか、このお馬鹿はわからないのかな~?」
「おっ、美少女の心を手に入れた指使いを封印したグーでいいのか? せっかくなら俺もそのフィンガーテクをお目にかかりたいんだがなぁ?」
ブチッ、あまりの煽られように、翔の中の何かが切れた。
「凛花ぁ...... やっぱりレディファーストって言葉は大事だよなぁ...... それと大悟ぉ...... そんなに指使いが見たいなら、はっ倒した後にお前の両肘の隙間に親指突き入れてやるよぉ!」
「やっば、煽りすぎた...... 三十四?五?計逃げるが勝ちだー!」
「おぉう、想像しただけで肘が痺れて来やがった。ははは! 行くぞ凛花、逃げろ逃げろ!」
二人が走り出し、翔がそれを追いかけるように走り出した。そんな三人を追いかけるように駅のホームに一陣の風が吹き抜けた。それは夏の暑さを忘れさせるような涼やかで、心地よい風だった。
これにて第一章は完結となります。
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