用意されたホテルにて
「わあぁぁ......! 一部屋にベッドが二つもある! 備え付きの冷蔵庫にケトルまで!」
「何に驚いてんのよ。普通のホテルの一室でしょ」
翔達と別れたマルティナとニナは、大熊に手配されたビジネスホテルへと移動していた。
日魔連事務所からもほど近く、町外れに近いとはいえサービスも悪くない。唯一意外だったことといえば、ニナのはしゃぎ様だろうか。
「だって、ボクの屋敷にはこんな内装の部屋なんて無かったし」
「あぁ、箱入りだったものね。だとしても、何回か外出したことはあるんでしょ? その時も見たことは無かったの?」
「えへへ...... 実はお師匠様の用意した家にしか入ったことが無くて」
「......そういうこと」
ラウラが身内に向ける愛情は格別だ。家族が不便を感じないように、リラックス出来るように。きっと用意した家というのも、ニナの実家によく似た物件をチョイスしてくれたに違いない。
「執事が食事を用意してくれてたから冷蔵庫なんか無かったし、部屋にあったのは水差しだけだったし」
「......なら、教えてあげるからケトルはそれまで使わないこと。用意してもらった部屋でボヤを起こしたなんて笑えないもの」
会話を続けながらも、マルティナはテキパキと荷物の整理を行っている。大部分は事務所へ置かせてもらっているが、貴重品や万が一の戦闘で使用する槍などは持ったままだ。
それらをクローゼットにしまい、あるいは部屋の空きスペースに配置し、無駄なく収納していく。一目見ただけで旅慣れていることが良く分かる動きだった。
「ありがとう、分かった。それにしても、マルティナはこういう旅には慣れてるのかい?」
見よう見まねで片付けを行いながら、ニナが問いかけた。
「当然よ。悪魔やそれを信奉する狂信者、悪意を持った魔道具や魔法生物なんてものは世界中で発生するのよ。悪魔祓いが地元に根を下ろしてしまったら、誰がそれらの相手をするっていうの?」
「マルティナはすごいんだね」
「すごいって何よ。さっきも言った通り当然のことをしているだけ。それにすごいって言うなら_」
「?」
一瞬言い出しそうになった言葉を、マルティナは慌てて飲み込んだ。
血族。それは教会においても重要な監視対象の一つだ。悪魔の魔力が混ざり、魔法の適性を引き上げられた者達。
そう言えば聞こえはいいが、実際には生み出した悪魔のアイデンティティさえ混ざりこんでしまうのが通常だ。
人を人と思わない悪魔の本質が混ざり込んでしまえばどうなるか。ほとんどの場合は、自我を得たタイミングで人間社会に牙を剥く化け物に成り代わってしまう。
本物の血族の相手こそしたことは無いが、傍流の討伐はマルティナも携わった事がある。ほとんど人間と変わらない存在に止めを刺す。固い信念を持った彼女でさえ、二度とやりたくないと思った仕事だ。
目の前の少女はそんな血族の生き残り。迫害されながらも、人類の側に立ち続けた立派な血族。
だが、そんな内容を褒めた所で何になる。父親や兄を殺され、母を傷つけられても人類の側に立ってくれてありがとうとでも言うつもりか。
もしも自分が言われた側であったのなら、迷いなく相手を殺しにかかっていた一言だ。
親しくなってきたことで、つい気が緩んでいた。誰にだって触れられたくない傷は存在するというのに。
「ねぇ、マルティナの家族ってどんな人達?」
「へっ!? ......私の?」
先ほど慌てて飲み込んだ単語が、ニナから飛んできた。そんな予想外のせいで、言葉尻が上がってしまったマルティナ。しかし、そんな彼女を気にする様子もなく、ニナは会話を続ける。
「うん。ほら、移動中も言ったでしょ。ボクの育った環境が特殊だったって。だから、多くの普通を知っているマルティナの環境がどうだったのか聞きたくなったんだ」
「私の、家族......」
「あっ! 言いたく無いことなら無理しなくていいよ! 本当に興味本位で尋ねただけだから」
「......別に構わないわよ」
「ほんと!?」
「えぇ。減る物でもないし。ただ、普通の環境を知りたいんなら、アマハラに聞いた方がいいんじゃない? 元々一般人だったあいつの方が、ニナの知りたい環境に近いと思うんだけど」
「えっと、あー......」
「どうしたの?」
「その、翔と一緒に戦った後、その質問は聞いたことがあるんだ」
「なら、そっちの答えを優先すれば_」
「けど、詳しくは言えないんだけど、翔も苦労してたんだ。ボクとは違う方向で。だから翔には余計共感しちゃ......って! 違う違う! そっちは関係ない! マルティナ?」
「アマハラが?」
「え? う、うん」
ニナが語らなかったこともあり、詳細は分からない。しかし、マルティナはずっと翔のことを、一般家庭の人間だと思っていた。
当然のように家族がいて、当然のように愛されて。そんな人間が悪魔と契約する機会を得て、遊び半分で人魔大戦に参加しているのだと思っていた。
もちろん、遊び半分の部分については、彼との決闘で間違いだった判明している。けれど愛されている事については、今まで否定する材料が無かったのだ。
家族を殺されたニナが、苦労していたと語ってみせる。いくら違う方向でと前置きがあっても、その苦労は推し量れる物では無い。
時に争い、時に共闘した相手のことを、自分は何も知らなかった。その事実に、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃に襲われる。
「たしか、ここまでの移動を助ける代わりに、ニナから話を聞くって約束だったわよね?」
「えっ? あっ! そっ、そっか! 順番から言えば、マルティナが先で_」
「でもいいわ。あなたのおかげで、知ってもらう事の大切さに気が付けたから。面白くない話になるわ。それでもいい?」
「!? う、うん! 喜んで!」
「それじゃあ話すわね」
歩み寄らなきゃ何も分からない。
多くを拒絶してきた少女は、この時、もう一歩前へ進む大切さを学ぶこととなった。
次回更新は12/19の予定です。