もう一度相まみえることを願って
確かな手応えを翔の腕に残し、ハプスベルタは後方へと吹き飛ばされた。
あまりの衝撃によって周囲には爆発が起こったかのような土煙が舞い、彼女の姿は視認することは出来ない。
「はぁ、はぁ、はぁ......がはっ......げほっ! げほっ! くっそ、きっつい!」
これまでの戦いの無茶と短時間の過剰な魔力消費が、ついにアドレナリンによる誤魔化しすら超えて、翔に襲い掛かってきた。
一度生み出せば消滅しないのか、木刀は彼の手元で煌々と青白い光を放っている。そんな木刀を杖代わりに用いることで、なんとか立ち姿勢を貫いている状態だった。
そんな満身創痍の状態ではあったが、それでも翔は土煙から目線を逸らすことだけはしなかった。
確かな一撃を加えた感触はあったが、数にしてみればそれは一発に過ぎない。
実戦の世界では相手が倒れるか、自分が倒れるかの二択でしか勝負が決することはない。だからこそ相手の戦闘不能を確認できない今の状況で、翔が休息を取ることは許されない。
「天原君」
そんな一本の線が張り詰めるような緊張感に囚われていた翔であったが、不意に最近聞くようになった、明瞭で落ち着いた声が自らの名前を呼んでいることに気付いた。
「よかった。神崎さん、無事だったんだ......って!? ボロボロじゃないか! 大丈夫なのかよ!?」
目を離すのを一瞬に留めようと考えていた翔が、思わず驚きの声を上げ、凝視してしまうほど姫野の姿はボロボロだった。
巫女服の白地部分は所々が血に染まり、白色を探す方が難しい状態。頭からも何度か血が流れた痕があり、目元に伝った血の跡のせいで血涙を流しているかのようにも見える。
極めつけは酷い火傷と無数の刺し傷がある左腕だ。この箇所だけは門外漢の翔でも、早く治療を行わなければ後遺症が残ると確信を持てるほどの有様だった。
「私は大丈夫よ。そういう天原君こそ、酷い切り傷がたくさんあるわ」
「いや、俺こそ大丈夫だよ。神崎さんこそ、その腕! 早く病院に行かないと大変だろ! ここは俺に任せて早く治療を」
「そんなことないわ。私は悪魔を討伐できたから魔力がある程度回復してる。余った魔力を使って治療用の魔道具だって使用できるわ。でも天原君はそれも出来ないボロボロの状態なの。だから天原君、ここは私に任せて先に治療を」
「そんな状態の神崎さんに、戦いを押し付けられるわけないだろ! あの野郎は強い剣士を求めてる。俺はともかく神崎さんに興味はない筈だ。だから、神崎さんだけでも今のうちに」
「天原君が」
「神崎さんが」
両者とも互いへの心配は人一倍だが、自分の心配は一切していない。
状況は変われど、その光景は事務所での言い争いの焼き写しのようであった。平等であることを誓っていても、平等に傷ついた場合は他人にばかり目が行ってしまうらしい。
「ははは! いい夫婦漫才だ! 勝者にふさわしい、仲睦まじい光景だよ!」
二人の穏やかな言い争いに、待ったをかけるような明瞭な声。
翔達がその声の方向に目を向けると、今まさに無傷のハプスベルタが楽しそうに土煙から現れたところだった。
「ハプスベルタ! 倒し切れてねぇかもとは思ってたけど、無傷なんてどんなトリックを使いやがった!」
「ふふっ、刀身をへし折られただけでは、剣は終わらないのだよ」
そう言ってハプスベルタは、持ち手部分すら粉々になったレイピアの欠片を翔に見せた。
決着の瞬間までは刀身が折れただけだったレイピア。その変化だけで、翔は全てを理解した。ハプスベルタは極大剣を砕かれた瞬間、もう片方の腕を使って、レイピアを引き抜いていたのだ。
持ち手のみになったレイピアで真っすぐ突きを受け止め、自らも後ろに飛ぶことで勢いを殺す。そうすれば、大半のダメージが飛ぶのはハプスベルタではなくレイピアの方だ。
翔が練り上げた発想で一時的に彼女を凌駕したように、彼女は彼女でとっさの発想によって狙い定めた一撃を凌駕していたのだ。
結果的に武器こそ破壊したが、彼女自身は余裕綽々。片や翔と姫野は満身創痍一歩手前、状況は確実にハプスベルタに傾いていた。
「少年、君の最後の一撃は本当に素晴らしかった! 覚醒した君の力を味わった時に、多少の痛手は覚悟していた。ただ、まさか用意した剣を二本とも破壊されることになるとは思わなかったよ。まったく、再生こそ可能だが、ここまで破壊されたら随分と時間がかかりそうだ......」
だが、場の空気を握っているハプスベルタはすぐさま戦いに移るでもなく、嬉しそうに溜息を吐くという器用な事をしながら、翔を称賛するのみだ。
「ありがとよ! ......で? さっきのが最終ラウンドなら今からは延長戦か?」
ハプスベルタの煮え切らない態度に、翔が挑発を行う。しかし、それでも彼女はにこやかな笑みを浮かべるのみだった。
「いやいや、君の力を知って宿敵足りえることが理解出来た。今潰してしまうのはもったいない。協力要請した本人が討伐されてしまった以上、戦い続ける義理もないしね。名残惜しいが退かせてもらうよ」
「許すと思うのか?」
疲れ切った身体に鞭を打ち、翔はなんとか木刀を構える。
間違ってもこの悪魔を逃がすわけにはいかない。彼女は宿敵を見つけ、それを打倒することを信条としていると言ったが、それが真実である保証は無い。
それに、例えば宿敵がいつまでたっても見つからなかったら。町の中で見つかり、魔法使い達との乱戦になったら。そういった場合に、彼女が一般人に手を出さない保証は一切無いのだ。
武器を失った今こそが好機。どれだけコンディションに差があろうと戦ってみせる。そんな覚悟を決めていた翔であったが、そんな彼を止めたのは意外にも姫野だった。
「天原君、あきらめましょう」
「神崎さん!?どうして!」
「あの悪魔は魔力をほとんど温存している。うかつに近寄っても魔法の餌食になるだけよ」
「けどあいつは剣は二本しか出せないって...」
「......あぁ。すまないな少年。どうやら勘違いをさせてしまっていたようだね」
「はっ?」
「剣は二本しか見繕えなかったが、他の物を出せる魔力は残していたんだよ。覚えておくといい、悪魔は嘘をつかないが煙に巻く。そして強い悪魔ほど生き残る手段を最後まで残しているものだ。剣の国は決して剣だけの国ではない。こんなふうにね」
ハプスベルタがそう言って手に掴んだ物は、剣の柄では無く、大型の機械の外側部分のようだった。
そして彼女がその部品を引っ張ると、ギギギッと木の軋む音を立ててそれが姿を現す。
「名はカタレプシー、現世で最も破壊を振りまいた投石器だ」
彼女の言葉は全てが真実なのだろう。あの極大剣すら霞むような巨大さ、どこにも存在しない刀身、そして今も駆動を続ける車輪機構。そのどれか一つを取っても、剣であると語るには無理があった。
全容を現したそれはとても巨大で、投石に使う岩石を探す方が大変なのではないかと思うほどの物だった。
しかし、逆にこんなもので投石されれば、どんな堅牢な城壁だろうとひとたまりもないだろう。その威容に翔はごくりと唾を飲む。
「そういうわけでね、退却させてもらうよ。少年、君は今代の人魔大戦の私の宿敵だ。どうか多くの悪魔を退け、私の全力に並び立つ実力をつけてくれると願っているよ」
ハプスベルタは投石機の射出部分に華麗に飛び乗った。
それと同時にギギギッと、投石機がひとりでに射出部分を傾け始める。あれに飛ばされることで逃げるつもりなのだろう。
妨害することは出来る。だが、姫野の証言とハプスベルタの発言、両方を鑑みれば妨害は自殺に等しい。
けれど、けれど例えこの結果が勝利と言えども、翔にとっては最後まで弄ばれたようでどうにも悔しかった。
「ハプスベルタ!」
「ん、なんだい?」
だから翔は声を出した。妨害は命に関わる。ならば口を出すだけなら構わないだろうと。
「実力差があることも分かってるし、そう呼ばれることが正しいのも分かってる。けどな! 散々少年だの新兵だの挙句の果てには徴用兵だの言われて、ムカつかないわけじゃねーんだよ!俺の名前は翔、天原翔だ! 宿敵なら、そんくらい覚えとけ!」
その時のハプスベルタのぽかんとした顔は、戦いで始まった彼女との関係からすると、とても新鮮なものだった。
「は......ははは......はっはっはっはっは!!! そうだ! その通りだ! 宿敵の名前すら知らないのは無礼千万、恥ずべき行為だった! 正しい! 間違いなく君が正しい! 天原翔! 君という最高の宿敵と出会えた事を運命の悪魔に感謝しよう! だから、どうか強くあれ! 真っすぐであれ!」
まるで言い終えるのが合図であったかのように、その瞬間投石器が起動した。
笑い声を上げながら空中に射出されたハプスベルタは、世闇に紛れてすぐに姿が見えなくなった。
その姿を見届けた翔は、遂に限界に達したのか、ばたりと倒れ伏した。横で姫野が何かしら話していたように見えたが、急激な眠気に襲われた翔は、そのまま目を閉じ意識を失った。
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