意思を持った影
「そんな子供だましのっ、作戦によってっ、最後の最後でっ、不覚を取りました!」
「そうか。それが無ければあるいは、そのカギを生かすことも可能だったかもしれない」
「っ! はい......! 一生の、不覚ですっ!」
翔が日本へ帰還してから数日経った頃、マルティナもまた、己の師の下へ帰還を果たしていた。
ギン、ギンッと規則的に剣戟の音を響かせながら、彼女は此度の報告を師に行う。対する彼は、ただ淡々と感想を述べるのみだ。
別に二人の仲が悪いせいで淡白な会話になっているのではない。元々彼らの間で行われる会話が、こういったものであるだけだ。
「守り切れた命を取り零したせいだろう。昔のように、前のめりになっている」
「はっ? ぐぅっ!?」
淡々と続けられている会話だが、その間にも二人の切り結びは続いている。むしろ、この戦いこそが彼ら二人の語らいとも呼べるだろう。
息を切らし、それでも攻撃を選択したマルティナに、ジェームズは半歩下がってカウンターを放つ。
斬撃はマルティナの頬を綺麗に薄皮一枚切り裂き、彼女に小さな痛みと大きな失敗を刻み込んだ。
「でもっ、でもっ、あの時はそれしかなかった! あいつの口車に乗るしかなかった」
勝利の余韻、戦いが終わったことへの安堵、それらは中央指令室を飲み込んだ水瓶によって、一瞬で消え去った。
守るべきレオニードは、多少魔法が使えるだけの壮年の男性。肉体も当の昔に陰りを見せており、逃げ出そうにも水瓶が物理的に遮断している。生存は絶望的だ。なまじ判断力が優れていたマルティナは、そう判断してしまった。
「そこを突かれたわけか。迂闊だったな」
「それ、はっ......!」
またも鋭い剣閃がマルティナを襲う。槍は攻撃に使用し、突き出したばかり。防御は間に合わない。そう判断したマルティナは、すぐさま刺突を模倣することで防御に使用する。
「がふっ!?」
だが、この攻撃自体が囮だった。腹部に鈍い痛みが走り、衝撃と反射によってマルティナの目線は下げられる。
日当たりが良いとは言えない部屋だ。昼間でも電灯が灯され、室内を明るく照らしている。そして灯りがあるということは当然、光から彼らの反対側に向かって、壁へと影が作られることになる。
通常であれば刺突のために槍を突き出したマルティナの影と、攻撃のために剣を振るジェームズの影が映し出されるはずの壁面。しかしそこに映るジェームズの影は、マルティナの腹部に向かって右拳を突き入れ、残った左腕はクスクスと楽しそうに笑う口元に添えられていた。
当然、その影は剣など手にしていない。
「イゾルデッ!」
「なぁに? 別にそこまで大きな声を出さなくても、私には聞こえてるよ?」
「そんなこと聞いてないっ!」
ジェームズの影が、疑問符を浮かべているかのように頬に指を当てて小首を傾げる。その態度にマルティナは激高し、ジェームズを睨みつける。しかし、彼もまた態度を崩すことは無かった。
「どうした、降参か?」
「違います! ただ私達の戦いに水を差してきた相手が許せないだけです!」
マルティナがビッと槍の穂先を壁面へと向ける。すると影は降参とばかりに両手を上げ、ぼちゃりと液体のように壁から零れ落ちる。
そのまま液体はどんどんと人型を作っていき、しまいには一人の女性となってジェームズへとしだれかかった。
カラスを擬人化させたかのような女性だ。背中にまで伸びる長い黒髪と同色の前髪は、右目を完全に覆い隠している。肌は一般的な表現を用いるなら浅黒く、非常識な表現が許されるのなら黒いというより暗い。地球上のどんな人種ともイマイチ合致しない色合いだ。
だとすれば瞳も同様なのかと思うだろうが、こちらは意に反してとても鮮やかだ。視点によって金色にも白色にも見える鮮やかな色合いは、見る者を魅了する怪しい輝きを放っている。
そして服装だが、闇を纏っているとしか言えなかった。ウネウネと動き続ける液体のような何かが、スレンダードレス状に彼女を覆っていた。
突然の登場とその後の行動。彼女のソレは仮に模擬戦とはいえ、あまりにも相手を舐め腐った無礼な態度と言えた。
「相変わらず帰ってくる度に荒れてるねぇ。どうした? 話し聞こうか?」
「話は聞いてもらっていたし、荒れてるのはあんたには関係ないし、そもそもこの怒りの原因はあんたのせいよ!」
「あっ、やっぱり? 薄々そんな予感がしてたんだぁ。ゴメーンネ?」
「~~!」
もはや怒りに任せて槍を放り投げかねないマルティナだったが、その腕はすんでの所で振りかぶるには至っていない。成長したマルティナの精神性ゆえだろうか。
いや、答えは別にある。それはマルティナ自身が、彼女に槍を投げることが無意味であると理解していたからだ。
「およ? 今までのマルティナちゃんだったら、コンマで投げるか数秒我慢しつつも投げるかの二択だったのに。そうかいそうかい。子供の成長ってのは早いもんだ。お母さん嬉しくなっちゃう」
「悪魔のあんたを母親呼ばわりすることなんて、一生無いわよ!」
遂に我慢しきれず、槍を投擲したマルティナ。しかし、投げられた槍は投擲の瞬間から、まるで時が止まったかのように空中で制止してしまった。
マルティナが憎々し気に壁を見やる。そこには投擲された槍の持ち手を掴む、イゾルデの影があった。
「ふっふーん。こうされると、実はマルティナちゃんって攻め手が無くなっちゃうんだよねぇ。模倣の魔法は模倣先があってこそ。その起こりが潰されちゃうと、新たな起こりが必要になる」
「ぐっ! だからあんたは嫌いなのよ......!」
得意げなイゾルデの表情に、マルティナは歯ぎしりをするしかない。
先ほど言っていたように、彼女は悪魔イゾルデ。大戦勝者であるジェームズのパートナーだ。性格は悪戯好きで無邪気な悪ガキ。特にマルティナをいじるのが大好きな彼女の天敵だ。
そして同時に彼女の悪魔嫌いを加速させてしまった第一悪者とでも言うべき存在であり、最近はイゾルデから近付かない限りはマルティナは徹底的に彼女を避けていた。
「えぇ~? 昔はあんなに突っかかってきてくれたのに。やっぱり子供の成長って早いね、旦那様」
そう言ってまたもジェームズに抱き着くイゾルデに、マルティナは歯ぎしりを加速させることしか出来ない。
彼女が言う様に、今でこそマシになったが当時のマルティナは徹底した悪魔排斥論者だった。悪魔は討伐すべき邪悪、大戦勝者の相棒とて変わらない。
そんな論理に突き動かされて討伐を目指すマルティナだったが、当のイゾルデには遊ばれた。それはそれは徹底的に遊ばれた。途中で鼻っ柱を折られ挑むのを止めたマルティナだったが、今度はイゾルデの方から突っかかってくるようになった。
そうして遊ばれては歯ぎしりをする毎日。彼女の出奔の原因には、イゾルデの存在もあったのだろう。
そんな悪戯好きの彼女だが、ジェームズの指示だけは忠実に従う。そのため真面目に模擬戦を行っている最中などは介入することが無かったし、マルティナが頼めばイゾルデの遊びも無くなっていただろう。遊びが無くならなかったのは、負けず嫌いの彼女がジェームズを頼らなかったためだ。
「そんなことよりも! 師匠、どういうことですか!」
そう、今までも散々遊ばれては来たが、模擬戦を邪魔されることだけは無かった。真面目な相談に水を差される事だけは無かった筈なのだ。
しかし、今回はしっかりと邪魔をされた。裏を返せば、それはジェームズの許可が出ていたことに他ならない。いったいどういうことだと詰め寄るマルティナだったが、やはりジェームズが表情を崩すことは無かった。
「不満か?」
「大いに不満です!」
淡々と問いかけるジェームズに、怒りの返答を返すマルティナ。しかし、ジェームズの次の一言は、そんなマルティナを沈黙させることとなった。
次回更新は11/17の予定です。