守護の一歩 その四
「うぶっ!? ガホッ! ゴホッゴホッ!」
「姫ちゃん、ダメっすよ~。服を脱いで浴室に入ったからといって、相手が丸腰である保証は無いっす。事前調査は暗躍の基本。せめて脱衣所と風呂場は事前に調査しておくべきっすね」
時は翔達がトルクメニスタンへ到着し、一夜を明かした頃。
姫野はダンタリアから与えられた課題である猿飛への襲撃を、今まさに失敗した所であった。
彼女から与えられた課題はどんな状況、どんな手を使っても、猿飛に死んだと思わせること。そのため姫野は猿飛が一番無防備になるであろう入浴中を狙って、襲撃を行ったのだ。
しかし、結果を見れば作戦は大失敗だった。
衣服は脱衣所に捨ててあったというのに、猿飛はポケットの付いた薄手のシャツとパンツを身に着けていた。そして、シャワーの流れる音を聞いてから押し入ったというのに、彼はシャワーなど浴びておらず、しっかりと目線もこちらを向いていた。
不意を突くはずだった姫野が、逆に不意を突かれてしまうという事態。その代償はクルクルと丸められたシャッター式のフロ蓋で、喉を突かれるといったもの。
ただのフロ蓋を命を奪い取る凶器に変える。これこそが猿飛の、ひいては日魔連五大派閥の一つである隠形派が磨き続けてきた技術なのだろう。
そして、仮にこの不意打ちを躱していたとしても、彼の衣服のポケットには様々な小物と呪符が詰め込まれている。続く追撃で姫野がノックアウトしていたことは間違いあるまい。
「相手の弱点を突く。それを考えるようになっただけで、姫ちゃんは成長したと言えるっす。でも、そこからさらに発展させなければ俺も、そして邪悪な悪魔にも遅れを取り続けることになるっすよ」
「ケホッケホッ...... 発展、ですか?」
ようやく咳が収まった姫野が、かすれた声で問いかける。
ダンタリアからも散々ダメ出しを受けた事だ。姫野の戦法は後手後手の対応型。けれど、自身の性格を考えるのなら先手の打ち方を学んでおかないと手遅れになると。
そのために始めたこの訓練だが、姫野にとっては全てが初めてで、そのため全てが探り探りの連続だった。
「そうっす。例えば姫ちゃん。姫ちゃんは俺が風呂場に入る音を聞いて、シャワーの流れる音を聞いたから襲撃に入ったんすよね?」
「はい」
「その入る瞬間をどうして肉眼で確認しなかったんすか? もしそれが出来ていれば、俺が衣服を身に着けたまま風呂に入るのが見えたはずっす。そうすれば、俺が警戒していることも分かったはずっす」
「えっと、それは......」
「あー、あー......皆まで言わんでいいっすよ。どうせ、婚姻以前で裸体を覗くのは失礼であるとか、そんな神事的なあれっすよね?」
「......はい」
「はぁ~...... 目に見えて落ち込まんで欲しいんすけど、そもそもこれに関しては神様達にヘソを曲げられでもしたら大惨事っすから、別にそういう方法もあったっていう一例に過ぎないっす」
「それだと、風呂場で猿飛さんから一本を狙うこと事態が間違っていたってことですか?」
「そう、そこっす! 俺が言いたいのは、俺に死んだって思わせるだけならもっともっと方法はあったってことなんすよ!」
「たくさんの方法があった?」
「姫ちゃん、そこにある換気のための通気口が見えるっすか?」
頭に疑問符を浮かべたままの姫野を置き去りにして、猿飛が天井の通気口を指差した。
「はい。分かります」
「それじゃあ位置を入れ替えるっすから、ちょっと背伸びしてあの通気口をずらしてもらってもいいっすか?」
「.....? はい」
言われるがままに猿飛と変わる形で、姫野が風呂場へと入る。
その際にどうにか猿飛から一本取れないかと隙を伺ってみるが、やはり一切の隙は無い。
早々に一本はあきらめ、言われた通りに通気口の蓋を横へとずらす。するとあまりにあっさりと通気口の蓋は外れ、換気扇とその奥に広がる外の暗闇が覗けるようになった。
「じゃあ次に、換気扇ファンを時計回りに回して貰っていいっすか?」
言われた通りに回してみると、これまた呆気なく全てのファンが外れた。
「最後に大本の配線を引っこ抜いて、換気扇の接続部分をそれぞれ、さっきの方法で外して貰っていいっすか?」
ここまで指示が終われば、察しの悪い姫野でも猿飛が言いたいことが分かった。
風呂場から事務所の外まで一直線に繋がる通気口。大熊ほどのガタイでも無ければ、大の大人が悠々と入り込めそうな通気口だが、先ほどまでは換気扇が邪魔をして中に入れなかった。
しかし、猿飛に方法を教えて貰ったらどうだ。いつの間にか密室であった風呂場には、外へ直通の脱出路が出現してしまっている。
こんなこと姫野は知らなかった。いや、調査不足だった。
一番初めに猿飛が言っていたではないか。自分は事前調査不足であったと。
「さて、姫ちゃん。このギミックを見て何を思ったすか?」
「......猿飛さんの言う通り、自分は準備不足でした。もっともっと、周りに目を付けなければいけませんでした」
仮に不意を付けた所で、この場で猿飛から一本を取るのは不可能だった。それを彼は伝えようしていたのだと思った。
しかし、答えた姫野を見る猿飛の表情は苦笑い。求めていた答えが出なかったことを物語っていた。
「姫ちゃん、よ~く聞いて欲しいっす」
「はい」
「姫ちゃんは本当に優しい子っす。そんで誰かのために自身を捧げられるほどの強い子っす」
「ありがとうございます」
「けど、その美徳が光るほどに、姫ちゃんは生から遠のいて行くっす。優しいってことは、自身の身を削る自傷行為でもあるんすから」
「はい」
「継承様が、俺から汚さを学んで欲しいって思っているだろうことは覚えているっすね?」
「はい」
「このままの成長スピードじゃ、姫ちゃんが汚さを覚える前に、姫ちゃんの身体が限界を迎えてしまうと実感したっす。だから、自分で気付かせる前に、言葉で伝えることにしたっす」
「言葉で、ですか?」
「っす。姫ちゃん。もう一度確認するんすけど、姫ちゃんは俺がフロに入った音は聞いたっすね?」
「はい」
「なら、どうしてその瞬間に、風呂場を吹っ飛ばすような魔法を使わなかったんすか?」
「えっ?」
猿飛から告げられた突然の提案。その言葉が意味することを、姫野は瞬時に理解出来なかった。
「分かってるっす、分かってるっすよ。姫ちゃんは優しい子っす。隠形派である俺の命すら守るべき勘定に乗せてくれるような、本当に優しい子っす。だから、端から俺の命が危機に瀕するような手段が取れないことは分かってたっす」
「それは......」
「姫ちゃんは真面目に課題をこなしてるつもりだったかも知れないっすけど、本当の所、姫ちゃんは自分で気が付かない内に手抜きをしていたんすよ」
そこまで言われて、ようやく姫野は理解した。猿飛が伝えたかったことに。ダンタリアが学ばせようとしている事柄に。
「でも、それで猿飛さんに何かあったら......」
「うんうん、姫ちゃんがそう考えるのは分かっていたっす。だからこそもう一つだけ言わせて貰うっす。俺を殺す気で襲えないのなら、せめて姫ちゃんは俺を無力化する手段を複数用意しておくべきっす」
「無力化?」
「例えば毒ガス。こんな密閉した空間でばら撒かれたら、いくら俺でも準備してなきゃ逃げられないっす。他にも例えば薬。睡眠薬でも麻痺薬でも、入手が難しいなら下剤でもいいっす。それを盛られただけで俺は戦闘不能、姫ちゃんは課題をクリアしてたはずっす」
「あっ......」
姫野は思いもしなかった。ただただ猿飛を暴力によって無力化し、それを以て一本とすることばかりを考えていた。言われたからこそ思い知る。自分の方法がなんて野蛮で、その上で思考停止な方法だったかを。
「だから、換気扇を......」
「気付いたっすか? あれは脱出路があったことを教えるだけじゃなくて、そこを基点とすればもっと多くの襲撃方法が存在することを姫ちゃんに気付いて欲しかったんすよ」
先の猿飛の意見を参考にするのなら、事前に換気扇を外してしまえば、毒ガスを流し込むことが出来ただろう。何か魔法を仕掛けておいて、逃げ出そうとした猿飛を罠にかけることも出来ただろう。
もっとも、そこで猿飛を逃げ出させるには、姫野が本気の殺意を持って襲い掛かる必要があっただろうが。
この場において、姫野は本当にたくさんのことを学んだ。きっとこれこそがダンタリアが伝えたかった戦い方なのだろう。そして、猿飛が学んでほしい生き汚さなのだろう。
「......その顔なら、もうちょっとの努力で何とかなりそうっすね」
姫野の反省を感じ取ったのだろう。苦笑いはそのままに、猿飛は洗剤が置いてある棚の奥から一本の薬品ビンを取り出した。
「これは?」
「麻痺毒は分量を間違えたら俺でもポックリ逝っちゃう可能性があるすっから、睡眠薬の方を進呈するっす。このまま俺に警戒をさせ続ければ、どこかで集中力が落ちるタイミング絶対に来るっす。これも戦い方の一つっすよ」
「......ありがとうございます」
「もちろん、姫ちゃんが自分自身の力だけで俺から一本取るのが理想っす。まずは今日学んだことを活かして、あらためて作戦を考えてみることっすよ。大丈夫っす。姫ちゃんが頑張り屋なのは、みんなが知ってるっすから」
そこまで言うと猿飛は満足したかのように、姫野に背を向けて自室に歩いていく。
その後ろ姿にはやはり、どこにも隙は存在しなかった。
ここから合格に至るまで、姫野は何回もの襲撃失敗とその度に猿飛からダメ出しを貰うこととなる。
次回更新は9/20の予定です。




