侵略の一手 その四
仄かに暖かな日差しと、美しき歌声を思わせる小鳥達の囀り。まるで地上の楽園とでも呼ぶべき人里離れたその森の一角では、複数の人影が忙しなく動き回っていた。
「閃光、あなたは美食の顕現までに料理の下ごしらえを。加虐様、あなたはお客様を招き入れる庭のお手入れを。凡百様、あなたは私と共に招待状の準備をお願いします」
彼らに指示を出すのは、音符の意匠が散りばめられた燕尾服に身を包む男だ。
物腰柔らかな雰囲気と丁寧な口調から、優し気な印象を与える彼であるが、声には反論を許さない断固とした強さがある。常日頃から命令を出し慣れていなければ、ここまでの強さは出ないはずだ。
「音階、もう終わった」
だが、そんな有無を言わせない彼の指示に、異論を唱える者がいた。
「終わった? まだ始めてから三日も経っていないでしょう。それなのに終わったとはどういうことです?」
「美食から事前に、下ごしらえも含めて自分が全て行うと言われていた。許されたのは茶会用のお菓子の盛り付けだけ」
そう言うのは身に着けたメイド服から髪色に至るまで白一色の、閃光と呼ばれた女性だった。唯一色味を感じられる薄黄色の瞳には、感情の揺らぎはほとんどない。まるでロボットか何かのようにも見える。
音階と呼ばれた男が彼女のみに様を付けなかったように、閃光もおそらく上司に当たる彼に敬称を付ける様子は無い。けれど険悪といった様子もないことから、付き合いの長さ故の信頼感の表れといったところなのだろう。
そして彼らの掛け合いから分かるように、この場にいる存在は全てが悪魔と、それに連なる者達なのだ。
「なんとまぁ...... 意識が高いことは本来褒められるべきことですが、盟主様の顕現まで時間が無い現状では困りますね」
「何か仕事は?」
「ふむ、それでは買い出しに行っていただきましょうか。お客様の中には、盟主様の世界だけでは満足出来ない方もいらっしゃるはずです」
「分かった。すぐ行く」
「任せました」
音階が言い終わるが早いか、ヒンッと空気を切り裂くかのような音と共に閃光の姿はかき消えていた。驚くべき移動スピードと言える。
「まったく、どれだけ想定した所で想定外は起こり得るものです。......お二方は、此度より我らが同盟に名を連ねしお歴々。気になることなどあれば、先ほどの閃光のように遠慮なく口にしていただければ」
予定が大幅に食い違ったために、これ以上の想定外を起こさぬよう音階が二つの影へと声をかける。
一方は閃光とさほど変わらぬ年齢に見える女性型の悪魔。もう一方は、一目で人外と分かる黒山羊の頭部を持つ大柄の悪魔。そして、先ほど音階が指示を出した際に呼んだ真名である加虐と凡百。
そう、彼らの正体は剣の魔王、凡百のハプスベルタと供物の魔王、加虐のインバウラ。
そして彼女達が集まったこの場こそが、国家間同盟が一つ魔宮の茶会。その現世における活動拠点であったのだ。
「まさか。このような好待遇で迎え入れて貰った矢先で文句など言えば、どれほど正論だろうと良い気はしないでしょう。音階殿の指示に異論などありません。私と私を信仰する彼らの力で、庭の手入れはおまかせを」
音階の言葉に対して、先に言葉を返したのはインバウラ。この場の悪魔達の中では、唯一大所帯を抱える魔王でもある。
インバウラが魔王を務める供物の国は、古来よりニンゲンとの取引が盛んな国であり、人魔大戦期間外でも等価交換によって現世に様々な事象を引き起こしてきた国でもある。
そのため彼は悪魔の王という顔はもちろんだが、同時に邪教の神という側面も持っている。長きに渡って密かに行われてきた悪魔との取引。その恩恵への感謝によって生まれた狂信者達こそがインバウラの力であり、彼が同盟を移した理由でもあるのだ。
「それは心強い。盟主様が顕現なさった際には、貴方方の働きは寸分違わず伝えるとしましょう」
「よろしくお頼み申します」
「では、凡百様の方はいかがです? ......凡百様?」
インバウラとの話し合いが無事に終わったために、あらためて音階はハプスベルタへと話を振った。
しかし、肝心の彼女は一枚の招待状を眺めきりで、うんともすんとも反応を返さない。インバウラ同様、同盟を移したばかりでのこの行為は大変に無礼だ。
そして、それが分からないハプスベルタでは無いはず。音階も上位国家の王である彼女に対して、最初から喧嘩腰で入ったりなどはせず、まずは彼女の名を再度呼ぶことにした。
「......ん? あぁっ、すまない。ちょっとばかり困惑する事態が起こっていてね。反応が遅れてしまった」
実際その判断は正しかったらしい。すぐさま音階に気が付いたハプスベルタは、謝罪の言葉を述べた。
いくら同盟内での位が上と言えど、国家間の格はハプスベルタがダントツだ。そんな彼女が謝罪した。これだけで先ほどの無礼への詫びとしては十分だろう。
「いえ、それでしたら仕方がありません。けれど、困惑する事態とは何があったのです? 良ければ教えていただいても?」
彼女が詫びを淹れたことにより、すでに音階の興味は無礼な行いから困惑する事態へと移っている。テンプレートに基づいた招待状作りをしていただけのハプスベルタが、どうして困惑することになったのか。それを明らかにしたかったのだ。
「音階、ここは我らが同盟の魔力しか通さない結界内で間違いないね?」
「無論です。光の魔王である閃光の魔力は、異質な魔力に敏感だ。仮に彼女の魔力を潜り抜けたとしても、自分も索敵として音を広げていますので」
「なら、これはどういうことだと思う?」
「......なっ!?」
ハプスベルタが見せたのは何の変哲も無い一枚の招待状。唯一異質な点があるとすれば、その宛先がハプスベルタであること。そして、送り主の名前が知識の魔王、継承のダンタリアであることだった。
ハプスベルタのイタズラでないのなら、この招待状はダンタリアから送られた物で間違い無いはず。ならば彼女は結界内へ何らかの方法を使って、誰にも気付かれずに招待状を送り込んだことになる。
「ほうほうほう。流石は聞きしに勝る、継承が操る魔法ですな。原理はもちろん、大系も、魔力反応の何一つ分からず仕舞いだ」
「そう、そんな招待状がいつの間にか私の手元に出現していた。その困惑のせいで、反応が遅れてしまったんだ」
「......そのような不測の事態であれば、反応が遅れるのは仕方がありません。中身の方は?」
「開いた瞬間に起動する契約魔法が怖かったからね。いくら何でも私以外に被害が発生しそうな状況で、無断の行動は取らないさ」
「なるほど。......なら、中身の確認をお願い出来ますか?」
「いいのかい?」
「いた仕方ありません。開いた際のリスクよりも、あの知識の魔王からの情報を見逃す方が危険です。ありえない推測ではありますが、手紙を無視したことが敵対行動と取られれば、継承様を敵に回すことになる」
「それは最悪どころか、我らの存在の危機となりましょう」
「えぇ。今ならば魔王三体程度の被害で済む。最悪でも閃光、美食、玩弄の三体がいれば、茶会の開催は可能です」
「そうかい。本気で討伐されたら業腹なことこの上ないけど、そんな可能性は無いと信じて開封するとしようか」
「お願いします」
そうして三体の魔王は、ダンタリアから届けられしブラックボックスの封を解いた。そして、そこに記された貴重な情報を目にすることとなった。
「......ふっ、ふふっ、本当に継承は、あらゆる存在を唆すのが上手い。こんな事態、何を捨ててでも向かいたくなってしまうじゃないか!」
「ほほっ、相も変わらず我が古巣は残虐の限りを尽くしているようで。確かにこれを見逃せば凡百殿はもちろん、我らが同盟にも少なくない火の粉が降りかかることとなりましょうな」
内容を読み込んだことによる反応は三者三葉。
ハプスベルタは精神を一気に高揚させ、まるで戦闘中とでもいうように魔力を迸らせている。インバウラは興味深そうに顎髭をさすり、頭のソロバンを弾いているようだ。そして音階だが、彼は悩んでいた。
何しろ先の招待状は、ハプスベルタを日本へと派遣することを願った要望書でもあったから。おまけに呼び出す内容が、第三位の同盟である教会と行われる戦闘への助力申請であったからだった。
この要請に応じれば、決して相容れない同盟である教会の戦力を削ぐことが出来る。加えて人間に友好を示したい自分達の同盟を、大きく宣伝することにも繋がるだろう。
けれど例え上手くいったとしても、教会に目を付けられるのは確実だ。良くて静観、少し悪くて足の引っ張り合い、最悪の場合は全面戦争の可能性がある。
そうなってしまえば武闘派の多い教会と、盟主の強さに依存している茶会。勝ち負けは目に見えている。
それに傍から見れば、茶会は教会の構成国家である供物の魔王を引き抜いたのだ。その上で教会の悪魔の討伐に助力してしまえば、とんでもない挑発と取られてもおかしくはない。
引き受けるか、断るか。それを決めるのは、音階の役割だ。
彼は二体の魔王の盛り上がりに加わることも無く、一分、二分と思案顔を続ける。そうして五分が過ぎた頃、ようやく口を開いた。
「......凡百様、要請に応じていただいても?」
「......いいのかい?」
「我らの同盟が願うのは、古き時代の復活。ニンゲン滅亡を掲げる教会や、ニンゲンの完全管理を掲げる騎士団とはいずれぶつかり合う宿命にありました。いずれ来るのなら、時計の針を多少進めても変わりません」
「盟主様が逆の意見だったらどうする?」
「それだけはありません。顕現以前の集会でも、騎士団の盟主とあわや全面戦争に陥りかけた方ですから」
「ははっ! あの爺様に喧嘩を売ったか! そりゃあ頼もしい! なら合流して早々の休暇で悪いが、ちょっくら日本まで羽を伸ばしに行ってくるよ!」
「えぇ。くれぐれも、教会の悪魔を取り逃すことが無いよう」
「任された!」
そう言うと、ハプスベルタは弾かれたように飛び出した。
「ふふっ、我が宿敵と収める鞘を同じくする、か。それはそれで面白い。翔、君はどんな風に成長し、どこまでの力を付けたかな?」
颯爽と森を駆け抜けるハプスベルタの顔は、晴れやかで、爽やかで、そして獰猛であった。
次回更新は9/16の予定です。