愛によって祓われた闇
「そういうことか......」
砂の大地よりも、見上げた先の星空の方が近い空中。そこでは星の魔王、軌跡のオリアスが不機嫌さを隠そうともせず、ただただ都市の外観を見つめていた。
彼が眺める都市の中には、多くの魔力がひしめき合っている。その中でも特に強力な魔力を迸らせているのは、略奪の国の顕現を阻むカギの魔法だろう。
悪魔による都市襲撃によって二つのカギが失われ、レオニードと呼ばれた一つのカギは命を落とした。ならば、彼が見つめる都市は残されたカギが存在する都市なのだろうか。
いいや、違う。
オリアスが不快気な表情で憎々しく睨みつける都市は、今しがたまで悪魔と人類による大規模な戦闘があった都市だ。翔達が懸命に守り続けた都市なのだ。
しかし、その都市のカギであったレオニードはこの世を去り、各方面の魔法組織が危惧していたように、彼には血を分けた親族が存在しなかったはず。
だというのにカギの魔法は十全に機能しており、正しく引継ぎが行われたことは火を見るより明らかだ。これはいったいどういうことなのか。
「隠し子、というわけか......!」
そう、レオニードには死別した伴侶がいた。
子宝には恵まれず、それでも少なくない時間を連れ添った伴侶がいたのだ。
そもそも悪魔達が、レオニードに血を分けた親族がいないことを知れたのはなぜか。それは捕らえた魔法使いへの拷問や金による情報収集によってだ。
広く知れ渡っていた情報、そして多くの情報筋による裏付け。それによってあのニンゲンかぶれの悪魔達は、その情報を正しき情報だと処理するに至った。
けれども、それがニンゲン共すら巻き込んだ壮大な偽装計画であったとしたら。前提は全てひっくり返る。
あの賢しいカギは自分の役割を自覚してからずっと、密かに計画を遂行していたのだ。愛した相手の名誉を汚し、世界に危機を持ち込むカギだと非難され、親子の情すら捨てさってでも、この日のために世界に嘘を発信し続けてきたのだ。
だから世界は騙された。味方である自分達に、嘘の情報を握らせるわけが無いと思っていたから。だから愚鈍な従士共は騙された。金と命で得た情報は、真実足りえると妄信していたから。
こうして先ほどから、心の中でミエリーシとコッラーのことばかりを批判しているオリアスだが、そもそも彼らのもたらした情報を鵜呑みにしたという意味では同罪と言える。
もっとも、責任を他人に押し付けることが得意な彼は、反省などしようはずも無いが。
今のオリアスに出来ることは二つ。一つはもう一度都市に襲撃をかけ、今度こそカギを始末すること。もう一つは計画を放棄し、無様に逃げ去ること。
プライドが高い彼の性格を考えれば、後者の選択はあり得ないはずだったが。
「あの無能共め......! よりにもよって、あれとカギの繋がりを見落とすとは! 愚物が! 痴れ者が! 腐り落ちて蟲の湧いたリンゴ共が!」
遠目でも分かるカギの魔力。その輝きは、以前のカギよりも何倍にも倍増していたのだ。
別に封印が破れる窮地に陥ったからといって、カギの魔力は強化されたりなどはしない。ならば、倍増した理由はただ一つ。
次代のカギたる封印の継承者が、先代のカギに比べて何倍もの魔力を保有していることに他ならない。そして、人間同士でそこまで大きく魔力差が開く理由などただ一つ。
次代のカギが、悪魔殺しということである。
いくらオリアスと言えど、悪魔殺しを即座に始末し、返す刀で残りのカギを破壊するのは困難を極める。あるいは二体の部下が生き残っていれば芽があったかもしれぬが、あいにく彼らは討伐されてしまった。
同盟のために無茶を通すか、保身を取って残りの仲間の顕現を待つか。取れるのは二つに一つ。
迅速を求めるこの作戦にとって、これらを考える時間さえ浪費だ。
それでもオリアスは少なくない時間を思考に費やした。
ニンゲン如きが予測した未来図に、自ら腰を下ろすという敗北感。それを自覚してもなお、オリアスに無茶を通すという選択肢は存在しなかった。
彼は多くの悪魔のように、プライドの塊だ。しかし、多くの悪魔達とは異なり、プライドをひけらかすほどの知恵と力を持っている。
決断してからの行動は早かった。
オリアスは自身の魔力放出を極端に減らし、周囲の地面に軌跡を描いていく。
安全に、確実に、万全を以て逃げおおせるために。
彼は長年に渡って一国を治め続けた王だ。落とされず、奪われず、潰されずに玉座に君臨し続けてきた、保身の王なのだ。
「おのれ、おのれおのれおのれえぇぇ! この我に後退の恥を曝させおったな! この恨み、忘れぬぞ! この怒り、必ず清算させるぞ! 首を洗って待っているといい! 魔力を吐き出す家畜に等しきニンゲン共おぉぉぉ!」
数え切れぬほどの罵倒を吐き出しながら、星の王は何処かへと流れていくのだった。
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「翔君とマルティナちゃんの様子はどうです?」
「正直、芳しくはありません。一方は魔力切れの中で、それでも魔法を使い続けたかのような特異な魔力切れを起こしており、治療に使える魔力が体内に存在せぬ状態です。今は応急手当や輸血といった、一般治療で魔力の回復を待つばかり」
「それが翔君の方か。それじゃ、マルティナちゃんの方は?」
「こちらはもっと酷い状態です。傷を治せども治せども、新たな傷口が幾重にも開く始末。いったいどんな魔法を使えばこんな状態に陥るのか...... 医師が総出で集中治療室に出ずっぱりといった状況ですが、最悪も考えた方がいいかと......」
「最悪なんて考えたくはない。あの二人は、この都市にとって命の恩人だ。どれだけの金と人員を費やしてでも、絶対に助けてくれ」
「承知しました」
「......それと、やっぱりその口調は元に戻して貰えませんか? 居心地が悪くて仕方ない」
「申し訳ありませんが、それは頷けませんな。亡きレオニード様の遺言ですゆえ」
「......はぁー。襲撃の復興も、世界への情報操作も、恩人達への恩返しも済んでいない状況だってのに、挙句の果てに俺が次期領主? 冗談キツすぎますよボルコさん」
そう言って溜息を吐いたのはステヴァン。
今までは着ることも無かった立派な服に着られる格好で、ボルコに言われるがまま指示を出す。
一都市の軍事部門トップに君臨していたとはいえ、卑賎の身である彼が領主になることは本来あり得ない。もしも生前レオニードに推薦されていたのだとしても、彼自身が辞退していただろう。
しかし、現在の彼は流されるままであるが、その役目をこなそうと奮闘している。それはなぜか。その答えこそ、レオニードを失った喪失感に苛まれていたステヴァンに、ボルコがかけた言葉ゆえだった。
「あなたこそがレオニード様の一人息子であり、この都市を治める正統なる後継者です。どうかその魔法の力と今後身に着けるであろう政治手腕を以て、この都市を導いていただきたい」
最初は訳が分からなかった。
どこかのクズだろうと思っていた実の父の正体が、レオニードだった。卑賎の身であると信じていた母の正体が、高名な魔法使いの一族であった。
ボルコから話を聞かされる度に、今まで信じてきた自分との乖離で、頭がおかしくなりそうだった。
それでもこうして領主の座に居座っているのは、レオニードが死した瞬間、己に流れ込んできた不思議な魔力の流れゆえ。
きっとあれこそが、カギの魔法という奴なのだろう。
現役のカギが死したと同時に、直系へとその役割を引き継いでいく。最愛の家族を悼む瞬間すら与えてくれない冷たさには、文句の一つでも付けてやりたかったが、合理性を考えれば正しいの魔法の方だ。
レオニードにはカギを受け継ぐ子供が存在した。しかもその子供は悪魔殺しだった。
これだけで絶望視されていた人類の生存は、一気に希望的方向へと傾いた。人類にはいまだに二つの抑止力が残っている。そのおかげで、こうして都市や恩人達へと魔法のリソースを割く事が出来ている。
その部分を考えれば、決して悪いことではない。むしろ、幼少期こそ嫌な記憶の多い故郷だが、ステヴァンにしてみれば愛すべき故郷でもある。自身が領主に選ばれたことは、ここでは喜ぶべき慶事だった。
けれども、だからこそハッキリとさせておかなければいけない事があるとステヴァンは思った。目の前のボルコは、気心の知れた元同僚。聞きにくい質問などあって無きが如しだ。
「なぁ、ボルコさん。いくつか質問してもいいかい?」
「もちろんです。なんなりと」
「レオニードさん、いや、親父が俺の存在を秘匿した理由は聞かせてもらった。それについては納得してるし、あの時の苦労が今の俺を形作っていると自身を持って言える」
「はい」
「だけど、子供の存在を秘匿するだけなら、お袋は本物のお袋である必要は無かった筈だ。物心が付く前の子供が相手だ。使用人に大金を握らせるか何だかして、代役の母親を用意しちまえば、お袋が早死にすることは無かったんじゃないか?」
「確かにレオニード様も、一度は奥方様にその提案を行いました」
「じゃあどうして」
「自らの子に愛を注げずに、何が母か。この子を守り、この子のために死ねるのなら、例え明日寿命が尽きようと本望だ。だから苦難の道を行くであろう息子に、せめて愛だけは捧げたい。そう言って、レオニード様を逆に説得してしまったのです」
「......チッ、お袋の奴、カッコつけやがって...... それでも、例え希薄な関係性に落ち込んだとしても、俺は長生きして欲しかったよ」
「......そうですな。せめて裏路地から離れる日を定期的に作っていれば或いは、けれどもこの計画が漏れる可能性は少しでも減らしたいと聞き入れず」
「そのおかげで、俺は今日まで何にも縛られない自由な身でいられたわけだ」
「その通りでございます」
「お袋に愛されていた事は十分過ぎるほど分かった。 ......だからボルコさん、もう一つだけ質問してもいいかい?」
「なんなりと」
「レオニードさんは、親父は俺のことを愛していたかい?」
「もちろんです。手は出さず、贔屓もせず、それでもあの方はずっと、貴方様の事を見守り続けていました。そして、死する瞬間まで貴方様のことを気にかけておいででした。貴方様が思うよりもずっと、貴方様は愛されていたのですよ。ステヴァン様」
「......ったく、ほんっと、ボルコさんのその口調は、調子が狂っちまうよ......。 ......そっか。愛されていた、か。なら、そんな親父が愛した都市の復興は、何としてもやり遂げなきゃいけないな」
「その意気です」
「親父を悼むのも、お袋の墓参りもその後だ。俺はやるぞ」
「残る寿命の最後まで、お供することを誓います」
悲しみを振り払い、ステヴァンが目指すべき理想へと邁進を決めた時だった。
「ん? 電話?」
不意にステヴァンが常日頃から持ち歩いている通信端末から、着信音が流れたのだ。
「ボルコさん、電波の復旧って......」
「まだまだかかる筈です。少なくとも、何か進展があれば報告の一つでも届くはず」
森羅の悪魔を弱体化させる計画によって、現在、この都市の電波塔は一つ残らず倒壊している状態だ。電話が届く事などあり得ないはず。
そして、あり得ない状況を現実化させる手段など、彼らの界隈では一つしか存在しない。
「......出た方がいいよな?」
「都市の現状を考えれば、どの陣営の相手だろうと、敵対は得策ではありません」
今の都市に、まともな防衛戦力など存在しない。例え相手が血に飢えた魔王であろうと、媚びへつらって少しでもご機嫌取りをしなければいいけない状況なのだ。
「分かった。出るぞ」
実際に戦ったステヴァンだからこそ、そんなことは百も承知。ボルコの助言に従う形で、意を決して通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「ふむ。応答するまでの逡巡の時間は、予想外の早さだった。かといって無鉄砲に応答したわけじゃないのは、警戒の色が強い声音が証明している。二作目と言うのは大概駄作になるものだが、君に関して言えば及第点の出来栄えらしい」
「あんた、誰だ?」
「失礼、名乗るのを忘れていたね。私は知識の魔王、継承のダンタリア」
「ダッ、ダンタリアって、あのっ!?」
「私自身、そんなに選択肢が散りばめられるような名前では無いと自覚しているんだけれど。まぁ、君が想像するダンタリアで合っていると思うよ」
「......そのダンタリアさんが、何の用だ?」
「......いいね。その警戒心と負けん気の強さがあれば、略奪の国が日の目を見ることは無いだろう」
「っ!」
ステヴァンがカギを引き継いだのはつい先日のことだ。だというのに、ダンタリアと名乗る通話主はさも当然のようにその事実を把握している。
それだけで、彼の警戒心が限界以上に引き上げられた。
「不壊のカギ。別にそんなに怯える必要は無いよ。さっきも話題に出した通り、略奪の国の顕現に興味は無いし、君の愛する都市をどうこうしようという気もさらさらない」
「じゃあ、尚更何で電話なんてかけてきたんだ?」
「なぁに、ちょっとした頼み事さ」
「頼み事?」
「私のお気に入りの悪魔殺しが、そっちで意識を失っているね? 彼はまだまだ未熟だ。意識を取り戻したらきっと、今回の件で塞ぎ込むに違いない」
「お気に入りって...... まさか、翔君のことか!?」
「そこまで分かれば話は早い。君には優しいお兄さんを演じて貰いたいんだ。塞ぎ込んだ彼を導く、優しい優しいお兄さんを。もちろんタダでとは言わない。報酬は弾むよ。例えば死に瀕した悪魔祓いの治療とか、ね?」
「っ!」
誰一人損をしない悪魔の甘言が、とある悪魔殺しをゆっくりと篭絡しようとしていた。
今回で四章は完結です。
次回からは閑話の更新となります。更新予定日は9/12の予定です。