軌跡は意を成し顕現す
「ここは......」
突如発生した何らかの衝撃によって、反射的に閉じられていたレオニードの目。その瞳が再び光を取り入れた時、周囲の様子は一変していた。
辺り一面は輝きを放つ深い蒼色で彩られ、そんな壁面にはいくつもの光の軌跡が描かれている。
天文学など学んだことの無いレオニードだが、それらの軌跡が星座を現わしていることは瞬時に理解することが出来た。なぜなら、四方八方を照らす輝きは、満天の星空に酷似していたのだから。
「一つの魔法にしては、ありえないほど濃密な魔力。いつの間にか、結界内部に隔離されたか...... そしてその発動条件は、あの眷属が行った最後の銃撃だろうな......」
いくらステヴァン達に追い詰められたと言えど、これまでの零氷の悪魔の行動を考えれば、眷属の特攻は無策が過ぎた。だが、これが真の狙いであったのならば腑に落ちる。
奴は自身の敗北を受け入れることよって、このとっておきの策を起動させたのだろう。
「魔力の型が森羅の悪魔はもちろん、零氷の悪魔とも異なっている。こんな最後の最後になるまで、もう一体の存在を秘匿していたというわけか」
「ご名答だ。ニンゲンの、それも地方領主に過ぎぬ分際にしては頭が回るではないか。まぁ、結局は地方領主の器に過ぎぬがな」
自分しかいないはずの空間で、予想もしていなかった返事が返ってくる。声のする方向に目を向けると、そこには一つの存在が立っていた。
それは、一目見ただけで人外と分かる風貌をした悪魔だった。
身に着けたるは豪奢な鎧。素肌を覆うは、厚い獣毛。鎧からたなびくマントの裏地には真っ暗な闇と煌めく数々の星が散りばめられ、どっしりとした身体からも、時折星座を現したかのような軌跡が生まれては消えていく。
そして頭部は完全にライオンの物に置き換わっており、こちらを酷薄の表情で嘲笑う様から、それが作り物や被り物でないことは明白だった。
「こんなクライマックスまで控えていたんだ。森羅や零氷と同格では無さそうだ」
「フンッ、いくら頭が回っても、知識が足りていなければ芸達者なサルと変わらん。我の姿を見た上で確信が持てぬほど、ニンゲンの知識は欠落したらしい」
「......」
悪魔殺しでもないただの魔法使いが、ここまで悪魔の接近を許したのだ。もはや自分に残されたのは末期の言葉の選択権だけだと思っていたが、そう考えるのは向こうも同じだったらしい。
皮肉とも捉えかねないレオニードの言葉に、目の前の悪魔は乗ってきた。少なくとも、すぐさまこの場で決着を付けようとする気は無いようだ。
この一度のやり取りだけで、この悪魔が森羅の悪魔のような前線指揮官でも、零氷の悪魔のようなプロフェッショナルな兵士でも無いことはすぐ分かる。
実に悪魔らしい、人間をどこまでも下に見た発言だ。それならば、まだ残せるものがあるかもしれない。レオニードは、悪魔の論調に合わせることにした。
「それは大きな失礼を。重ねて礼を失することになりますが、冥途の土産にお名前をお聞きしても?」
「赦す。我の名は星の魔王、軌跡のオリアス。始まりの時代より生を重ね続けた古の悪魔の一体であり、59位である星の国を治め続けた由緒ある王である」
「軌跡の、オリアス......」
レオニードには、その名を名乗る魔王の知識は無い。だからといって、このやり取りが全く無価値であったわけでも無い。
古く強大な魔王ほど、その存在は確立される。裏を返せば、強く名の知れた悪魔ほど、その在り方を変容させるのは困難が伴う。
始まりの時代から生を重ねてきた悪魔であれば尚更だ。一国を治め続けた王に相応しい威厳。気に入らない事があれば、急降下する機嫌。間違いない。この魔王は、ずっと人魔大戦への参戦を続けている魔王だ。
それならば残せる物がある。それならば残す価値がある。
そうとなれば、考えるべきは終わりの方法だ。
オリアスを自身の都合が良い方向へと誘導する。結果は変えず、ただ結果へ辿り着く仮定のみを変える。そうすれば、あともう一つだけ彼に託してやることが増える。
レオニードは覚悟を決めた。
「せっかく名乗りを上げてやったというのに、やることといえば、我の名を発するだけか? 礼を失することこそ赦したが、無礼を赦した覚えはないぞ?」
レオニードが碌な反応を返さなかったためだろう。オリアスからはどす黒い殺気が漏れ出し始めている。
上っ面こそまともな態度を取ってはいるが、その実、レオニードをどんな方法でいたぶって殺すのかを考えている真っ最中なのであろう。
だからこそ誘導出来る。だからこそ上手くいく。
「これはこれは、真に申し訳ありません。一つ、陛下には伝えづらい事実があり、それをどう伝えたものかと悩み抜いておりました」
「伝えづらい事実?」
「えぇ。えぇ。怪訝な顔をされるのはごもっともです。陛下の勝利は確約されたもの。その手から放つ魔法一つで、こんな矮小な命、簡単に消し飛ばしてしまえるでしょう」
「何が言いたい?」
「......簡単なことさ。私をその手にかけた瞬間、お前は計画の失敗を悟るということだよ」
「貴様......」
追い詰められたレオニードがいったいどんな媚びへつらいを以て命乞いをするかを、オリアスは楽しみにしていたのだろう。
けれども、実際に起こったのは命乞いとは正反対の宣戦布告。それも、王たるオリアスを虚仮にする挑発まで重ねてだ。
オリアスの気は短い。仮に今の発言が盟主からのものであったとしても、不機嫌さを隠そうとしないほどだ。
そんな彼が格下の格下。知的生命体にギリギリカウントされているだけの存在と考えるニンゲンなんぞに挑発されてしまったら、感情の爆発を抑えることなど出来ず、抑える理由も存在しない。
「陽気な道化か、あるいは無様な囚人でも演じておれば、その命、楽に終わらせてやったというものを。どうやら苦悶の果ての終焉を望むようだな」
「私は事実を語ったまでさ。納得が出来ないのはごもっともだが、それでは、まるで......駄々をこねる子供のようだ」
「星の真名!」
オリアスの腕が無造作に振るわれ、その動きを追いかけるかのように、光の帯が生まれゆく。
アルファっベットのSに二本の線を足したかのような軌跡。それはまばゆい光を放つと、着地の衝撃で地響きを起こすほどの巨大なサソリへと変貌した。
「偽物の光を放つ、羽虫の飼い主すら殺しのけた毒だ。ただのニンゲンの身では、いったいどれほどの苦痛となろうな?」
「ふっ」
絶体絶命。いや、確定絶命と言った方が正しい状況だった。だというのに、レオニードから漏れたのは薄い笑み。
気でも狂ったか、ともすれば諦観の末の苦笑いかとも取れる行動。しかし、彼の瞳から希望の光は消えていなかった。自分の望む結末を用意出来たのだから。苦しみ悶える終わりなら、多少の不可解な行動など見咎められないから。
「やれっ!」
もはや頭に突き刺した方がよっぽど致命傷になりそうな針を振りかざし、サソリがレオニードに襲い掛かる。
そんな平常最期の光景を前にしても、レオニードの顔から希望は消えなかった。
(後は任せたぞ。我が息子)
彼は最期の最期まで、立派な領主であり続けた。
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「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、クッソ、どうなった! どうなったんだ!?」
いまだに戦闘が続く外周部、パニックが収まらぬ防衛線内部を走り抜け、ステヴァンは辿り着いた中央本部ビルを駆け上がっていた。
本来ならば貴重な戦力であるステヴァンが、自身の魔法の原動力たる砂から離れるのは褒められたものではない。悪魔本体が討伐されたとはいえ、森羅の使い魔達はまだまだ残っているし、向かう先は正体不明の敵の前だ。
けれどもそんなステヴァンを咎める声は少ない。なぜなら彼がビルに辿り着いた瞬間に、上半分を占拠していた甕は消え失せていたからだ。
強大な魔力反応も存在しない。安直に考えるのなら、もう敵は去った後だというのが有力だ。
しかし、だからこそステヴァンは急いでいた。
敵は去った。それが指す意味は、成すべきことを成したからに他ならない。敵の出現した場所を考えても、標的は明らかだ。
信じたくない。けれども、状況が暗に物語っている。
それでも、それでも一縷の望みを信じて、ステヴァンは見慣れた廊下をひた走っていたのだ。
「急げっ! 急げっ! っ! 見えた! っ!? な、なんだ、この、感覚。あっ......」
尊敬するリーダーの私室へ繋がる部屋を蹴破った瞬間、自身の中に何らかの魔力が流れ込むのをステヴァンは感じた。
同時に、彼の目に飛び込んできたのは、どす黒く変色した腕を握りしめる。翔の姿だった。
「......間に合いませんでした。俺が辿り着いた時には、もう、息も絶え絶えで......! ただ一言、ステヴァンさんを頼むって!」
「翔君...... 腕が......」
何らかの毒のせいだろうか。レオニードの腕を握りしめる翔の手も、シュウシュウと音を立てながら煙を上げている。
それでも翔は手を放さなかった。まるでこの痛みを刻みつけるかのように、自身への戒めであるかのように。
「畜生...... チクショウ...... ちくしょおぉぉぉ!」
主がいなくなった部屋に、翔の絶叫が木霊する。
彼はこの大戦が始まって初めて、親しい者の死に立ち会うこととなった。
次回更新は9/8の予定です。