霞む姿はおぼろげな雪のように その七
「スオミ、蹴散らせ」
「グワォウ!」
このままでは、補足されるのも時間の問題。
そう判断したコッラーは、潜伏という自身のアドバンテージを捨て去り、勝負に出た。
「フッ!」
手に持った無骨なナイフで何匹もの小魚を切り裂いていくが、こんな小物を狩ることに労力を消費することが無駄であることは、百も承知している。
ならなぜこのような行動に出たのか。それは最後のハッタリに賭けたためだ。
「......マズいな」
「ステヴァンさん、何かあったんですか?」
「あぁ。翔君、確か零氷の悪魔は、自身の狙撃銃をオオカミ型の眷属に変えられることが可能な筈だね?」
「えぇ。そうです。それを知らなかったせいで、酷い目に遭いました」
「今、外では二ヵ所で使い魔達の消滅が起こっている。一方はこのクジラ型使い魔に近付くように、もう一方はじわじわと離れる様に」
「それって!」
「あぁ。この期に及んで、零氷の悪魔は全力で逃走を図るつもりらしい」
砂の塊の中にいる翔とステヴァンは、当然のことながら外部の情報をほとんど仕入れることが出来ない。
実際に近付いているのはコッラーであり、じわじわと後退を続けているのが彼の眷属であっても、それを目視で知る術は無い。
自身の立ち位置を誤認させること。それこそが、コッラーが翔達に仕掛けたハッタリであったのだ。
コッラーの姿を認識出来ていないせいで、翔達はあらゆる気配が滅茶苦茶に発現している状態だ。
彼らが信用出来る唯一の情報は使い魔の消滅情報だけであり、それだけを基にして現状を考えれば、眷属を捨て駒にしてコッラーが逃げの一手を打っていると考えるのが普通。
使い魔を討伐しているのも、このまま逃げ続けて捜索範囲が広がった際に、数不足で生まれた穴を突くためと考えられる。
そして一度取り逃がしてしまえば、また都市内に狙撃の雨が降り注ぐことになる。そうなれば二人の悪魔殺しが防衛から抜けている状態だ。どうなるか分かったものでは無い。
そうした翔達の焦りすらも勘定に入れて、コッラーは大博打を打って見せたのだ。そして彼の思惑通り、クジラ内部の翔達はコッラーの立ち位置を大きく誤認した。
だが、これだけではコッラーに勝利の目は一つもない。
何せ彼の攻撃手段は、その多くが銃撃。このまま立ち位置を偽装した所で、クジラ内部の翔達に対する有効打は何一つ存在しないはずだ。
だが、コッラーだってそんなことは百も承知だ。
「このまま逃げられるのは最悪だ。翔君、眷属の相手をお願い出来るかい?」
「もちろんです!」
クジラ内部の悪魔殺し達は、当然誤認した眷属を追いかけようとするだろう。
そうなると困るのは、眷属と誤認したコッラーの討伐。
追い詰めた状態とはいっても、翔はそんな状態で一度手痛い反撃を貰うことになったのだ。あれ以外の隠された能力が、眷属に付与されていないとも限らない。
追いかけている最中で、下手な魔法を背後から浴びるわけにはいかない。使い魔だけで討伐しようとすれば、とんでもなく時間がかかる。そうなれば、まず悪魔殺しが姿を表し、眷属を討伐しようと考える筈。
「それじゃあ、翔君はそのまま待機していてくれ。一二の三で、外へ送り出すよ」
「お願いします」
使い魔を送り出すプロセスは目にしていた。使い魔というものは、余計な機能を取り付けるたびに、生み出すのに大きく魔力を消費する。
入り口は口、そして出口は噴気孔。
「一二の三!」
飛び出す場所さえ分かっていれば、タイミングぐらいどうにでもなる。
噴気孔から飛び出す形で現れたのは、コッラーの予想通りの相手、翔だ。そんな彼へと向けて、携えた唯一の武器であるナイフを投擲する。
「なっ!?」
想像しなかった場所に存在する、討伐すべき相手。その姿に驚愕しながらも、飛ばされたナイフを弾いたのは流石と言うべきか。
「ぐっ!? があぁぁ!」
しかし、あらぬ方向に向いた注意は、真に警戒すべき方向への注意をおろそかにする。コッラーが後方へと動かした眷属スオミは、スナイパーライフルとオオカミの二つの姿を持つ眷属だ。
開いた大口から顔を覗かせるのは、長く伸びる銃口。そこから放たれた一発の弾丸が、翔を貫いたのである。
「こんのおぉ!」
けれど、コッラーの攻勢はここまでだった。
いくら隙を突いた狙撃と言っても、その一撃は何の捻りも無い狙撃。気配も射撃音も、何一つ偽装が無い真っすぐな狙撃だった。
根源魔法を扱えるコッラー自身が囮になっていたのだ。それ自体は仕方がない。だが、そのおかげで翔は反応出来た。頭を狙ったその狙撃に、どうにか自身の腕を差し込むことが出来た。
「詰みか」
もはや抗う術は無い。ただ討伐されていないだけだ。
左腕から鮮血をこれでもかと噴出させながらも、右手に木刀を握りしめ、悪魔殺しが飛来する。
「終わりだ! コッラー!」
「ゴハッ......」
長きに渡る研鑽を感じさせるその突きは、寸分違わずコッラーの胸を貫いた。そのまま引き抜かれた木刀に引っ張られる形で、ドサリと砂の大地に倒れ伏す。
「翔君! 大丈夫か!?」
コッラーが声のする方向に目を向ければ、砂の魚達を操っていた悪魔殺しの姿が見える。
ずっとクジラの腹の中に隠れていたこの男が姿を現したのだ。きっとスオミは討伐されたか、イルカなどの大型使い魔に囲まれている真っ最中であろう。
「......大丈夫です。けど、治療は少しだけ待ってください」
そう言うと悪魔殺しは、自分の近くに歩み寄ってくる。敗北者への侮蔑か、或いは散々撃ち抜かれたことへの恨み言かは分からない。しかし、いずれにしてもそれは勝者の特権だ。
どうせ身動き一つ取れないコッラーは、どのような内容だとしても甘んじて受け入れるつもりだった。
「俺の勝ちだ」
「......そのようだな」
「散々弾丸をバラ撒きやがったあの鳥、どこへやった?」
「......」
コッラーは答えない。しかし翔は、自身が発した質問を耳にした瞬間、コッラーの目の色が微かに変わったことを見逃さなかった。
「お前が俺の考えを若いって笑ったように、俺だって勝負事に全力を賭ける信念には詳しいんだよ! クジラから飛び出した時に怪しく思った。こうやって勝利を宣言した時のお前の顔を見て確信に変わった! 言え! コッラー! お前はどうして、まだ勝つ気でいやがるんだ!」
翔がコッラーの襟首を掴み上げる。同時にステヴァンの表情が驚きに変わり、ポケットから通信魔道具を取り出した。
そうしている間にも、襟首を掴む腕の力は強くなる。このまま何も答えなければ、次の瞬間には脳天に木刀を叩きつけられても不思議では無い。
「......別におかしなことでは無いだろう。都市内部には繁茂さんがいる。こうして二人の悪魔殺しを引き付けたんだ。彼女が目的を達成している確立は高いはずだ」
無言を貫くこと数十秒。遂にコッラーはあきらめたかのように口を開く。
「残念だったな。討伐こそ果たしていないが、マルティナちゃんが森羅の悪魔に重傷を負わせたことは確認済みだ」
しかし、そこから捻りだした意見は、すぐさまステヴァンによって否定された。先ほどの通信によって情報を得たためだろう。同時に翔の手に力が籠る。
「......俺のもう一体の眷属を、カギへと向けて特攻させた。いくら眷属と言っても、対処出来る悪魔殺しがいない状況だ。勝算は十分あるはず」
「それに関しても確認済みだ。レオニードさんの建物に弾丸が撃ち込まれこそしたが、すぐさま眷属は討伐された。皆にも傷一つ付いてないってよ」
ステヴァンの柔らかな口調は、コッラーを皮肉るためか、或いは警戒を解かない翔を安心させるためのものか。
いずれにしても、ずっと腕から出血を続ける翔を気遣ってのことだろう。彼の顔からは、もう聞けることは無い。さっさと討伐してしまえという感情がありありと垣間見られた。
けれど、そこからの翔の行動は全くの真逆だった。
掴んでいたコッラーを地面に叩きつけ、そのまま自身は馬乗りになる。その目に映るのは憤怒。先ほど伝えられたステヴァンの言葉は、完全に逆効果であったのだ。
「お、おい! 翔君!」
慌てて近寄るステヴァンだが、翔は手だけでそれを制す。
そして、先ほどの質問よりもよっぽど切羽詰まりながら、コッラーへと問いかける。
「答えろ! どうして、どうしてお前は、森羅の悪魔と眷属の敗北を聞いた瞬間に安心しやがった! お前は、いやお前ら騎士団は! ここからどうやって巻き返すつもりなんだ!」
それは魂の叫びだった。
幼子の癇癪と言い換えられるような光景でもあった。的外れな意見だと笑いだされてもおかしくは無かった。
けれど、対峙する一人と一体は真面目な表情を崩すことなく、その態度ゆえに翔の言葉がどんどんと真実味を帯びてくる。
そうして数十秒ほど睨みあっただろうか。不意にステヴァンの通信魔道具から大声が響き渡る。
「嘘だろ!? なっ...... 翔君、あれ......」
同時にステヴァンが都市の方向を見て驚愕し、翔にも見るよう指を差した。
そうして目にした見慣れた都市の風景には、いつの間にか巨大な異物が紛れ込んでいた。
レオニード達が指示を出していた建物の頂上部。そこから建物の上半分をすっぽりと飲み込む形で、巨大な甕が出現していたのだ。
「兵士の役割とは、敵を打ち倒し、戦いを勝利に導くことが全てでは無い」
唖然としていた翔達の耳に、一つの声が響いた。
「兵士とは、時に自らを囮とし、多数の勝利のための布石になる必要がある。時に自らを犠牲にし、目の前の勝負に負けてでも戦場を勝利に導く必要がある」
まるで錆びた歯車のように、ゆっくりと翔達の顔がコッラーの方を向く。
「俺の討伐おめでとう、悪魔殺しの諸君。だが護衛を担う兵士として考えれば、お前達の行動は落第点だ」
「コッラアァァァ!」
翔の生み出した木刀が、コッラーの頭部に落とされる。
それだけで元々消滅寸前だったのであろうコッラーは、氷のように砕け散るとそのまま周囲の気温で溶け去るのだった。
本来なら勝利の余韻に浸るべき瞬間、しかし、今の翔にそんな余裕などありはしない。
「ステヴァンさん! 先に行きます!」
「ちょっ! ちょっと待て翔君! そんな出血で魔力をこれ以上消費したら!」
ステヴァンの忠告などまるで聞こえていないかのように振る舞い、翔は素早く擬翼を展開。そのまま都市へと向けて飛び立つ。
「頼む......! 頼む、間に合ってくれ......!」
不安と焦燥、勝者の心とはかけ離れた二つの感情を抱いて。
次回更新は8/23の予定です。




