逃げる狩人と追うウサギ その七
「腕を使って~、次は足を使って~、全部が無くなったら最後はしっかり壁になって~。君達の頑張りが勝利のカギだよ~! さぁ~、気張れ気張れ~! まだまだ逆転は可能だよ~! アオォーン!」
ミエリーシが戦法を変えた。
ずっと戦いを続けてきたマルティナから見て、その変化は明らかだった。
(使い魔を出し惜しんでる...... 当然ね。口調では余裕をかましてるけど、指揮系統の喪失なんて状況、あいつにも予想外だったはずだもの)
一匹の使い魔をマルティナにぶつける時に、ギリギリまで肉壁の役割を全うさせている。必要に迫られなければ、遠距離攻撃のみでマルティナを足止めしようとする。これまでの彼女の行動理念は、逃げながらのカウンター。つまり反転攻勢に重きを置いた戦法であった。
しかし、今のミエリーシは、完全に逃げの一辺倒。最小限の犠牲を用いて、マルティナとの距離を離そうと画策している。
「散々でかい口を叩いた癖に、やってることを尻尾を丸めて逃げてるだけじゃない! そんなに人間が怖いのかしら? はん、悪魔のとんだ面汚しね!」
「逃げじゃないさ~、未来への進軍だよ~? そもそも狩りの基本は好機を待つこと~。事前の準備が勝敗を分けるんだ~」
「ならお前は全く足りてなかったってことね! 準備のために、さっさと魔界に帰りなさい!」
「なんのなんの~。ここには木材、石材、弾薬、ニンゲン、たくさんの資源が揃ってるんだ~。突然のトラブルは現地調達で賄うのが基本だよ~? 一々魔界まで取りに戻るなんて、非効率なことは行わないさ~」
一方は挑発、一方は軽口。互いに相手の隙を作り出そうと企てるこの口撃合戦の最中においても、それぞれの魔法は乱れ飛び、凄まじい攻防が続いている。
けれども一人と一体は選択を誤らない。完璧な攻撃と完璧な防御という矛盾めいた概念の果てには、相殺という結果のみが残される。
(通信機器を破壊されたからには~、足で稼ぐしか無いんだよね~。少しずつ兵力は集まってきてるけど~、その分時間も与えてしまってる~。あの十字が突然態度を変えたのは~、この出来事だけが理由じゃないはずだ~。早く化けの皮を剥がさないと~、尻尾に火が点いちゃうな~)
ミエリーシは急ぐ。自身の軍団を再編成せんと。
彼女の戦法には、一にも二にも兵力が必要だ。自らの兵を集めることも動かすことも出来なくなった彼女にとって、今の状況はまさしく窮地。移動のスピードをさらに上げ、遊軍を束ねて全体への指令を再度下さんと画策する。
(まだ、まだよ...... あいつの魔法のカラクリは大体割れている。そしてあいつ自身、余裕が無くなったせいで全体を俯瞰する事が出来なくなっている。なら、後はタイミングだけ。タイミングさえ逃さなければ、確実に仕留めるチャンスが巡って来る......!)
ただガムシャラに無理攻めを行っている様に見えたもう一方のマルティナは、その実、すでに自身の作戦を実行に移すための準備を終えていた。
後は実行の瞬間まで作戦を露見されぬよう、ミエリーシを引き付け、過剰な攻撃によって思考を奪う。
動きはあれど移りの無い戦闘は、互いが思惑を実行せんと水面下で暗闘を続けた結果でもあったのだ。
そして、お互いの思惑によって停滞していた戦いは、思惑の成就によって容易に均衡が崩れるもの。
前を走るミエリーシの眼が怪しく光る。同時に、マルティナの通信魔道具に、待ち続けていた一報が届く。
その場所は奇しくも、一度戦いの均衡が大きく乱れた狭い裏路地。左右を高い建物で遮られたその場所で、まずはミエリーシの謀略が火を噴いた。
「は~い! みんな~! 崩落~!」
その声が響くや否や、ドオォンと凄まじき音を立てて、大きな壁の役割を果たしていた二棟の建物が内側に傾き始める。
偶然建物が寿命を迎えたのか。いいや、そんな筈は無い。ミエリーシだ。彼女が使い魔に命じて柱を叩き折らせたのだ。
樹木の侵食や続くマルティナの強力な始祖魔法によって、この建物が弱っていた事をミエリーシは確認していた。そのため彼女は、いち早くこの場に使い魔を送り込み、建物の崩落させる準備をさせていたのだ。
始まりの鳴き声は、まさにその指令。
すでに裏路地から抜けつつあるミエリーシと、裏路地に入る手前のマルティナ。このままでは分断され、今まで以上の致命的な距離が開いてしまう。
今のミエリーシが欲しているのは、何よりも時間と自身の自由だ。
それが手に入るのであれば、多少マルティナを自由に動かすのは仕方ない。むしろ、その間の時間を彼女よりも有意義に使うことで、盤面のアドバンテージをもう一度取り戻そうとしたのである。
突如、左右からの崩落に挟まれたマルティナの眼には、驚きの感情が浮かぶ。
「再奮起ッ!」
咄嗟に回復魔法を使ったようであるが、その魔法ではミエリーシを捕らえることも、崩落が迫る建物群を突っ切ることも不可能だ。
「......ふ~、それじゃあ鬼の居ぬ間に再編成を~」
ミエリーシが崩落を見届け、前方へと振り向いた時だった。
「あら、神の使いを鬼扱いなんて。悪魔は眼まで腐っているのね」
目の前にとある少女の姿があった。ようやく突き放したはずの十字の姿が、これまでで一番近しい位置に現れていた。
「ハッ!?」
驚愕に目を見開くミエリーシ。
遮蔽も無い。崩落に使ったせいで使い魔もいない。
この距離はマズい。今すぐ逃げなければ手遅れになる。幸い付近の建物は占領済みの物ばかり。蔓状植物を振り子の原理で用いれば、多少の負傷はすれどもまだ巻き返せる。
そうして生成されるはずの植物へと向け手を伸ばすが、その手は空を切った。
「樹木の異常成長は二十パーセントだったかしら? それとも、今生み出そうとした植物は、それ以下で生成可能な物だったのかしら? まぁいずれにしても、とっくの昔に支配率が足りてないわよ!」
刹那の瞬間、ミエリーシは自身の根源魔法で都市の状況に目を見やる。
すると、占領していた筈の都市の外周部の建物の多くが、いつの間にか解放、もしくは拮抗状態に変化してしまっている。
ようやく彼女は気が付いた。マルティナが待っていた好機を。そして、人類側が自分と同じように大胆な賭けに出ていたことを。
「マズッ!」
「逃がさないっ!」
「ッ! カッ、ハッ......!?」
咄嗟に腕で頭部と胸部を守ったミエリーシだったが、それ以外の無防備な部位へと向けて、模倣された刺突の嵐が突き刺さる。
彼女の肉体は魔力によって多少強化されていると言えど、その本質は生身の人間と大差が無い。腹部に何本も突き刺さった槍の衝撃は、そのままダイレクトなダメージとして蓄積されることになる。
「どう、やって~...... 私の、目の前に~......」
どちゃりと無様に地面へと叩きつけられながら、ミエリーシはその疑問を口にした。
なるほど、このたった一度の奇襲は、綿密にプランニングされた作戦だったのだろう。それを貰ってしまったのは仕方ない。完璧な自身の作戦負けだ。
しかし、それを抜きにしたって、マルティナが自分の目の前にワープしてきた理由が分からない。
ミエリーシはじっくりと、そして確実に彼女の手札を明かしていった。奥の手だった回復魔法を知られた時のマルティナの顔は、どう見たって演技では無かった。
確かに回復魔法は虎の子の隠し玉と言えるだろう。けれどもこのワープ魔法の方が、自分を相手にした場合は何倍も隠し玉と言えたはずだ。
謀略に長けた自分を前にして、その魔法を隠し通せた理由を、ミエリーシは知りたかったのだ。
「そんなの簡単よ。再奮起は回復魔法じゃない。強いて言うなら逆行魔法よ」
「逆、行......? あはっ、なんだ~......そういうことか~......」
マルティナから伝えられたのは、実質的には逆行という単語のみ。けれども、ミエリーシにとってはそれだけで十分だった。
回復魔法に見えた魔力や傷の再生は、自身の状態を巻き戻したもの。つまり、崩落の寸前、彼女は巻き戻したのだ。自身の状態を、一度目の裏路地のぶつかり合いが終わった直後へと。
追いかけっこが再開した、あの時の立ち位置へと。
「お前に再奮起を暴かれた時からずっと、どうやって追い付くかだけを考えていた。そうして気が付いたの。逃げ続けるお前に追い付くんじゃない。逆に待ち構える立ち位置に巻き戻ればいいことに」
「あっはっ~...... 途中で思いついたってこと~......? 気付けないわけだ~......」
そう、ミエリーシが再奮起を暴いた瞬間までは、マルティナは本気で隠し玉を失ったと考えていたのだ。切り札を切らされたと歯噛みしていたのだ。
だからミエリーシも気が付けなかった。そもそもあのタイミングの彼女の反応には、一切の演技が含まれていなかったのだから。
「効率を追求しすぎた。裏の裏を読み過ぎた。策に溺れたことが、お前の敗因よ!」
純白の衣を真っ赤に染めた天使は、自らの勝利を高らかに宣言するのだった。
次回更新は8/19の予定です。