霞む姿はおぼろげな雪のように その六
(雪那の墓氷が破壊されていく......当然か。あれさえなければ、彼らを地上で縛るものは無くなるのだから)
小高い丘の裏に潜伏を続けるコッラー。彼は今まさに、事態が決定的に動いたことを実感していた。
(戦闘が始まる前の連絡では、繁茂さんの方は順調だと言っていた。つまり、あの砂に命を吹き込む召喚士も防衛に参加せねば、都市の陥落は免れぬ状況だったということ。だというのに、件の召喚士はこの場にいる)
イレギュラーが重なりこそしたが、都市攻めを行っているのは、コッラーより何倍も知恵が回るミエリーシだ。少々のイレギュラーなど踏み潰し、逆に利用すらしてみせるはず。
なのに彼女側へ流れる筈だった悪魔殺しがわざわざこちらへ合流し、自ら都市の防衛レベルを下げている。そんなイレギュラーが発生しているというのに、ミエリーシからは何の連絡もない。
(まさか、繁茂さんの方も苦戦をしている? いや、だとしても計画に支障が出るレベルであるなら、連絡の一つは寄越すはず。ということは、これから俺達が予想だにしなかったイレギュラーが発生するということか......?)
いくつかの予想を立ててみるが、やはりしっくりとくる解答は見つからない。そもそも今のコッラーに、他人の窮地を救う余裕などありはしない。
一度目の予想外では、ミエリーシもわざわざ連絡は寄越さなかった。それは、いくら魔力量が異常である翔と言えども、コッラーを討伐するには至らないと判断したからだ。
この判断はコッラー自身も正しいと思ったし、実際に彼は翔を追い詰めてみせた。
だが、ステヴァンがこちらに参戦するのであれば話は別だ。彼と翔が合同でコッラーを追い詰める状況は、最悪と言えた。
(......大量の小魚。これでは身動きも儘ならない。それどころか、俺の身体が奴らの移動先を阻むだけで、居場所を教えているのと同義だ)
コッラーが潜伏する小山と同等の大きさはあるクジラの噴気孔から、何かが噴出する。もちろんこんな場で噴出する物が、ただの潮やそれを疑似的に再現した砂などであるはずがない。
使い魔だ。ステヴァンが新たに生み出したのであろう小魚型の使い魔が、地面を埋め尽くすほどに噴出したのだ。
砂の大地に着地した使い魔達は、一斉に四方八方へと泳ぎ出す。コッラーの居場所を捉えるために。
彼の根源魔法ただそこに在る者は、自身の発するあらゆる気配をランダムに発現させる魔法だ。
あくまでも偽れるのは気配のみ。つまり、コッラーが小石を蹴り飛ばせば、小石は蹴っ飛ばした方向に飛んでいくし、草を踏みしめれば、その草は自然に元には戻らないのだ。
これを現状に置き換えるとどうなるか。目の前から迫って来るのは、おそらく真っすぐ泳ぎ続けろとでも命令された使い魔の群れ。そんな使い魔の数匹が、己にぶつかり軌道がずれる、もしくは完全に挟まる。
そうなってしまえば、どれだけ気配を滅茶苦茶に発現させていようとも、使い魔の動きに穴が生まれる。そして、そんな隙を術者が見逃すはずが無い。
使い魔が不自然な動きをした場所へと視線が飛び、コッラーは見つかる。翔との戦いこそ有利に進めていたが、本来の彼は隠密特化。それも遠距離が主戦場のスナイパーだ。
小手先の技で有利を築くことは出来ても、数の差をひっくり返すような実力は持ってない。そして彼自身の肉体スペックは、人間のソレと大差はない。要するに砂漠を水面のように泳いで迫って来る使い魔相手では、逃げ切る足も持っていない。
(せめてあの方の遊び心が続いていれば......いや、釘を刺したのは俺の方。これで文句を付けるようでは、粛清されても不思議はない)
自分の窮地をはっきりと自覚したからこそ、ふと頭を過ったのは、とある存在が生み出したオーバースペックの使い魔。
あの時こそ最終計画の露見を恐れて口を出したが、こと現状だけを考えるのなら、全面的な足止めを依頼するべきだった。
あの方の魔法は強力だ。
その気になればミエリーシのような物量こそ無いが、彼女の最高スペックの使い魔を遥かに超えた存在を複数生み出せる。そうすればステヴァンがこの場に現れることは無かったし、そもそも彼が防衛に回った所で都市は陥落していただろう。
(......妄想だな。そうして一つの都市を陥落させた所で、まだ都市は一つ残っている。あの方の魔法を本格的に見せてしまえば、最後の都市を陥落する術が無い。悪魔殺しがいる都市を、同時攻略はリスクが高すぎる)
鮮やかな謀略によって、終始悪魔側が優勢に思えるこの戦いだが、彼らの目的を考えればこの場の優勢は当然なのだ。
なにしろ悪魔達はこの後に、もう一か所の都市を落とす必要がある。自分達の魔法と奥の手をいくつも曝した後に、悪魔殺しをもう一度相手取る必要があるのだ。
いくら士気を落としている言っても悪魔殺しは健在。しかも、その気になれば彼一人で防衛をこなせる能力を持っている。そんな相手を出し抜くために、そして万が一の窮地を考えた最後の戦力があの方だったのだ。
魔法は露見するほどに力を失う。
裏を返せば、初見の魔法に対応出来る魔法使いはほとんどいない。
このままでは仮にこの都市を攻略したとしても、情報の共有をされる前に速攻をかけなければいけなくなる。それほどまでにコッラーは魔法を見せすぎた。戦力として、期待出来ないレベルまで情報を抜かれてしまったのだ。
(あの魔力の波を浴びた時に全力で逃げに徹していれば、もしくは始めから足を用意していればあるいは......)
コッラーは仕事に忠実な狙撃手だった。
実力者の言うことをよく聞き、格上相手でも意見を伝え、自分の魔法すら過信しない。そんな出来た悪魔だった。
だが、砂漠の暑さでも力尽きることの無い悪魔の身体ゆえに、自らの居場所を敵に教えかねない車両での移動の制限したことは、完璧な仕事をこなそうとするあまりに犯した彼のミスだった。
車両さえ用意しておけば、彼は翔の追跡を振り切れたかもしれない。あるいは途中で車から飛び降り、手頃な砂中に身を隠していれば、翔の魔力をさらに奪えたかもしれない。
しかし、それらは行われなかった。だから歴史はこの姿で固定化された。
使い魔という数を活かして、小さい範囲なら虱潰しに捜索を行えるステヴァン。大量の魔力を消費こそするが、広範囲を捜索可能な翔。
彼ら一人一人では、コッラーを見つけられなかった。一人一人では、何も守れなかった。けれども彼らは合流した。だから有利はひっくり返った
これは翔とステヴァンで掴んだ、確定的な有利だったのだ。
もうすぐ魚達はこちらへと辿り着く。見つかるギリギリまで潜伏を続けるにしろ、大鷹の眷属のサブマシンガンで攻勢に出るにしろ、残された時間は少ない。
(......ここから勝利を得るのは限りなく難しい。ならば俺に出来ることは、繁茂さんの計画を少しでも手助けすること)
コッラーは潔く己の敗北を認めた。自分に残された役割は、どれだけこの二人を相手に時間を稼げるか。それが騎士団という同盟に所属する、コッラーという兵士の矜持だった。
「シン、行け。計画の最終段階に備えろ」
「キィー!」
「スオミ、ツーマンセルだ。存在の続く限り、奴らを削るぞ」
「グワウ!」
大鷹の眷属を都市へと羽ばたかせ、オオカミの眷属を自立可能な獣型へと切り替えさせる。
そうして失った武器の代わりを担うは、何の変哲もないサバイバルナイフ。特別な魔法も何なら魔力すら乗っていない数打ち品だ。
まるで人間のように大きく息を吐きだし、そのまま付近の使い魔をまとめて切り裂く。とっくの昔に根源魔法は捨てていた。
ここから始まるのは先の見えた戦い。
だが、全ては勝負に勝つため。この場の試合に負けることなど、コッラーにとっては大した事では無いのだから。
次回更新は8/7の予定です。




