霞む姿はおぼろげな雪のように その五
次回更新は8/3の予定です。
「グル......グル、ル......」
「いい加減、沈んでろ!」
全身が砂で出来たイッカクが砂中から飛び出し、とある使い魔の喉を大きく貫き飛ばす。
空中へと放り飛ばされる巨体。致命傷を負ってながらもなお、空中でいくらかの魔力弾を放出してきた使い魔だったが、地面に叩きつけられた衝撃でとうとう活動が停止した。
崩れゆく様もこれまでの森羅の使い魔とは異なり、身体を構成していた軸とでも言うべき場所が解け、一本の線に変わりながら消えていく様は、どこか幻想的にも感じられた。
都市外の部隊の進退をずっと阻んでいた使い魔は、ついに討伐されたのだ。
「助力は感謝しますよ。けど、まともな理由が無いんなら、俺はあなたに失望しなきゃならなくなる」
通信魔道具にそう問い質すのはステヴァン。これまで多くの人間を指揮しながら、使い魔への命令も出していたのだ。その顔に浮かぶ疲労の色は隠しきれない。
けれど、そこまでして部隊運用を行ってきたおかげだろう。潰された使い魔の数は少なく、彼自身の魔力にも多少は余裕がありそうだ。
そんな彼が少々の疑心も込めて通信魔道具に問いかけたのは、この都市外の均衡を破ったきっかけのためであった。
「中央防衛隊を応援に向かわせたことかな? それとも、その部隊に過剰なほどの魔道具を用意させていたことかな?」
「どっちもです。例え俺達が生き残ったとしても、あなたが死んだらこの都市は終わりなんだ。逆に俺達が全滅したところで、なだ都市には翔君もマルティナちゃんもいる。こんな所に余計な戦力を割いて、一気に攻め込まれたらどうするんです?」
突如現れた、推定森羅の使い魔は恐ろしき相手であった。
魔力弾で片っ端からこちらを爆撃するわ、他の森羅の使い魔達を的確に運用するわ、挙句の果てに本体の身体能力や耐久力も使い魔とは思えないほどだった。
まさに規格外の相手。それでも部隊が崩壊をしなかったのは、ステヴァンが自身の使い魔を的確に防御に回すことで犠牲者を極限まで抑えたためだった。
しかしこの行動を優先するあまり、部隊は芋虫ほどの速度でしか移動がままならなくなり、当然防御に使い魔を用いるため、ステヴァンの魔力は消費されていく。
このままでは仮に撤退が完了したとしても、ステヴァンは戦力外になるはずだった。
だが、中央から派遣された人員、そして彼らが用意した魔道具の数々によって事態は一変した。
元々、兵士達の命を守るために、ステヴァンは全力を出せなかったのだ。それが追加の人員と魔道具が配備されたことにより、余裕が生まれた。
そして生まれた余裕によって、上位個体を打ち破ることに成功したのだ。
本来ならば手放しで喜ぶべき勝利。それでもステヴァンの顔が優れぬのは、優先順位が低い上に危険な外周部を突破してまで応援が駆けつけたゆえ。
今の都市は、どこであろうと人員や資源、ありとあらゆる物が枯渇している状態だ。そんな状況でわざわざ自分達を助けるために部隊を派遣していては、どこかの戦線が大きく苦しむことになる。
おまけに自分達は何人生き残れるか分からなかった。応援部隊も、無事にここまで辿り着ける保証は無かった。一を助けるために二を消費しかねない状態だったのだ。
例え特記戦力であるステヴァンを解放するためだったとしても、あまりにリスクが大きすぎる。
普段のレオニードならば絶対に行わない選択だ。そのためステヴァンは、彼があまりの心労故に身内の情を優先し、自分を助けてしまったのではないかと疑っていたのだ。
「......そう疑うのも仕方ないか」
「えぇ。ですから聞かせてください。レオニードさんの考えを」
「お前は召喚魔法使いだ。戦いが継続していたとしても、通信を聞く余裕くらいはあっただろう?」
「もちろん聞いてましたよ。マルティナちゃんが森羅の悪魔の根源魔法を暴いたことも、その根源魔法を打ち破らなければ、そう遠くない未来に今の化け物が溢れかえることも」
「なら話が速い。このままでだとこちらはジリ貧だ。そのため勝負を仕掛けることにした。そして勝負を有利に持ち込むには、頭数は何よりも大事だろう?」
「勝負を仕掛けるのは分かります。けどそれなら尚更、俺達を助ける余裕は無かった筈だ。森羅の悪魔の根源魔法を打ち破るには、奴の制圧速度を超えるスピードで、制圧された拠点を解放していかなきゃならない。こんな所で人員と時間を消費していたら、思う壺です」
一部隊が捌き切れない大量の敵を打ち破るために、この部隊は派遣されたのだ。当然人員の数は相当数に上り、使い魔を掃討するためにかかった時間も大きい。
ここで時間を消費している間も、着々と森羅の悪魔の根源魔法は成長を続けていくのだ。それならば少しでも制圧拠点を解放するために早くから動いていた方が、良かったのではとステヴァンは思ったのだ。
「確かにな。ここで消費した時間と魔道具は、拠点解放に必要な資源だったと言わざるを得ない」
「だったら」
「だが、そもそもどうして使い魔が守っている拠点を解放するだけで、そんなにも多くの人員と魔道具が必要なんだ?」
「はい? そんなの森羅の使い魔が、並の使い魔とは比べ物にならないほど強力だからで_」
「何がそんなに強力なんだ?」
「......連携力です。奴らは指揮官が現場にいないにも関わらず、的確に連携し、確実な戦術でこちらを追い詰めてきます」
「じゃあ、その連携力が無くなれば、拠点攻略はどうなると思う?」
「そりゃあ、一気に楽になりますよ。いくら数が多いって言っても、奴らの多くは元の動物と大差が無い。多少頑丈な動物の群れ程度なら......まさか」
「そうだ。だからお前達を解放に向かった。この策はどれだけの時間通用するかが分からない。一気に攻め、一気に攻略するには、頭数が必要だった。合流前よりも数が減ってしまうかもしれないというリスクは、悪いが聞かないでくれ」
「それだけ勝算があるってことですか」
「ある。むしろ調べれば調べるほど、確信の方が強くなった」
「......なら、信じます」
作戦を聞く前だというのに、ステヴァンはレオニードを信用した。
けれども、そもそも彼が問い質したのは、レオニードが自暴自棄となったのではと疑ったためだ。
そうでないのなら、ステヴァンはレオニードを全面的に信用する。彼が成すこと、彼の考えをずっと近くで見てきたのだから。
「ありがとう」
「お気になさらず。それで? 俺もどこかの部隊を指揮しながら、その作戦に当たるべきですか?」
「いや、君には翔君の援護に向かってもらいたい」
「翔君の? マルティナちゃんでは無く?」
この戦いの趨勢を握っているのは、どう考えても森羅の悪魔だ。
確かに零氷の悪魔も脅威ではあるが、直近の危機として考えれば森羅の悪魔が勝る。だというのに、零氷の悪魔側に向かうというのはどういうことなのか。ステヴァンが頭を傾げる。
「この策を思いついた際に、手始めにマルティナ嬢へ連絡したんだ。森羅の悪魔の性格や戦法は、相手をしている彼女が一番理解していると思ってね」
「はぁ......それで?」
「作戦を聞かせた後、彼女にこう言われたよ。これで勝利の目途が立った。あとは任せろと。あの子がそこまで言ったんだ。信頼に値するだろう?」
「それでも、何事も確実はありません。バックアップは準備しておくべきでは?」
「......逆に翔君側からは、戦いに向かう通信を最後に、何一つ返答が返ってきて無いんだ。そもそもが近接特化と狙撃手の戦いだ。通信も返せないほどの窮地に彼が立たされていたとしても、何ら不思議はない」
「なるほど。そして実際に彼が倒れてしまったりしたら、森羅の使い魔軍団を弱体化させても、横槍が入る可能性が高い」
「そうだ。仮に彼の戦いが終わっていたとしたら、あらためて任務を伝えよう。ステヴァン行ってくれるね?」
「もちろんです。任せてくださいよ」
「ありがとう......例え、今日が私の命日だとしても、私はお前を_」
「すみません、レオニードさん。通信環境が悪くなったのか、後ろの音声が聞き取り切れなくて」
「いや、大したことじゃないさ。任せたって言っただけだよ」
「それなら。じゃあ、行ってきますね」
「あぁ、行ってこい」
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「そんなわけで、俺が助太刀に現れたってわけだ」
ニヤリと笑うステヴァンの顔には、悪魔と戦う不安や緊張といったものは感じられない。
けれど、それも当然だろう。彼の魔法とコッラーの魔法は、まさに最高の相性差があると言っても過言では無かったのだから。
「ありがとう、ございます」
おずおずと翔が言葉を返すのは、彼の置かれた環境があまりにも想像外の状態だったからだ。
翔は今ステヴァンと共に、クジラ型使い魔の体内にいた。
体内と言っても内臓等のグロテスクな器官は無いし、あれだけ大きな使い魔に関わらず、中は人間一人が屈んで進むくらいのスペースしかない。
一見、何のためにこんなことをしてるのかと思う状況だが、これにはれっきとした理由がある。
「これで狙撃も冷気も怖くない」
「本当だ。すげぇ......」
ステヴァンの使い魔は、その全てが砂と魔力のみで構成されている。おまけにいずれの使い魔にも核といった物は存在せず、活動を止めるには一定以上の肉体の損壊が必要となる。
つまり、分厚い砂の身体のおかげで狙撃は意味を成さず、凍えるほどの冷気は内部の翔達までは届かない。
そして仮初の肉体が砂であるステヴァンの使い魔では、雪那の墓氷は発動出来ない。まさに全ての相性が、ステヴァンの味方となっているのだ。
「さぁ、翔君。反撃開始と行こうぜ。そんだけボロボロにされたんだ。倍返ししたくてウズウズしてるだろ?」
「はい!」
ボロボロであった翔の身体に、目に見えぬ活力が戻ってくる。
一つの戦況が、今まさにひっくり返ろうとしていた。