霞む姿はおぼろげな雪のように その四
「ぐっ......あぐっ......!」
翔の四肢から、おびただしい鮮血が流れ出る。それらのいずれもが銃創であり、それらのいずれもが呪いの基点となっている。
現に流れだした血液はいつの間にか勢いを減じ、地面に到達する前で真紅のシャーベットへと変じていた。これまでの負傷では考えられないほどの凍結スピードだった。それだけ翔は、コッラーの攻撃に曝されてしまったのだ。
「このっ......! い゛っ!」
翔はボロボロになりながらも、目と鼻の先に捉えたコッラーに向かって手を伸ばす。しかし、その手で相手の胸倉を掴み取るには、彼の負傷は大きすぎた。
身じろぎの際に生まれた苦痛は、流石の翔と言っても無視出来ないほどの物だった。
そんな中でも幸いなのは、傷口が無理矢理凍らされたことによって、失血死の心配が無くなったことか。しかし、それとて程度の問題に過ぎない。
流れ出る血液がすぐさま凍結するような低温では、失血死が凍死に変わるだけだ。
「......咄嗟の防御によって、どうにか急所を守り切ったか。だが、お前が千載一遇のチャンスを逃したことは変わらん」
「うる、せぇ......!」
「一手違えば、俺は討伐されていたかもしれん。ここでお前のような強者を解き放てば、間違いなく繁茂さんの作戦が崩壊する。仕切り直させてもらおう」
そう言って、地面を思い切り蹴り上げるコッラー。
まるで癇癪を起こした幼児のような子供じみた行動だったが、今までの彼との戦いから、翔が察するのは速かった。
「このっ、待てっ!」
「俺は距離を取れる。お前はその間に魔法を弾ける。平等な交換だ」
「ふざっ......このやろうが!」
舞い散った砂が、翔からコッラーを覆い隠す。その刹那の一瞬によって、今までそこにあったはずのコッラーの気配が、一つ残らず消失してしまう。
きっとコッラー本人は、この丘陵地帯のいずこかの丘の影に、隠れ潜んだだけなのだろう。しかし、翔にはどこに隠れたかを判別する手段は無い。
コッラーを取り逃がしてしまった。彼の根源魔法を発動させてしまった。奴を白日の下に引きずり出した翔の行動は、水泡に帰してしまったのだ。
「くそっ、くそおぉ! 擬井制圧 曼殊沙華!」
悔しさに雄たけびを上げながら、翔が周囲に結界を展開する。
先ほどコッラーの言っていた平等な交換だ。
彼は翔が所持する魔法の中に、相手の魔力を弾き飛ばす魔法が含まれていることを知っていた。その魔法があれば、自身が振りまく凍結の呪いなぞ、簡単に振り払えることを知っていた。
今の翔は四肢の全てに氷が張り始め、いつ凍傷で砕けてもおかしく無いほど勢いも凄まじい。
無茶を押し通すことを得意とする翔と言えども、コッラーを討伐するための腕まで失われてしまえば、どうすることも出来なくなる。
だから彼は、悪魔の言う通りにするしかなかった。手に入れたチャンスを棒に振るしかなかったのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ......くっそ、今まで全身に熱さを感じてたはずなのに、今度はいきなり冷え込んできやがった。あの野郎、いったいどれだけの使い魔を氷像に変えやがった」
凍結の魔法を振り払った翔が感じたのは、骨まで沁みるような寒さ。
今までのアドレナリンで誤魔化せるような冷たさでは無く、身体そのものが留まることを拒絶するような寒さだ。
こちらも原因は明白だ。翔との戦闘中も、熱心に友軍である森羅の使い魔を撃ち抜いていたコッラー。
彼の所持する魔法の一つである雪那の墓氷は、犠牲者を冷気振りまく呪いの氷像へと作り替える。しかもこの氷像は数を増やすごとに、そして時間を経るごとに、より強力な物へと変じていく。
ついにその氷像の呪いが、翔の堪えられる寒さの限界を逸脱してしまったのだ。
雲一つ無い晴れやかな空だというのに、木刀を握る指の感覚すら無くなりつつある。流れ出たことで起こった血液不足が、より寒さを鋭敏にする。
「もう一度......もう一度あの野郎を見つけねぇと、いけないのに......」
翔がコッラーを止められなければ、無差別の狙撃が都市を襲う。戦い続けだったために詳細は把握していないが、どこの戦線も余裕が生まれたという話は出ていない。
だからこそ自分がコッラーの相手をしなければいけないのに、肝心の身体が言うことを聞かない。
「......やっと環境という猛毒が効いてきたか。お前は本当に、厄介な猛獣だった」
「ゲェー!」
新たな潜伏先を見つけたのだろうコッラーから、安堵の言葉と共に大鷹の眷属が送り届けられた。
これまで通りであれば、氷弾の斉射を翔が受け止めていただけぶつかり合い。しかし、此度の眷属はあろうことか、備え付けていた跳弾用の鉄板で翔に殴りかかってきた。
「てめぇは! がっ!? がはっ!」
至近距離は当然翔の距離だ。わざわざ出向いてくれた眷属を迎撃しようと木刀で受け止めるが、彼の身体は鉄板の衝撃を受け止め切れず、吹き飛ばされてしまう。
「なっ、なんでだよ! どうして!」
自分より遥かに小柄な眷属の攻撃を受け止められなかったショック、その精神的ダメージは計り知れなかった。同時に、目に見えぬ消耗が想像以上のものであると翔は自覚させられた。
「それだけ冷えた身体で、それだけ出血と負傷を繰り返した身体で、いつも通りのコンディションを出せると思っていたのか? お前はお前が思っている以上に、能力を低下させ続けていた。そしてたった今、その能力低下が無視出来ないレベルになった。ただそれだけだ」
「......そんな」
その指摘は鋭い刃のように、翔の心に突き刺さった。
接近戦なら絶対に負けない。そんな自負があったからこそ、彼はこれまでの一方的な攻撃を耐えられ続けていたのだ。
その考えを根本からひっくり返された。
例え、もう一度同じ行動を繰り返したとしても、コッラーを仕留めきれないかもしれない。
いつもがむしゃらに前へと進み続けていた翔の心に、急ブレーキがかけられた。ほんの一瞬目の前が真っ暗になったかのような錯覚に襲われた。
「さて、この戦いが終わったら、繁茂さんに効率的な巨獣の狩り方を学ぶとしよう」
そして翔が曝した致命的な隙を、コッラーほどの狙撃手が見逃すはずもない。
いくら擬翼の防御があれど、相手は動きを止めている。そのためこれまでとは異なり、狙いは頭部。確実な決着を狙って弾丸を発射する。
冷えた空気を切り裂くような、高い銃声が鳴り響く。
この一発は、決着の一打になり得る筈だった。
「ぐはっ!?」
「......なに?」
だが、標的は着弾の衝撃で吹き飛ばされこそすれ、傷一つ無くすぐさま立ち上がった。
自分の狙撃を防ぐ要素など、今の悪魔殺しには残っていなかったはず。困惑がコッラーを支配することコンマ数秒。不意に彼は、翔が倒れた砂地に、極僅かだが別の魔力が混じっていることに気が付いた。
「......この魔力は、いや、この魔力反応は」
同時に彼は気が付いた。地面に残る魔力と同系統の魔力が、さらに深い深い砂中からこちらに迫りつつあることを。その魔力反応が、都市外で相手をした悪魔殺しの物であることを。
凄まじい衝撃を上げながら、砂中から一つの影が顔を出す。
それを形容するならクジラを模った砂のオブジェ。だというのに、そのクジラはまるで生き物かのように潮を吹き、中から大量の魚型使い魔と一人の人間を登場させる。
「あ、あぁ......!」
「よう翔君、助太刀に入ってもいいかな?」
「ステヴァンさん!」
翔とコッラーの戦いに割って入った者の正体。それは都市に残された最後の悪魔殺し、ステヴァンだった。
次回更新は7/30の予定です。




