霞む姿はおぼろげな雪のように その一
「お前が...... 零氷の悪魔だな?」
マルティナに教えられた魔力反応の座標に、自前の擬翼を用いて一直線に飛び続けた翔。
そんな彼の前に立つのは、雪のような銀白色で全身を包んだ人型。フードによって顔をうかがい知ることは出来ないが、身体つきから考えるにおそらく男性だろう。
そんな男が片手に携えるは、大型の狙撃銃。翔は質問こそ行ったが、目の前の男が狙撃手の悪魔であると半ば確信を持っていた。
「......始まりの頃であれば、こんな歌劇のような問い合いのなど無視を決め込んでいただろう......しかし、名を上げることもまた悪魔の本分。零氷の悪魔、白霊のコッラーだ」
「......やっぱりかよ」
少しばかり気だるげな雰囲気を漂わせる男は、一瞬の逡巡の内、自身の正体を明かした。その解答から、翔の木刀を握る手に力が籠る。
「どうしてこんなことをした?」
「どうして、とは?」
「決まってんだろ! たくさんの人を殺して、その上で現世に略奪の国を顕現させようとする理由だ!」
とっくの昔にダンタリアから推測の動機は聞かされているし、翔自身この問いかけがほとんど意味が無いことは理解している。
悪魔は欲望に忠実だ。現世の本を読みたいからという理由で人間に組みする魔王もいれば、永遠に名を残すために自らの命を平然と投げ捨てる悪魔もいる。
最悪、やりたかったからという理由で、この惨劇が引き起こされたのだとしても不思議ではない。おまけにこの悪魔は国家間同盟と呼ばれる、悪魔の国同士の同盟から派遣された尖兵だ。組織が決めた事と言われればそれまでである。
けれども翔は聞きたかった。ダンタリアの言葉が確かであれば、目の前の悪魔は元人間。どれだけ生前の悪性故に悪魔に堕ちたとしても、そこには欠片程度でも人間性は残っているはず。
そんな彼が、人類を悪魔の奴隷に落とす作戦を実行する理由を、どうしても聞いてみたかったのだ。
「......なるほど。若いな」
翔の魂の叫び。しかし、それをぶつけた相手から返ってきたのは、嘆息が幾分入り混じる言葉だった。
「なんだと!」
「生命が行動を起こす理由。それは、欲望、しがらみ、圧力、様々な要因こそ在れど、結局は自身の意思で決定を下したからに過ぎない」
「お前は! 元人間のお前はっ! 平気で罪も無い人達を望んで殺したってことかよ!?」
「そうだ。それこそが俺の大義であり、我々が目指す大義の道であるため」
「っ! このっ、人でなしが!」
「そんなこと、とっくの昔に自覚している。質問は十分か? ならばこちらも仕事を再開しなければならない」
カチリと、今まで下を向いていた銃身が翔へと向けられる。それは話し合いに対する、無言の拒絶の表れだった。
「このっ! こっちだって、端から戦わずに済むなんて思ってねぇ!」
翔もこれ以上の話し合いは不可能だと判断した。
そして判断と同時に擬翼から一気に魔力を放出し、コッラーへの肉薄する。
コッラーの得物は見た限りでは狙撃銃しかない。もちろん悪魔であるため何らかの魔法の行使は考えられるが、接近戦を行う分にはどう考えても狙撃銃は邪魔でしかない。
相手がアクションを起こす前に、こちらの得意な状況へと持ち込む。狙撃の脅威をしっかりと理解した、妥当な判断だった。
「魔力の特徴からして分かってはいたが、やはりお前が俺を捉えた魔法使いか。一瞬とはいえ、あれだけ広範囲に魔法阻害の結界を展開していながら消耗の色は無い。悪いが、力同士のぶつかり合いをするつもりは無い」
翔を狙っていた狙撃銃。しかし、彼が突撃を選択したと分かった瞬間、コッラーはあろうことかその照準を地面へと向けた。
「何を!?」
「若き魔法使いよ、覚えておくといい。狙撃手とは、お前の想像以上に卑怯で悪辣な存在ということを」
引き金が引かれ、コッラーの足元で銃が炸裂する。
もちろん翔には何の痛痒も与えることは無く、周囲に大きく砂塵をばらまいただけだ。
「なっ......そういうことかよ!」
だが、舞い散る砂が消え去った時、翔はコッラーの狙いをようやく理解した。
彼はたった一瞬だけでも、翔の視界から消え去りたかったのだ。自身の根源魔法、ただそこに在る者の発動条件を満たすために。
「俺の根源魔法は大多数を相手取る事が可能な魔法だが、個人を相手にする際はもう少し特別な使い方が出来てな......こんな風に」
「がぁっ!? くそっ! なんだこれ!?」
前後左右、至近遠方。あらゆる場所からコッラーの声が響き渡る。同時にありとあらゆる場所から、奴の気配が感じられる。
マルティナがコッラーの捜索を続けている最中も、気配の位置がころころと変わり、それが彼女の魔力探知を狂わせていた。
だが、今翔が陥っている状況はそんな比では無い。
あらゆる場所からあらゆる強弱でコッラーの気配が感じられる。どの方向の気配を目指しても、彼がそこにいるという根拠の無い自信が持てる。
まさに異常。まさに魔法。目に見えども確かにそこにいる。今のコッラーはまさに真名の名の通り、目に見えない白き幽霊となって翔と対峙していた。
「このやろう。なら、さっきみたいに擬井制圧 曼殊沙華を使って_」
どんな異常現象であろうと、それは魔法であり魔力を用いて運用される現象だ。加えて根源魔法ともなれば、発動に必要な魔力はおのずと自身の魔力に限定される。
そんな魔法相手であれば、空間一帯を己の魔力で塗りつぶす魔法はまさにカウンターだ。翔も迷わず魔力を練り始める。
「相手の行動に対して、最も効果的な行動を返す。堅実で模範的な解答だな。だがその純粋さは、戦場では致命的な弱みと言える」
「っ! 痛ってぇ......」
あらゆる方向から響く声の内、翔は咄嗟の癖で後ろから響いた声に反応して振り返った。
そして、その行動が彼の命を救った。
振り向いた際に動いた頭の位置。その動く前の場所を狙うように、弾丸が飛来していたからだ。結果的に翔の負傷は、弾丸が掠ったことによって切れた頬のみ。
けれどもそれ以上に彼の心には、大きな傷が生まれていた。
(ヤベェ......さっきの銃撃、本当に何一つ反応出来なかった。撃ち込まれる殺気も、射撃音だって確かに聞こえていた。なのに頬を掠めるまでどこから飛んできているのかが全く分からなかった......)
撃たれる瞬間も分かった。撃たれたことだって分かっていた。なのに飛んでくる弾丸はもちろん、発射された場所も、飛んでくる方向も何一つ分からなかったのだ
コッラーの根源魔法、ただそこに在る者は、自身が発した気配を偽装して発現させる魔法だ。つまり、発した気配自体は、翔が気が付かなかった物ですら、自動で彼に伝えてくれているとも言える。
しかし、その気配は結局全くの偽りであり、多すぎる気配のせいで的を絞り込むことが不可能になってしまっていた。
先ほどコッラーが射撃寸前で翔へ声をかけたのも、突然の声によって翔の身体を硬直させることが目的だったのだろう。結果的に翔の反応がコッラーの望んだものでは無かったせいで助かったが、あの時点で彼は死んでいてもおかしくなかった。
「......今ので終わっていれば、楽に死ねたというのに」
「ふざけんな! てめぇらを魔界に叩き帰すまでは、おちおち死んでも_」
そこで翔は気付く。自分の顔から、ピキピキと耳慣れない音が響いていることに。
「これは......ニナの......」
「覚えがあるのか? まぁ、俺にとってはどうでもいいことだが」
不意に手をやったことで気が付いた身体の異常。先ほど銃撃を受けた頬には、いつの間にか薄い氷が張り、それがどんどんと範囲を増しているようであった。
翔は今間違いなく、進行型の魔法を食らってしまっている。
「こんのぉ! 大した傷じゃねぇ! それよりもお前を倒すのが優先だ!」
ニナの魔法と同系統の魔法であれば、擬井制圧 曼殊沙華による魔力除外で効力は消せる。
それなら優先すべきは、コッラーの討伐だ。
先ほどの銃撃を躱したことによって、少なくとも銃撃された方向だけは翔にも分かっていた。そして、魔法を発動する際に、わざわざ自身の姿を隠したコッラーだ。
目視されることが、彼の魔法に何らかのペナルティを与える確率は高い。翔は急いで銃撃された方向に向かおうとした。
「クアァァァ!」
「っ! てめぇは!」
そんな彼の頭上から、これまでとは異なるはっきりとした殺意が銃弾の嵐となって飛来する。
咄嗟の空中機動によって躱した翔だったが、銃撃の犯人に気付き、怒りを露わにする。
その正体は、散々都市外でステヴァンを苦しめた大鷹の眷属だった。
「放たれた銃撃を利用して位置を突き止める。堅実で有効な一手だ。だからこそ対策を取りやすいわけだが。シン、適当に妨害してやれ」
「キイィィ!」
「ぐっ! このぉ!」
脚部に備え付けられたサブマシンガンから、雨霰の如く銃弾が降り注ぐ。そのいずれもを躱しあるいは擬翼を用いて弾き大鷹に肉薄するも、振るった木刀は空を切り、優れた空中機動で距離を離される。
トップスピードこそ超常的な出力を持つ翔の擬翼だが、その動きの多くは直線的なものに限定されてしまっている。元々翼を有する生物と対峙した際に、その欠点は大きな差となって現れてしまった。
「戦いの場所こそ移ったが、俺がやることに変わりはない。相手の射程の外側から、致死の一撃を届けるだけ。卑怯で、悪辣で.......まさに悪魔の所業だな」
都市内にいた際も、コッラーの狙撃はマルティナと翔を狙っていたのだ。彼らが脅威であることは分かっていたはずだし、彼ら個人を指定して根源魔法を使っていればより大きな混乱を招けたはずである。
それをギリギリまで選択しなかったのは、もしもの際に手札を隠しておくためだ。無効手段を得たと嬉々としてコッラーに向かってきた相手に、強烈なカウンターを浴びせるためだ。
事実翔は術中に嵌り、コッラーを討伐するどころか彼の尻尾すら掴めないでいる。
一手を破られても、次の一手が牙を剝く。
ミエリーシのような広い戦略眼こそ持ち得ていないが、コッラーもまた、個人の戦術レベルでは実に幅広い選択を持つ優れた戦士であったのだ。
相手の射程の外側から、致死の一撃をお見舞いする。どこまでもそれを遂行してくるコッラーを前に、翔は奥歯を噛みしめるのだった。
次回更新は7/2の予定です。