逃げる狩人と追うウサギ その二
「余計な動きは取らせない! 一撃で決める!」
そう言って動き出すのはマルティナ。捕まっていた人間達が逃げ出したのを確認すると、一切の躊躇無く一本の槍とそこから分かたれた無数の槍撃を、ミエリーシに向かって投げ込んだ。
目の前の悪魔は様々な方向から都市を引っ掻き回し、挙句の果てには都市の防衛機構全てを崩落させた張本人だ。
討伐に時間をかければ、どんな謀略が飛び出してくるか分からない。狙うは短期決戦。マルティナは初撃から全力を出すことに躊躇が無かった。
ミエリーシに迫る槍撃は、視界一面を埋め尽くす大質量。多少動けるとは言っても、彼女は本体が貧弱な召喚魔法使いに分類される。当たればひとたまりもない。
だが、そんな攻撃を前にしても、ミエリーシは余裕の表情を崩さなかった。
「は~い! みんな~! 肉壁~!」
ケラケラと笑いながら口に出す物騒な命令。本来はよっぽどの人望かよっぽどの弱みを握っていなければ実行されることは無いであろうその命令を、獣達は一拍の隙も無く実行に移す。
「チッ!」
「ざ~んね~ん!」
お互いの初手が交差した結果、マルティナが得たのは数匹の使い魔討伐という成果のみ。
決して悪い成果では無い。むしろ都市の防衛という観点から見れば、上々の成果と言える。
しかし、ミエリーシという元凶を狙った攻撃と考えれば、この成果は下の下と言えた。仮に隠しダネがあったにせよ、油断をしている悪魔には少しでも痛手を与えておきたかったのだから。
「ならっ!」
一度目は失敗に終わった。けれどマルティナはその程度で一々落胆し、士気を下げるようなタマでは無い。
先ほどの失敗は、ミエリーシ側に使い魔という盾が存在したから成り立った策だ。今の攻撃により、この場に詰めていた使い魔は全滅。リスやヘビといった小物がいないとは言い切れないが、その程度の質量ではミエリーシを守れない。
次は逃げられない。その核心を胸に秘め、戦意をみなぎらせ、より感覚を研ぎ澄ませ、今度こそ森羅の悪魔に一撃を加えんと、マルティナは投擲を繰り返した。
迫る投擲。もはや使い魔を呼び出す時間も無い。
当たった。マルティナは着弾を確信し、それを裏付けるように衝撃の粉塵が舞い踊る。
「ふっふっふ~! そうだね~、次は肉の壁が無い~。でもでも~、壁の材料は残されてるんだな~!」
「いったい、どうやって......っ!」
舞い踊る粉塵が晴れた先は、またもマルティナが望んだ光景では無かった。
彼女とミエリーシの間には、いつの間にか悪魔を守るかのような若木の壁が立っていたからだ。
マルティナの魔法はあくまでも増やしたい対象を模倣し、増やすものだ。今回増やしたのは彼女が投擲した槍の衝撃。使い魔やただの悪魔程度なら突き刺さる一撃も、樹木を貫通させる威力は無いのだ。
しかし、だとしてもミエリーシが樹木を出現させたタイミングが腑に落ちない。
マルティナは翔と違い、それなりに優れた魔力感知を有している。至近距離であれば極僅かな魔力反応も見逃さないほどの。
だが、そんな彼女の魔力感知に、樹木の出現は一切の反応を示さなかったのだ。となれば、この樹木は魔力を介さない方法で出現したとしか考えられないが、そんなことはあり得ない。
(考えられるのは、一種の休眠状態で魔力反応がゼロの使い魔を配置していた可能性。けど、それなら出現と同時に少なからず魔力反応が現れる筈。それが一切無かった。なら、考えられる可能性は_)
理解出来ない現象など、悪魔を相手にしていれば日常茶飯事だ。
この事態を前にしてもマルティナの脳は高速で思考を続け、コンマ数秒の内に一つの可能性に辿り着く。けれど、彼女が結論を出すよりも早く、正解を口にする者がいた。
「ちっちっち~、魔力反応が無い魔法現象なんて~、契約魔法で踏み倒した可能性しかありえないでしょ~? ちょ~っと、頭の回転が足りてないんじゃないかな~?」
ケラケラと、嘲笑うかのようにケラケラと。ミエリーシはマルティナにその可能性を口にする。
ブラフの可能性もあるだろう。しかし、マルティナ自身の頭がその可能性を否定している。ならばなぜ敵である彼女が、わざわざ答えを口にしたのか。
「そこまで人をおちょくって、そんなに私の心を乱したいのかしら?」
ギリッと、複製した槍を持つ手に力がこもる。
答えなど一つしか無い。ミエリーシはマルティナを、混じりけ無しの純度百パーセントでバカにしたのだ。
「いやいやいや~、まさかそんな~。私は親切心で指摘してあげただけどよ~?」
「そんな言葉を信じるとでも?」
言葉と同時に、再度投擲が行われる。
「そりゃそうだ~! けど~、これだけは聞いといて欲しいな~! この程度の知識、始まりの私の時代なら常識だったよ~? 実戦で悪魔に指摘されるなんて~、ちょ~っと未熟が過ぎるんじゃないかな~?」
またも突き刺さる瞬間に、若木が投擲の邪魔をする。
ミエリーシには魔法を使った形跡は無く、これでマルティナが最初に考えていた特殊な使い魔を用いた可能性は潰えた。
「......あんた、まさか」
「ご納得いただけたかな~? 希少な手段にばかり目が行くのは~、ふふっ~、実に若さだね~」
「っ!」
いや、潰えさせてあげたと言った方が正しいだろうか。
ミエリーシは三度目の攻撃を、わざわざマルティナが射角を取れるように、生えた若木から一歩だけ横に逸れた場所で受けた。
一度目を受けたのは、自身の使い魔がどれだけ命令に忠実であるかを示すため。二度目を受けたのは、自身には使い魔以外にも優秀な防御手段があることを見せつけるため。三度目を受けたのは、これが彼女の言った通りの現象であると知らしめるため。
そして先ほどミエリーシが零した発言。
もしあれがマルティナの思考を読み取った結果の発言であれば、つじつまが全て合う。
思考を先読みされ、おまけとばかりに答え合わせもされる。それも敵対する相手にだ。この屈辱は一体どれほどのものだろうか。
翔との戦いを経て、マルティナは心身とも成長した。暴走する前に一歩立ち止まる冷静さも身に付けた。実際この場においても、彼女は槍こそ真っ赤になるほど握りしめていたが、表情だけは冷静なままであった。
けれど、そんな薄皮一枚で偽装した平静など、稀代の謀略家であるミエリーシには無意味だった。彼女はただ淡々と、マルティナの心を均衡から遠ざけていった。
「私はホントに親切だよね~! でも~、ニンゲンって言葉では無償の愛とかボランティア精神なんて物を期待するくせに~、実際にタダで何かを施されると~、疑心に駆られてしまうことはよ~く知ってるんだよね~!」
「何が......言いたいのよ?」
「いや~、私って実は平等が大好きでさ~! 君とゲームをするに当たって~、スタート時点で随分と平等じゃないな~って気付いたんだよ~」
「このっ!」
ゲーム感覚。その言葉を聞いた瞬間にマルティナの投擲がミエリーシを襲うが、やはり若木に阻まれ届かない。
ミエリーシはケラケラと笑うのみ。けれど、その笑みは不意に変質した。
「マルティナ・ラッツォーニ。年齢十六歳。十五歳で教会の悪魔祓い認定試験に合格し、半年後にはなんと悪魔殺しの契約にも成功したまさに教会の秘蔵っ子。けれどその反面、コミュニケーション能力に難があり、意思を用意に曲げない強情さも併せ持つ」
笑顔だけは絶やさず、しかし口調はこれまでの彼女とは打って変わった無機質な物へと変化する。そうして語るは一人の悪魔祓いの歴史。
目の前で飛翔する人間の情報だ。
「っ! お前!」
当然マルティナもそれを理解し、槍を投げる腕にさらに力を込める。
しかし、やはり届かない。その不愉快な口を閉ざせない。
「習得した奇跡は対象の感覚を奪うイアソーの腕と、飛翔能力であるダイダロスの翼。悪魔殺しの契約で手に入れた数を操る始祖魔法も操り、現世屈指の広範囲攻撃能力を秘めている......っと~。ごめんね~。ここまで知るつもりは無かったんだけど~、お喋りジャン君が全部聞いて欲しいってさ~!」
そうして言い終わるが早いか、ミエリーシにこれまでの雰囲気が戻ってくる。
その笑顔を以て、全力でマルティナを嘲笑う。
最後に聞かされた人名に心当たりは無い。だが、一般的なイタリア人の名前だ。それだけで読み解けることは無数にある。
そもそも今までの悪魔達の行動を考えれば、この場におけるミエリーシの行動は不可解極まりなかった。
ずっと潜伏を続けていたにも関わらず、挑発するようにマルティナを呼び寄せた。暗躍に重きを置いていたにも関わらず、自らが矢面に立ってリスクを抱えた。そして、情報をひた隠しにしてきたにも関わらず、この場では積極的に開示して見せた。
その全ての行動が、マルティナの性格と戦術、理念に至るまでを理解していたゆえの行動と言うなら納得がいく。
始祖魔法使いのマルティナは、作戦行動の邪魔になりかねなかった。性格難の後ろに隠れがちな優秀さは、悪魔の計画を崩す一手になりかねなかった。けれど、前述した性格難が致命的なものであることも知った。
技も知恵も魔法に至るまでも理解しているのだ。ならばミエリーシが相手取る事こそ、この場における一番のリスク回避手段になり得ると。
「......そう。もう何も話さなくていいわよ」
「いやいや~。あと一つだけ喋らせてよ~!」
もうマルティナの怒りのボルテージは、最高潮に達している。ミエリーシを討伐するその時まで、彼女の目線が他を向くことは無いだろう。
しかし、万が一、億が一にも、彼女が他へと視線を移さぬために、ミエリーシはとっておきの情報を漏らすのだ。
「私の根源魔法、再誕の森はね~。最初に指定した拠点を制圧すればするほど~、相手との戦力差が埋まれば埋まるほど~、色々なボーナスが貰えるんだよね~。ちなみに~、今この都市の制圧率は五パーセント。そのおかげで制圧拠点に~、樹木を配置出来るんだ~!」
目の前の悪魔祓いの身にまとう雰囲気に、どす黒い気配が纏われたのをミエリーシは感じる。
当たり前だ。先ほどの魔法の説明とわざわざ出した制圧率。これで感付ける頭があることはよーく知っている。
五パーセントでこれなのだ。十パーセントに到達したら、十五は、二十は、もし五十パーセントまで進んでしまったら。そう考えたらミエリーシを放置出来よう筈がない。
ミエリーシは自らをエサにした釣り竿に、獲物がかかったことを確信した。
次回更新は6/24の予定です。




