たった一つの違和感
「......あぁ。 .......そうか。 さっき言った通り、翔君のおかげで零氷の悪魔の横入りは無くなるはずだ。だから無理だけはするな」
通信魔道具から届けられた声に対して、ボルコは必要最低限の労いをかける。
余裕があるのなら、こんな片言だけの労いはしない。しかし、今はお互いにその余裕が不足していたのだ。ボルコも、通信相手であるステヴァンも。
「......都市外の戦場に上位個体が出現。しかも、拙いとはいえ魔法すら操る、か。まったく、森羅の悪魔の引き出しは何重に分けられているのだろうな」
苦笑いを浮かべながら皮肉を吐いたのはレオニード。この都市のトップである彼は、先ほどの通信をもちろん一緒に聞いていた。
「レオニード様......」
「分かっているさ、本来であればもっと的確な指示を出すべきだと。だが、ステヴァンを引かせるとしても、その場で継戦を望むにしても情報が足りなすぎる」
「都市内と言えども、ステヴァンの召喚魔法は使えます」
「だろうな。けれども今の私には、その選択の正否が分からないんだ。果たしてステヴァンを合流させることが、本当に良いことなのか判断が付かなくなってしまったんだ。 ......トップとしては落第だな」
普段の彼であれば、皮肉は口にしながらも、適切な判断に基づく指示を即座に下せた場面。その場面でボルコに玉虫色の返答しかさせなかったのは、これまでの防衛戦が原因だった。
森羅の悪魔の謀略。それは都市に存亡の危機を持ち込むだけでなく、トップであるレオニードにすら迷いという毒を流し込んでいた。
彼は策略という戦場において、森羅の悪魔にずっと翻弄され続けた。唯一出来たことと言えば、発動した謀略に対する対処療法だけであった。
人によっては彼の判断能力を立派だと褒め称えるだろう。けれども、決断一つに多くの命運がかかっている彼にしてみれば、積み重ねた敗北がそのままプレッシャーとなって襲い掛かった。
その結果、彼に生まれたのは迷いの感情。本当に防衛ラインを下げても良いのか、本当に現場の判断に任せて良いのかといった、全ての選択に苦痛が伴うようになっていたのだ。
「この土壇場まで持ち札を黙っていた小娘には腹が立ちますが、あれと翔君がいなければ早晩防衛は破綻していました。感謝すべきなのでしょうな」
「ボルコ、そう言ってやるな。魔法使いが実力を隠すことは至って普通なこと。むしろ、隠し通さずにいてくれたことを感謝しなければならないだろう?」
「ですが!」
「それに、最初に彼女の信用を踏みにじったのが、私達だということを忘れてはいけない。ふっ、思い起こせば本当に判断ミスの連続だな。翔君にマルティナ嬢、それにステヴァン。若い者達に尻拭いを押し付けてしまうのが口惜しい」
「それでも、それでも我々は負けていませぬ」
レオニードと森羅の悪魔ミエリーシ。二人の指し手による盤面勝負は、ミエリーシの圧勝に終わった。
敗北の代償によって背負ったのは、ミエリーシの侵入、結界の崩落、都市外部隊の孤立、トップの判断力低下など多岐に渡った。
しかし、何もそれがデメリットだけを生んだわけでは無かった。元々レオニードに疑心を抱いていたマルティナが、翔と共に行った独断専行。これのおかげで、絶望的だった盤面に光明が差し込んだのだ。
「......そうだな。マルティナ嬢にも発破をかけられたのだ。いつまでも呆けているわけにはいかないな」
「本当にあの小娘はっ! 勝手に抜け出したと思ったら零氷の悪魔の場所を見抜き、翔君を向かわせ、自分は森羅の悪魔の対処に向かうなどと! 全てが事後報告ではないか!」
「それだけ力不足と思われたのだろう。実際、最後の結界起動についても、私は彼女の判断を蹴ってしまったのだから」
マルティナから届けられた情報もまた、多岐に渡る。しかし、そのどれもが報告であり、さらに独断専行を続けるという宣言でもあった。
本来であれば数日前のレオニードのように、略式裁判にかけられても文句が言えない行動であったが、その滅茶苦茶な行動はさしもの森羅の悪魔とて理外の一手だったらしい。
現在、森羅の使い魔の襲撃こそ収まってはいないが、零氷の悪魔の銃撃は沈黙している。マルティナの言葉通りの状況であるなら、翔が零氷の悪魔と戦っているのだろう。
「けれどそれでは、この場は本当に無意味な場所となります。規律を正さねば、第二第三の小娘を出してしまいます。今回はあちらの判断が正しかったのでしょうが、続く者達の判断が常に正しいものだとは限りますまい」
ことあるごとにマルティナと言い合いをしていたボルコだ。それでも不服そうに懸念を口にする。
実際彼の言う通り、余裕が無いからこそ問題視されていないが、このような防衛戦において独断専行は大罪だ。もしこのまま現場の判断で行動をして良いのだという空気が広まれば、指揮官の判断で突出、あるいは退却を始める部隊が出てもおかしくない。
そうなれば軍団運営という観点から見れば致命傷だ。隊列が乱れれば使い魔が付け入る隙が生まれ、指示を聞かない部隊が現れれば最悪部隊規模で死人が出る。ボルコの懸念はもっともと言える。
しかし、そんな不満げなボルコを見てもレオニードは苦笑するのみだ。
「ボルコ。今の私達がすべきことは、出た杭の頭を押さえつけることでも無ければ、若い芽を不要と摘み取ることでもない。彼らを信じ、彼らの背中を押してやることだ」
「......」
「無様にも心折られてしまった私だが、何も決断することだけがこの場の存在意義ではない。集められた情報を精査し、それぞれの判断の糧としてやることも、この場の存在意義と言えるだろう?」
「それは......そうですが...... しかし、何を糧として渡すおつもりですか?」
そう。情報を精査すると一言で言っても、この場に集められた情報は膨大。その真偽を分別するだけでも恐ろしく時間がかかるはずだ。その上で正しい情報を届けるというのは、決断を下す以上に至難の業では無いだろうか。
「一つ違和感を持った事がある。先ほどステヴァンから届けられた、使い魔の上位個体についての情報だ」
「ステヴァンの報告に、何らかのミスがあったと?」
「いいや。あいつがそんなミスをしない男なのは、私が一番理解している。問題は報告の内容じゃない。使い魔そのものについてだ」
「上位個体について?」
「あぁ。森羅の悪魔がずっと存在を秘匿していた個体だ。戦場に出せば混乱は必須、悪魔殺しがいない場所に放てば、ただの魔法使いなど一溜りもない個体。それを奴はどうして、都市外部隊の前に出した?」
「むっ、そういえば!」
これまでの策略合戦によって森羅の悪魔がレオニードの性格を看破したように、レオニードもまた彼女の性格を看破するに至っていた。
残忍な完璧主義者であり、作戦は堅実性を優先する。けれども大きなメリットを得られる場面では、己の命すら賭け皿に載せる大胆さもまた持ち合わせる。
これを使い魔の出現と照らし合わせるとどうだろうか。そう、まるで彼女の性格と噛み合っていないのだ。
「都市外部隊の殲滅を図りたいのであれば、追撃の最中に送り込むのが最善だ。逆にあそこまで存在を秘匿したのなら、都市外部隊の退却と共に都市へと送り込み、一番手薄な防衛地点に放つだけでよかった」
「そうすれば大通りは内側から壊滅。翔君と小娘で二体の悪魔を抑えようとも、使い魔を抑えきれずにレオニード様は......」
「まぁ、喰い殺されるだろうな」
「冗談でもおっしゃらないでくだされ」
「ふっ、すまん」
「......小言は後にしましょう。続けて下され」
「ここまでずっと堅実な戦法を取り続けていた悪魔達の不可解な一手。ステヴァンは自身を都市内の部隊と合流させないためと言っていたが、それが目的だとしてもあそこで使い魔を出す意味は無かった」
「なぜです?」
「そもそも使い魔とは単純な命令しか理解出来ない単細胞だ。主の指示なくばエサの調達すらままならない不便な存在だ」
「森羅の悪魔の指揮能力のせいで見誤りそうになりますが、奴が操っている使い魔共も、やっていることは目の前の生物を襲ったり建造物を破壊したりといった単純労働ですしな」
「そうだ。だが先ほど聞いた上位個体は、魔法まで使っていたそうだ。そんな奴が単細胞だと思うか?」
「その使い魔には、それ以上の知性があると?」
「そう推測しよう。そして奴はその強さと知性故に、ある程度の裁量を与えられていた。自由行動を許可されていた個体だった。そんな悪魔がステヴァンを都市内に合流させまいと姿を現した。その理由は何か。ステヴァンの使い魔を都市内に放たれないためだと考える」
「ですが、ステヴァンの使い魔は砂地でなければ、行動を大きく制限されますぞい」
「そんなものをあちらが知る由もない。いや、先ほどの説を否定するようになるが、ただの使い魔がそこまで理解出来るとは思えない」
「ならレオニード様はなぜ、その使い魔が勝手な行動に走ったと? 判断出来ないのであれば、勝手な行動を控えるのは当然でしょう?」
「判断が付かないのならそうだろう。しかし、例えば主の勝利が目前に迫っているとしたらどうする? 邪魔さえ入らなければ、主の勝利が確定する盤面が出来上がったらどう考える?」
「ふむ。それなら、是が非でも妨害しようと思うはず」
「あぁ。つまり、あの使い魔は主の勝利を嗅ぎ付けたのだ。森羅の悪魔の勝利条件が満たされるのを確信したから行動に出たのだ」
「し、しかし! それでしたら、我々の命運もまた尽きているのでは?」
使い魔が勝利を確信した。
ならばその敵対者である人類は、とっくの昔に全滅していなければおかしいはず。
だというのに人類は苦戦を強いられながらも、遂に悪魔との決戦に持ち込んだ。むしろ盤面は人類有利に傾いている筈なのだ。
「そうだ。普通なら我々は死んでいなければおかしい。だから使い魔の手にした勝利の確信は、使い魔による虐殺といった直接的な勝利などでは無く、契約魔法の条件達成目前といった間接的な確信によるものだと考える」
「な、なら!」
「そうだ。翔君とマルティナ嬢が悪魔を抑えている内にその勝利条件を取り除かなければ、せっかく悪魔を討伐しても我々は全滅する可能性がある。マルティナ譲のおかげで零氷の魔法はある程度当たりが付いている。怪しいの森羅の悪魔だ」
「すぐに調査に向かわせまする!」
「いや、ここで大通りの戦力を分散させては、力業で突破される可能性がある。 ......都市外の部隊に調査を任せよう」
「......疲労困憊な上に、周りはどこから使い魔が飛び出してくるか分からない状況ですぞ。それに......よろしいのですか?」
「あぁ。判断力が弱った私だ。成功率の高い人員に任せる。そんな堅実な戦法が一番だと思う」
「......承知しました」
「頼んだぞ」
森羅の悪魔に打ちのめされ続けていたレオニード。けれどもその眼の炎は、煌々と燃え続けていた。
次回更新は6/16の予定です。