私はただそこにいる
「......これも織り込み済みか」
「大胆不敵でありながら、その戦略は堅実。かと思いきや、自身の安全を度外視した破滅的な戦略も厭わない。まったく手強い。まるで何人もの謀略家を一度に相手にしているようですな」
都市の執務室。そこではレオニードとボルコが、ちょうど結界生成の失敗を耳にしたところであった。
元々結界の使用は、外で襲われた応援部隊の情報から発案した作戦だった。そのため、都市内部に悪魔が侵入した上での結界の発動は異例も異例、予想だにしないイレギュラーな事態だったのだ。
それでも森羅の悪魔の行動を封じる一助になればと、結界の生成を強行したところまでは正解だった。何せ、それを嫌った悪魔自身が、ご丁寧に結界の核を破壊しつくしてくれたのだから。
それほどまでに、結界の存在は厄介だったのだろう。だからこそ、二度と使用できぬよう徹底的に破壊したのだろう。今の都市は丸裸。対魔法防御能力はゼロに等しい。
「こちら都市防衛隊! 零氷の悪魔と考えられる狙撃が発生! 魔道具のおかげで即死は免れましたが、指揮権を有する人材多数負傷!」
「......」
「レオニード様、抑えてくだされ。今あなたが冷静さを失ってしまえば、この都市を守ることは不可能になりまする」
「......分かっている」
全ての謀略合戦に敗れた代償は、すぐさま都市の戦いに表れた。
指揮官を狙った氷弾の狙撃。それがあらゆる防衛地帯に飛来するようになったのだ。幸い、豊富な魔道具による防衛のおかげで即死した指揮官は存在しない。
しかし、零氷の悪魔の弾丸は魂を冷やす呪いの弾丸だ。すぐさま魔力で抵抗をしなければ狙撃部に霜が張り始め、万が一弾丸が体内に残ろうものなら、内側から人を凍らせていく。
生き残っていてもこれなのだ。そして、もし死者が出ようものなら、滅び去った都市の二の舞が待っている。
いや、そもそも上官が狙撃されたという事実だけで、人の心は勝手に盛り下がってしまう。今はまだ代わりの人間が指揮をこなせているから戦線が崩壊していないだけだ。
ならば今の段階で指揮をする副官が狙撃されたら、次はだれが指揮を執る。その次は、またその次は。零氷の悪魔による狙撃は、抵抗という人類の牙を、ゆっくり丁寧に折り続けているのだ。
「こちらマーケット北方面防衛部隊! 敵の抵抗が激しい! このままだと守り切れない!」
「こちらボルコ。マーケット北部隊、防衛ブロックの爆破放棄を許可する。次の防衛地点まで後退せよ」
「マーケット北方面部隊、了解!」
今の人類側に許された行動は、出来るだけ抵抗した後、次の防衛地点まで後退する遅滞防御のみだ。
もちろん起死回生を狙った反転攻勢は可能だ。けれども、それを行うには指揮経験が豊富な指揮官がいることが大前提。この前提が崩れた状態で反転した所で、余計な犠牲が増えるだけだ。
長距離からの狙撃と、無限にも思える使い魔の攻勢。一つだけなら、人類は多大な犠牲を覚悟さえすれば突破は可能であるだろう。だが、この場には二つが揃っている。それだけで人類の取れる選択が、消極的な地帯戦術のみに狭められてしまう。
「......口惜しいが、あやつの選択の方が正しかったか」
遡ること数分。外からこの国を訪れた二人の悪魔殺しは、突然二体の悪魔を直接討伐すると宣言し、防衛地点すら放棄して勝手な行動を取り始めてしまった。
慌てて制止の指示を出すも、通信機から聞こえてくるのはノイズのみ。きっとステヴァンの言っていた、全ての魔力を弾き飛ばす翔専用の結界を使用したのだろう。
あの時は頭が割れんばかりの頭痛に苛まれた。だが今の戦況を鑑みるに、二人の選択は間違っていなかったとボルコは思う。
「ここまでかき乱されたのだ。もはや通常の防衛作戦でどうにかなる範疇は超えている。それならば敵のトップを狙う斬首戦術、零氷の悪魔への意趣返しを挑む方が、よっぽど勝算があるわい」
優れた用兵術を持った森羅の悪魔と、確実に二人の行動を見張っているだろう零氷の悪魔への強襲。
もはや作戦とも呼べない破れかぶれの特攻だ。失敗すれば死は確実、そして彼らが死ねば自動的に都市の命運も尽きるだろう。
「レオニード様、本当に逃げる準備はよろしいので?」
「ふっ、どこに逃げるというんだ? 四方は血に飢えた獣達、少しでも射線が通れば頭に風穴が開く。それならば少しでも士気を保つため、ここで構えている方が有意義だろう?」
「......ですが」
「ボルコ、信じるんだ」
「......そうですな」
「それに、例え私の命が尽きようとも、次はある。私の都市を攻めたんだ。流石の奴も、私のとっておきの作戦は見抜けなかったらしい。終結がどんな形になるかは分からないが、その時は地獄で悪魔の間抜け面を笑ってやるとしよう」
「レオニード様......」
二人の間でのみ伝わる会話で場を和まし、レオニードはただひたすら、通信機からの朗報を待ち続けるのだった。
何よりも人々のことを思い続けてきた仁君の瞳には、多くの血が流れることになった悲哀と、深い深い罪悪感だけが刻まれていた。
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「マルティナ! 見つかったか!?」
「気が散る! 黙ってて!」
所変わって都市上空。
擬翼によって空中に静止している翔と、彼に背負われたマルティナは、ただひたすらに一つの魔力を探り当てようとしていた。
現在、彼らの周りには翔の魔法、擬井制圧 曼珠沙華が展開されており、あらゆる魔力の侵入を拒んでいる。
これから悪魔と戦おうというのに、魔力消費が激しい魔法を発動しているのはなぜか。その理由は、先ほどからずっと等間隔で、マルティナを狙った弾丸が飛来しているからだ。
「ちっ! まるで義務みたいに、忘れた頃に撃ってきやがる! そんなに結界を解除されるのが嫌なのかよ!」
マルティナを狙う凶弾の正体は、彼らが見つけ出そうとしている零氷の悪魔による狙撃だ。
空中に棒立ち状態の二人は格好の的であり、零氷の悪魔からしてみれば討ち取ってしまえば勝利は確実の賞金首だ。狙わない理由が無い。
その上、翔の魔法、擬翼一擲 鳳仙花と擬井制圧 曼殊沙華は、どちらも目に見えて大量の魔力を消費する魔法だ。ただ発動しているだけで有利が転がり込んでくる状況、零氷の悪魔が利用しない手は無い。
「......結構時間が経っちまってる。下のみんなは......まだ無事だな」
一つ救いがあるとすれば、そんな大量の魔力を消費している張本人が、いたって余裕綽々という点だろうか。
彼の魔力は人間にしてはまさしく規格外。その魔力量は人類最強の魔法使いである、ラウラの契約時と同等レベルだ。彼にとってこの程度の消耗は、まだまだ序の口レベルなのである。
けれど、そんなことを零氷の悪魔が知る由もない。彼は結界を途切れさせぬよう、律儀に翔達へ牽制を仕掛け、その都度弾丸を消滅させられている。
翔達にとっては、零氷の悪魔の位置を見つけ出すヒントを貰えた上に、防衛隊への被害を分散出来てラッキー。零氷の悪魔としては、悪魔殺し二人が戦線から離脱し、魔力を大きく消費してくれてラッキーという、奇妙なウィンウィン関係が築かれていた。
「マルティナ、まだかかるか!?」
翔としても、わざわざマルティナを急かすようなことはしたくない。しかし、彼らが悪魔の捜索を始めた結果、大きな被害こそ出ていないが、防衛ラインは二ブロックほど後退してしまっている。
後退するだけならまだまだ可能だ。だが、下がればそれだけ多くの民間人の命を危険に曝すことになる。翔には受け入れられないことだった。
そもそも、ステヴァンとの戦いでは即座に使い魔の特性を見抜き、彼が術者であることも瞬時に見抜いていたマルティナだ。魔力探知能力の方も、かなり優秀であるに違いない。
だというのに、先ほどから敵の魔法に晒されているにも関わらず、彼女の索敵は終わらない。ずっと何かを探るようなままで、確信を得た様子が無い。
外付けの魔力探知を経験したことがあるせいだろう。翔も余計に焦れて、彼女を急かしてしまっている。
今まであれば、マルティナの怒鳴り声が追加されるタイミングだった。
「......そんな、まさか」
唖然とした彼女の声が、背中から響いてきたのだ。
「何か分かったのか!?」
魔力探知を持たない翔からすれば、そんなマルティナの態度は不気味でしかない。判明した事実を明らかにしてほしい心と、どうか不吉な言葉を紡がないでくれという祈りから、自然と語気が強くなる。
「......ずっとずっと、あいつの魔力は追えていた。それだけじゃない。銃声もずっと響いていたし、弾丸だって実際にこっちに飛んできていた。なのに、なのに」
「何だ!? マルティナ、何があったんだ!」
「前方に魔力反応があったと思ったら、今度は真後ろから反応がある。探知ぎりぎりの遠方から反応があったかと思えば、私達の真下から反応がある」
「ワープ魔法持ちってことか!?」
「違う......これはそんな生易しい魔法じゃない! きっと、きっとあいつの魔法の正体は、自分の気配を滅茶苦茶に発現させる魔法なのよ!」
「は、はぁ!? 狙撃手がそんな魔法を持っちまったら!」
「最悪よ! このままじゃ、私達は戦いにすら持ち込めない!」
伝えられた衝撃の事実。
今までは集中して聞いていなかったせいだろう。その言葉を裏付けるように、マルティナを狙って放たれた狙撃は、左耳付近で銃声が轟き、右方向で弾丸がパラパラと崩れていくのだった。
次回更新は5/31の予定です。