檻が開く
「ふぃ~。やぁ~っと着いたね~。長旅ご苦労様~」
「別に。仕事をこなしたまでだ。感謝されるようなことは無い」
都市の中心部から程よく外れた貸倉庫、そこが運び屋とミエリーシの終着駅だった。
中心部から外れていると言っても、他所から運び込まれる魔道具を始めたとした支援物資の積み込みで周りは騒がしい。少しばかり怪しい動きをしたところでバレることは無さそうだ。
そんな人と物の動きも計算して荷運びの場所を決めたのだとしたら、恐るべき計算高さだと運び屋は思う。いや、この奇妙な旅を始めた当初から、少女が只者でないことは理解していたつもりだ。いまさらその念が強くなったところで、呆れるくらいしか出来ることは無い。
「まぁまぁ、そんな冷めたこと言いなさんなって~。ほら、ね?」
おもむろに差し出されるミエリーシの手。そこに握られていたのは札束だった。成功報酬という事なのだろうが、それにしてはいささか以上に札束が多すぎる。
笑顔でこちらに差し出しているのだ。全てを懐に収めた所で、ミエリーシが文句を言うことは無いのだろう。しかし、それを実行してしまうことは、運び屋の流儀が許さなかった。
「ありがたく受け取っておく」
そう言って運び屋が受け取ったのは、札束の半分ほど。事前に話し合って決めた報酬分の札束のみだった
「いいの~? 養う相手はたくさんいるんでしょ~?」
「そちらが言ったことだろう。俺は罪悪感で押し潰されない最低限のラインを設定していると。約束を守るのは、その最低限に含まれていることだ」
「.....あっはっは~! 確かにその通りだ~! やっぱり私は、昔から問答って奴に弱いな~! まっ、だからって強くなろうと思ったことなんか一度も無いんだけど~」
特に気にすることも無く、小さく腹を抱えながら札束を仕舞いこむミエリーシ。
これで運び屋とミエリーシの契約は終了。いずれ新たな仕事を依頼されることはあるかもしれないが、彼らの繋がりも快勝されるはずだった。
「そんなに散財が好きなのなら、出発前と同じように金の亡者共にバラ撒いてしまえ。これから他の奴らへの支払いだろう?」
小さな違和感を常に感じながらの移動ゆえ、知らぬ内に鬱憤を溜めこんでいたのだろう。運び屋が発したその皮肉は、別れの冗談のようなものだった。
「聞きたい?」
だが、こちらが冗談と思っていても、向こうがそのまま受け取るとは限らない。
ポツリと吐いた質問。しかし、その言葉を紡いだミエリーシの笑顔が、いつの間にか全く別の物へと変質していることに運び屋は気付いた。
「な、なにを?」
「何をって、そのまんまだよ~? 他の運び屋への支払い、運んだ獣達の取引先、今後の私の動き、全部が全部、知りたいんでしょ~?」
目の前に立つのは、緑色の髪色がフードから覗いている以外は、これといって特徴の無いただの少女。いや、それに加えて北欧系のその顔は、中東系の運び屋から見ても、かなり整っていると言えるかもしれない。しかし、それだけだ。それだけのはずなのだ。
なのに彼女の笑顔が変質した瞬間、運び屋はミエリーシから目を離せなくなった。離した瞬間に、自分の命が終わる光景を夢想した。カタカタと震えだす己の四肢。まるで蛇に睨まれたカエルのようであった。
「ゲームってのはルールがあってこそ成り立つものだよね~。その点で言えば、今回の挑戦者は最初から君以外は不合格だったんだよね~。むしろこんな痩せた土地で、最後まで欲望に抗えたなんて高得点だよ~」
ぺちぺちとやる気のない拍手を行うミエリーシ。元々彼女の会話は訳の分からない物が多かったが、今回の会話だけは意味を理解出来た。
金だ。契約を遵守し、最後まで強欲さをひた隠した自分以外を、彼女は不合格と称したのだ。金払いの良い上客。運び屋仲間にそう思われていたミエリーシだが、一方で彼女はずっとこちらを見定めていたのだ。
「君達の世界では知らない方が良いことってのが、星の数ほどあるんでしょ~? そのせいなのかな~。私の目的を尋ねてくれないことが不満で仕方なかったよ~。でも、最後の最後で質問をしてくれた~。良かったねぇ~。君は虎穴に入って、虎児を得る機会を得たよ~」
またも理解に苦しむミエリーシの言葉。しかし言葉の端々から、どうやら自分は勝手に設定されていた彼女のゲームを、最後の最後で突破したらしいことは分かる。
「勝者に報酬をあげないとね~。それが始まりの私から続く、唯一絶対のルールだから~」
「ほう、しゅう......?」
そんなものは現金として受け取ったばかりだ。もうこれ以上は何もいらない。だからさっさと自分を解放してくれ。そう思う運び屋だが、ミエリーシに伝わるはずもない。
驚くほど自然に運び屋の隣に立った彼女は、手持ちの端末を操作し、とあるアプリを起動した。それはよくある通話アプリ。複数人が会話をすることを目的とした、会議アプリであった。
「見た目は動物でも使い魔だからね~。胃袋や尻に端末を突っ込んでも、死にはしないのだ~。ってことで~、あ~、テステス。は~い! ここにいる君達以外、仕事の時間だよ~!」
そこから聞こえてきたのは、くぐもった破砕音や連続する小さな悲鳴。
運び屋は理解する。先ほどのミエリーシの言葉が真実なのであれば、この通話先の端末は商品であった獣達の体内に存在するはず。だというのに音が響くということは、運び屋の想像以上の破壊が、通話の向こうで起こっていることに他ならない。
そして、同時に理解した。自分達が運んだ動物達の用途は、愛玩用や上質な毛皮が目的では無かったのだ。野生の本能の赴くままに、破壊の嵐を巻き起こす尖兵だったのだ。
知らず知らずの内に、男を含めた運び屋達はテロの片棒を担がされていたのだ。
「あ、あんたは...... あんたの、目的は......」
「ふっふっふ~。もう聞かなくても分かってるくせに~。この地に混沌を! 世界に破滅を! ミエリーシちゃんの正体は~! 地獄から顕現せし、邪悪なる悪魔だったのだ~!」
ケラケラと、本当に愉快そうにケラケラと笑うミエリーシの顔には、テロリズムに対する忌避感や罪悪感といったものは微塵も感じられない。
常に自分が正しいとのたまう宗教テロリストの類で無いとすれば、確かに悪魔でもなければこのような所業を笑いながら出来る筈もない。
このままでは巻き込まれるのは火を見るより明らか。ジリッ、無意識の内に足が倉庫の出口に向かって後ずさるのを感じる。
そこでふと思い出した。彼女が出した襲撃命令、その範囲になぜかここだけが含まれていなかった理由を。
「ほうしゅう、報酬......!」
「察しが良い子は大好きだよぉ~。君以外の運び屋は、とっくの昔に誰かのお昼ご飯になってるんじゃないかな~?」
「っ!」
彼女の機嫌を損ねなかったこと。そして、密かに開催されていたゲームのルールを守り切ったことで、自分は情報というこの場で最も重要な報酬を授かったのだ。
それを受け取り損ねていれば、密閉された空間だ。自分もたちまちの内に、獣達の餌食になっていただろう。
「それで~。君みたいなニンゲンはほとんど触ることが無いんだろうけど~。多くのゲームは~、ステージ1をクリアしただけじゃ終わんないんだよね~。続くステージ2が間髪入れずに始まる物なんだ~。 ......せっかくのソロプレイだもんね~。十秒待つよ?」
説明はそれだけで十分だった。運び屋は己の大切な商売道具であるトラックには目もくれず、一目散に出口に向かって走り出す。
「ごうか~く! そこで資産を捨てられなければ、今頃命で清算してたよ~。さ~て、君が生き残るかそれとも志半ばで力尽きるか~。この都市攻略の肴にさせて貰おっかな~! おっと~、忘れてた~。カウントカウント~。い~ち、に~い」
トラックを停めた関係上、男の立ち位置は倉庫の中でも奥側だった。そこから走って、走って走って走って、ようやく見えた外の光。入り口を通り抜ける際、とっさにシャッターのボタンを押し、少しでも時間稼ぎを図る。
いきなり必死の形相で飛び出してきた男に、周りで作業をしていた人々は怪訝な表情を浮かべるのみだ。
全員に説明をしている時間などありはしない。
「逃げろっ!」
それだけを伝えると、男は一目散に駆け出した。
同時に恐ろしい衝撃音を上げながらシャッターをぶち破り、悪魔の尖兵が飛び出すのであった。
次回更新は5/15の予定です。




